アーロン・S・モーア著『「大東亜」を建設する:帝国日本の技術とイデオロギー』

総合の矛盾(評者:林憲吾)

林憲吾
建築討論
7 min readJun 1, 2020

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1945年8月、原子爆弾というきわめて高度な科学技術の産物により、日本の敗戦は決定的となった。だからこそというべきか、戦後日本は敗戦の要因を科学技術の遅れと定位し、迷うことなく科学技術立国を推し進めていった。アジアでいち早くアメリカと肩を並べる先進国となり、技術援助をとおして他のアジア諸国の発展に寄与する存在であろうとし続けてきた。一見するとこれは、非合理的で狂信的な軍国主義から、合理的で理性的な民主主義への転換に見える。しかし本書は、戦時期の日本を丹念に分析することで、その物語を否定する。欧米と比肩する日本という国の自意識を科学技術によってつくり(=テクノ・ナショナリズム)、遅れたアジアを科学技術で開発・発展させてアジアの盟主たらんとする(=テクノ帝国主義)ことの淵源は、むしろ1930年代からの戦時体制、とりわけ満州を中心とする東亜の建設にあることを本書は暴く。

アーロン・S・モーア著『「大東亜」を建設する──帝国日本の技術とイデオロギー』

1910年代から20年代にかけて日本の産業の中心は軽工業から重工業に移る。この過程で次第に存在感を増すのが科学技術だが、本書はさらに一歩進めて「総合技術」と「技術的想像力」だと指摘する。例えば、重工業には大量の電力を必要とする。新たな産業を興すには工場以外に電源開発、すなわち石炭に乏しい日本の場合は水力発電用のダム建設が必要となる。さらにダム建設は、市街地での洪水を防ぐ治水の役割(都市計画に関わる)や灌漑による農業生産性の向上(農村計画に関わる)といった複数の目的を持つ。したがって、分野横断的に複数の物事をつなぎ合わせて総合的に計画する方が全体の効率を高めることになる。こうした「総合技術」の考え方や、それを基に合理的で協調的な社会を構想しようとする「技術的想像力」がきわめて大きな力を持つようになる。そして、この力が大いに発揮されたのが満州や朝鮮、中国北部などの東亜の開発であり、その象徴が豊満ダムや水豊ダムなどの超巨大電源開発であったという。

では、なぜこのような総合技術に基づく合理的で計画的な社会構築が、大衆の動員や支配へと繋がったのだろうか。評者なりにその理由を要約すると、部分最適と全体最適の相克である。少し抽象的な言葉づかいではあるが、これはギャレット・ハーディンの有名な論文「共有地(コモンズ)の悲劇」を思い起こすとわかりやすい。それぞれの牧夫が自らの利益のみを追求して家畜を放牧すると、共有の牧草地が食い尽くされ荒廃し共倒れしてしまう、という現象だ。資本主義経済は、市場を介した個別の最適化行動が社会全体にも最適であるという観点に立脚している。だが、市場が整わない条件では、必ずしもそうならないことをハーディンの論文は物語っている。個別の合理的な判断の積み重ねが社会全体の最善とは限らない。この矛盾に直面したとき、人はどうなるか。頭をもたげてくるのは、社会全体を適切に計画・制御しようとする思考である。

本書が描きだす革新官僚による1930年代以降の統制経済への傾きとファシズムへの合流は、この矛盾から生まれたといってもいいだろう。当時、革新官僚たちは個別の利益を闇雲に追求する資本主義の弊害を問題視していた。それよりも国家全体で資源と生産を合理的に配分・調整することが社会の諸問題を解決すると信じていたのである。この信念を可能にしたのが、いくつもの目的が絡み合った複雑なシステムを一体的にデザインする「総合技術」であり、その実践をとおして新しい社会が生まれることを夢想する官僚や技術者、知識人たちの「技術的想像力」であった。つまりダムを建設するように国家全体を最適に計画することを夢見たのである。だが、それは、全体の理想を重視するあまり、個人の自由を容易に制限し、個人の不都合を無視する危険を孕む。この危険の現実化が、国家全体の目標に向けて大衆を動員する抑圧的なファシズムであったと理解できよう。

このような戦前の全体計画的な総合技術のアプローチは、冒頭で述べたように戦後もあっさり継続した。その典型が東南アジアの戦後賠償工事である。1940年代に中国との関係が悪化した日本が、大東亜共栄圏として東南アジアに資源を求めたように、戦後、中国が共産化したことで、日本は東南アジアとの関係を重視した。資源の乏しい日本では対外交易が繁栄の要であり、なかでも中国は長い歴史の中で常に重要な存在であり続けてきたが、その関係が弱体化したとき東南アジアに活路を見いだすこともまた歴史の常である。1950年代に東南アジア諸国と次々に締結した賠償協定を通じて日本は技術援助を開始したが、その代表格はダム開発であった。しかも、ビルマやインドネシアなどのダム開発を担ったのは、戦前、満州でダム開発を担っていた久保田豊らが率いる日本工営の面々であった。つまり、総合技術を軸にすれば、戦前の満州の地続きとして戦後の東南アジアはある。本書はこの連続性に鋭い批判の目を向けているが、そこに戦前同様の抑圧があったのか、あるいは反省があったのか、今後さらなる検証が必要である。

もちろん総合技術は、東南アジアだけではなく、日本国内でも色褪せることはなかった。本書も指摘するように田中角栄の列島改造論などの国土計画はその最たるものだし、都市計画でいえばマスタープラン主義がそうである。それら国家の計画が、個人の自由意志を調整・抑圧する汚職や談合の温床だったことも確かである。その意味で戦前戦後はやはり連続的である。

とはいえ、1980年代あたりから国家は新自由主義に流れはじめたし、近年の建築家たちのラディカルな取り組みも局所的な小さな実践に向かっている。システム全体の理想像を計画的に描くことは、社会主義体制の衰退やグローバル経済の拡大と軌を一にするかのように、あまり志向されなくなった。だが、個別の最適解の蓄積だけではうまく解けない問題については、全体的な思考が必ず要請される。例えば、現在では地球環境問題がその典型である。そう考えてみると、地球システムを工学的に制御するGEOエンジニアリングのような総合技術が存在感を増してきたのも、全体のエコロジカルな繋がりの中で個別の振る舞いを理解する生態学的思考に建築が注目するのも頷ける。この傾向は、単に環境問題への関心の高まりを表しているだけでなく、歴史の普遍的傾向を表しているともいえる。だとすると、その時、本書はこの傾向への警告にもなる。それは、合理的かつ総合的に全体の協調を生み出すはずの技術がときに抑圧をもたらす、という矛盾である。と同時に、本書はその矛盾を解くヒントも教える。それは、その技術が適用されるはずの現場への確かな眼差しである。

追記)本書の著者であるアーロン・S・モーアは2019年、自身の訳書の刊行を見ることのないまま急逝したという。戦前戦後の連続性を批判的に見つめるその分析は東南アジアなどでさらに深化していくはずだったことを思うと大変残念である。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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書誌
著者:アーロン・S・モーア
監訳:塚原東吾
書名:「大東亜」を建設する──帝国日本の技術とイデオロギー
出版社:人文書院
出版年月:2019年12月

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林憲吾
建築討論

はやし・けんご/1980年兵庫県生まれ。アジア建築・都市史。東京大学生産技術研究所准教授。博士(工学)。インドネシアを中心に近現代建築・都市史やメガシティ研究に従事。著書に『スプロール化するメガシティ』(共編著、東京大学出版会、2017)、『衝突と変奏のジャスティス』(共著、青弓社、2016)ほか