『メディアアート原論』をよんで

本記事では『メディアアート原論』を参考に、テクノロジーとメディアアートの関係に焦点を当て、「2021年の今におけるメディア・アートの価値」を考察する。まずはメディアアートの歴史を振り返り、その中から「メディア・アートの価値」を探っていく。

メディア・アートの誕生から現在まで

「メディア・アート」という言葉は明確に定義されたものではないが、先端的なテクノロジーを取り入れてつくられた美術作品を指すのが一般的だろう。メディア・アートの前身とされるものたちが姿を表すようになったのは、1950年代から1960年代のことである。当時はテクノロジー・アート、エレクトロニックアート、インターメディア、環境芸術などと呼ばれ、高度経済成長期真っ只中、1970年に大阪で開催された日本万国博覧会を一つのピークとして、これらの動きは盛り上がりを見せた。しかし、1970年代にこの動きは衰退し、入れ替わりで「もの派」と呼ばれる非テクノロジーの流れが台頭する。一度凋落したテクノロジー・アートをはじめした動向は、一過性のものとして当時は捉えられてた。だが、1980年代にパーソナル・コンピュータの普及と共に、ヴィデオやコンピュータ・グラフィックスなどが発達し、「メディア・アート」という名称で一連の動きは再度盛り上がりを見せていく。1990年代には、パーソナル・コンピュータの処理性能の飛躍的な向上や、インターネットの通信環境の高速化を背景に、メディア・アートには様々なテクノロジーが取り入れられ、注目を浴びていった。そして現在では、さらに広い分野のテクノロジー(デジタル・ファブリケーション、バイオテクノロジー、宇宙開発技術、人工知能技術など)が美術表現に活用され、メディア・アートは更なる拡大を続けている。

なぜテクノロジー・アートは一度衰退したのか

1970年代に、盛り上がりを見せていたテクノロジー・アートをはじめとした動向は、「もの派」の登場と同時に、一度衰退している。なぜだろうか?はじめ、人々が新しいテクノロジーと出会った時、彼らはその目新しさに惹かれ、心躍らせた。この時点では、テクノロジーの「良い面」ばかりに目が向いていたのかもしれない。しかし、しばらく時間が経つと、だんだん人々の目は「良い面」だけではなく、「悪い面」にも向き始める。「悪い面」に気づいた途端、人々は「良い面」から目を背け、「悪い面」ばかりに注目し、テクノロジーを脅威に感じるようになったのだろう。その結果、「良い面」だけを見ていた頃とは反対の、テクノロジーに反発する動きが強まったのだ。そうして、テクノロジー・アートは一度衰退の道をたどったのではないだろうか。

「もの派」後のメディア・アートの隆盛

テクノロジー・アートの盛り上がりと衰退の両方の道を通ったことで、人々は、テクノロジーの「良い面」と「悪い面」を冷静に捉えることができるようになったのではないだろうか。テクノロジーの「良い面」は、メディア・アートの表現手法として活用され、「悪い面」はそのメディア・アートを通して人々に提示されていく。これが今のメディアアートの形なのではないかと思う。

2021年の今におけるメディア・アートの価値

テクノロジーはその発展と共に、メディアアートをアップデートしていき、メディアアートは、テクノロジーを批評的に捉え返し、新しい方向へ導いていく。メディアアートとメディアアートの関係は、このサイクルを何度も回すことで、お互いを良い方向へ引っ張り合っていく、相互的な良い関係にあるのではないだろうか。これこそが「現代におけるメディア・アートの価値」ではないかと私は考える。

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