人間と動物の関係性から読み解くアメリカ都市発展の歴史(サマリー№21)

Animal City: The Domestication of America, Andrew A. Robichaud, 2019. Harvard University Press

杉田真理子/Mariko Stephenson Sugita
建築討論
15 min readSep 29, 2023

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都市における日常生活で、どれほど”人間以外”の生物に遭遇することがあるだろうか? 街路樹や植木の花々はもちろん、わずかにアスファルトの狭間に顔を出す土にひしめく雑草や、その根本で蠢く虫や微生物たちはイメージしやすいかもしれない。飼い主がおすベビーカーに乗って散歩(?)をする服をきた犬、何度も同じ場所で遭遇する猫、執拗にあなたの家の前のゴミを漁るカラスなど、改めて思い返すと、私たちの周りには、さまざまな種類の動物たちがいる。

ボストン大学で教鞭をとる歴史家・アンドリュー・ロビショー(Andrew A. Robichaud)の初の著作である『アニマル・シティ:アメリカの家畜化(Animal City: The Domestication of America)』(2019)では、19世紀のアメリカにおける都市発展の歴史と、それに伴う人間と動物達の関係史が描かれている。19世紀のアメリカの都市は、人間だけでなく、動物だらけだった。ストリートでゴミを漁る豚、肥育場に詰め込まれた牛、馬具のなかで死ぬほど働かされる馬、荷車を引き、小型機械の動力源となる犬、塀の向こうから観客たちを覗き込む、動物園の(かつての)野生動物などが、本書では生き生きとしたディテールで描き出されている。そのうえでロビショーが説くのが、都市における動物たちの存在の重要性とその意味であり、現代の都市を理解するうえで有効な、”動物”という視座である。

Animal City: The Domestication of America, Andrew A. Robichaud, 2019. Harvard University Press

都市という、生態学的に多様な場所

序章で描かれるのは、1842年1月にアメリカ大陸に足を踏み入れたチャールズ・ディケンズだ。ボストン港に到着し、その後ニューヨークを訪れたディケンズは、数ヶ月間の北米滞在の様子をつぶさに記録していた。その記録を読むと、ディケンズのニューヨークへの関心は、そこに住む人間だけにとどまらなかったようだ。ディケンズが暮らしていた当時のロンドンでは、産業革命の影響で既に路上から動物が姿を消していたのだろう。ニューヨークにおける馬車の多さに驚いた彼は、人間と動物たちによるストリートの喧騒を、生き生きと描いた。ブロードウェイを横切る時に目にした、場所を争いながら走る馬車の姿、凸凹道を走る馬の蹄や車輪の絶え間ない音、明るい服装と日傘の婦人たちに混じって、2頭の太った雌豚 がいること、そして角を曲がったところに、6匹の”紳士的な豚 “がいること。ディケンズは、ゆうに2ページを費やして、ニューヨークの路上にいる豚たちについて描写している。「ニューヨークの豚たちは、日中は街をあさり、毎晩家に帰り、街のゴミを肉に変えることに一生を費やす、自立した”共和国の豚(republican hogs)”たちである」とディケンスは語る(p.94)。

19世紀のアメリカの都市は、生態学的に多様な場所であり、家畜化された種、半家畜化された種、そして家畜化されていない種が、常に多数存在していた。動物たちの存在はあまりにも当たり前すぎて、アメリカ国内では言及されることも少なかった。熱心になってその様子を描写したのは、ディケンズのように、すでに都市の家畜がほとんど規制され、あるいは排除されている場所からの訪問者や観光客であった。

ジェームズ・キダーが1829年に描いたボストン・コモンのリトグラフ。かつて牛の放牧地として使用されていた多目的な場所が、都市公園やレジャーの場へと移り変わる風景を描いている。James Kidder and Senefelder Lith. Co., “Boston Common”, 1829. Boston Public Library. (本書P.177掲載)

しかし、20世紀に入ると、こうした動物たちの多くは、アメリカの都市から姿を消してしまう。牛、羊、豚、馬は中心街からいなくなり、家畜小屋、肥育場、養豚場、酪農場、屠殺場といった、動物の命を預かる労働者やインフラも日常生活から姿を消した。衣食住に利用される家畜が都市住民の目に触れなくなるにつれ、他の形態で、動物たちは20世紀黄金時代の都市に残り、繁栄した──ペットや、動物園、大衆メディアのコンテンツとして。

ロビショーは、この一連の変化が、アメリカにおける人間と動物の生活を根本的に作り直し、都市空間の形成に大きな影響を与えたと指摘する(p.121)。本書は、この変容がどのように、そしてなぜ起こったのか、そしてなぜそれが重要なのかを論じる。都市における人間と動物の相互作用の具体的な歴史をたどることは、アメリカの文化、法律、商業、政治、都市開発の歴史を理解する上で、強力な新しいレンズを提供してくれるのだ。

「アメリカ人が世界を理解する上で、動物は中心的な存在だった。アメリカ人は、(…..)動物を通して、新しい経済を考えた。動物を通して、人間と動物のための理想的な都市環境を計画し、想像した。動物を通して、彼らは重要な政治的問題に取り組んだ。動物を通して、地方政府、州政府、国家政府は、法律や法執行の権限を試し、拡大した。動物を通して、アメリカ人は人間とは何かを議論した。」(p.128)。

ロビショーはさらに言う。「19世紀の動物都市の歴史なくして、なぜ現代の都市がそのような姿をしているのかを十分に説明することはできない」(P.140)、と。都市における人間と動物の関係をコントロールする過程で、新しい法律や執行手段、ゾーニングに繋がる考え方が生まれた。19世紀後半には、アメリカ全土で、都市住民がどこで動物を飼い、殺すことができるか、何頭のどんな種類の動物を飼うことができるか、さらには動物をどのように扱うことが許されるかといった複雑なルールまで規定されていた。動物を取り締まるために、公的・私的な警察組織の数も増えていった。この19世紀に市や州当局が行った畜産業を組織化するための決定は、その後の都市発展に大きな影響を及ぼしている。

畜産都市の発展

本書は大きく3部に分かれており、ニューヨークやサンフランシスコなど、時空を超えてさまざまなアメリカの都市のケーススタディが探索されている。

第1章「牛の街・ニューヨークと都市の乳産品危機 1830–1860年(Cow Town New York City and the Urban Dairy Crisis, 1830–1860)」では、1820年代から1830年代にかけてのニューヨークにおける都市型肥育酪農場の発展と、その出現をめぐる政治的、社会的、道徳的な議論を通じて、都市の形成が検証されている。19世紀初頭に進行したのは「人間の都市化」だけでなく、「動物の都市化」でもあったとロビショーは説明する(p.177)。産業資本主義の世界で、動物に関わる大規模で新しいシステムの開発が進んだ。

都市部に牛がいることは、19世紀初期のニューヨークでは何気ないことだった。急成長する都市に農村から進出する際に、多くの人々が牛や馬などの動物も連れてきたからだ。多くのアメリカ人は、人間が消費するミルクや肉を生産するための動物の管理と交流を、日常的なものとして行っていたという。農業と工業、田舎での労働と都市での労働の間には、まだきれいな断絶はなかった。ある労働者は工場で一日中働いた後、家に帰って乳を搾り、牛に餌を与えたかもしれない。もちろん、こうしたライフスタイルも、都市市場経済が勃興することで消えてゆくことになるのだが。

1858年5月15日、Frank Leslie’s Illustrated Newspaperに掲載された「牛乳取引の暴露〜瀕死の牛の搾乳」(p.588)19世紀なかば、牛の不衛生な飼育環境や牛乳に不正な物質が混入されていることがニューヨーク・タイムズの新聞報道で判明した残滓牛乳事件(ざんしぎゅうにゅうじけん)では、食品の品質・衛生管理や家畜の飼育環境などに関する行政の介入が大々的に行われた。

当初、ほとんどの大都市は、人口密集地で牛やその他の動物を飼いたいという住民の希望に応えようとしていた。しかし、19世紀初頭から半ばにかけて、ニューヨークやボストンのような都市が驚異的なスピードで発展するにつれ、新たな社会的・環境的圧力が、都市における人々の動物との関わり方を形作った。たとえば、過放牧を防ぐために、ボストン市は牛の数を1家族につき1頭に制限し、放牧を行う住民に新たな税金を課した。この税金は、食品や畜産に関する新規制の施行に充てられた。

第2章「肉屋の戦い サンフランシスコと動物空間の再形成(The War on Butchers” San Francisco and the Remaking of Animal Space, 1850–1870)」と第3章「水の中の血: 肉屋の限定区域とサンフランシスコの再形成(Blood in the Water: The Butchers’ Reservation and the Reshaping of San Francisco)」では、サンフランシスコを舞台に、畜産と屠畜場改革がもたらした影響、そして動物に関わる政策の比較分析が行われている。

1926年のユークリッド対アンブラー事件(Euclid v. Ambler)★1で強化されたゾーニングという考え方は、20世紀に向けた進歩主義を象徴する概念であり、ここでも動物政策が中心的な役割を果たした。19世紀の動物法の多くは、人々が特定の動物を所有・維持できる場所、所有できる動物の数、それらの動物をどのように扱うかを制限するために設計された、つまりはゾーニングであった(p.145)。そして、この19世紀の畜産政策の影響は、現代の都市の景観にも大きく関わっている。

動物愛護と警察権力

第4章「馬の殺し方 SPCA、都市秩序、国家権力、1866–1910年(How to Kill a Horse SPCAs, Urban Order, and State Power, 1866–1910)」(p. 128–158)と第5章「窓辺のワンちゃん SPCAとアメリカのペットたち(That Doggy in the Window The SPCA and the Making of Pets in America)」(p. 159–196)では、19世紀最後の数十年間、特に警察権力で武装したSPCAの発展を通じて、都市住民が動物との関係を再構築した方法を探る。

SPCA(The American Society for the Prevention of Cruelty to Animals アメリカ動物虐待防止協会)は、1866年に創立された、動物愛護法を執行するために州議会によって設立された半官半民の警察組織である。一般市民からの情報提供を受けて動物虐待などに対する捜査を行い、司法警察権を行使して被疑者を逮捕する権限も有していた。都市における家畜の排除と動物に対する人道的改革が、計らずしも同時期に行われたのは特筆すべき点である。

ニューヨークの市議会議員たちは、1850年代から1860年代にかけ て、豚の放牧場と不作乳の酪農場を取り締まることで、市街地や都市開発の周縁部に秩序をもたらそうとした。このような新しい動物規制と法執行の波は、アメリカの各都市を席巻した。かつては私有財産の一形態であり、公的な介入はほとんど及ばないと考えられていた動物たちは、次第に地方自治体や州政府の特権となった。

第6章「魅惑的なスペクタクル 動物エンターテインメントをめぐる公開バトル(Captivating Spectacles Public Battles over Animal Entertainment)」(p. 197–230)と第7章「野生の家畜化 ウッドワードの庭園と近代動物園の形成(Domesticating the Wild Woodward’s Gardens and the Making of the Modern Zoo)」(p.231–260)では、19世紀半ばから後半にかけてのアメリカの都市における動物エンターテイメントの変遷が考察されている。

この時期、動物園やサーカスなど、都市で動物に関わるエンターテイメントの数と種類が顕著に増加した。このような変化とともに、どのような形態の動物娯楽が公衆の消費にふさわしいか、また、娯楽産業に動物を持ち込むことに関する残酷性をめぐる新たな議論が起こった。例えば、チャールズ・ウィルソン・ピールの共和制自然史博物館やP・T・バーナムのニューヨークのアメリカ博物館、サンフランシスコのロバート・ウッドワード動物園などが例に挙げられている。旧来の動物展示は「自然の奇形」や「珍品」が中心であったのに対し、19世紀後半は、都市住民を「自然」の「代表種」と想像されるものに触れさせようとする傾向が強まった。

“人間以外”の生物と都市

人間はこれまで何千年もの間、必然性や利便性から、動物と何かしらの形で共存してきた。こうした動物と私たちの関係性は、ゾーニング、そして市街地や周縁部の形成に大きな影響を与えてきたことは、本稿で解説してきた通りだ。サンフランシスコとボストンの屠畜場移転法が、互いに数カ月以内の出来事であり、1873年の屠殺場事件で有名になったニューオーリンズの屠殺場規制が、サンフランシスコとボストンのそれに続いたのも、単なる偶然ではなかった。市や州政府による公衆衛生と法律に関する考え方は、アメリカの異なる都市間で、歩調を合わせて行われてきた。

そしてそれは、階級や空間によって不均等に行われた、という事実も、本書で強調されている議論のひとつである。今でこそリノベーションされてヒップなエリアとして人気を集めるニューヨークのミート・パッキング・ディストリクトを思い出してみてほしい。屠殺場街であったこのエリアは、かつては倉庫が立ち並び、人々が寄り付かない場所であったし、この場所で食肉産業に従事していた労働者へのスティグマも存在していた。畜産の現場がさらに私たちの日常生活から遠く姿を消し、屠殺場街が本来の目的で使用されなくなった今、そのエリアがリノベーションを経てヒップでお洒落な消費の場に変化している事実は、こうした歴史を振り返るとなんとも感慨深い。

そしてこれは、何もアメリカのみに限った議論ではない。都市というものが形成される初期の段階から、我々人間だけではなく、人間以外の生物たちがそこには存在していた。そして私たちは、彼らと何かしらの共生関係を保ってきた。都市空間を議論するとき、この’人間以外の視点”を持つことで、さらなる分析の射程が開けるはずだ。■

★Further Reading

  • The city is more than human: an animal history of Seattle, University of Washington Press (2016) シアトルの歴史における動物の存在について読み解いた1冊。人間以外の生物と都市の関係性を再解釈するうえで参考になる1冊。筆者自身、西アフリカ・トーゴ共和国の首都・ロメの町中を歩き回る鶏やヤギなどの動物たちにショックを受け、都市における動物の存在に興味を持つようになった。
  • ダナ・ハラウェイ『犬と人が出会うとき 異種協働のポリティクス』:異なる種同士の共存・相互作用を議論した書籍。われわれ人間と動物の関係性について再考させられる。
  • Carolyn Steel: How food shapes our cities | TED Talk: 食と都市の形成の関係性について話されているTEDトーク。産業革命以前、家畜たちの存在がいかにロンドンという街の骨格を形作ったか、それが現在の都市の姿にも影響しているかが解説されている。

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★1:ゾーニングによる土地利用規制が財産権の侵害に当たるかが争われた、1926年の判決。連邦最高裁判所は、ゾーニングによる土地利用規制は財産権の侵害には当たらないと判断し、これにより、ゾーニングによる土地利用規制が、一気に全国へと広がるきっかけとなった。

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杉田真理子/Mariko Stephenson Sugita
建築討論

An urbanist and city enthusiast based in Kyoto, Japan. Freelance Urbanism / Architecture editor, writer, researcher. https://linktr.ee/MarikoSugita