カルロ・ロヴェッリ著『時間は存在しない』

この世界は、時空間に先立つ出来事のネットワークでできている(評者:浜田英明)

浜田英明
建築討論
Aug 18, 2022

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建築に携わっている以上、常に空間について洞察することは当然であり、そのときどうしても、時間についても考察する必要がでてくる。特にコロナ禍以降、オンライン対話やリモートワークが増え、必然的に他者と時間と空間の共有機会が減ったことで、時間と空間というものについて改めて考え直す必要性がでてきたと感じるようになった。

そもそもニュートンの絶対時間と絶対空間という概念(時間・空間はこの宇宙のほかの事物からは完全に独立した絶対的な存在で、至る所で等しく一様に時が非対称に流れ、すべての事柄がその時の中で起きるとする考え方)には、なんとも言えない感覚的な違和感をずっと感じていた。例えば、牧歌的な農村などを訪れたときに感じるゆったりとした時間の流れと、都会の喧騒の中で感じるせわしない時間の流れが、どうしても同じものとは考えられないように。

ただ以前にも、ハイデッガーだったかの時間に関する哲学書に目を通したことがあるが、とてもではないが理解することはできなかった。私には、理論物理学から時間と空間について論じた書籍の方があっているのでないかと思い、ひとつ勇気を振り絞って、半ば恐る恐る、本書『時間は存在しない』を手にとった。

本書は、カルロ・ロヴェッリ(Carlo Rovelli)の著書L’ordine del tempo(時間の順序)の、著者自身が手を加えた英語版とイタリア語原書を全訳したものである。著者は、「ループ量子重力理論」の提唱者の一人である、ばりばりの理論物理学者だが、その詩情溢れる筆致と平易な文章で難解な物理学をわかりやすく紹介することに定評がある。原題は、古代ギリシャの自然哲学者アナクシマンドロスの「時間の順序に従って」という言葉からとられているとのことであるが、そこからも分かるように、著者は最新の物理学のみならず科学史や哲学史などにも造詣が深く、物理学の範疇を超え広がりのある議論が展開されている。

さて、本書は「時間の崩壊」「時間のない世界」「時間の源へ」の三部十三章で構成されている。第一部では、現代物理学で明らかにされた科学的事実が丁寧に解説されていて、この世界の基本的な原理を追い求めていくうちに、我々が理解している時間の概念、すなわち、ニュートンの絶対時間と絶対空間が、崩壊させられていく様子が述べられている。その内容を簡潔にまとめると以下のようになろうか。

時間と空間は、絶対的なものではなく、それ自体が伸び縮みする物理的実体(=重力場)であり、重力場によって時間が流れる速さが決まり、はたまた、時間の進み方が遅くなるせいで重力の作用が生まれる(第一章、第四章)。そして、時間と空間は一体化した拡がりであり、そこに方向性はなく(第二章)、宇宙全体に普遍的な「現在」は存在せず、「現在」は局所的なものである(第三章)。さらに、時間は連続的ではなく不連続で、かつ、揺れ動く不確かなものであるが、ほかの何かと相互作用することによってその不確定性が解消され、具体化される、すなわち時間も空間も量子化され、電子と同じように振る舞うと考えることができる(第五章)。

第四章までがアインシュタインの一般相対性理論による重力理論に関する記述である。第五章では、この重力理論と量子論が統合された“量子重力理論”を構築するために、時間や空間は根源的なものではなく量子化できるもの(=ループ量子重力理論)とすると、新しい世界の見方ができると示唆している。

私が下手にまとめると小難しく感じるかもしれないが、本書では、著者の筆致のリズムの良さ、豊富な科学史事例と時間に関する過去の哲学者たちの見解を通すことで非常にイメージし易くなっている。この第一部は時間に関する現代物理学の啓蒙書としての側面があり、これだけでも十分読む価値があると思われる。今まで読んだ同様な書物の中でも群を抜いて理解しやすいと感じた。

しかし、本書の真骨頂は、つづく第二部以降での論理展開であろう。そこでは、「時間のない世界」というものが如何にして記述され、その世界において我々は如何にして時間が流れるという感覚を得るのか、これらについて議論されている。その内容は極めて難解である。しかし、著者の独創性が遺憾なく発揮されている部分で、第一部で崩壊させられた我々が感じている「時間」が、最終的には元通り戻ってくるにはくるのだが、「時間」を一度全て崩壊させ順序を変えて再構築することで、驚くほど世界観が一変させられることを教えてくれる。私の理解した範囲内で、かいつまんでまとめると次のようになる。

この世界は、「物」つまり実体で構成されていると考えるといろいろと理論上の矛盾が生じてしまうが、「出来事」が相互に織りなすネットワークだと考えると矛盾が生じない。つまり、不変なものではなく絶えず相互に関係しながら変化するもので成り立っていて、その変化のあとに時間がついてくると考えられる。実際、この世界を記述する基本方程式には、時間tという特別で独立な変数はなく、過去と未来にも差がなく、時空もない。あるのは、「出来事」とその「関係」のみで、これが基本的な物理学における時間のない世界である(第二部)。

では、時間のない世界で、どのように時間の知覚が生じるのか。我々とこの世界の相互作用は、非常に部分的かつ特殊で、量子レベルでのミクロな過程は識別できず、我々はこの世界をぼやけた視点すなわちマクロな平衡状態しか観察できない。このマクロな平衡状態はエネルギーが保存されるような混ぜ合わせ状態と解釈することができ、そこから時間が生じる。さらに、我々が過去から未来へ向かう時間の流れを知覚できるのは、熱力学の第二法則、エントロピー増大の原理によるためだが、これも、我々がこの世界をぼんやりとしか識別できないため一方向的な変化を感じるようになっている。つまり、我々は全てを見通せない無知であるがゆえに、時間とその流れを知覚できるわけである。また、それゆえ、時空を伸び縮みはするが定まったものとして思い描ける。しかし、我々のスケールでは、この時空の伸び縮みも無視でき、時間と空間という概念を切り離すことができるようになる。そして、日常生活での我々の動きは光と比べて非常に遅いので、時間の局所性はなくなり普遍的な時間について語ることができるようになる(第三部)。

以上、最終的には、ニュートンの絶対時間と絶対空間に戻ってくるにはくるのだが、その本質の理解は明らかに違うものになっていることに気づくのではないだろうか。この世界に根源的に存在するものは、まず「出来事」とその相互作用ネットワークであって、その世界と我々との特別な部分的相互作用の結果、「時間」が出現すると言っているのである。ただただ衝撃である。私はもちろんこの分野のど素人なので、その学術的な是非は到底判断できないが、現代物理学を徹底的に突き詰めると、このような世界観を描くことができるということだけでも非常に意義深いと感じる。

さて、折角なので、本書が指し示す世界観を建築の世界に自分なりに落とし込んでみたいと思う。この世界の根源は、「時間」や「空間」、「物」ではなく、「出来事」とその「関係」であるから、我々がまずもって創造すべきは、建築物ではなく、建築を取り巻く「出来事」とその「関係」であるのだろうか。日頃、構造設計者として、実体としての建築構造物を設計していると者としては、身につまされる想いである。考えてみれば、構造設計も、「部材を配置する」、「人が使う」、「地震が起きる」などという様々な「出来事」を想定し、その「関係」としての「応力・変形」や「空間体験」、「機能性」、「持続性」を設計した結果として、実体としての建築物が出現し、時間とともに変化していくのだと捉えられる。あくまで、設計対象の根源は、「出来事」とその「関係」であって、確かに建築物そのものではない。しかも、そのときの視点のぼやけ方によって、実体としての建築物は、結果として様々な形態となりうる。また、その「出来事」や「関係」は絶えず変化する動的なものであることをしっかりと捉えることも重要な点である。建築「物」となると、どうしても静的なイメージになるが、本質は「建築という現象」の創造なのかもしれない。

そういえば、近年、建築物そのものの創造というより、社会とのつながりを直接的に創造することに主眼を置いた「ソーシャル・アーキテクト」などと呼ばれるような方たちが見られるようになったのも、現代物理学が解き明かす、「出来事」とその「関係」がこの世界の根源であるとする世界観と、大きく関連しているように思える。

結論を聞いてしまうと不思議なもので、「出来事」と「関係」がこの世の理とする考えは、すんなり自分の体に溶け込んでくる。そして、この世界観をうまく援用することで、思考を整理することが可能な事物はまだまだ多様にあるようにも思え、いろいろな考えが頭をよぎる。そんな非常に示唆深い一冊である。

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書誌
著者:カルロ・ロヴェッリ
訳者:冨永星
書名:時間は存在しない
出版社:NHK出版
出版年月日:2019年8月

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浜田英明
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はまだ・ひであき/法政大学教授,浜田英明建築構造設計代表/博士(工学)/1981年石川県生まれ/2006年名古屋大学大学院修了/佐々木睦朗構造計画研究所を経て,2013年より法政大学専任講師,2017年同准教授/専門:構造設計,シェル空間構造/構造設計:豊島美術館,すみだ北斎美術館,目黒八雲の長屋ほか