筆を引きずる死闘! アフ研、卒論を書き終える!!

小東 真人 aka こひ先生
Journey to Africa
Published in
9 min readJan 12, 2017

1月10日、卒業論文を書き終えました、小東です。

「そもそも『卒論』ってどれくらい大変なの??」と感じる方も多いと思うので、今回はアフリカ研究会の論文組の死闘を文字に起こしていきます。

目次

●アフ研にとっての卒論とは

●卒論組のカレンダー

●9~10月

●11月

●12月~冬休み(12/29)

●正月

●直前(1/3–10)

●さいごに

▼アフ研にとっての卒論とは

下級生や卒業生も見に来る、本気の発表会

アフリカ研究会では4年生が卒業制作か卒業論文を毎年発表しています。その発表会には次年度に入会する新3年生(見にくる時は2年生)も参加して、先輩の姿を脳裏に焼き付けてから、ゼミ生活を開始させます。

かくいう自分も入会が決まった2年生の終わりの頃、浜松町のアフリカ料理店「カラバシュ」に呼んでいただき、4年生の卒業制作や論文の発表を聞きました。

「すげえ、将来こんな発表するのか…」と驚きで開いた口がふさがりませんでした。現地で買った布で服を創作したり踊りをしている人もいました。また論文も、きちんとした表紙に図表や参考文献まで、キチッとしていました。小東が最初に見た時は、卒業生も遊びにきていました。

今回、自分が4年になり、まさか今月19日に卒論を発表する立場になるとは、これを書きながらも信じられません。

▼卒論組のカレンダー

始めゆっくり、あと爆速

グーグルドライブが、卒論ファイルでいっぱいになる

今年の卒論は、すごくザックリ説明してしまうと下記のようなスケジュールになります。だらだらと始まり、後半戦に胃がキリキリしてきました。

・9~10月:テーマ探し、資料集め

・11月:テーマを仮決定し、書き始め。初期ノルマは8000字

12~冬休み(12/29):仮提出まで16000字を埋める

・正月:返却された内容を直し、20000字に到達させる

・直前(1/3–10):図表や参考文献、方向性の最終確認、誤字脱字チェック

▼9~10月

夏休み課題の共有

就活時期がズレて、例年よりも遅い9月末から論文組の作業が始まりました。

行くだけで往復2000円くらいかかる図書館、「アジ研」

夏休み中の課題は「図書館に5日間通い、テーマを見つけること、資料を記録すること」などでした。指定されている図書館が複数あるのですが、千葉にあるアジアアフリカ研究所の図書館は遠すぎて焦りました。ディズニーランドを超えたところにありました。

小東は研究会の当日に、最後の課題となっていたその図書館に行き、どうにか間に合わせましたが…。この後、学園祭で少し休みが入り、夢をみていました。

▼11月

学園祭後、戦争の幕開け

「じゃあ8000字書きましょう。最初の関門です。」

学園祭の後から、少しずつ書き始めました。

夏に死ぬほど集めた日本語や英語の資料を並べて、あーでもないこーでもないと言っていると、全然書けないのです。やる気はあるけどな、指が重たい。

参考文献を真に理解してないのか、英語の日本語訳が慣れていないのか、おかしいな…?

SNS上で悲鳴を上げていると、卒業生から「いま根をあげていたら、後がもたないよ」と言われました。今ではよく理解できます。温かい助言が身に沁みます。

小東は箇条書きにしたブロックを何個も作り、とりあえず8000字のゴミを提出しました。先生ごめん。

12月の発表会直前にデータが飛ぶ

ちなみに一度、1500字分ぐらい書き足したデータが、ぶっ飛びました。卒論データ自体はPCとクラウド、USBメモリに保存するようにしていたのに。

このおかげで、「Ctrl + S」(保存)を押しまくる人になりました。

▼12月~冬休み(12/29)

増える課題量と見失う方向性

付箋のめいじろうが憎たらしくなった頃

23歳にして本当に泣きそうになりました。15000字の原稿を「この章は切ろう。圧縮しよう」という鶴の一声で、軌道修正したからです。

みんなよりも8000字程度後れを取りました。

12月後半の内容共有会では、小東の論文を読んだ学生の顔から、「?」マークがあふれ出ていました。

このダサさから、一瞬ドロップアウトも頭を過ぎりました。当時は12月22日までインターンシップを続けており、そこで別の本を書いていたり大阪で講演をしたりと、本気でキャパを超えていました。

夏の飲み会の帰りに先輩から「その仕事と卒論の両立は、多分無理だよ」と言われたのを思い出し、気分的にも死んでいました。

でも、そんな時には、学園祭のときの先生のメールを思い出しました。

ここで逃げるか向き合うかは(大げさな話ではなく)今後のみなさんの人生を占うものとなると思います。 (中略)

大学よりもアルバイト、大学よりも何かの仕事の方が大事、と考える人は、社会人になっても「今の仕事よりも次のor他の<何か>…」と考えるだけの人間になるのは必至です。

呂布カルマ (引用元:https://www.youtube.com/watch?v=QrQ_9tbgBNU

「先生は、呂布カルマ※かな?」と思うくらい、強烈なパンチラインを持っていました。(※名古屋の超強いバトルMCのこと)

その刺激のおかげで、何とか修正し続け、字数を積み重ねて、冬休みに入ります。29日までゼミに籠り、フィードバックをもらうために仮提出して、正月をむかえました。吉報を待ちながら。

▼正月

死ぬ思いで這い上がる

1月2日。朝起きて、年明け早々泣きそうになりました。

他の人のメールのタイトルは

「●●氏:返却」となっているのに、

自分だけ「小東さん:再送願い」だったのです。

再送ッ!!! てか論者として、リスペクトされてない!!!!

それもそのはず、小東の論文は冬休み提出時点では、字数の足りなさから「添削できない」評価を頂いていたのです。ゲロが出そうになりました。

それから髭もそらずに、町田にあるカフェベローチェに籠り、6000字くらい書きまくりました。PCからUNICEFやUNCTAD、CIAにアクセスして2節分くらい丸々書き直して出しました。

「いつか俺が、『アフリカ研究会』をレペゼンしてやる!!!!」

と唇を噛みながら、キーを乱打しました。

20ページあるうちの最初の2ページで、指摘の数が「27」を超えている

その甲斐あって、無事その日中の提出が認められ、先生の100連発の指摘を受けられました。

正月中にコンビニでプリントアウトしようしたら、USBを落として見つけられなかった

乱れる心とは裏腹に、論文の方向性はかなり研ぎ澄まされていきました。

▼直前(1/3–10):

・10日の提出日まで、学生生活何を遺すか

字数は十分に越え、見た目も一定整った時に、煮え切らない部分を先生に相談しました。

書き終えた感じ、、しないんですが、、、

「それは『要旨』と『3章』がかみ合ってないから、シメを書いていて腑に落ちてないんだよ。また最後に、もがいて下さい。」

そこからは正直、同じ図書館と同じ研究室、同じ家の机、町田のカフェを往復しており、日々が単調で、記憶が曖昧です。

朝に書き足し、夕方にチェック、夜中に書き足し、昼間にチェック…

毎日2回は原稿を印刷していたので、近所のセブンの店員に顔を覚えられていたと思います。すまんな。

最終日にはゼミ生のまさもん(正本氏)と、お互いの論文の検討会もしました。

彼がいなければ、文章の分かりやすさはもちろん、参考文献一覧表も死滅していたでしょう。

添削者の苦労を顧みず、「先生、点打ち忘れてるじゃんwwww」と指摘している

「走り切る、死んでもなにか遺すぞ」、 そんな気分で修正作業に入ってました。

▼さいごに

「チームで書く」ということ

当日、満身創痍で製本作業に取り掛かるアフ研の論文組

ここまで一つの事に打ち込んだこと、あったっけ??と

素直に思える良い経験になりました。本当につらかったけど、アフ研の仲間がいて助かりました。

「チームで書く」

最初は卒論って、ひとりプレイだろ!って思っていましたが、そんなことはなかったです。

まわりの進捗に焦り、励まされ、どうにか最後まで書ききれました。

そして、この卒論の話をまわりにいうとすると、

「先生は、大変じゃない? 大丈夫なの??」と言われます。

うん、たぶん大丈夫じゃないと思います。これは卒業後の活躍で返済しないといけないカードローンみたいなものだと考えています。

世間的に「卒論」ってなんなんでしょうか。

一日でウィキペディアで終わらせるものだったり、そもそも書かないものだったり、浮気の隠語に使われるものだったり、一括りにできない言葉だと思いますが、

アフ研の論文組にとっては、辛い長旅を超えたところにある「学生最後の楽しみ」であり、「通過儀礼」だったのかなと思います。

また訂正版を書きたくなったり、何かがあったら形を整えて、また報告したいと思います。本当につらいけど、楽しかった。

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小東 真人 aka こひ先生
Journey to Africa

神奈川県出身。明治大学卒、ガイアックス17年入社。大学ではサハラ以南アフリカ地域を専攻、ケニアなど東アフリカ諸国を渡航。学部3年次にインターンを開始、SNSマーケやメディア編集の世界へ。5人兄弟の末っ子、辛い物が苦手。