石川初著『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い:歩くこと、見つけること、育てること』

スケールを横断する工作者(評者:林憲吾)

林憲吾
建築討論
5 min readSep 30, 2018

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私たちの身の周りの現象は、さまざまな異なるスケールの事情で成り立っている。どういうことか。例えば、路傍の雑草を考えてみよう。アスファルトの裂け目にわずかに露出した土壌。地面の勾配を伝ってそこに浸透する水分。それなりの日当り。雑草が姿を現すには、そうした環境が整わなければならない。雑草は局所的な環境に多分に左右される。だが一方で、より広域の事情とも無関係ではない。そこに降る雨の量や寒暖の程度は、地軸の傾きや大気の循環といった地球スケールの振る舞いと関係し、外来種が生えていたとすれば、グローバルな社会経済活動の現れでもある。本書が示すのは、こうした局所と広域の異なるスケールの論理が重なる場として「地上」を捉える思考方法である。

著者の石川の専門は造園である。その造園を石川は、計画してもままならない「少し予想外」のものだと表現する。周囲の環境や植物の特性、人の手入れなど、さまざまな外的条件に委ねる必要があるからだ。自分が操作しうる環境よりも広域の、別の環境を引き入れることで、はじめて造園は生き生きとする。だから、スケール横断的な思考は、造園の人の癖とも言える。このスケール横断的な思考を、造園のためのスキルにとどめず、地上から新たな発見を生みだすツールとして利用しよう。それが本書の狙いである。だからこそタイトルは、「ランドスケープ」ではなく、「思考としてのランドスケープ」なのだ。

「物事を異なるスケールで眺めることによって対象を複数の文脈で理解し直すこと、物事をつねにそれを成立させているより広域の事情の徴候として捉えて、その関係性に目を向けること」。

ランドスケープ的な思考を、本書は具体的にこう位置づける。石垣、公園、古墳、地形、ベンチ、高速道路、園芸、物干し台。実に多様な事物が本書の対象となり、それら地上の事物がランドスケープ的な思考で観察されていく。

古墳であることを忘れ去られた古墳が、その造形を千年以上とどめてきたのはなぜか? 日本橋の上空を横切る高速道路は、なぜ景観論争を生むのか? 理念的には何をしてもいいはずの公園で、なぜポケモンGOは問題となったのか? こうした疑問が、ランドスケープ的な思考を通すと解けてくる。それらは全て、局所と広域の事情の調和、あるいは齟齬なのだ。

例えば、土木とは「より広域的な使命から建設されるもの」だと石川は言う。日本全国を段差のない滑らかな平面でつなぐこと。それが高速道路の使命である。だが、高速道路が走るその場所は、そんなに滑らかな世界ではない。凹凸だらけである。その帳尻合わせが高速道路の外観である。その際、外観が得てして無骨な造形を見せるのは、局所の事情がおざなりにされるからだと、本書は教える。局所を忘れた広域性。首都高しかり、防潮堤しかり。そこに土木の景観問題が現れるという指摘は、ランドスケープ的思考による卓見である。

本書の要は、このようなスケールを横断するランドスケープ的思考である。だが、もう一つ評者は付け加えたい。それが“脱意味化”させる視点である。事物は本来意味を持つ。古墳は古墳として、ベンチはベンチとして意味を持ち、その意味に結びついて造形も決まる。だが、そうした事物が持つ意味を一旦外して、固定観念なく事物の造形を眺める視点、それを“脱意味化”させる視点とここでは呼びたい。この視点の重要性について本書の結論には、はっきりと書かれていないものの本書の随所に現れている。

例えば「FAB-G」である。石川がフィールドとする神山町には、樹木から工業製品まで周囲のありとあらゆるものをフラットに資材と捉え、サル追い装置など、そこから独自に必要なものを作り出す工作巧みなおじいさんたちがいる。彼らのことを石川は「FAB-G」と命名しており、その優れた造語の才覚にすっかりやられてしまうばかりなのだが、彼らFAB-Gの卓越した能力は、周囲の環境を意味の空間ではなく、造形の束としてみることである。何のために作られたものかではなく、何に使えそうな造形かを判断する力である。

この視点こそ、事物を緩やかに持続させることに貢献する。時間が経ち、その使命を果たしてしまった事物は用無し、つまり意味のないものになる。だが、FAB-Gの視点はそこに残った造形から、別の文脈を手繰り寄せ、その文脈に転用できてしまう。いわばそれは、元々の事物にとって少し「予想外」のことをもたらす。別の意図を排除するのではなく、その調和を導く。そんな「予想外」を引き受ける環境づくりには、スケール横断的な思考とともに、脱意味化させる工作者の視点も欠かせない。

スケールを横断し、目の前の事物の意味を一度剥ぎ取り、その造形をフラットに見ながら、手を加えていく工作者。本書が導く地上学は、きっとそんな人を育てる。それは「予想外」を引き受けながら環境を整えていく実践者だ。私たちの生活は「予想外」に満ち満ちているのだから。

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書誌
著者:石川初
書名:思考としてのランドスケープ 地上学への誘い:歩くこと、見つけること、育てること
出版社:LIXIL出版
出版年月:2018年7月

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林憲吾
建築討論

はやし・けんご/1980年兵庫県生まれ。アジア建築・都市史。東京大学生産技術研究所准教授。博士(工学)。インドネシアを中心に近現代建築・都市史やメガシティ研究に従事。著書に『スプロール化するメガシティ』(共編著、東京大学出版会、2017)、『衝突と変奏のジャスティス』(共著、青弓社、2016)ほか