人工知能が活躍する世界で人は何をするのか

Yu Kawabe
Kaizen Platform のモノ作り
4 min readAug 18, 2016

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Kaizen Platformでプロダクトマネージャーをしている河部です。

僕は趣味で囲碁をやるのですが、今年の3月に人工知能のAlphaGoが世界のトップ棋士である李世ドル九段を破るという、囲碁界ではかなり衝撃的な出来事がありました。その余波もあってか、十数年後に何割かの仕事が人工知能に置き換えられるなどという記事が話題になっていたりしました。

僕自身は人工知能の専門家ではありませんが、将来人工知能がかなり盛況となったときに人間がどのように過ごしているかといった事には関心があり、今回はそれについて書いてみたいと思います。

強さだけではない価値

冒頭でもAI囲碁の強さについて触れましたが、AIに人が負けてしまったらプロに価値はないのか?という議論も時折みますが個人的にはそんなことはないと考えています。

現在リオオリンピックの真っ最中ですが、オリンピックを観ていて常々思うのは「応援したい」という気持ちや競技結果に感動する度合いというのは、選手の強さや結果だけでは決まらないと思います。競技内容もさることながら、その選手の競技に対する姿勢であったり育ってきた環境だったりと、競技結果の背景にあるストーリーが寄与するのではないでしょうか。

囲碁(というかボードゲーム)はスポーツと違って人vsAIという試合が成立し、アウトプットとしての試合内容(囲碁では棋譜と呼びます)だけを見ただけでは人としての価値は見え辛くなるものですが、リアルタイムで中継を観るとそこには多くのドラマがあることを感じとれたり、試合後のインタビューによって分かるストーリーがあります。現に3月のAlphaGoとの試合を観て、僕は以前より李世ドル九段のファンになりました。李九段のことは十数年前から知っており、百局以上の棋譜を並べていたものですが。

当然ながら強さ(と、より良い結果)を追い求める必要がなくなることはないですが、「強さだけが価値」と捉えそのように振る舞うと、オーディエンスからみる価値は今まで以上に低くなる可能性が高まるのではないかと思います。結局のところ競技も観る人々がいることで成立しているので。

こういった場外でおりなす価値はシンプルに、「人間がやっているから」こそ生まれるものではないでしょうか。

関係性がコンテンツにおける価値に影響を与える

話は変わって、別の例を考えてみます。

コンテンツの価値は、コンテンツの質と発信者との関係性によって決まると言われます。同じコンテンツに触れても、その媒体が何かによって受け手の感じる価値は変わりうるということです。詳しくは弊社の技術顧問のnaoyaさんのブログがとても分かりやすくまとまっているのでそちらを読んでいただければと。

上記ブログではSNSで流れてくるコンテンツが挙げられていますが、たとえばそのコンテンツ群の半分くらいはAIが作ったものだとしましょう(そんな未来がいつくるかは分からないですが、仮として)。このとき、作り手がAIであることが受け手が感じる価値に与える影響は、「誰が発信しているか」という関係性の作用より非常に小さいのではないかと思います。さらに言うと、「誰が発信しているか」という関係性のレバレッジは、作り手が人間であるよりAIのときの方がより大きくなるのではないかと推測してます。AIがつくったアニメをnaoyaさんが「めっちゃ面白いんだよー」って言ってたら、じゃあ観てみるかーというように。これは作り手としてのAIの信頼性のボラタリティを発信者との関係性が補完している、と言えるかもしれません。

この「受け手との関係性」というものは人間同士でも一足飛びに構築できるものではないのと同時に、人間ならではの価値と思います。

まとめ

こういったことは直感的には自然なことだと思うのですが、当たり前過ぎてふだんは無自覚にやっていることであり、AIというコンテキストで思考するとつい忘れがちになる気がします。僕自身もAlphaGoの論文を読んだときはその学習プロセスに凄さに感動して、こういった人間の情緒的作用のことはすっかり頭から抜け落ちてましたし、こうしてブログに書いてみることで自覚的な認知になったこともあります。

AI、強いてはシンギュラリティ(人工知能が人の能力を超える転換)の話になると何かとディストピア的な論調を目にしがちですが、個人的にはシンギュラリティ後こそ人は人らしさを大事に生きるようになるのではないかと信じています。

最後に、Kaizen Platform では新しい仲間を募集しています。興味のある方は、ぜひご連絡ください

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