まちづくりの隘路──ケア不在の構造に抗する
まちづくりの今と始まり
はじめまして。西本と申します。大学卒業後、「まちづくり」の分野で15年ほど活動してきました。これから6回にわたり、みなさんとタイトルにもある「ケアするまちづくり」について一緒に考えていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
この連載の本題である「ケアするまちづくり」に入る前に、そもそも「まちづくり」や「ケア」とは何だろう?ということをすごく簡単にではありますが一緒にみていきましょう。
さて、「まちづくり」に関わる人間たちも、いったいそれが本当はなんなのか、正直よくわからないところがあります。なんじゃそりゃってかんじですけれど、最近では「地方創生」や「地域活性化」、残念ながら「都市計画」との区別も(!)はっきりしなくなり、いっそう「なんでもかんでもまちづくり」感があります。ひと昔前だったら、とりあえず「まちづくり」の前に「あかるい、うるおい、ゆたかな、みどりの、にぎやかな」をつけておけばオッケーで、最近は「ダイバーシティ、ウォーカブル、SDGs」なんかをつければいいかな、みたいな。
こんにちの「まちづくり」は、少子高齢化や経済の先行き不透明さに直面して「みんな」のために「なんでもかんでも」とその対象を拡張させた結果、本来の定義や概念から大きく離れるものが生まれてきました。自戒の念も込めて、あえてここで「まちづくり」の概念を批判的に見つめ、捉え直すことができればと思います。
「まちづくり」とは、そもそもどこからきて、いったい、何を目指してきたのでしょう。その系譜をみてみます。諸説あるとされますが、この分野で本格的に「まちづくり」の途を開いたのは、美濃部都知事、飛鳥田横浜市長の率いる革新自治体とされ、60〜70年代にその起源、始まりを持つと言われています。日本建築学会の学会誌にはじめて「まちづくり」という言葉が登場したのが70年、神戸の丸山地区の事例でした。同地区は高度経済成長下、インフラ整備をじゅうぶんに伴わない急速な宅地開発により悪化した環境(道路交通、公衆衛生、保育教育等)を住民主体で改善していく「モデル・コミュニティ」として、「まちづくり」の分野に大きな影響を与えています。
「まちづくり」は、①国主導の近代都市計画に対する「批判」と②直接民主主義としての住民・市民運動にその始まりを持ち、地域(住民・市民と自治体)が主体となって進める「ソフトとハードが一体となった居住環境の向上を目指す活動の総体」として、各地に広がりました。
閉じられた「まちづくり」
さて。こうした「まちづくり」を考えるとき、すぐ頭に思い浮かぶのは「担い手」の問題です。そもそも「近代化とは「共同体から自由な個人」を析出する過程」とされ、伝統的な地域コミュニティは衰退の一途をたどりました。したがって、その中で誕生した「まちづくり」はおのずといくつかの問いを抱えることになりました。一体、誰が新たな共同体の構成員となるのか、当該地域の「まちづくり」にあたって、誰が受益者となるのか、新市民・新中間層にも開放的でありながら、相互に信頼性のある共同体が築けるのかといった、とても困難な問いです。
実際、多くの地域で「まちづくり」を担ってきたのは地元保守・旧中間層である地権者、中小商工業者(+自治体)、地元企業、その多くは男性でした。彼らは「資産価値や売上の向上」、「公共事業の誘致」といったニーズや動機を持っています。一方、流動的でコミュニティに属さない、見えない新市民・新中間層や女性たちは、公的問題を話し合う「まちづくり」の場には(先行事例以外は)ほとんど登場しません。
しかしながら、自治体はそうした「担い手」に正統性を与え、国からの支援を引き出しながら眼前の「まちづくり」を実行してきました。表向きの理由は、地権者や逃げない住民こそが、そのまちの将来に責任を負えるからというものですが、こうした公共事業や補助金は地方の企業労働者ではない集団(農家や自営業者)への「日本の福祉国家」的な再配分とも言われており、「まちづくり」の「担い手」や「受益者」の問題は簡単ではありません。そこではいったい、誰の利益が実現されてきたのでしょう。「まちづくり」が絶えず強調してきた「開かれた」、「みんな」のためと言えるのか、疑問符がつきます。
ここで詳細を語れませんが(おいおい皆さんとお話ししていければと思います)、「まちづくり」というものが、家族などの親密圏や地域といった共同体がいまだに持つ不平等や抑圧を糊塗しながら、耳障りよく広がっていったことを忘れないでください。
「ケア」にひらく
次に、「ケア」について見ていきたいと思います。
昨年は「ケア」に関する本が立て続けに発売され、とっても話題になりました。トロント『ケアするのは誰か?:新しい民主主義のかたちへ』や『ケア宣言』、『ケアの倫理とエンパワメント』など、お読みになった方もいらっしゃるかもしれません。11月には下北沢のBONUS TRACK で”Caring November”といったイベントもありました。でも、いまなぜ「ケア」なのか。この連載のタイトルは「ケアするまちづくり」ですが、「ケア」と「まちづくり」とはどんな関係があるのでしょうか。「ケア」の定義は多様ですが、本連載では上野千鶴子『ケアの社会学』(2011)でも紹介されていた、次の定義を参照します。
依存的な存在である成人または子どもの身体的かつ情緒的な要求をそれが捉われ、遂行される規範的・経済的・社会的枠組みのもとにおいて満たすことに関わる行為と関係(Mary Daly “Care Work — The Quest for Security” (ed.)2001)
「ケア」というと、育児、看護、介護、介助などの分野の持ち物で、女性が中心にそれを担ってきました。このことから、わたしは、先に述べた地元保守・旧中間層の男性が主導する「まちづくり」とのあいだには大きな裂け目があると思ってきました。また、こんにちの「まちづくり」は、新自由主義の下「自分たち」の共同体存続のために、より「自立的」な個人を求め、そうした個人が街を活性化=経済活性化させることを第一に目指す傾向を強めています。このような時代に「依存的」な個人が自律的に自らのニーズを顕在化させ、それらを「まちづくり」を通して実現させていくことが果たして可能なのでしょうか。
「まちづくり」の分野では、当事者団体の長年の運動の結果、バリアフリー法や住宅セーフティネット法など「ケア」に係るまちづくり政策が少しずつ生まれています。しかしながら、「ケア」に係る人々の声の多くは、よくてもアンケート調査やワークショップの実施、情報提供といったアルンシュタイン「市民参加のはしご」でいうところの「単なる名ばかり参加」の枠(下図3〜5)に留まっている、いや、閉じ込められているようにも感じられます。もしそうであるなら、閉じ込めているのは誰なのでしょうか。
「まちづくり」の専門家、コンサルタント、行政、建築家はそもそも「ケア」に係る人々の具体的な「声」を聴き、適切な政策への反映を行うことはどのように可能なのでしょうか。また、先行事例にはどのようなものがあるのでしょうか。この連載で皆さんとみていければと思います。
※シェリー・アルンシュタイン「市民参加のはしご」
ここで一つ、「担い手」の定義と同じような疑問がわきます。そもそも「依存的な存在」というのは誰なのでしょう。「まちづくり」を担ってきた青壮年男子は、誰にも依存しないロビン・クルーソー(「自立した個人」)なのか(もちろん、違いますね)、「依存的な存在」と「自立的存在」とは本来分けられるものなのかなど、色々と考えるポイントがありそうです。
コロナ禍のなかで、私たちは自分たちの社会が「ケア」を重視していないさまを少しずつ知ることになりました。「ケア」は24時間待ったなしに生命を支えるもので、「不要不急なので控えます」といったことができません。そうした「ケア」に対して、これまでの「まちづくり」は応答的であった(開かれていた)とは言いにくいところがあります。「ケア」の視点で「まちづくり」を見直してみることで、従来の「まちづくり」を超え、流動的で、依存的で、脆弱な人々が主体となるような新たな共同性や「まちづくり」の仕組みをつくることができるでしょうか。
少し「ケア」と「まちづくり」が近づいてきたかしら、ということで、この辺で。次回からは具体的な事例を見ながら、みなさんと一緒にこのテーマについて考えていきたいと思います。
またお会いしましょう。それまでお元気で。