10th August 2020

Jijiart
Gleam
Published in
3 min readAug 19, 2020

2020年8月。アメリカから帰国した。
渡米したのは2017年の3月だったから在米期間は3年と5ヶ月。このコロナ禍での帰国は本当にしんどかった。

アメリカでの感染が爆発的に増える中での行動は怖かったけど、住んでいた人が全員退去することになっていたから持っている家具もオンラインで売り出し引き渡しを行っていた。

あと予約していた搭乗機がキャンセルになり予定より1週間早く動かなくてはならなかった為、毎日が本当に身の回りの家具のオンライン売買に追われた。家具がなくなっていくたびに、不便な生活になっていった。最後の3日間は夜になると台所や洗面台の明かりしかなくなっていった。

その他、保険や携帯電話などの解約や車の売却などが一番気を張って対処したことだった。でも毎日目を回しながらも無事解約し、お気に入りの車も友人の彼女に買い取って貰ったりと、意外とスムーズに処理が進んだ。

それからは帰国当日の朝、友人が最後に細々とした物を引き取りに来てくれて、別れの挨拶をし、ロサンゼルス空港へ移動したが、コロナの影響でいつ来ても人で溢れるLAXの賑わいが消えていた。人が数えるほどしかいないロサンゼルス国際空港。多分一生忘れられないと思う。

それから12時間のフライトを経て無事関西空港に到着。
しかし帰国に取っては難関の始まりであり、空港検疫でPCR検査を受けなくてはならなかった。8月からは鼻に綿棒のようなものを突っ込む検査から唾液採取検査によって結果の判定時間が大幅に早くなったとのことで、早速唾液を採取された。(思っていたよりこれも結構キツかった)

それからはロビーで結果が出るまで待つことになるが、速い人は1時間半くらいで結果が言い渡されていた。私はなぜか最初の方に受けたのに私よりも後に受けた人たちの結果ばかり告知されていたので、コロナにかかってしまったんだろうな、と諦めていたけど最後の最後で結果が陰性とのことでスタッフの人が知らせに来てくれたお陰で、無事に空港の外に出られた。

それから予約していたハイヤーと滞在先に陰性との連絡を入れて滞在先に移動した。ここまでくるのがとても長く感じた。帰国から1週間ほど経過した今思い出すと一瞬な気もしている。思い出補正はもう動き出しているのだろうかと不安になった。今はまだ公共機関が使えない為、大阪に滞在している。ここから地元に帰るのもまたハードルでもある。でも今できることは限られているから、こうして帰国した出来事を、どんなに大変だったかを思い出補正が完全にかかる前に記録したかった。

また地元に帰ってからもオンライン授業が始まり、今回はまたアメリカにいる時でもできなかったことにチャレンジしないといけないからとても不安ではある。そんな不安な気持ちの時はいつも友人からの言葉を思い出す。「自転車は乗るまでが怖い」ロサンゼルスにいく前に怖じけづいていた私を見て友人が言ってくれた言葉だった。帰ってきてもやっぱり色々なことが怖いけど、そういう時もまた友人の言葉を思い出してみようと思った。

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