私と震災

Hideyuki Ohashi
Journey to Africa
Published in
3 min readMar 12, 2017

こんにちは、Pです。投稿が遅くなってしまってごめんなさい。

6年前の3月11日、皆さんは何をしていましたか?

私は当時中学3年生で、期末試験の答案返却日でした。私は学外で合唱団に所属しているのですが、震災の日は、翌日に控えたコンサートのための練習に行く予定でした。しかし、停電で練習どころか家にも帰れず、学校に泊まることになりました。

その日の食事は乾パンと水だけ。寒い中、床に毛布1枚で寝ました。家族と会ったのも翌日になってから。いかに普段当たり前のことが当たり前ではないか、ということを思い知らされました。何不自由ない環境に、日々感謝して生きるようにしています。

さて、先ほど合唱団のコンサートのお話をしましたが、当然ながら一時中止になりました。しかしその1ヶ月後、復興支援のチャリティーコンサートとして行うことが決定し、合唱団として支援物資なども被災地に届けました。私も小6の時に合唱団の一員として岩手県を訪れたということもあり、何らかの形で東北の力になれたらと思いました。

東日本大震災から5年という節目を迎えた昨年、今度は熊本県で大きな地震が起きてしまいました。ボランティアに行こうと思っていたところに、ちょうどアフ研の熊本合宿の話が持ち上がり、早速ボランティア保険などの手続きに行きました。結果、個人活動として7月9日に熊本市でボランティア活動を行いました。3ヶ月が経過していたとは言え、自分の目で被災地の様子を知ることができたのが一番の収穫でした。

熊本市内の家(2016年7月9日撮影)
ボランティア活動では大量のゴミを2階から運び出した

中学生の自分が(現地には行けなくても)東北の復興に少しでも寄与することができたのも、熊本でボランティア活動ができたのも、合唱団とアフ研という2つの組織のおかげだと思っています。私は縁あって両者に巡り会うことができたわけですが、所属していなければ私の人生は全く異なる方向に向かっていたと思います。私も今就活をしていますが、これらの経験が活きるような仕事につくことができたらなと思っています。

私も個人的な話になってしまいましたが、今だからこそできる話だと思ってさせていただきました。メディアでの報道が減った今でも、未だに苦しんでいる方がいらっしゃることは忘れてはいけません。偉そうなことを言う身分ではないことは百も承知ですが、日本人として決して忘れてはいけない震災の経験を次の世代に語り継いでいくことが、私たちの使命なのではないでしょうか。それでは。

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