土地予想マシン-Land Forecast Machine-
*これは、2021年度SFCメディアアート実践におけるグループ1(吉田翔太郎、那須亮介)の最終課題である。
「この土地は将来値が上がることがわかっています。」
もしもこう言われたら、あなたはこれを信じますか?
ではこれだったらどうでしょうか。
「この土地は独自のAIによって将来値が上がることがわかっています。」
我々が制作したのは、「土地予想マシン」。これは土地の画像からその土地の価格を予想するシステムだ。読み込ませた画像をこのシステムが「都市」と判断すればその土地の価値は高いことになるし、「郊外」と判断すればその土地は価値が低く価格も安いことがわかる。
つまり、どんな土地の画像でもそれが「都市」という判定を受ければ、その土地は潜在的な価値があり将来値段が高騰する可能性があるということだ。
↓↓↓作品↓↓↓
https://tochi-yosou-machine-sy.glitch.me/
https://glitch.com/edit/#!/tochi-yosou-machine-sy?path=sketch.js%3A1%3A27
アルゴリズム
まず最初に「人があふれかえる都市の画像」と「人影のない郊外の画像」を用意する。次に「人があふれかえる都市の画像」から「人」をRunwayMLを用い消去し背景を補正する。これにより2つの画像はどちらにも人が写っていない状態になり、人の密度や往来の多さに依存しない、潜在的な土地本来のみで画像を比較することが可能になる。
このように人がいなくなった画像の内、都市の中の人を消去した画像を「都市」、郊外のもともと人のいない画像を「郊外」としてTeachable Machineに学習させる。Teachable Machineはそれぞれから都市としての要素、郊外としての要素を画像から抽出することになる。
そしてここに将来的な価値が未知の土地の画像を放り込むことで、Teachable Machineが学習をもとに「都市」か「郊外」かを判定し、その土地の潜在的な価値がどの程度なのか予想をすることができる。
ここまで作品の概要とその仕組みを説明した。
ここまで知ったあなたは、「何だこのでたらめなマシンは」と思ったのではないだろうか。実際、一枚の画像から都市か郊外かを判定することは正確性にかける。都市と郊外の線引も曖昧。画像が「都市」と判断されることが土地の価値の高さに直結するかどうかもわからない。果たしてこのマシンを信頼してもいいのだろうか?このAIの判断をもとに土地を購入してもいいのだろうか?おそらく「NO」と答えるのではないだろうか?
しかし、こんなでたらめでロジックがある意味破綻しているシステムは、この世界にごまんと存在している。そして実際にそのシステムが良くも悪くも世界を回してしまっているのが実情だ。
日本の政治家に山本太郎という人がいる。2015年9月18日の参議院本会議で行われた安保関連法案の採決で、彼は投票のときにゆっくりと歩き採決を遅らせ反対意思を表明する「牛歩戦術」と呼ばれる行動をとった。これがネット上で話題となり、Twitterのトレンドワードに「牛歩」が急上昇した。するとこのワードの「牛」の部分に反応したと思われる株取引のアルゴリズムによって株が買われ、松屋フーズの株価が一時的に高騰するという出来事が起きた。
山本太郎の牛歩と松屋フーズには本来なんの相関関係もなく、関係はまったくない。ただ山本太郎が牛歩をし、「牛」に反応したシステムが株を買い株価が急上昇しただけだ。
これは本来なんの関係もない2つの事象を、1つの単純なアルゴリズムを持つシステムが繋げ、その判断により新たな行動が生まれるという、なんとも奇妙な論理がまかり通ってしまった例と言える。
冒頭の問いに戻りたい。
「この土地は将来値が上がることがわかっています。」
こんなでたらめでインチキ臭いセールストークは、無論根拠を持たず信じがたい。
しかし、そのセールストークに「AI」の二文字が加わることで雰囲気はガラッと一変する。
「この土地は独自のAIによって将来値が上がることがわかっています。」
今後も科学技術の進歩、特にAIの進歩は急速に進んでいく。そんな世界では、科学的な根拠が大きな意味を持ち、人々は無意識のうちに科学技術をある種神格化しているのではないだろうか。その結果、科学が付帯しているという先走った事実のみを信頼し、肝心な中身を形骸化させてはいないだろうか。そこに待っているのは、我々の作品のような、そして山本太郎の例のような、でたらめで言いがかりのようなロジックがまかり通る世界だ。
「パソコンがそう言ったから−−−」「AIがそう判断したから−−−」。人間が作った技術に、人間が飲み込まれていく。「AI」の二文字に翻弄される人間は、その中身を大切にできるのだろうか。