ポストトゥルース

Shinichi Sasaki
Just A brick in the Wall
2 min readFeb 2, 2017

最近、ポストトゥルース(Post Truth)の時代とか言われているらしい。真実の時代が終わったとか何とか。

ネットを見れば嘘か本当かよく分からない情報に踊らされている人がたくさんいる。それは違うと指摘をすると、「でもあいつらならやりそう」と嘘に騙されたことを悪びれもせずに開き直る。ああ、これは確かに、真実などもうどうでもいい時代になったことを実感する。

ただ難しいのは、自分が知覚したものしか真実と認識できないことである。誰かがああ言っていた、昔誰かが何をした、こういう類の話はどうしたって伝聞であるがゆえに、真実たりえない。せいぜい、周囲の人間全員がそれを真実だとジャッジメントしていることがその担保となっているに過ぎない。

インターネットの時代において情報の流通量が爆発的に増えたこともある。いちいち目にする情報が嘘か本当かを判断できるほど、人間の処理能力は高くないのだろう。だからこそ、嘘か本当かという視点ではなく、自分たち(とその周囲)が楽しめるかどうかの視点で情報を扱うようになったのかもしれない。

昔、小さい頃は僕は友人からいじられる時に嘘を交えてくるのが嫌いだった。本当のことではないことを言われるのがたまらなく嫌だった。しかしそれを指摘しても聞く耳を持ってくれない。本当かどうかなんて誰も気にしていないのだ。真実よりも自分が楽しいかどうか、そちらのほうが重要事項なのだろう。そういう人が多数を占めている限り、ポストトゥルースなんていう冗談みたいな時代は今後も続いていく。

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