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くさる建築:生命の循環から、建築・都市を考え直す

043|202005|特集:構築と分解 _ 終わり方から考える建築デザイン

くさる建築

傷まず丈夫で長持ちする、つまり「腐らない家」が「いい家」である、という価値観を私たち現代人は当たり前のように持っています。…しかし、果たしてそうなのでしょうか?…耐震性、耐火性、耐久性、メンテナンスフリー、省エネなど、外からの力に耐え、使うエネルギーをいかに減らすか、というための工夫が重ねられています。…環境で循環する「くさる」ことを忘れてしまってはいないでしょうか。

『くさる家に住む。』(つなが~るズ著,六燿社,2013年)は、このような問題提起から始まる。

『くさる家に住む。』(2013年)

著者らは「くさる家」という言葉には3つの意味を込めていると言う。1つ目は「熟成」。手をかけて暮らすことで味わいが深まる家。2つ目は「朽ちる」。土と水と空気を汚さずに建てられて、最後はひっそり土に還る家。3つ目は「鏈る」。人と人が鎖のようにつながって、人が人らしく生きられる家。

「くさる」という言葉から多くの人がまず連想するのは2つ目の意味の「朽ちる」だろう。しかし、「くさる家」は、人がそこで暮らすうちは家が「くさらない」ように、住み手自らが丁寧にメンテナンスすることになり、それにより家の味わいが深まると同時に愛着が湧き、その過程が人同士も繋げる。結果として、家は長寿命になるだけでなく、豊かな暮らしの実現にもつながるはずだ、といった考えだ。

ここでは10の近年の事例が紹介される。それらの事例では、鳥や虫が集まるビオトープや屋上菜園、おが屑や藁による断熱材、木や紙、土などによる内装材、竹小舞下地の土と水と藁でつくる土壁や、圧縮した藁のブロックを積み上げて外側に漆喰を塗るストローベイルハウス、そして、茅葺屋根などが採用されている。そして、それらは、自分たちの手でつくられたり、住み手の人たちが協力し合って維持管理されたりしている。筆者のひとりは次のように話す。

そもそも、民家は近くで採れる材料でつくられていた。土、木、草、石、全て自然の中、その辺にある素材である。それを、干したり、編んだり、割ったり、刻んだりと手をかけて、雨風、寒さをしのぐための工夫をしてきた。そこにあった素材だから、使わなくなれば、また自然の中に還っていく。…いま一度、生命の循環、つまりは土から生まれ、土に還るという原点に還ってみる必要はないだろうか。そうすれば、これからの世代にとって負の遺産となるような、土に還らない「ごみ」を平然とつくり出すようなことは、できるはずがない。

ここで述べられているような近代以前からある建物のつくられ方には、現在の地球環境危機の時代だからこそ学ぶべきところが多い。また、本書で紹介されている事例が近年のものであることが示しているように、現在でも無理なく採用可能な技術もあるだろうし、化学物質の観点から健康向上にむけて再評価されるべき技術も多くありそうだ。しかし一方で、たとえば土壁や茅葺屋根は、伝統的な農業との事物連関の中でこそ合理的だったものであり、産業が勃興し、そのような連関がなくなってしまった場所で茅葺屋根だけを採用しても、生命の循環の中に適切に位置付けることができないのではという疑問も残る。

しかし、著者が言う「生命の循環=土から生まれ、土に還るという原点」から建築・都市を考え直すことは重要そうだ。かといってそれは、産業革命以前の「昔に戻ろう」ということではないだろう。今一度、自然が持つ驚くべき「生命を循環させる」能力を正しく理解し、それと人間の創造性を掛け合わせることで、持続可能で豊かな、新しい建築・都市に再構築できないか、と考えてみよう。

Cradle to Cradle

そこでヒントになりそうなのが「Cradle to Cradle ゆりかごからゆりかごへ」という考え方だ。この『Cradle to Cradle』というタイトルの書籍が、建築家のウィリアム・マクダナーと化学者のマイケル・ブラウンガードにより2002年に刊行され(邦訳版:2009年,人間と歴史社)、現在ではこの考えに基づいた認証制度も立ち上げられている。

『Cradle to Cradle』左:原書(2002年)・右:翻訳版(2009年)

近年注目が高まっている「サーキュラーエコノミー」の原点とも言えるもので、製品は有害な化学物質を含まない原料を使用し、循環使用を前提に設計され、社会的に公正なプロセスで生産され、繰り返しの回収・リユースにも耐える品質を求めるものだ。2015年に国連で採択された持続可能な開発目標「SDGs(Sustainable Development Goals)」の実現に向けても重要な概念である。この概念の根幹は、次の一節にある。

自然界における代謝や栄養素の循環システムには、「ゴミ」という物が存在しない。桜の木はたくさんの花を咲かせ、花は果実となり、実の中には種が形成される。…実を結ばなかった花も、無駄になるのではなく、地面に落ちて腐敗し、生物や微生物の食べ物となり、土壌の養分となる。…地球上の主な栄養素である炭素、水素、窒素などは、循環を繰り返していく。…地球の歴史のごく最近まで、生物学的な循環が唯一のシステムであり、地球上のどの生物もがその一部だった。…やがて「産業」というものが現れ、物質の自然な均衡を崩し始めた。人間は地球の表面から資源を搾取し、濃縮し、形を変え、安全に土に返せない大量の物質を生み出した。

バイオスフィアとテクノスフィア

以上のような認識のもと、著者らは、この地球に存在する二つの代謝システム―自然界の循環(生物的代謝・バイオスフィア)と産業界の循環(技術的代謝・テクノスフィア)を「混ぜない」ことが重要だと言う。つくられるものは、生物的代謝の栄養分になるように、生分解する素材で作られるか、産業界にとっての貴重な栄養分として、閉鎖循環する技術的代謝内にとどまり常に循環するように人工的な素材で作られるかのどちらかにしなければならない。両方の世界の代謝が健全に物質の価値を維持できるようにするために、お互いが汚染し合うことのないようにしなければならない。

すなわち、避けるべきは、人工素材と生物素材の合成物で、寿命を終えた後に素材として分離回収できないような「ハイブリッドモンスター」だ。例えば、革靴は、昔は植物から抽出した安全な薬剤を使って革をなめしていたが、すぐに手に入る安価なクロム性のものが利用されるようになった。クロムは使い方によっては生物にとって有害であるため、この革を廃棄することで自然界を汚染することになってしまうと同時に、希少なクロムを回収しようとしても生物的栄養分が混ざり込んでしまっている故に、純度が落ち、再利用が難しくなる。結果として、貴重な有機的素材も無機的素材も埋立地に無駄に捨てられてしまうことになる。人工素材と生物素材を混ぜることなく「分離する」デザインが求められるのだ。

生物素材が、人工素材と分離されていれば、生物栄養分として、土中の微生物やほかの動物の食物になることで自然界の循環に戻すことができる。たとえば都市が排出する固形ゴミの多くを占めるパッケージは「生分解性素材」で作られるべきだ。中身よりも不必要に長持ちするパッケージとし、それをダウンサイクルしたり、埋立地に捨てたりするのは、マテリアルとエネルギー(労力を含め)の浪費であり、生態系にとって害でしかない。

ダウンサイクルでなくアップサイクル

人工素材が、生物素材と分離されていれば、再び技術的栄養分として、ダウンサイクルされることなく「アップサイクル」され、産業界の循環に戻すことができる。例えば、自動車のデザインを工夫すれば、使用されている金属を同種類の金属のみで溶解することができ、高い品質を保つことができる。プラスチック部分についても同様だ。

また、人工素材のアップサイクルの確実な実現に向けて「サービス製品」という概念が提案されている。製品を、消費者によって購入され所有され捨てられるものと見なさず、人々が享受したいと望む「サービス」と考える。利用者は、製品を使い終えたら新しいバージョンにアップグレードし、メーカーは新製品と引き換えに古い製品を回収し、解体してその複雑なパーツを新製品の製造に利用することができる、すなわち自社の製品素材=技術的栄養分を保有し続けることができるのだ。

バイオスフィア/テクノスフィアにおける循環ダイアグラム(http://www.bluehair.co/corner/2009/12/cradle-to-cradle-hype-or-hope/

Less BadではなくMore Good

これまで産業の有害性に対してとられた典型的な対応策はレス・バッド(Less Bad)なアプローチだった。有害廃棄物の削減(Reduce)の重要性に疑問をはさむ余地はないように思われるが、ほんの微量であっても時間をかけて生態系にとって壊滅的な結果をもたらす恐れがある。廃棄物の再利用(Reuse)は、何か環境に良いことをしているのだという気持ちを抱かせるが、単に別の場所へ移されているだけのことである。リサイクル(Recycle)も、先に述べたようなアップサイクルではなくダウンサイクルであることがほとんどで、さらにはその過程で生物圏の汚染を促進してしまうことも多い。廃棄物などに対する規制(Regulate)も、排出物を許容基準値内に抑えるための希釈が行われるだけだったり、その範囲内であれば病気・破壊・死をもたらしてよいという「加害のライセンス」のようなものとして機能してしまうこともある。

生態系に対する「負荷を減らす」という目標は、負荷を与えることが前提となってしまう。そうではなく、生態系に悪影響を与える物質は一切使わず、そして人工素材はアップサイクルできるような、「100%良い」ものを目標にしてデザインすべきだ。いやむしろ、生態系にプラスの影響を与えるような、より良い(More Good)なものを目指すべきだ、と著者は言う。

さて、ここまでの検証で、「くさる建築」は必ずしも「土壁と茅葺屋根の建築」だけではなさそうであることが見えてきた。「くさる建築」は「適切に腐れる」建築であればいい。そのために有害物質は一切使わない。そして、もし生物素材と人工素材を組み合わせるのであれば、それぞれを分離できるようにし、生物素材は自然界の循環に戻し、人工素材はアップサイクルし産業界の循環に戻せるような、モンスターではない「適切なハイブリッド」であることが求められているということだろう。しかし、「生態系にプラスの影響を与える」とはどういうことだろうか。取り出した栄養分を戻すことはプラスマイナスゼロのはずだ。これを理解するには、もうすこし高い解像度で世界を見なければならない。

見えないものとの共生:マイクロバイオーム

ここまで「自然」または「生態系」という言葉を説明無く使ってきたが、それは一体なんだろうか。森や川や海などの景観や、動物や植物のことを多くのひとはまず思い浮かべるだろう。しかし、それらは自然という氷山の「目に見える」一角にすぎず、私たちの足元、そして私たちの中にある隠された自然の半分が、この世界の生命と美の根本であることを、D・モントゴメリー+A・ビクレーは、『土と内臓』(2016年,翻訳版:築地書館)で教えてくれる。

『土と内臓』(2016年)

その目に見えない自然の半分とは「微生物」だ。地球の大地、土壌の中だけでなく、植物、動物、そして私たち人間の身体の外側も内側も「微生物」に覆われており、私たち生物を覆う微生物群は「マイクロバイオーム」と呼ばれている。その微生物の多くと私たち人間を含む生態系は「共生」関係にある。つまり、微生物が繁栄するとき、私たちも繁栄する。逆に、私たちをのマイクロバイオームが傷つき乱されれば、私たち生物は病にかかる。つまり、「生態系にプラスの影響を与える」というのは、私たちを支えてくれている微生物たちに十分な栄養と、安全な棲み処を与え続けることで、健康に保つということなのだ。

人類が微生物に対してしてきたこと

コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大が世界を震撼させている現在(2020年4月)、微生物=古細菌、細菌、菌類、原生生物、ウィルスと共生するなどという考えは受け入れがたいかもしれない。事実として、細菌やウィルスが引き起こす病気は、何度となく社会に蔓延し、発熱、死、あるいは食料不足をもたらして、歴史に大きな影響を与えてきた。

それに対し、病原体を殺すための抗生物質や害虫を一掃するための農薬を人類は作ってきた。しかし、これらは私たち人間や動植物に害を与える病原体の微生物だけでなく、健康維持に寄与してくれている有益な微生物をも攻撃してしまう。

農薬は農作物を通して、抗生物質はそれが投与される家畜を通しても、人間の体内に取り込まれることになる。これにより、私たち生物のマイクロバイオームは改変され、自らの防衛線を壊してきてしまっている。きれいすぎる環境、極度に殺菌された食べ物や水、抗生物質の繰り返しの服用、土や自然との接触の少なさは、私たちの身体の微生物と免疫系の伝達を妨害し、それが近年の腸機能障害や喘息やアレルギーのような自己免疫疾患の増加に影響を与えているとも言われている。

私たちは、地球の歴史から見ればほんの一瞬で、森を伐採し、野原を汚染し、地面を舗装し、かつてマイクロバイオームをもたらした自然の蓄えを枯渇させた。木を一本切り倒すごとに、土地にくわを入れるごとに、微生物(病原体になりうるものも含む)は棲み処から追い出されてきた。そして、抗生物質や農薬などから生き延びた細菌は、仲間がまわりで溶けている中で増殖し、生き残りは抗生物質から逃れられる形質を与える遺伝子を次世代に伝えてきた。新たな感染症は、こういった我々人類が微生物に対して行ってきたことの積み重ねによって生み出されてきたのかもしれない。

足元の、自分の中の、自然の本来の力を取り戻す

では、私たちを支えてくれている微生物たちに十分な栄養と、安全な棲み処を与え続けることで、微生物たちの健康を保つために、建築・都市にできることを考えてみよう。先に述べたような「適切に腐れる」建築とすれば、取り出した栄養分を安全に大地に戻すことはできる。私たちの都市生活の中で流通する製品の見直しやゴミや排水の処理方法、そして農業や林業の方法を見直すことによっても、大きな改善が見込めるだろう。

では、微生物に安全な棲み処を与え続けるにはどうすればいいか。NPO法人地球守の高田宏臣らによる『地球守の自然読本① 土木はいのちを守れているか ~自然災害の仕組みを見つめなおす~』(2020年)では、次のようなことが述べられている。

『地球守の自然読本① 土木はいのちを守れているか』(2020年, NPO法人地球守)

健康な土の中では、土の粒が小さなかたまり(団粒)を無数につくり、団粒と団粒の間には、大小のすき間ができます(「団粒構造」という)。そのすき間を、土の中で生きる菌類が菌糸をのばし支えます。すると、土がスポンジのようにふかふかになり、水がよくしみ込んでしっとりします。このような土地では、根を深く張る木々が育ち、その根が、深いところから水を吸い上げたり、しみ込んだ水を深いところに導いたりします。ところが、山を大規模に削って道を通したり、小規模でも斜面をコンクリートで押さえ込んだりすれば、土の中の水の流れがさえぎられて団粒構造がくずれ、すき間を失った土の中で空気、水がさらに滞ります。すると、根を深くのばす木々は衰え、浅く根を広げる竹、つる植物などのやぶに変わっていきます。根がマットのようにかぶさったこのような土地では、雨が深くしみ込むことなく、表土の土とともに流れ出すようになります。本来、水をたくわえる森が、泥水の源になったり、くずれ落ちたりするのです。健全な大地では、そのようなことは起こりません。

微生物は地球上の栄養素を循環させるだけでなく、植物とも協力しながら、大地を支え、土中の空気と水をも循環させ、土中環境を健全に整えてくれているのである。しかし、近代以降の建築や土木構造物の建設は、その循環を滞らせ、大地を不健全なものにしてしまっている。それに気候変動による異常気象が重なり、洪水、がけ崩れ、土石流といった災害が頻発するようになっているのだ。

それに対して、たとえば、建物を建てる際に、大地の傾斜そのままに石を据えて、その上に柱を建てる「石場建て」という伝統工法は、大地の通気水脈を極力乱さないための有効な方法のひとつだ。また、斜面の下の際に溝を掘るだけでも、水と空気が抜け出しやすくなり、大地の健康と安全を保つことができる。これらの考え方は堤防や道路といった土木構造物の作り方にも応用ができる。

段丘のそばで安全に暮らすための昔の土木(左)・石場建て(右上*)・斜面の際の溝(右下)
災害で崩れた道路(左)・本来の水脈をつぶさずに道路を修復するアイデア(右)
*付図版:高田造園設計事務所の前HP「雑木の庭づくり」平成27年8月26日記事より転載,その他図版4点は『地球守の自然読本① 土木はいのちを守れているか』(2020年, NPO法人地球守)より転載。この地球守の出版プロジェクト『自然読本』は賛同者のドネーションにより進められている(https://chikyumori.org/

くさる建築、再生する建築(Regenerative Architecture)

以上のように、「くさる」という考えに基づき、建築・都市のつくられ方を見直し、そして私たちの生活を再構築していくことは、我々生物と共生関係にある微生物群に栄養と安全な棲み処を与えることに繋がり、自然本来の力を取り戻すことに繋がる。そしてそれは、結果的に、私たちの中の本来の力を取り戻すことにも繋がるのである。

「くさる建築」のデザインを、目には見えない、足元の、そして私たちの中にある「自然」を今一度丁寧に見直すことから始めてみよう。そして、その自然の力と、人間の創造力を掛け合わせることで、持続可能で豊かな、古くて新しい建築・都市に再生(Regenerate)していくことができるのではないかと考えている。

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川島範久

川島範久

かわしま・のりひさ/建築家/博士(工学),一級建築士/1982年生。2005年東京大学卒業。2007年同大学院修士課程修了後、日建設計勤務。2012年UCバークレー客員研究員。2016年東京大学大学院博士課程修了。2017年より川島範久建築設計事務所主宰。2014年より東京工業大学助教、2020年より明治大学専任講師。

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