Mediumのいいところ

Shinichi Sasaki
Just A brick in the Wall
3 min readJan 4, 2017

Mediumで書き出して1ヶ月以上経つが、意外と続いている。メインのブログのほうは、どうも年に数回更新があればいいレベルである。(今年から自身のマーケティングとして定期的に更新するつもりだが)

なぜこんなに続いているかちゃちゃっと考えてみた。

がっちり書かなくてもいい気がする

ブログというと、日記のように使っている人もいるだろうが、僕はメディアとしての情報発信の場であるという認識がすごく強い。だから何か書こうとするとそれなりのクオリティの文章を書かなくてはいけない強迫観念がある。インターネットに公開する以上、どういう人が見るかもしれない。あらゆる衆目に止まってもいいような文章を書かなくてはいけない。というめんどくさい制約を自分で無意識に課しているため、ブログはなかなか更新できない。

Mediumもインターネットに公開されている。システムとしてはブログシステムである。が、TwitterのようなFollow関係の機能があり、タイムラインという概念があるため、Twitterのような緩さで文章を書くことが許されている気がする。

システム的にはブログもTwitterもMediumもコンテンツを保存し、それを取ってきて表示するという根本は変わらない。しかしサービス設計のおかげなのだろう、これらのプラットフォーム上での人の動きやコンテンツを生む動機さえ違ってくるのが面白い

デザインが淡白である

これは誉め言葉である。WordPressやブログサービスではテーマシステムがたいてい備わっており、こじゃれたブログサイトを作ることが出来る。CSSやテンプレートをいじって与えられたテーマをカスタマイズすることも出来るだろう。

Mediumにはそれがない。一応Publicationのレイアウトは設定があるし、ロゴやヘッダ画像も設定できるが、テーマのプリセットがあるわけではないし、カスタムの幅も小さそうだ。

だがそれにより書くことに集中できる気がする。まっさらな画用紙に何を描こうか考えるあの感じが蘇ってくる。WYSIWYGエディタはお世辞にも高機能ではないが、逆にこれくらいのほうが文章を書くのに集中できる気がするのだ。機能が足りないのに書く気にさせてくれるというのは、機能が多ければ多いほどいいものではないという証左ではないだろうか。

一般人に見つかっていない

Twitterがキャズム超えしたことを、有吉という芸能人が「馬鹿に見つかった(からブレイクした)」と言っていたが、だいたい近いニュアンスで言っている。

今のMediumは書きたい、伝えたいという純粋な文章が多い。プロ、アマ問わず、読んでいて面白い文章が多い。それは僕がいつも触れているIT技術とは離れた、人生とかライフスタイルとかそういう分野の文章に触れる機会が多いかもしれないが。

さてこれが一般人が大量に流入したら?質の高い文章を読み続けられるだろうか?Twitterのように一般人向けの(でも僕にとっては不用な)機能が追加されるかもしれない。そうなるときっとコンテンツの質や方向性が変わってくるのではないか。

ユーザが増えないとMediumの運営に支障が出そうなのであまり大きな声では言いにくいが、このあたりはうまくコントロールしてほしいと願っている。

--

--