坂本龍一『async』制作環境、使用機材

坂本龍一氏の8年振りのオリジナル・アルバム『async』(2017)の制作環境について調べた。

坂本龍一氏が『async』制作で使用したiPhone用マイク

そもそもは、YouTubeでクローズアップ現代のドキュメンタリーを見ていて、以下のシーンが出てきたことがきっかけだった(現在は削除されていて見られないが、番組の文字起こしが、NHKの公式サイトに上がっている)。

NHK

「音質に非常にこだわる坂本龍一がフィールドレコーディングをiPhone付属のマイクで行っている…!」

これがこの番組における一番の驚きだった。iPhone付属マイクというのは、数年前に試したことがあったが、その頃は音質が悪く、「音質が大事な録音は最低でもZOOMのH1」というのが僕個人の認識だった。¹

「坂本龍一の最新アルバムに収録された音を録ったマイクなら、当時に比べて音質も使い勝手も良くなっていて、実用レベルに違いない」

そう思って、調べ始めた。5月号と6月号のサウンド&アンド・レコーディングマガジンに坂本氏のインタビューが載っていたことを思い出す(iPadで定期購読している)。確認してみると、6月号に探していたものがあった。

サウンド&アンド・レコーディングマガジン6月号

坂本氏が使っていたのは、SHURE MV88という機種だった。

iPhone用マイクの比較記事があったので他機種とスペックを比べる。http://www.micreviews.com/guides/top-10-best-ios-microphones
そうすると、Apogee MiC 96kという大ぶりなタイプを除き、小型機種としてはMV88が最も音質の良いファイル形式で記録できることがわかった。また、「直感的なステレオ幅のコントロールにより音源や周囲の環境にあわせて指向性を最適化」という機能が専用アプリで用意されている。

ハンディレコーダーの王者ZOOMからの似たタイプのものが2機種発売されているが、それらは48kHz/16bitまでしか記録できない。それに対してSHURE MV88は48kHz/24bitまで記録できる。ここ数ヶ月、フィールドレコーディングを作品の素材として使用することに関心があったので、バックパックには常にZOOMのH1を入れてあったが、録ったあとにコンピューターにUSBで接続し、ファイルを転送するのは手間といえば手間であった。その点、MV88ならば坂本氏もサウンド&アンド・レコーディングマガジンで述べているように、「挿して3秒くらいで録れ」、「すぐにDropboxにセーブできちゃう」。

ちなみに坂本氏はDSD録音のできるKORG MR-2も持ち歩いている。「使い勝手とかどうでもいいから、とにかく可能な限り最高の音質で録音したい」人にはおすすめ。

というわけで僕はSHURE MV88を購入した。

坂本龍一氏によるマルチチャンネルミックスの進め方

その他制作環境として興味深かったのは、マルチチャンネルのミックスはステレオミックスを完成させたあとに、外のスタジオでエンジニアに指示して進めるやり方だったということ。その際にはGRMのSpacesというプラグインを使用。坂本氏の自宅スタジオのスピーカーセットアップはMUSIKELECRONIC GEITHAIN RL904が2台で、5.1chのセットアップにはなっていない。

坂本龍一氏が音加工に使ったプラグインエフェクト

Native Instruments MolekularというReaktorベースのプラグインエフェクトを「複雑な加工」のために使ったそう。

また、リバーブはReaktorベースのものを愛用。

「坂本龍一|設置音楽コンテスト」

サンレコ6月号では、坂本氏の「設置音楽展」において『async』とともに聴かれるべきマルチチャンネル作品をコンテストという形で募集している。面白そうな企画だが、僕のベッドルームスタジオに5.1ch環境はない。気になったので、音楽制作で使えそうな5.1chシステムを少し調べたが、ゲームやテレビ視聴用に使う2万円前後の安価なシステムでなんとかやるか、Genelecなどで100万円前後の業務用システムを組むかといいった選択肢しかなく、それらの中間の選択肢(個人として使いたいので予算は限られているが、音楽制作に使えるレベルのスピーカーで5.1chを構築したい層向け)がなかった。DTM用のステレオスピーカーならばFostexなどが中間や、それよりも安価な選択肢を出しているが(最近はiLoudが話題になっていた)、5.1chシステムにおいてそういった選択肢はないようだ。市場が存在しないんだろう。iLoudの5.1ch版があったら欲しい。

『async』の本当の姿はマルチチャンネル

今回の『async』はCDや配信でも聴いてもらいたいんですけど、ステレオで聴くのはあくまで擬似的なもので、マルチチャンネルでの体験が本当の姿だと思っているんです(サウンド&レコーディング・マガジン 2017年6月号

ドキュメンタリー映画『Ryuichi Sakamoto: CODA』(2017)[2018年2月16日追記]

スティーブン・ノムラ・シブル監督が坂本氏を2012年から5年間にわたって追ったドキュメンタリー映画、『Ryuichi Sakamoto: CODA』でも、坂本氏がSHURE MV88を使い、森の中でフィールドレコーディングをしている様子が確認できる。

『情熱大陸』出演の原摩利彦氏も使用[2018年2月16日追記]

2017年12月10日放送の『情熱大陸』に坂本氏も評価する音楽家、原摩利彦が出演した。

原の作品の多くに使われているのが、“フィールドレコーディング”した環境音。街中の騒音から、人の足音や話し声など、波や鳥などの自然の音まで、あらゆる場所で「収集」した音を編集し、楽器の音色とともに再構築していく。美しい音や気になった音を、日常的に収集する様は、近くで見ている野田秀樹曰く「子供の頃の石集めのようなもの」。それが何かに役立つかは重要ではない。ただ好きだから集める。これまで集めた音は、本人も数え切れないほどだという。(毎日放送

そんな原氏もフィールドレコーディングにSHURE MV88を活用しているのを、番組内で確認できる。

ナタリー2017年12月9日

SHURE MV88を使ってみた[2018年2月16日追記]

実際にSHURE MV88を使って気づいたことを記しておく。

良い点

  1. iPhoneのバッテリーさえ確保できていれば、別途電池などを持ち歩く必要がない。
  2. iPhoneでビデオ撮影するときにも使える。ビデオの音声がよりクリアになる。
  3. 使うときに電源をいれなければならない外部レコーダーとは違って、iPhoneは基本的に常に電源が入っているので、ロック解除→専用アプリ立ち上げですぐ使える。
  4. 専用アプリ内で、ステレオ/モノラルの切り替えや、ステレオの幅などを調整できる。ZOOM H5などでこれをやろうとすると、マイクを取り替える必要がある。
  5. 非常に小さいのでポケットに気軽に放り込める。
  6. 別途購入できるMV88用のウィンドジャマーはRycote製で品質が良く、付属のウィンドスクリーンだけでは風の音を消してきれないときに良い。ウィンドスクリーンの上にはめるタイプになっている。

注意が必要な点

  1. 録音中は「機内モード」にしておかないといけない。怠ると携帯用電波から生じるノイズが乗ってしまう。これによって良い点3は相殺されるかもしれない。
  2. 付属のウィンドスクリーンが取れやすい。iPhone本体をコートのポケットに入れて、この部分だけがポケットから出ているような状態で運ぶとすぐ失くす。失くしたらウィンドスクリーンだけ買える。

脚注

  1. 2017年11月下旬にH1nという後継種が出た。細かいところが改善されていて、ただでさえ完成度の高かったH1がより使いやすくなった。独立した小型レコーダーとして最もおすすめできる。

--

--

Masa Kakinoki, PhD
abirdwhale Kakinoki Masatoのブログ

Solving business issues. New business dev. Marketing & community strategies. Formerly startup founder, research-based artist. PhD/MA in Music (UK), BA in Law