アーバン・ディスタンス|With COVID-19時代の都市計画の視点

村山顕人
建築討論
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12 min readJul 31, 2020

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046|202008|特集:距離のポリティクス ─── 感染症と建築学の交点 |Perspectives on Urban Planning in the Era With COVID-19

都市と自然環境の距離、都市間の距離

COVID-19は、野生動物体内のウイルスが起源で、人間には未知のウイルスが人間社会に侵入して広まる新興感染症の最先端である。新興感染症がここ数十年で多発しているのは、人間が野生生物の住む環境を破壊し野生動物の数を減らすとともに、人間が自然環境に立ち入ることにより野生動物体内のウイルスや細菌の病原体が新たな住みかとしての人間に広まっていること、つまり、人間と自然環境の距離が縮まったことが理由だと考えられている。なお、環境破壊の悪影響には、他にも地球規模の気候変動、資源枯渇、農林漁業基盤や地域コミュニティの破壊など様々な問題があることは言うまでもない。環境を守るためにも、引き続き、都市の平面的拡大は抑制し、都市に住む人間と自然環境の距離を確保する必要がある。これは、人口と経済の縮小が進む日本ではあまり問題にならないが、人口が爆発している世界の都市にとっては悩ましい都市成長管理の問題である。

中国・武漢で発生したCOVID-19は、数ヶ月の間に世界に拡散した。これは、多くの人々が都市間を頻繁に行き来する時代になり、世界の諸都市が相互の距離を縮めネットワーク化している状況を示した。しかし、COVID-19パンデミックが始まると、私自身も4ヶ月以上も出張できない状況が続き、オンライン会議が急速に普及し、今や自宅から大学の講義・演習、研究打ち合わせ、行政の会議、講演、国際研究集会に参加できるようになり、東京都内も国内外諸都市も時差を除けば同じ心理的距離にある。もちろん、移動の楽しみや現地での体験がなくなったのは残念である。都市間の距離は、バーチャルには近く、フィジカルには遠くなった。

ドイツの建築家トマス・ジーバーツは、経済・社会のグローバル化や交通・物流・情報技術の革新により産業構造と生活様式が激変し、従来の認識に基づく「コンパクトシティ」の枠組みでは、都市・田園の区分を超えて拡散した現代の生活域を適切に捉えることができず、その質を高めることができないと認識し、「間にある都市」の概念を提示している[1]。「間にある都市」とは、「田園地域の海に群島のように浮かぶ多数の都市」と定義される。より哲学的には、「今日の都市(居住地)が『間にある』状態の中にあること、すなわち、場所と世界の間、空間と時間の間、都市と田園の間にあること」を意味しているが、COVID-19パンデミックでこの状態がさらに顕在化し、本稿で議論する「アーバン・ディスタンス」も含め、様々な距離の再検討が必要になったように思う。本格的な在宅勤務が始まり移動が制限されると、自宅を中心とするフィジカルな徒歩生活圏(=場所)で必要最小限のことを済ませ、インターネット上のバーチャルな空間(=世界)で様々なやりとりをする、つまり、場所と世界の間を数時間単位で行き来する状況となる。また、早朝に起床してわずか30分後にそれぞれ異なる時間帯にいる世界各国の研究者とバーチャル空間で国際会議をしていると、自分があたかも空間と時間の間を自由に行き来できるかのように錯覚する。そして、冒頭に述べたように、都市と自然環境(田園)の間は近く曖昧になっており、我々はその間で右往左往しているのである。

都市内の距離:人と人との間の距離と都市の密度

都市部でのCOVID-19拡大感染を受けて、密度が高い集約型の都市が問題視され、もっと密度が低い分散型の都市を目指すべきだという主張があるが、これは短絡的である。感染予防のために人と人との間に2mの距離を確保しようと思うと、単位面積当たりに入れる人の数を減らす必要がある、つまり、人口密度を下げる必要があるのだが、都市の空間は100mや1kmのメッシュあるいは町丁目単位の平均人口密度で代表できるほど単純ではない。どんなに人口密度が低い都市でも、例えば、建物のエレベーター内の密度は高く、そこでCOVID-19の感染は起こり得るのである。

米国ニューヨーク市はCOVID-19のホットスポットになってしまったが、それはニューヨーク市の人口密度が高いからではない。ニューヨーク市の住宅やプランニング方針に関わる研究・教育に取り組む非営利団体Citizens Housing & Planning Council(CHPC)は、「ニューヨーク市における密度とCOVID-19」[2]というレポートの中で、次のように、密度の4つの側面を説明し、それぞれの高低とCOVID-19感染拡大の関係を分析した上で感染拡大防止策を考えるべきことを強調している。

(1)居住人口密度(Residential Population Density):都市計画や様々な政策を検討するためによく使用される単位面積当たりに居住する人口

(2)内部居住密度(Internal Residential Density):ある住宅に定員を超過して多くの人々が居住する状況

(3)施設居住密度(Institutional Settings Density):ホームレス・シェルター、刑務所、老人ホームなど共用の空間や施設に多くの人々が集住する状況

(4)公共空間・職場密度(Public Spaces & Workplace Density):多くの人々が共用空間で働いたり、スーパーマーケット、地下鉄車両、ジム、礼拝所などの公共空間を共用したりする状況

(1)については、Zip Code(郵便番号)単位で居住人口密度とCOVID-19感染者数を集計・提示した図を比較すると、居住人口密度が高い地区で感染者数が多く居住人口密度が低い地区で感染者数が少ないのではなく、居住人口密度が低くても感染者数が多い地区が存在することが分かる。(2)は、住宅内の”overcrowding(密集・過密)”の問題だが、そのような住宅の割合とCOVID-19感染者数の間には弱い正の相関関係があるようである。(3)については、断片的な感染事例のデータが掲載されている。そして、(4)公共空間・職場密度については、なかなかデータがない。

地区内の距離:東京の低層密集市街地を例に

私は東京23区内の低層密集市街地に住んでいるが、前述の密度の4側面で言うと、COVID-19拡大感染で心配なのは、人と人との間の距離の確保に関わる(4)公共空間の密度であって、(1)居住人口密度ではない。具体的には、日常生活で使う商店街やスーパーマーケットのヒトとモノの密度が高いこと、家の前の川沿いの道路が散歩やジョギングをする人で混雑したこと、公園も遠くに出かけることができなくなった近隣住民で混雑したことである。3月下旬から公共交通機関には乗らず、すっかり徒歩・自転車・自動車生活になり、駅前の飲食店には行かなくなったが、これも混雑する公共空間を避けた結果である。同時に、以前は重要であった自宅から利用駅までの距離はどうでも良くなった。公共空間の混雑を解消すること(人と人との間の距離を確保すること)が望ましいが、平面的な空間に余裕のない低層高密・高建蔽率の市街地だとなかなか難しい。これは、創造的な空間的解決策が求められるところである。逆に、高層高密・低建蔽率のタワーマンション街あるいはもっと密度の低い集合住宅地の暮らしについても実感を聞いてみたい。私からすると、屋外の公共空間は広々としていて羨ましいが、エレベーター内などの局所的な混雑などは心配である。

ところで、低層密集市街地に住んでいる理由の1つは、人間と地面との距離が短いことである。この原稿を書いている私のワークスペースは寝室の隅にあるが、この部屋には3方向に窓があるので気持ちの良い風が吹き、パソコンのディスプレイから少し目を横に逸らすと敷地内の樹木と幅員の狭い道路を挟んで川が見え、道路を行き来する車の音や人の会話が聞こえる。大学の研究室は11階で、強風と騒音で窓を開放することはなく、地上の活動とも隔離されている。自宅のワークスペースの方が人間的である。

COVID-19パンデミックは、身近な生活環境とその再生を考える良い機会となっている。個人的には、適度な距離を確保しながら集まることができる拠点的空間(駅を中心とする複合市街地)、自宅中心の生活で健康を維持するための快適な道路・公園のネットワークなどができると、生活の質が格段に上がりそうである。ちなみに、在宅勤務になるとコミュニティ活動に参加しやすくなると言う研究者もいるが、私の場合、コミュニティとの距離は縮まっていない。

道路における距離、自宅と職場の距離

COVID-19パンデミックの中、時々、どうしても職場に行く必要があるが、片道13km程度なので、雨の日でもレインスーツを着て自転車で行くことにしている。私自身は、もともと運動不足解消と満員電車回避のため、週1〜2回は自転車で通勤していた。COVID-19パンデミックを機会に自転車通勤を始める人が多いようで、都心-郊外方向のサイクリストは実感として増えている。

2017年5月に自転車活用推進法が施行された頃から、東京23区内の自転車走行環境は格段に改善されている。ただ、道路幅員は限られているので、たとえ自家用車が減ったとしてもバスやサービス車両との折り合いは難しく、なかなかスムーズな自転車走行環境は実現できない。引き続き、安全確認や合図といったサイクリストと自動車ドライバーとのコミュニケーションは不可欠である。大型車の常時バックモニター、高級車のドアミラーについている後側方センサー表示、カーナビ画面に映るアラウンドビュー等は、実はサイクリストにとっても、ドライバーが自分に気づいている(はずだ)と認識できるので有難い。道路では、物的環境の整備、人間の判断、スマート技術によるサポートの組み合わせでサイクリストとドライバーの間の適切な距離を保つことが重要である。

メガシティ東京において、自宅と職場が30kmも40kmも離れている人にとって、長距離の自転車通勤も何かとコストが高い自動車通勤も現実的ではなく、公共交通に乗らざるを得ない。毎日通勤する必要がある人は、職住近接を志向し、都心に職場が多いことを考えると引き続き都心居住のニーズはありそうである。一方、在宅勤務やテレワークの普及で頻繁に通勤しなくても良い人は、より広い家や豊かな住環境を求め、郊外・遠郊外の住宅地のニーズが復活するのかも知れない。職場の方も、在宅勤務やテレワークの普及により、都心のオフィス・スペースを削減し、場合によっては郊外にサテライト・オフィスを整備するのかも知れない。あるいは、郊外の拠点にコワーキング・スペースが増えるのかも知れない。いずれにせよ、「新しい日常」の中で自宅と職場との距離の取り方が変化し、結果的に、土地利用や建物用途が調整(fine-tuning)される可能性は高い。ただし、これまで長年に渡って整備してきた都市基盤施設(道路、鉄道、上下水道システム、公園など)はそう簡単には変わらないので、土地利用や建物用途の調整はあっても都市構造が大きく変化することはないだろう。

社会実験、都市・地区の持続的マネジメント

都市あるいは都市計画で検討すべき様々な距離=「アーバン・ディスタンス」には、少なくとも以上で説明したものがある。それぞれの距離がどうあるべきかの正解はなく、また、現代の都市計画でこれらの距離を直接的にコントロールすることは難しい。しかし、COVID-19パンデミックにより、人々の様々な距離の取り方は確実に変化した。

COVID-19感染拡大で問題となる公共空間の密度については、不特定多数の人間が使う建物の内部における感染防止対策を徹底すること、道路の車道の一部を歩行者・自転車・商業活動の空間に再配分すること、道路上のストリート・ファーニチュアを人間と人間との距離が適切に確保されるよう再配置すること、高密度な市街地の中にオープン・スペースを確保して風通しを良くすること等が求められる。これについては、タクティカル・アーバニズム[3]の手法などを参考にした数々の社会実験を通じて、限られた空間の中で創造的な空間的解決策が導かれることを期待している。その上で、公共空間の設計基準を見直す必要があるのではないか。

人々のライフスタイルや企業の考え方の変化に伴う土地利用・建物用途の調整については、その趨勢を理解し、環境・社会・経済の様々な視点から地区及び都市の持続性を評価しつつ、適切にマネジメントする必要がある[4]。都市の平面的な拡大を抑制して都市と自然環境の距離を確保した上で、都市構造を規定する既存の都市基盤のうち必要なものを更新し、必要なグリーン/スマート・インフラストラクチュア[5]は新たに整備し、都市内の土地利用や建物用途は変化に合わせて柔軟に調整するような都市・地区の持続的マネジメントが求められる。

参考文献

[1] トマス・ジーバーツ著,蓑原敬監訳:「間にある都市」の思想:拡散する生活域のデザイン,水曜社,2017

[2] Citizens Housing & Planning Council(CHPC): Density & COVID-19 in NYC, 2020 <https://chpcny.org/density-covid-19-nyc/>

[3] Mike Lydon and Anthony Garcia: Tactical Urbanism: Short-term Action for Long-term Change, Island Press, 2015

[4] 村山顕人:持続性とレジリエンシーから描く都市像─どのように都市像を描くべきか,都市計画345号,Vol.69,№4,pp.62–67,2020

[5] グリーンインフラ研究会・三菱UFJリサーチ&コンサルティング・日経コンストラクション編集:実践版!グリーンインフラ,日経BP社,2020

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村山顕人
建築討論

むらやま・あきと/都市計画研究者/博士(工学)/1977年生まれ。2004年東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻博士課程修了、東京大学国際都市再生研究センター特任研究員を経て、2006年10月より名古屋大学大学院環境学研究科都市環境学専攻助教授・准教授。2014年4月より東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻准教授。