インタビュー|保坂健二朗 ── 模型は建築をいかに表象するか
話し手:保坂 健二朗(滋賀県立近代美術館ディレクター・館長)
聞き手:川勝 真一(建築作品小委員会)
1 建築(展)との出会い、キュレーターの不在
──── 本日は、東京国立近代美術館にて数々の建築展を企画され、今年の1月から滋賀県立近代美術館ディレクターに就任された保坂健二朗さんに、建築展において模型はどのように建築を表象しうるのか、またいかなる意味でそれが作品として展示されるのかについて伺っていきたいと思います。そもそも保坂さんは絵画をご専門とされていますが、建築に興味を持たれた経緯や、建築展を企画しようと思われたきっかけを教えていただけますか。
保坂|大学時代は西洋美術の研究室で、指導教授は前田富士男先生というパウル・クレーとゲーテの自然科学と色彩論の専門家でした。クレーがバウハウスで教えていた芸術家でもあったからでしょう、前田先生は総合芸術としての建築ということをよく強調しておられました。また、建築の基礎を分かっていないと造形美術全般はなかなか理解できないはずだというスタンスだったので、大学1年生の夏に1人で関西に行き、ひたすら安藤忠雄さんの建築を見て回りました。そこから今度は伊東豊雄さんを知ったりして……という感じです。それから当時の知人のお父さんに後藤伸一さんという建築家がいらして、その方が『建築文化』で受賞された現代建築に関するテキストを渡されて読んでみたのですが、これが全然わからない。けれど、がんばって何度も読むうちに、建築は、見るだけでなく語ること、つまり建築批評もおもしろいものだとわかりました。
──── 建築は芸術か否かという議論は、建築界の中では古くから存在しています。実用性を持った建物を芸術としてみなすことに、当時から疑問は持たれなかったのでしょうか。
保坂|最初に意識して見た建築が安藤忠雄さんだったので、建築が芸術だということについては、すんなり、そうだなと思いました。それと、今振り返ってみてよかったと思うのは、大学に入学して初めての海外旅行で、たまたまパリのポンピドゥーセンターで開催していたヘルツォーグ&ド・ムーロンの展覧会「Herzog et de Meuron Une exposition conçue par Rémy Zaugg」(1995)を観たことです。広い部屋に細長いテーブルがたくさん並んでいて、その上には図面しかなくて、模型はテーブルの面よりも低くなるように、つまりすごく低い台の上に置かれている。建築展かどうか以前に、展覧会なんだけどオブジェがほとんど見えないという変わった展覧会だったので強烈な印象として残っています。他にもセゾン美術館でバウハウス展(1995)やデ・スティル展(1997)を観たこともあり、美術館が建築の展覧会をやっているように、建築は当然芸術に含まれるものだと思っていたわけです。一方で、美術館に就職した後、東京ステーションギャラリーで見た安藤忠雄展(2003)や前川國男展(2005)は、作品を時系列に並べて紹介するようなもので、展覧会としてはクラシカルすぎると思いました。また、実行委員会なるものがあって、そこには大学の先生の名前が列挙されているけれども、いわゆるキュレーターが不在であることに疑問を感じていました。
────キュレーターが不在であるということが、展覧会にどのように影響していたとお考えでしょうか。
保坂|歴史研究的に作家を語ることはできるし、貴重な資料を集めたり見せたりすることはできるが、展覧会自体の方法論が充分に考えられていないということでしょうか。建築展は建物を持って来れない以上、何をもってして建築を見せるかが重要で、しかもその方法は無数にあります。写真、図面、模型、映像…それをいかに取捨選択し、組み合わせるかが重要ですが、日本のミュージアムで見られる建築展では、単にバランスよく資料が並んでいることに物足りなさを感じました。また、初期から晩年まで建築家のクリエイティビティがどう変遷したかということは、展覧会というフォーマットですべきことなのか、それはページを繰るという意味でリニアであることの制限のある本のほうがよいのではとも思いました。3次元の空間を使ってものを見せられる以上、しかも建築展ではその気になれば、新規で模型をつくったり写真を引き伸ばしたりするなど、ものの操作がいろいろできる以上、展覧会だからこその方法を追求した方がおもしろいことができるはずなんです。例えば、ベルリンの新国立美術館で開催されたOMAの展覧会「Content」(2003)、そしてほぼ同時期に開催されていたバーゼルのシャウラガーでのヘルツォーグ&ド・ムーロンの展覧会「HERZOG & DE MEURON. NO. 250. AN EXHIBITION」(2004)は、これまで観た建築展の中でも特に印象に残っています。どちらも圧倒的な物量で、自分たちの方法論をモックアップやサンプル、模型、写真、映像を織り交ぜて展示していました。会場構成もかっこよかったですし、自分たちの作品の展開を説明するという姿勢は全くなかったですね。
2 オリジナルはどこにあるか?
──── 建物について紹介するというよりも、建築家の方法論、思考そのものにフォーカスを当てることに展覧会の可能性を感じられたということでしょうか。
保坂|「深く知る」ための展覧会をキュレーションしたいといつも思っています。東京国立近代美術館で「建築がうまれるとき ペーター・メルクリと青木淳」(2008)の実施が決まったときに、内部で、建築展をやるなら美術館ならではの内容にするべきだという議論がありました。キュレーターがちゃんといる建築展でやるべきことは何か。直観として、個展ではなく、比べることのできる二人展のほうがおもしろいことができそうだと思い、以前他のグループ展に出品作家のひとりとして出てもらった青木さんをまずは念頭においてみました。その青木さんは模型をプロジェクト毎にたくさんつくっていて、それに対して誰を比較対象にしようかと思った時に、ドローイングをたくさん描いているメルクリが思い浮かんだんです。青木さんは、メルクリよりもヴァレリオ・オルジャティの方が自分との共通性があると思うと言われたのですが、キュレーターである僕としては、形式的な共通性よりも方法論としての相違性を軸に見せた方がむしろおもしろいだろうと思って、無理を言ってその二人展の形でお願いしたというわけです。
──── 青木さんの「手探りの流れ」を見せるためにあえて模型を一種類にしぼったとカタログで書かれています。出来上がった建築ではなく、その過程(方法)を見せようと思われたのは何故でしょうか。
保坂|実際に建っていて見ることができる建物については、実作を見た方がいい。だから、実作ができていないプロジェクトの模型はよいなと、当時は思いました。メルクリのドローイングもほとんどが特定の建物を念頭に置いていません。つまり、それらは何かの表象でない。まだ表象性が担保されておらず、ゆえにそれ自体がオリジナルであると考えられるかもしれない。美術館は基本的にオリジナル主義なので、オリジナル性が高いものであることは重要でした。メルクリのドローイングについては、全て本人が描いているのですごくオリジナルです。一方、青木さんの模型について言うと、一般的にそうであるように、事務所の主宰者である青木さん本人が模型をつくっているわけではありません。でもそれが建築業界の特性だとも言えるのでそれはOKということにして、青木さんには模型を時系列でグルーピングしてもらった上で、それぞれのグループ、つまりフェーズにおいて何を考えていたかを書いてもらいました。
──── オリジナルが何かという位置付けが建築と美術では少しずれているのかもしれませんね。建築にとってのオリジナルはできた建築そのもので、模型や写真はオリジナルの複製物や代理表象でしかない。これは模型が「雛形」と「写し」という二つの意味を持っていることに関係しているように思いました。つまり、模型は建物をつくっているときは実現すべき建築の雛形ですが、完成するとその建物こそが雛形として機能し、竣工模型や再現模型がその写しとして複製されます。と同時にそれまで「雛形」だったスタディ模型や図面も遡及的に建物の代理表象、「写し」と同じ地位へとスライドさせられてしまう。こうしたねじれは建築に特有なものかもしれませんね。
保坂|思考実験的に、建設された建物の方が「オリジナルではない」と言うことだってできるのではと思います。実際にその建物を建てているのは、建築家ではなく大工や施工会社なのですから。その建設の過程では、建築家がどうしてもコントロールできない状況が生まれたり、予算の都合上何かを諦めざるをえなかったりすることもあるはずです。つまりアイデアは建築家に帰属しているとして、そのオリジナルなアイデアに近い存在はいったい何なのか。建築家の倫理的な立場からすれば出来上がった建築だと考えるべきかもしれないけれど、アートに慣れ親しんだ立場としてはスタディ模型やスケッチの方が、建築家のアイデアや理念をより理解できるのではと思ってしまいます。
──── ルネッサンス期になると建築家が図面に署名を入れるようになったと聞いたことがあります。完成までに時間がかかるので、最後まで完成を見届けられないかもしれず、考えた通りのものが出来上がる可能性が低かったからです。だから、そもそもどういう建築を構想していたかを残すために図面があり、そこに署名を残した。つまり真に建築家の作品と言えるのはその図面ということになります。これは、建築家のオリジナルなアイデアが何に宿るかを考える上で示唆的です。
保坂|建築家のインタビューやテキストを読むと、自らが設計した建物について、竣工後ですら、否定や批判をするような発言をされているケースがあります。そうであれば、不満のある建物そのものの表象ではなく、建築家のアイデアがストレートに現れているもの、アイデアの表象を展示すべきではないかと考えることもできると思います。そもそもわたしは、作家の発想源をたどりたいと常々思っているのですが、その時、もし美術とは異なる建築的な思考があるとしたら、それを知りたいと思うわけです。建築家が何を考えているかを見せるという目的にとっては、スケッチやスタディ模型は適していると思いますが、となると極論すれば、実際の建物は、建築家個人の作品として語らないほうがよいとすら言えます。「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」(2018)をキュレーションしていて思ったことは、施主の存在の大きさです。建築は、特に住宅は、施主とのコラボレーションだとすら言ってもいい。プロセスの部分についての大半は建築家が作者であると考えられると思いますが、少なくとも建ったものは、そこで暮らしている人や維持している人も含めたより広い作者像を想定すべきです。
──── 建築がクライアントや大工も含めたコレクティブなプロジェクトだとすると、その一連の出来事や生産物をどうアーカイブするか、そして展覧会の中でドキュメンテーションとして提示するかの方が、素直に建築のことを語れるのではないかと思いました。
保坂|それは本当にそう思いますね。何度か建築展に取り組んでいるうちに建築の考え方に慣れてくると、「全部が図面でもいいし、なんなら全部複写でもいい」と考えるようになりました。重要なのは、図面や模型を通して何を見せるか、なのですから。「日本の家」ではそれは「系譜」でした。それ自体が抽象的なので、それを見せるというか伝えるためのフィルターとしての展示物がオリジナルかどうかはそこまで気にしなくなりました。その上で、「展示するのは建築家の手元にすでにあるもの」、つまり「できるだけ新規の制作は依頼しない」というルールを決め、その結果、模型は、ひとつの系譜のなかでも、スタディ模型もあれば竣工模型もある、白模型もあれば素材がコンセプチュアルに選ばれたものもあるということになりました。模型の形式がバラバラで比較はしにくかったかもしれませんが、結果的に会場に生まれた賑やかさはよかったのではないかと思っています。
3 解釈したのは誰か?
────「日本の家」では、清家清の《斉藤助教授の家》の1/1の部分模型も展示されていました。失われた建築の復元に向けた建築家や建築史家の解釈により強い作品性を感じ、はたしてこれは清家清の建築を展示したということになるのかと、不思議な感覚に襲われたのを覚えています。
保坂|模型をつくったことがある人は当然わかると思いますが、スケールを変えるためにはいろいろなものを削ぎ落とす必要があります。それは何を見せたいかで変わってくるわけで、つまりそこで重要なのは解釈なんだと思います。問題はその解釈を決めているのは誰かということです。建築展では建築家の没後に大学の研究室などが制作した竣工模型が展示されることがありますが、その際、設計した建築家の名前が当たり前のように作者として表記されます。でもそこには模型制作者の解釈が入っているはずなので、ダブルネームにすべきではないか、という議論はあってよいと思います。
「日本の家」で展示した《斉藤助教授の家》の1/1模型は、限られた資料をもとに建築史家の山﨑鯛介さんと建築家の能作文徳さんに再構成を試みてもらったものです。残されたカラー写真もわずかで、実際に使われていた素材や色がはっきりとはわからないので苦労しました。実測図もないので、柱の位置も確実にはわかりませんでした。また、予算上、同じ材料は使えないので、アルミニウムの部分は木に塗装に変えたりと、そこにも相当な解釈が入っています。そのため会場では、なぜこうなっているかを説明した長いテキストを配布しました。
保坂|スケール感がわかる1/1模型は、建築関係者以外の人に見てもらうのに効果的でした。けれど1/1模型というのは建築展としては禁じ手だという思いもまだ持っています。つまり、代理表象を通して建築を見せるというのが建築展の醍醐味であって、1/1模型をメインに据えてしまうと、スケールを変えるからこそ複数の建築を並列化できるという展覧会ならではの特徴が失われてしまうからです。1/1の模型だっていろいろそぎ落としているはずなのですが、ともすれば「本物」というように見えてしまうこともあり、またインパクトも強いので、そこにも入っているはずの「解釈」が不可視のものとなりがちです。そういう意味でも建築展のよさを放棄してしまうおそれがあるものだと思います。「日本の家」展では、それをつくる過程で資料調査と研究が進んだので、建築史に貢献できた実感はありますが、建築展の歴史というものを考えてみた際には、必ずしも無条件で喜べるわけではありません。
────ところで、世界でも有数の建築コレクションを持つCCA(カナダ建築センター)のキュレーターは、建築家の設計プロセスをドキュメントすることを重視し、最終的なプレゼンテーション模型より、建築事務所内で作成されたスタディ模型を収集していると述べています。アーカイブとの関係や、スタディ模型の作品性はどう考えればよいでしょうか。
保坂|スタディ模型はおもしろいと思いますが、それを建築の代理表象だと建築家が認めるかというと認めない可能性もあるのではないでしょうか。スタディ模型そのものとしてアーカイブするならいいが、それはあくまでもプロセスを照合するためのオブジェクトであって、完成した建物を代理表象するものではないと考えられますね。その意味ではあくまでアーカイブ的な資料なのですが、でも代理表象という機能から自由であるために、ユニークピースに近づく、つまりオリジナル性を帯びるという点で、作品的です。一方、代理表象としての竣工模型は、その精度を高めるほど、つまり実際の建物に近づけようとすればするほど、ユニーク性が失われていくという点で、価値は下がってしまうとすら言えます。逆に、極端な解釈に基づくコンセプト模型のような場合は、模型そのものの価値は高まるかもしれないけれど、それはもはや解釈して模型をつくった人の作品だと言うこともできてしまいます。解釈した人と建築家が同じであればいいけれど、違う場合はどうするのか。メディアによく紹介される有名な模型には、それをつくった伝説的な模型制作者がいることだってあります。そうなるとその模型は建築家の作品であるよりも、その模型を制作した人の作品だと言えないでしょうか。今は建築家の作品として流通していても、数百年後にはその模型制作者の名前が浮かび上がっている可能性もあるわけです。このような複雑な関係は、美術館で建築模型をコレクションしようとすることを難しくします。建築博物館や建築センターといった建築をメインにした組織であればこのような問題はないと思いますが…
4 建築展の独自性と可能性
──── 2010年に企画された展覧会「建築はどこにあるの」では、1/1模型ではない方法での建築体験をめざし、インスタレーションというテーマを選ばれています。アトリエ・ワンはテンポラリーな建築物を前庭につくることで、代理表象ではない建築体験を生み出していました。一方で、いく人かの展示には模型が用いられていました。
保坂|美術作品におけるインスタレーションというのは、3次元空間において身体的な感覚をもたらすものだと思っていますが、それを建築家が考えると何ができるんだろうというのが展覧会を企画するきっかけでした。
鈴木了二さんの《DUB HOUSE》は、当時設計していた住宅を出発点にしているのですが、X・Y・Z軸それぞれの方向に自由に縮尺を変えつつ、それでも変わらないものがあるとすればそれこそが建築の本質だという仮説に基づくインスタレーションだと言えると思います。それは結果として、ある建物の代理表象という機能から離脱し、模型それ自体が鈴木さんの仮説を、あるいは鈴木さんの考える理想的な空間を体現するものになっていました。
菊地宏さんの《ある部屋の一日》は、彼が考えたい光の関係をつくりだすための縮尺模型をまずつくり、それを1/1のサイズの、壁と床だけからなる模型に拡大するという作品でした。模型がまず先にあるので、1/1のほうは極めて張りぼて的になっています。最初の模型のほうが1/1で、それを拡大した模型があると言ったほうがよいかもしれません。そして、そのふたつの間に、建築家が考えている、光に満たされた空間がある。菊地さんのインスタレーションは、建築家が模型を見ながら本当は考えたいかもしれない理念的な空間や時間を浮かびあがらせる美しいもので、その意味では、建築家の思考を再現する装置だったと言えるかもしれません。
最後までその意味がなにかを悩んだのは中山英之さんの作品で、実現を前提としていた建物の1/3の縮尺模型だったので、単純な模型としか呼べないのではないか、オリジナルのインスタレーションにはならないのではないかと危惧しました。展示の時点でその建物は実現しないということはすでに決定していたので、その点では代理表象すべきオリジナルが実空間にはない模型という意味でのオリジナリティは獲得していましたが、最終的には実空間では大事であったはずの地形が、美術館の展示室の床に置きかえられることで消去されて、その結果、抽象化された空間に置かれたふたつの模型の間の距離が、物理的な距離というよりは抽象化された距離として浮かびあがってくるような不思議な空間になっていたと思います。
一番最後の部屋が伊東豊雄さんの《うちのうちのうち》で、実際のプロジェクトの1/2模型と、その中に過去の作品の抽象化された模型が展示されました。模型の展示にはしないでくださいと依頼したのに困ったな、と最初は思ったんですが(笑)。でも最終的には、建築家にとって世に問うべきは、実際にできた建築、あるいは実際にできうる建築であるべきという信念があったからの選択だったと思っています。つまり代理表象機能のない純粋なインスタレーションは建築家の仕事ではないという思いが、伊東さんにはあったんでしょう。
──── できたものこそを世に問うべきだという姿勢は理解できますね。建築展では通常の建築と異なる表現によって建築的な思考や想像力を浮かび上がらせることができるはずが、インスタレーションというテーマにおいてもなお模型が用いられたことからは、模型が建築家の思考方法といかに密接に結びついているかが伺い知れますね。
保坂|伊東さんも昔は《東京遊牧少女の包》(1985)のようにインスタレーションと呼びうるような作品を発表されていますが、それとて、建築家の感性や感覚を表現するものではなく、「生活」を見せようとしたものでした。最近はこの「生活」というのが、建築展を企画する際には大事だと思うようになりました。というのも、一昔前ならエルヴィン・ヘーリッヒ、近年ならトーマス・シュッテのようなアーティストが、生活を排除した抽象的な空間を1/1のサイズと言える模型としてつくっています。今「模型」と言いましたが、それはオリジナルなき模型であり、実際にはスケールも不明なので、ゆえに彫刻だとも言えるものです。その際たるものが、ドイツのインゼル・ホンブロイヒ美術館にある一連のパヴィリオンだと思います。彫刻家のヘーリッヒによる展示パヴィリオンは、照明がなかったり、出入り口の建具がなかったりするので、その空間には建築的なディテールがなく、その意味で、拡大した彫刻のように見えます。それは素人が思い描く「建築家が理想とするピュアな空間」のイメージに近いのではないでしょうか。
このように人が入ることのできる抽象性の高い空間をアーティストがつくるようになると、逆照射的に建築家が考えていることの特異性が見えてきます。つまり、建築家は意外と、と言うか当然ながら、人がいるための空間を思い描いているので、そこまでピュアな空間は考えられていないというか、考えることを禁じているのではないか。どうしたって素材は単一にはならないし、実際には設備も必要になります。むしろ、この現実が生み出すノイズをその空間に取り込もうとさえしている。一種のノイズを含んだ存在として建築が存在しているのであれば、模型はそのノイズを排除してよいのだろうか。ノイズを排除した抽象性の高い模型に、模型として果たして意味があるのかと最近は感じています。
「日本の家」でもいろいろなタイプの模型を展示しましたが、石山修武さんの《世田谷村》の模型と、吉阪隆正さんの《自邸》の模型は特に印象に残っています。《世田谷村》は共生する植物や動物も含めて表現してあって石山さんの夢みたいなものが立ち現れていました。吉阪さんの《自邸》も竣工後の建物と比べるといろいろ違いはあるんですが、素材をリアルにつくろうとするあまりにいろいろ歪みが生じていて、そうしたノイズが大きいことで、むしろそこでの生活をリアルに想像できるものとして模型が存在していた。少なくとも展覧会を企画する側からすると、アーティストが抽象度の高い身体スケールの空間を作品化しているときに、建築家の抽象的な模型を展示することは、建築展の歴史なるものを考えた時にはあまりしないほうがよいのかなと思います。
──── 模型の目的はさまざまです。展示では空間構成や造形的な特徴を表現するために用いられることが多いですが、むしろ理想とのズレや、不純さに向き合っていることが、他の芸術との差異ということですね。
保坂|そうですね。最近では、そうしたズレを持つ模型とは別に、部分の模型というものにも興味があります。1966年に銀座の松屋デパートで開催された「空間から環境へ」という展覧会で、磯崎新さんは福岡相互銀行の天井にある照明の部分模型を展示していますが、それはまるで彫刻のようです。これはここまで話してきた全体を縮小することで空間の構成を把握しようとするような模型ではなく、部分が全体を表すことができることを証明しようとするかのような模型です。実際の建築においても、部分と全体の関係はとても重要ですが、小さなサイズの模型から大きなものを想像する想像力と、部分を見て全体を想像する想像力は、どこまで同じでどこから違うのかが、磯崎さんのその模型を見ていると気になってくるわけです。近代以前には柱頭の模型をつくると、オーダーがあるのでそこから大体の全体像を想像できたわけですが、そういう模型のあり方はおもしろいと思います。ロンドンのサー・ジョン・ソーンズ美術館がよい例です。柱頭がたくさんあることで、想像力を羽ばたかせることができる。でもそこはいかにもロンドン的な決して広くはない空間で、そのギャップがまたおもしろい。また、模型とは違うかもしれないけれど、考古学では土器の破片を見て土器の全体を想像、推測して「複製」をつくるわけですね。それと同じことが建築でもできるかもしれません。
──── その可能性はおもしろいです。お話を聞いていて、重要なのは模型とそれが表象しようとしている建築との「距離」ではないかと思いました。実際の建築がない方がオリジナル性が高まるというのは、その距離が十分に離れているからだと思います。多木浩二さんは「再現の度合いが高まるにつれて、人工的な世界がいっそう強く現れる」とリアルさを追求した竣工模型のことを表されていますが、これは距離が近すぎると言うことです。それに対して部分模型というのは、両者の間に絶妙な距離感を生み出すような気がします。最後に、これからの建築展の可能性についてお聞かせいただけますか。
保坂|すでに存在する、美術館での展覧会というシステムの中で考えようとすると、建築の作家性やオリジナル性、表象の問題は複雑すぎますね。ただ、そのこと自体をおもしろく捉え、建築がおもしろい世界だということを展覧会として見せるのは大事だと思います。自戒を込めて言えば、国内の建築展はなぜか建物ベースになりがちです。もっとテーマを都市に広げたり、農業とか土地利用などに言及したりするような建築展に取り組んでいかないと、先細りになるのではと危惧しています。
──── 確かに建築家や建物を紹介するという趣旨の展覧会が多いですね。海外では展覧会によって建築の置かれている背景を拡張することで、建築のコンテクストを更新し、既存の建築が持っていた意味や価値を変化させるようなものがあります。テーマが必ずしも建築の中に閉じておらず、社会的なものや、政治的なものに開かれている印象があります。
保坂|ヴェネチア建築ビエンナーレの各パヴィリオンでの展示を見ればわかるように、難民問題や環境問題なども、リサーチをベースにして、インフォグラフィックスをきちんとすれば、ふつうに扱えるところが建築展のよいところではないでしょうか。そうなると模型のオリジナリティ云々という話ではすでにないですね。そういう意味でも、建築展の可能性は美術展とは別のところにあるはずだと考えています。
保坂健二朗
滋賀県立近代美術館ディレクター(館長)
1976年生まれ。2000年慶應義塾大学大学院哲学専攻修士課程修了(美学美術史学分野)。2000年から2020年まで東京国立近代美術館に勤務。同館にて企画した主な展覧会に「エモーショナル・ドローイング」(2008)、「建築が生まれるとき ペーター・メルクリと青木淳」(2008)、「建築はどこにあるの? 7つのインスタレーション」(2010)、「ヴァレリオ・オルジャティ」(2011)、「フランシス・ベーコン展」(2013)、「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」(2016)、「日本の家 1945年以降の建築と暮らし」(2017)、「隈研吾展 新しい公共性をつくるためのネコの5原則」(2021)など。「Logical Emotion:Contemporary Art from Japan」(2014、ハウス・コンストルクティヴ美術館他)など国外での企画も行う。2021年より現職。主な著作に『アール・ブリュットアート 日本』(監修、平凡社、2013)など。『すばる』の連載など、芸術についての寄稿多数。