【キリマンジャロ山での生活】キリスト教を身近に感じる生活

Chinatsu Kono
Journey to Africa
Published in
2 min readFeb 8, 2017

こんにちは。本日の担当は高野です。

今回はタンザニア、キリマンジャロ山麓に滞在した経験から「宗教」について自分なりに考えてみようと思います。

キリマンジャロ山麓に住む人びとの多くはキリスト教徒です。ホームステイ先の部屋にも聖書とイエス・キリストの小さな像が置いてありました。

「お祈り」の習慣は現地滞在中の思い出のひとつです。食事や大事な会議の前には必ずその場にいる人全員で目を閉じ、祈ります。

お祈りのとき、スワヒリ語の祈りの言葉はが分からなくても、祈りの最後に「アーメン」と言っているのはわかります。現地滞在中は村の人びとを真似して「アーメン」とお祈りをしていました。

滞在中、一度食事の前にホームステイ先の家族と一緒に聖歌を歌いました。スワヒリ語の歌詞だったので詳しい意味は分かりませんでしたが、
聖歌をきちんと歌ったのは、そのときがはじめてでした。

キリスト教のことをあまり知らない私は、食事の前のお祈りを経験し、なんとなく日本の「いただきます」と似ているなと感じました。現地では、日々だれかのおかげでものが食べられることに感謝しながら、「いただきます」を心を込めて言うつもりでお祈りしていました。

街で滞在していたホテルにある教会でもお祈りが行われていたので行ってみました。教会でのお祈りに参加してことがなかったので、見よう見まねの参加です。お祈りは1時間ほど続き、聖歌を何曲か聞くことができました。ホテルの教会でのお祈りの様子 ↓

このメロディーは今でもなぜかふとした瞬間に思い出します。

もうすぐ日本に帰るというとき、私が「宗教が身近にある生活をいままで経験したことがありませんでした」と話すと、キリマンジャロ山麓に住むある男性は、私にこう言いました。

「何を信じるか、どの宗教を信じるかはそんなに重要じゃない。大事なのは、何かを信じることだ」

宗教と聞くと、宗教の違いによって起きている紛争やテロ、事件を連想しがちですが、キリマンジャロ山麓に滞在して、何かを信じることは、自分たちが生活していくうえでとても大事なことなんだということを学びました。

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