アリス・ゴッフマン『逃亡者の社会学:アメリカの都市に生きる黒人たち』

分断の現場(評者:倉田慧一)

倉田慧一
建築討論
Aug 4, 2022

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サツがやって来る物音を耳にしたら、やつらからずらかる[逃げる]んだぞ。自分が何をしたとか、やつらに何されるかなんて考えてるヒマはねえ。やつらが来たらつべこべ言わずにずらかるんだ。やつらが捜してるのが誰だろうと、それがおまえじゃなくたって、十中八九やつらはおまえをブタ箱にブチ込むんだからな(53頁)★1

著者アリス・ゴッフマンは、フィラデルフィアの黒人居住地区に6年間滞在し、ストリートにたむろするマイクやチャック、彼らの家族、恋人と出会う。彼らとのあいだに築かれた信頼関係によって、刑事司法制度という脅威が「家族と友人のネットワークに恐怖と疑念の種を撒き散らしながら、当初の目的を超えて波及し、日常生活の基本構造を引き裂いている」(343頁)ことがありありと描かれる。

本書は、アメリカ社会学会の2011年度最優秀博士論文にも選ばれた博士論文を原型とする学術書であり、同時にマイクやチャックの声が聞こえてくるようなルポルタージュとしても読むことができる。社会学者でなくとも、現代の都市に関心のある者ならば、様々な示唆を得ることができるはずだ。

1970年代以降、アメリカは刑罰国家への道を突き進んできた。現在アメリカでは、220万人が刑務所か拘置所に投獄され、480万人が保護観察か仮釈放の状態 — — スターリン政権下の強制収容所だけが匹敵する水準 — — におかれている。とりわけ黒人男性貧困層の囚人数は際立っており、大学教育を受けていない黒人男性の30%が30代半ばまでに投獄されている。

本書は、まさにこうした大量投獄の現場である6番ストリートにおける参与観察の記録である。この地区の生活にはさまざまな犯罪が深く織り込まれており、そこでは、警察や司法の役割が、住民の安全を守ることから、地域全体を監視下におき、つねに疑惑を投げかけ、難癖をつけて告発することへと変化する。

投獄された黒人は、教育を受けられず、前科があるためにまともな職につけない。そればかりか、多くの州で、重犯罪をおこなった者は、公民権が停止され、さまざまな行政サービスを受けられなくなる。病院の受付には、患者の名前をデータベースで照会するために警察が集まっているため、まともな治療を受けることすらできない — — 腕の骨がむき出しになっても、病院で働いている清掃作業員がくすねてきた医療用品に頼るしかない。

市民生活から弾き出された若者は、つねに逃亡者として逃げ隠れることを強いられ、違法な闇市場に頼るようになるため、よりいっそうコミュニティの日常が犯罪化される。現代の大量投獄は、黒人に逃亡者という地位を割り当て、基本的人権を否定しているという点で奴隷制と共通している。それゆえ本書が描き出すのは「黒人の排斥や公民権の低下をめぐる長い歴史のなかでもっとも新しい段階のものに過ぎない」(352頁)のである。

大量投獄によって黒人の日常が犯罪化していることを、彼らの視点によりそいながら生きられた経験の水準で描き出している点に、本書の重要性がある。著者は、6番ストリートに引っ越し、ゲットーの日常に深くもぐりこむ。閲覧するメディアを彼らが好むものに限定する。法廷や刑務所に付き添い、ときには4番ストリート・ボーイズとの銃撃戦のさなかに身をおく。こうした壮絶なフィールドワークにおいて築かれた信頼関係によって、不当な社会の構造を解明することにとどまらず、刑事司法制度によって不安定化された生活の諸相が描かれる。

たとえば、逃亡者の母や恋人が陥るジレンマがある。ある男性が指名手配されると、警察は彼の母や恋人の口を割るために、彼女のさまざまな行動が逮捕の根拠になることを示唆し、今後の行動を監視することを告げ、立ち退きや養育権の剥奪を通告し、不貞の証拠を示す。彼女たちは、自らの安全と逃亡者の自由を天秤にかけなければならず、たいていの場合、最初は身内を守ることを決意し、次第にその誓いが打ち砕かれ、密告者の烙印を押されることになる。その過程で、自らの名誉、愛情、正義感、コミュニティにおける賞賛と屈辱、逃亡者との関係をめぐって、感情的なジレンマに満ちた道のりを辿ることになる。

建築学を学ぶ者の立場からみて興味深いのは、劣悪な建造環境と抑圧的な制度が結託して貧困層の黒人を市民生活から排除することである。本書がここに焦点を当てているわけではないが、記述の随所に著者が遭遇した具体的事例を見いだせる。たとえば、逃亡者がそこにいるという確信がない場合でも、警察は突然ドアを破壊して突入し、あらゆる家財道具を破壊する。住居の老朽化は逃亡者を匿おうとする家族にたいする立ち退き要求の根拠となる。逃亡者や彼らを匿おうとする家族は、公営住宅に住む権利を喪失する。建築や都市が警察と一緒になって弱者を社会から締め出そうとしているのである。

このような詳細で生々しい記述はいかにして生み出されたのだろうか。巻末に付された88頁におよぶ「方法論ノート」がその問いに答えてくれる。この章では、著者がこの地区で研究をはじめたきっかけや動機、住人たちとの関係を構築するあいだにおこった問題、そして自身の内面の変容が述べられる。

学者の両親のもとで生まれ育った白人女性である著者は、はじめ住人が話す言葉も、複数人がもみあう場面で誰と誰が喧嘩しているかさえも理解できなかった。若者と遊びに出かければ、周囲の爆笑をかい、「私たちとは育ちが違うのよ」(380頁)とフォローされるしかなかった。白人であるというだけでなぜそこにいるか尋ねられ、少女に淫らなことをしているという疑いをもたれることもあった。

6番ストリートに住み込むなかで、著者はしだいに自分の異質性を冗談にすることを学び、コミュニケーションの定型(e.g. 暴行や銃撃を公言する者は、周囲がそれを引き止めることを期待している)を知ることで、ジェンダー中立的な相棒、公認の妹、記録者として受け入れられるようになる。他方で著者は、大学のキャンパスで性的ジェンダー的なアイデンティティの混乱を意識する。また、白人の集団に恐怖を抱くようになり、警察官でないことを分かっているにもかかわらず彼らに近づくと汗が吹き出し鼓動が速まることすらあった。さらに、著者は6番ストリートの少年を撃った者にたいして復讐をしたいという願望にかられたことを告白するのである。

著者の果敢なフィールドワークは、論争を引き起こした。「エスノグラフィーの古典となるに違いない」★2という評価がある一方で、訳者解説の整理によれば、3つの批判 — — ①調査地における非倫理的行動(調査対象者が殺人をおこなおうとしていることを知りながら車の運転を手伝った)、②データの収集や取り扱い(調査地の選定と居住者の把握)、③事実性(警察の行動にかんする誇張) — — が投げかけられている。ほかにも、「コミュニティの部外者としての位置性(positionality)にたいする意識が欠如している」ために「有色人種にたいする有害な物語を強化している」という学問的不誠実さへの批判がある★3。

評者は社会学の専門家ではないので、詳しい内容は訳者解説を参照されたい。しかし、警察の証言を根拠に③事実性を批判している者は、警察権力を信頼しすぎではないだろうか。また、「方法論ノート」で述べられた内面の変化は、人びととともに研究することで生成変化するプロセスであったと言えるのではないだろうか★4。だとすれば、そこにコミュニティにおける著者の誠実さを読み取ることもできるように思われる。

本書には、マイクやチャック、彼らの家族の声が生々しく響いている。その声は、ICレコーダーによって記録されたようなものではない。なぜなら、彼らの話を聞いていたアリスの心の声も重なっているからだ。アイデンティティに混乱が生じるほどコミュニティにふかくもぐりこんだ著者の変容を読み取れば、アメリカの分断が、それによって引き裂かれた生活の諸相がみえてくる。学術的な瑕疵を割り引いたとしても、一連の論争をふくめ 本書はアメリカ合衆国という国について考えるための手がかりになるだろう。

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★1 本文中の頁数はすべて『逃亡者の社会学』のもの。引用中の[]は著者ゴッフマンによる補足である。

★2 Jencks, Christopher. “On America’s Front Lines.” The New York Review, October 9, 2014. https://www.nybooks.com/articles/2014/10/09/americas-front-lines/.

★3 Brown, Sarah. “Should Alice Goffman’s Work Cost Her a Faculty Position?” The Chronicle of Higher Education. April 26, 2017. https://www.chronicle.com/article/should-alice-goffmans-work-cost-her-a-faculty-position/. Larson, Amanda. “PO Sociology Students Criticize Controversial Hire.” The Student Life, April 28, 2017. https://tsl.news/news6782/. 著者アリス・ゴッフマンは、『行為と演技』などで知られる著名な社会学者の父アーヴィング・ゴッフマンと社会言語学者の母ジリアン・サンコフのもとに生まれた。2004年にペンシルベニア大学を卒業し、2010年にプリンストン大学で博士号を取得し、その後いくつかの大学で研究に従事した。こうした華々しい経歴も、一連の論争をスキャンダラスなものにした要因のひとつかもしれない。

★4 ティム・インゴルド『メイキング:人類学・考古学・芸術学・建築』金子遊他訳、左右者、2017年、ティム・インゴルド『人類学とは何か』奥野克巳、宮崎幸子訳、亜紀書房、2020年。

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書誌
著者:アリス・ゴッフマン
書名:逃亡者の社会学:アメリカの都市に生きる黒人たち
出版社:亜紀書房
出版年月日:2021年3月

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倉田慧一
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近代建築史。1996年生まれ。東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程在籍、京都芸術大学非常勤講師。