一口に学習障害と言ってもいろいろだ

診断名で分かることは少ない

一人ひとり違うのは健常者も同じだ

岡田 康之
岡田康之のブログ

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学習障害というのがあるらしい

一口に学習障害と言っても
その症状はさまざまだ

それもそのはずで

学習障害とは
「聞く」「話す」「読む」
「書く」「計算・推論する」能力のうち
いずれかまたは複数のものの
習得・使用に著しい困難を示す
発達障害のこと

とのことらしいからだ

しかもその部分ごとに
名前がついている

  • 読字障害(ディスレクシア)
    ⇒ 読みの困難
  • 書字表出障害(ディスグラフィア)
    ⇒ 書きの困難
  • 算数障害(ディスカリキュリア)
    ⇒ 算数、推論の困難

という具合だ

そんなわけで障害の名前は
どんどん増えている

その根源は多分DSM=日本語では
精神障害/疾患の診断・統計マニュアル
という代物だろう

最新版が2013年に出て現在第5版だが
だんだん分厚くなっているからだ

じっと座っていられないで
しつけに困っている子どもに
注意欠陥多動性障害といった
障害名がつけられると
保護者や先生が安心したりする

原因や理由がわかって
障害だということになれば
しつけを上手く出来なくても
授業がスムースに進まなくても
自分のせいではなく
障害のせいに出来て
あきらめが付くからだろうか?

しかし診断がついただけでは
その人の困難は何も解決しない

老若男女500人ほどの
読み書き計算の習熟に
つきあってきた私の
ささやかな経験から言うと
障害があろうとなかろうと
その習熟の速さは
人によってものすごい差がある

同じことを身につけるために
2〜3日で十分な人もいる一方で
100日以上もかかる人がいる

その違いは障害の有無より
人の個性による部分の方が大きい

さらに
同じ人であっても
時期や課題によっても
大きな違いがある

Aさんがうんと苦労した課題でも
Bさんはスッと終わることもあり
その逆もある

30日かかって課題をこなした後で
次の課題は5日で出来たりする

確かに障害の診断が下れば
その人の学習傾向を知るための
手がかりにはなる

しかしそれは
あくまで手がかりの一つ
にすぎないのだ

結局のところ
一人ひとりの人を見て
何が弱くてどういう対策をするのか
を時期に応じて考えることになる

分類は分類であり
個人は個人

一つひとつを区別して
細やかに見ることこそが
人の仕事なのだ

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岡田 康之
岡田康之のブログ

(おかだ やすゆき) 高校数学を教えて計算力の重要性に気づき、計算力の向上に尽力したら生きていく力を培う必要性に行きあたった。600人の個人指導を続けてきたら、自分自身を育てることの欠落に気づき、学び方を再構築している。