メディアアート言論を読んで

まず初めに、「メディアアート言論」から本文中に記されているメディアアートは大きく三つに分類されインターネット普及以前・インターネット黎明期・ポストインターネットと分けることができると考える。

インターネット普及以前、すなわちオフラインなメディアアートというのは電子的な表現を用い、特に中心となったのは四次元軸の時間的な再現という新ジャンルとしてのメディアアートである。これをビデオアートとも呼ぶわけだが、それまでのアートにおいて存在し得なかった時間軸の再現がアートに新たなジャンルとしてのメディアアートの立ち位置を与えたと考える。

次に起きたインターネット黎明期、インターネットがメディアアートに与えたものは、四次元的な時間軸の再現が可能となったことが当たり前の世界において、三次元空間的な広がりであり、空間的な表現の発展を見せることを中心としたメディアアートのことである。グラフィック技術の進歩や、仮想空間・インターネット空間上での可視化できない広がりというものを表現したり見せたりすることのできる世界はある種世界に別のディメンションを与えたと言っても過言ではない。

そして現在、ポストインターネット。私たちのインターネットは当たり前となり、好奇心の対象から必要不可欠なインフラへとアップグレードした世界においてメディアアートを前者二つの三次元・四次元的な拡張のどちらをも並行して行おうとするようになった。言い換えれば新規性のない、ただの惰性のメディアアートである。この現状を打開するために新たな新規性、今までにない形のアートを生み出そうと躍起になっているのが現状というわけであり、例えばAIなど既存の技術ではなかったものを組み合わせようというわけだ。

上述のようにメディアアートというのは停滞を見せていてその脱却に追われている。本書ではそれをここで今作られている最中やプログラムのコード部分に触れようというような新しさに触れることで表現している。SFCでメディアアートを学ぶ意義というのはそこにあるのではないだろうか。X-musicやX-designなどの未知の領域の表現について考えるための環境が揃っているSFCでは既存分野からの脱却化を日本の中では最も進んだ先端的な次元で考えている。それは時間軸の追加、革新的な空間の拡張に及ばないものの、現状一番進んでいるからである。これがポストインターネットのメディアアートを表現する現代のメディアアートの最先端だ。

従来までのメディアアートが一般化し、例えばスマホなどで身近とも思えるような距離感で旧メディアアートが楽しめるようになった中で「メタバース」が発表された昨今、つまり五次元的な世界線の拡張が起きている。これはまだ自分達の世界線と仮想現実の世界線を独立して成立させているに過ぎないが、ここでメディアアートが期待することは仮想空間と現実空間のつながりだ。私たちが三次元までの軸、四次元の時間軸、そしてそれらを包括した全く別の世界線である仮想現実を実用可能なレベルとした時に、五次元的なメディアアートが生まれるのではないだろうか。具体例で言うとAR、MRと言われるような技術だ。それらが一般化して行った時、第四のメディアアート、「複数現実黎明期のメディアアート」が生まれるだろう。

であるとするならば、SFCでのメディアアートでの研究でそれが可能であるだろうか。答えは可能である。複数領域を横断することが可能であるSFCにおいてそれは実現可能である。そのように、学生自らが新たな可能性に挑戦し続けられることが、メディアアートをSFCで学ぶ意義である。

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