ともにケアする建築:環境正義とジェンダーの交差で

連載:改めて、ジェンダーから建築を考える(その4)

根来美和
建築討論
15 min readJul 14, 2023

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空間は誰のものだろうか――誰が土地を保有し、利用し、維持するのか。その場所が瀕死であるならば、ケア(維持、清掃、修繕)するアクターは誰なのか。

多くの資金と資源、資材を必要とする建築が、環境に多大な影響を及ぼしていることは言うまでもない。新自由主義の市場を駆動源として乱立する都市開発に顕著なように、資本主義の経済活動に大きく依存しやすい傾向も指摘されている。また、採掘主義や建設行為がもたらす環境破壊、生態系の破壊、気候変動、自然災害、環境負荷の重圧は、経済格差、地理、ジェンダー、人種など複数の要因によって不均衡に不当に配分されてきた。特に疎外された社会集団はその被害をより深刻に受け、植民地や入植地では、数世紀にわたって資源の搾取が続いている。

近年、このような新人世/資本新世/植民新世の破壊的現状を目の前に、さまざまな種やアクターが営みを続けていくための建築とアーバニズム、まちづくりの見直しが促されている。では、環境正義とジェンダーの交差において、建築はどのようなアプローチが可能だろうか。

ケアの形態としての建築

数年前、ウィーン建築センターで、展覧会「Critical Care: Architecture for a Broken Planet」が開催されていた★1。そこで提起されたのは、破滅的な地球のための建築をケアの観点から考え直す必要性だ。進化や開発を主眼とする都市計画を続けることは不可能だという前提のもと、人間だけでなくモア・ザン・ヒューマンの住みやすさに基づいた長期的な惑星へのケアが急務である。展覧会では、エコロジー、経済、労働を切り口に、〈災害救助〉〈水資源と土地〉〈パブリックスペース〉〈境界の土地〉〈技術〉〈修繕〉〈土地の保護〉へのケアという焦点に分けて世界各地の事例が紹介されていた。

Fig 1.「Critical Care. Architecture for a Broken Planet」会場風景 © Architekturzentrum Wien, photograph: Lisa Rastl [出典:Architekturzentrum Wien]

企画者の都市研究家・文化理論家エルケ・クラスニー★2 は、生活と生存に不可欠なシェルターを提供するという基本的機能を持つ建築は、ケアの一形態であると言えるにもかかわらず、歴史的に、ケア労働の形態だとみなされてこなかったと述べている。数世紀にわたる建築の言説において、建築家の職能は自律した才能、能力、個人に結びつけられ、つながりや相互依存性、社会的再生産、世話をするという行為から切り離されてきたと指摘する★3。

とりわけ後者は、家父長制や階級、奴隷制度に基づき、女性が担う領域としてジェンダー化され、無償または低賃金労働というかたちで人種的マイノリティーに押し付けられてきた営みだ。コロナ禍を経た今、エッセンシャルなケア労働やセルフケアまで、様々な文脈でケアへの意識が高まっているが、ケアの倫理は、70年代から様々な立場のフェミニストからなされてきた。にもかかわらず、家事など家庭における再生産労働は仕事とみなされず、現在にいたるまで女性的な作業に関連づけられている。公共空間のメンテナンスや清掃など、社会を機能させるためのケア労働もまた、ジェンダー、階級、人種の政治作用によって搾取されやすく、その労働環境は十分に顧みられてこなかった。だからこそ今、ケアを与えるケアギバーの存在に目を向けるだけでなく、ケアという行為が生むつながりと相互依存性を見直す必要がある。

ケアする建築

政治哲学の系譜からケアの倫理を論じたジョアン・C・トロント★4は、ケアの概念は建築や都市計画分野の抜本的な方向転換を求めているとし、瀕死の地球を思いやるための「ケアする建築(Caring Architecture)」★5が必要だと述べた。建築を「もの」として考えるのではなく、時間や空間を通して存在する関係性(周辺環境や人々、動物相、植物相)のなかで捉えることで、既存のアプローチを変えることが出来るのだと語る。ケアは行為かつ実践であり、「世界を維持し、継続、修繕するための種の活動」であると定義するトロントは、ケアの五段階を次のように定義し、建築への応用を促す。

1)Care about: 気配り(ケアのニーズの認識、把握)
2)Caring for: 面倒を見ること(ケアの容認と責任の分配)
3)Care giving: ケアの付与(ケアの行為体に目をむける)
4)Care receiving:ケアの受取り(継続的なケアの維持)
5)Caring with: ともにケアすること(連帯と信頼関係)★6

彼女の提案によれば、ケアのニーズを認識した上で(段階1)、資源採掘、物流を含む建築設計の全過程で発生するケアを考慮し、責任を分配する(段階2)。ここでトロントは、建設コストを安価に抑えるために、ファサードのガラスが渡鳥の経路に悪影響を与えるリスクを見過ごした事例を挙げている。単純な例ではあるが、ケアの配分は、誰の利益が最優先されるかの判断に左右されることを端的に示している。そして、建設中には、全従事者の労働環境への配慮がなされるべきだ(段階3)。建設後、環境を維持するためのケア労働が必要となるが(段階4)、そこで継続的に信頼のできるケアがなされると、連帯や信頼関係が構築される(段階5)。

ケアにおけるテクノロジーの影響(ケア労働と責任分配がデジタル化あるいはAI化される際に、どのようなケアの倫理が適応されるかという議論)という現代的な課題が残るものの、ケアの影響範囲と関係性の視点を持つことで、相互の関わりあいや共生のためのケアから設計思考を育むことを提起している。ここでの建築とケアの議論は、介護育児施設や病院などケア領域が行われる建物に限るのではなく、また、サステナブル建築と同義でもない。歴史的に周縁化され過小評価されてきたケアの営みへの批判的分析を引き継ぎながら、地球規模のケアとしての建築の可能性を問うているのである。

裸足のソーシャルアーキテクチャー

パキスタンを拠点とする建築家のヤスミーン・ラリは、2005年に同地を襲った大地震以降、地震や洪水の被災者、紛争地帯の難民、貧困層、脆弱なコミュニティのための環境正義と社会正義を掲げ、人道支援に注力する一人だ。1970年代から「スターアーキテクト」として、ポストモダンを代表する数々のランドマーク建築を手がけてきたラリだが、サステナビリティを鑑みない生産条件で1パーセントの特権的富裕層のために建築を設計してきた自身の活動を反省していると語る★7。その後、設計事務所をたたみ、パキスタン・ヘリテージ財団を共同設立し、環境負荷をかけず、同時に周縁化されたコミュニティが尊厳を保持することができる空間づくりへと、活動の方向性を大きく転換したのである。

Fig 2,3. パキスタン・ヘリテージ財団とヤスミーン・ラリによるイニシアティブのもと、コミュニティとともに竹で作られた 〈ゼロカーボン文化センター〉(マクリ、2015–2019)。© The Heritage Foundation of Pakistan [出典:Architectural Review]

彼女の実践の根底にある理念「裸足のソーシャルアーキテクチャー」(Barefoot Social Architecture)は、古くから地域に定着している建造技術を、低価格あるいは無償で、かつ環境に優しい方法で、地震や洪水に対処できる建物に適応させることを目指している。例えば、土、竹、石灰など安価で手に入りやすい素材を用い、人々がセルフビルドできるゼロカーボンのシェルターやキッチン、トイレの考案だ。泥と石灰でできた無煙かまどは「Chulah」と呼ばれ、特に災害被害を受けやすい周縁化された女性たちが自ら建設し、衛生的に使用できるため、コミュニティの健康被害の軽減に繋がり、さらに、他の村でかまど作りを教えることができるようになるため、彼女らの生計立てに一役かっている。

Fig 4.無煙かまどChulah © The Heritage Foundation of Pakistan [出典:Architectural Review]

財団では、基本的な材料知識と施工法を、文字に頼らない方法で伝授する訓練プログラムを提供し、訓練を受けた人がさらに別の人を訓練することで育成システムを維持している。これらの活動は、財団が受賞した賞金、助成金、寄付金などが運営資金となっているそうだ。このような参加型のアプローチは、彼女が西欧の「植民的な慈善モデル」★8と批判する政府や助成団体による支援活動とは一線を画す。慈善モデルは、コミュニティの人々を「配給を受け取れば満足すべき無力な被害者」として扱い、さらにコンクリートなど環境負荷がより高い素材の使用を助長しており、持続性がないとラリは指摘する。建築高等教育や外部支援に依存しないシステムを作ることも、継続的なケアを可能にするための必要条件なのである。

非効率に見えるプロセスからケアのつながりを紡ぐ

アーバンリサーチャーの杉田真理子は、近年、都市デザインやまちづくりにおいてもケアの概念が取り入れられた事例を頻繁に目にするようになったと言い、オランダを拠点とする領域横断的なネットワークCascolandによるプロジェクト〈Community of Care Map〉を例に挙げている★9。移民や低所得者層が住民の多くを占めるアムステルダム郊外で行われた試みで、コミュニティ内で共有されている非公式なライフラインや医療サービスなど、行政やディベロッパーの調査には現れにくい住民同士の相互扶助とそのためのスペースを可視化する仕組みだという。

重要なのは、行政や自治体の財政難あるいは商業化の波を受けるなかで、住民視点のリサーチ過程と結果に、いかに価値を置くことができるかという点だ。杉田が述べているように、このようなリサーチは非効率あるいは根拠が薄いとみなされやすく、実際の構想や計画に反映することが難しい★10。また、住民参加のまちづくりは、多くの場合、住民のボランティア関与を前提とするため、社会的マイノリティの立場にいる住民の参加を促すことが難しいことも事実だ。当然、ジェンダーに起因するケアのニーズもある。そのような状況を鑑みながら、どのように空間の利用者やコミュニティのケアのニーズを引き出すことができるか考える必要があるだろう。

Fig 5. Doina Petrescu、Atelier d’Architecture Autogéréeによる長期プロジェクト〈R URBAN〉(2011〜)ボトムアップ型アクティビズムと市民参加を通して、地域内で完結するエコロジーの循環、都市の共有知、持続可能な生産・消費モデル、コミュニティの構築を図ることで、プラネタリーケアの実践を模索している。© Atelier d’Architecture Autogérée [出典:Commons & Communities]

ともにケアする建築に向けて

建築高等教育の場でも、ジェンダーの視点を含めながら環境正義をいかに考えるべきかという問いが、カリキュラム編成に反映されている。例えば、ウィーン工科大学建築学部のジェンダーに関するゼミでは、従来のジェンダー理論だけでなく、環境アクティビズム、セトラー・コロニアリズムやデコロニアル思考、移動や移民を巡る言説、フェミニズム運動、クィア理論との関わりからプラネタリーケアと空間実践を学ぶ機会を作るように心掛けているという。環境正義を実現するためには、反差別を掲げる社会運動の抗議と抵抗、その闘いの歴史を学ぶことが必要不可欠だからだ。本ゼミは設計演習ではないが、学生たちは、都市理論家、地理学者、アーティスト、アクティビストによる事例や文献を話し合った上で、各自が調査対象と課題を設定し、フィールドワークをベースに研究成果をまとめることが課される★11。

ところで、ダナ・ハラウェイは、新人世/資本新世/植民新世を、クトゥルー新世という造語で表現している★12。人間も堆肥、つまり土とともにある存在(the chthonic ones)★13なのであり、人間以上のさまざまな種が密接に関わりながら共生し戯れる時空間のことだ。

クトゥルー新世において、いずれ死すべき運命にある生き物として良く生き、良く死ぬ方法の一つは、力を合わせて避難場所を組成しなおすこと、そして、生物・文化・政治・技術の部分的な力強い回復と再組成をできるかぎり可能にすることだ。
(…)類縁関係を拡張し、組成しなおすことは、地球生物が根本のところですべて類縁関係にあることからしても許容されるし、(一度に一種ずつではなく)アッセンブラージュとしての種族をよりよいかたちでケアする頃合いでもある。★14

「ケアが大切」と言うのは簡単だが、関係性としてのケアの実践は挑戦だ。「Caring with」で生まれる連帯は、従来的な親族、友人、伴侶、同僚とだけではなく、拡張された類縁関係とコミュニティ、多様な種とともに、ということだ。場所を作る行為とそのサイクル自体をケアの形態として捉え、壊れた惑星と大地の回復と再組成を可能にするために、私たちはどのようなケアする建築実践を想像することができるだろうか。■

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★1:Angelika Fitz、Elke Krasny企画。ドイツ建築センター(ベルリン、2020)、フランドル建築センター(アントワープ、2022)などへ巡回。
★2:ウィーン美術アカデミー教授、ウィーン工科大学客員教授。フェミニズム、アーバニズム、空間実践を専門とし、特に近年はケアの実践に焦点をあて研究執筆活動を行っている。
★3:Elke Krasny, “Architecture and Care”, (Ed.) Angelika Fitz, Elke Krasny, Critical Care: Architecture and Urbanism for a Broken Planet, Architekturzentrum Wien and The MIT Press, 2019, p.33
★4:ジョアン・C・トロント著、岡野八代訳・著『ケアするのは誰か?新しい民主主義のかたちへ』(白澤社、2020)
★5:Joan C. Tront, “Caring Architecture”, (Ed.) Angelika Fitz, Elke Krasny, Critical Care: Architecture and Urbanism for a Broken Planet, Architekturzentrum Wien and The MIT Press, 2019, p.26–32. 「Caring」は「思いやりのある、世話をする」という意味があるが、従来の環境配慮や広義の思いやりとは異なる政治性やジェンダー議論の歴史を含有するため、ここではカタカナ表記とした。
★6:Ibid. 30–32.『Caring Democracy』(2013)では第4段階までだったが、『ケアするのは誰か?新しい民主主義のかたちへ』(原著は2015年)において第5段階の「Caring with」が追記されている。ダナ・ハラウェイによる「共‐生成(becoming-with)」の考え方(伴侶種とともに生成すること)の影響が見受けられる。(ダナ・ハラウェイ著、高橋さきの訳『犬と人が出会うとき:異種協働のポリティクス』(青土社、2013))
★7:Shanaz Ramzi. “Retrospective: Yasmeen Lari”, The Architectural Review, 2019.
★8:Ed. Angelika Fitz, Elke Krasny, Marvi Mazhar, Architekturzentrum Wien, Yasmeen Lari: Architecture for the Future, The MIT Press, 2023. p.12.
★9:杉田真理子「Landscape of Care 都市が人々を受け入れるためにできること」(『壌』ISSUE 01 / 2021)
★10:杉田(2021)
★11:数年前からゼミを担当しているアーティストのユリア・ヴィーガーと筆者による対話より。
★12:Donna J. Haraway, Staying with the Trouble: Making Kin in the Chthulucene, Duke University Press, 2016.
★13:ダナ・ハラウェイ著、高橋さきの訳「人新世、資本新世、植民新世 類縁関係をつくる」『現代思想』2017年12月号(青土社)p. 99–109. サラ・フランクリン著、逆卷しとね訳「マニフェストと共にとどまること──ダナ・ハラウェイを迎えて──」(『DOZiNE』2019年5月24日)などを参照。
★14:ダナ・ハラウェイ著、高橋さきの訳、2017

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根来美和
建築討論

ねごろ・みわ/キュレーター、研究者。建築学(建築史専攻)修了後、空間デザインに従事したのち、現在ベルリン/ウィーンを拠点に活動。トランスカルチュラルな表象やパフォーマティヴィティ、デコロニアル理論と近代の再編成への関心を軸に、主に現代美術や舞台芸術に携わる。