インタビュー|長谷川健太 ── 2010年代以降の建築写真と建築作品

INTERVIEW | Kenta Hasegawa ── Architectural photography and architectural works since 2010s | 049 | 202011 | 特集:長谷川健太 ── 現代建築写真のケーススタディ

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話し手|長谷川健太(写真家)
ゲスト|田中渉(日建設計。成田空港第3ターミナル設計担当)
聞き手|岩元真明、和田隆介、伊藤孝仁、川井操、辻琢磨、水谷晃啓(建築作品小委員会)
編集|中村睦美

日時:2020年9月30日@ZOOM

「決めの構図」からの脱却

岩元真明|建築作品小委員会では、建築作品を実際に見学し、生の体験に基づいて批評を展開することを原則としてきました。しかし、COVID-19の状況下で実際の建築を見に行くことが難しくなりました。そこで、今回は写真家を作家として捉え、建築写真を作品として捉えて、議論を進めたいと思います。

建築写真を取り巻く状況は目まぐるしく変化しています。デジタル写真はすでに一般化しており、ドローンによる写真撮影や動画、VRを用いることも増えてきました。建築作品を発表する媒体も、雑誌や本だけではなく、ウェブメディアが重要性を増しました。長谷川健太さんはまさにウェブでも大活躍されている写真家で、その写真は『アーキテクチャーフォト』などのウェブメディアを日々賑わせています。こうしたデジタル時代の建築写真家である長谷川さんの作品をケーススタディとして、現代における建築写真をめぐる状況について考え、建築作品のあり方についても議論できればと思います。本座談会には、写真家の長谷川健太さんと、日建設計に所属する建築家の田中渉さんをお招きしています。まず、長谷川さんご自身から、写真家としての生い立ちや、ご自身の代表作、あるいは出世作だと思われる写真について、お話をお聞かせください。

長谷川健太|今日はよろしくお願いします。僕は大学卒業後、白鳥美雄さんと淺川敏さんが主宰する写真事務所ZOOMに入所しました。2010年に独立し、その数年後の2011年に403architecture [dajiba]が企画し、RADと建築同人雑誌「ねもは」をゲストに招いたトークイベント「建築をつくらない人による建築的なこと、建築家による建築ではないこと」に参加し、そこで403architecture [dajiba]と出会いました。その翌年に彼らの作品の写真をまとめて撮る機会があり、403architecture [dajiba]が世間に名を馳せていったので僕の写真も徐々に外に出ることが増えました。これが、僕にとって写真家としての大きなターニングポイントでした。その後スキーマ建築計画の作品を撮らせてもらう機会をいただいたりと、徐々に仕事が広がっていきました。

長谷川健太・撮影「渥美の床」(設計:403architecture [dajiba], 2011年竣工)

2015年に撮影した日建設計による《成田空港第3ターミナル》は、建築写真としては僕の代表作と言えるかもしれません。最初は、プロジェクトのコミュニケーション・デザインを担当していたPARTYの伊藤直樹さんとお話しさせていただき撮影することになりました。さまざまな要素で構成されていて、バシッとひとつの形がある建築ではないので、「決めの構図」が難しいかもしれない、というお話しでした。そこで伊藤さんから「ドイツの写真家トーマス・デマンド的な、日常の風景が違和感を持って切り取られたような写真はどうでしょう?」とご意見いただき、トーマス・デマンドは僕も好きな写真家なので、なんとか頑張りたいと撮影に臨みました。そのような切り口で撮り始めてみるとたいへん面白い建築で、あれよあれよと良い写真が撮れました。《成田空港第3ターミナル》単体のウェブサイト(http://terminal3.jp/)も制作していただき、盛り上げて発表していただきました。

田中渉|《成田空港第3ターミナル》の設計を担当しました、日建設計の田中渉です。先ほど長谷川さんがおっしゃったように《成田空港第3ターミナル》は写真に収めにくい建築だと思っていたので、まずは映像で記録をすることになりました。その監督の村井智さんに長谷川さんを紹介していただいたのがきっかけでしたよね。そもそも空港は小さなシステムの集積です。空港会社の他にも経産省・法務省・厚労省・農水省といった行政機関やエアラインなど、いろいろな組織の集合体であって「ひとつの建築」ではないのです。それでも20世紀の空港は、巨大なロビー空間を設計したりすることで、「ひとつの建築」としての演出をしてきました。ところが、《成田空港第3ターミナル》ではLCC(ローコストキャリア)専用であるがゆえに、経済合理性の徹底的な追求が求められた。結果として、演出によって成立していた全体性が解体されてエレメントに戻ったと言えます。

長谷川健太・撮影「成田空港第3ターミナル」(設計:日建設計, 2015年竣工)

和田隆介|《成田空港第3ターミナル》の写真を改めて拝見しましたが、とても興味深かったです。田中さんのおっしゃる通り、全体性が剥ぎ取られて部分の集積となっている。大きな建築なのでカット数も多いですね。一枚一枚の写真はどこか構成的なグラフィックデザインのようです。たくさんの写真を次々に見ていくと、サインと建物のエレメントが一体となったグラフィック群として認識できる。長谷川さんは写真を撮るとき、グラフィカルに見えるような構成を意識されているのでしょうか?

長谷川|そうですね。もともと建築写真は3次元で構成された空間を、2次元に落とし込むものなので、2次元的なものとしてのグラフィカルな切り取り方は意識しています。

和田|グラフィカルにも見えるけれど、一方で物のテクスチャーも強く感じられます。モノトーンの金属の素材感と色味のあるサインで構成された画面が印象的です。1920年代後半にドイツで流行した新即物主義の写真は、工業製品や植物といったありふれたものを機械の眼であるカメラのレンズで客観的かつ精密に捉え直すことで、物それ自体がもっていた抽象的な形態が逆に浮かび上がってくるというものでした。精緻な質感描写とグラフィカルな構成という点で、長谷川さんの写真はどこか新即物主義的な側面もあるように感じるのですが、いかがでしょうか。

長谷川|なるほど、新即物主義と言われると、たしかにそうかもしれないです。建築写真はかつて「シノゴ」と呼ばれる、4×5インチの大判フィルムを使用するカメラで撮影されていました。カメラの歴史において、65mmや75mmの広角レンズが台頭したのは1970年代くらいからだと思うのですが、広角レンズが普及する以前は建築全体を1枚の写真に収めることは至難の技でした。とくに狭いインテリア空間は全体を捉えるのが困難なので、空間を切り取って撮影して全体を表現するしかないかったのだと思います。今は広角レンズも普及して、1枚の写真に建築全体を収めることは容易ですが、僕は広角が普及していない時代のような、空間の切り取りを今もやっているのだと思います。その「切り取り」は、熱を入れて寄っていく感じではなく冷めたトーンでの「切り取り」なので、抽象性を生み、グラフィカルに見えているのではないでしょうか。

水谷晃啓|長谷川さんのポートフォリオを拝見すると、初期はシノゴで撮っておられましたよね。

長谷川|そうですね。学生時代からZOOM在籍中まで、ずっとシノゴは使っていました。独立したときには竣工写真や雑誌の取材などでシノゴで撮影する感じではなくなっていました。デジタルカメラの普及でフィルム撮影の際の感材費が捻出しにくくなったのが原因かと思います。2009年にはキャノンの17mmの超広角シフトレンズが台頭して建築写真をめぐる状況も大きく変わったと記憶しています。

水谷|建築写真においてシノゴの良さ、デジタルの良さはそれぞれあると思います。修行時代にシノゴで培った「建築を見る目」がデジタルにおいて変化したなど、移行に際して撮り方が変化したというようなことはあるのでしょうか。

長谷川|シノゴはレンズ面とフィルム面をシフトさせる自由度が高いので、35mmのデジタル一眼レフカメラではシノゴで培った技術が発揮できないところもあります。しかしデジタルによって撮影枚数が劇的に増えました。シノゴは現像に手間もお金もかかるので、今みたいにたくさんシャッターを切ることはできなかった。僕は、その時代に最適な撮り方を追求したいという思いもあります。写真はカメラの技術的発達や発表するメディアの変化など、時代に影響されるところが非常に大きいです。モノクロフィルムの時代からカラー写真が安価で扱えるようになって、ルイス・バラガンなどの鮮やかな色彩の建築が雑誌を通して全世界でも評価されるようになったという事もあると思います。シノゴでは、より少ない枚数でより良い写真を収めることが王道でしたが、デジタルカメラでは100枚を撮ることも容易です。写真を発表できる場所も増えていますし、SNSをよく利用する建築家にとっては写真にたくさんのバリエーションがあった方が良いでしょう。

全体性の解体、部分の集積

長谷川|先ほど田中さんが《成田空港第3ターミナル》は全体性が解体され、エレメントに戻った建築だと言っていましたが、そうした建築の設計手法と僕の写真の「切り取り」は似ているのかもしれません。403architecture [dajiba]の建築作品も「富塚の天井」「海老塚の段差」「渥美の床」など、作品名に建築の「部分」が入っている。つまり、全体性の表現を避けたエレメント的な設計手法をとっているのではないでしょうか。僕はそうした作品をさらに抽象的に撮り、その一つひとつの成り立ちを見せていると言うか、部分を通して遊びを与えている、と言うのか。2010年代以降の建築のあり方と関係しているのかな、と思います。

岩元|なるほど、面白いですね。403architecture [dajiba] やスキーマ建築計画による建築と《成田空港第3ターミナル》には、外見がはっきりとしたものをつくるのではなく、リノベーション的、あるいはインテリア的という共通点があるかもしれません。長谷川さんの写真からそうした印象を受けているのかもしれませんが……。1枚の写真で「全体」を表現するのではなく、エレメントや断片を切り取ってゆくリノベーション的感性があるように思います。このような写真のスタイルは、独立当初からお持ちだったのでしょうか。

長谷川|僕は大学時代に建築を専門に学んだわけではありませんが、当時から建築を見にいくのが好きで趣味として建築写真を撮っていました。複雑に絡み合いながら社会に転がっている多様な問題を写真で切り取って表現したいと考えており、建築写真でもそれが表現できれば面白いだろうと思っていました。これは、白鳥さんと淺川さんの元で学んでいたときにも持ち続けていたテーマです。独立して403architectureの建築作品に出会い、リノベーション的感性をもって、さまざまな問題系を部分で解く彼らのスタイルが、僕の抱いていた写真のテーマと良いかたちでフィットしたわけです。

辻琢磨|長谷川さんが冒頭でおっしゃっていたように、浜松でのイベントの懇親会で長谷川さんと話す機会がありました。僕らは当時独立の準備の最中でまだ作品という作品はつくっていない時期でした。それ以前に、ウェブサイトで長谷川さんのポートフォリオを拝見していたのですが、「代々木競技場」など著名な建築作品を独自の構図で撮影されていたり、都市の風景を抽象的に切り取って表現されていたりと、いわゆるパースが効いたものではない写真の持つ魅力に惹かれながら眺めていました。この作風で僕らのプロジェクトを撮ってもらったらどうなるのだろうと、期待感がすごく芽生えた。当時は僕らの作家性すらもはっきりしていなかったのですが、結果的に長谷川さんの写真がフィットしたと僕も感じています。最初に撮っていただいたのが《渥美の床》(2011)でしたが、竣工写真を見て驚きました。そもそも僕らのプロジェクトが「成立」する過程には、いくつもの思考のジャンプがあって、それは例えばこの床であれば、最後仕上げのヤスリをかけた瞬間、プロジェクトの名前が浮かんだ瞬間、そして長谷川さんの写真を見た瞬間、これらの発見が積み重なり、想像を遥かに超えて世に出せるモノになったという実感がありました。床というスケールを超えて世に問えるという強度を写真から感じたんです。こうした一連のジャンプは設計段階に予期していたものではありませんから、長谷川さんの写真と連動して事後的に僕らの建築のイメージが生成されていったように感じています。

長谷川健太・撮影「代々木競技場」(設計:丹下健三, 1964年竣工)

岩元|事後的にイメージが生成されていくというのは面白いですね。写真を見てから作品名を考えたり、また写真から刺激を受けて作品のイメージが生成されるということですね。写真によって、この作品とは一体何者なのか、徐々に見えてくる。一方で、写真から事後的に刺激を受けた作品解釈が、実空間の体験と一致しているのか、という点も気になります。さきほど「新即物主義」というキーワードが挙がりましたが、哲学者のヴァルター・ベンヤミンは『複製技術時代の芸術』(晶文社、1996/原著=1936)のなかで、被写体を無差別に美化させ「アウラ」を捏造するものとして新即物主義の写真を批判しています。端的にいえば、世界を実物以上に美しく見せてしまうのではないかという批判だと思います。たとえば《成田空港第3ターミナル》の写真では無印良品のソファやグレーの床がとてもかっこよく見える。しかし実際に空港を訪れた人々は、写真のような見方でその空間を体験できるのだろうか、といった疑問も感じます。田中さんも《成田空港第3ターミナル》の写真から事後的に生成されたイメージはありましたか?

田中|出来上がった写真を見て、良い意味で当初イメージしていた建築とは別物だなと感じました。僕たちは陸上トラックや設備チューブといった仕掛けで、ひとつながりの空間を作り上げて全体性を獲得したいと思っていました。しかし、長谷川さんが撮った100枚ほどの写真から立ち上がってきたのは、当初イメージしていたものとは違う総体で、そのことを素直に面白いと感じました。ベンヤミンによる写真批判もその主張はよくわかりますし、実際に訪れた人は写真とは違う印象を持つでしょうね。一方で、建築写真というものが、設計者の意図を説明する情報なのか、それとも長谷川さんが紡ぎ出す物語なのかと考えたとき、後者として捉えられてもいいのではないかと考えるようになりました。結果的に長谷川さんのグラフィカルな捉え方のほうが一般の方には受け入れやすかったのではないかと思います。雑誌『コマーシャル・フォト』の2015年7月号に《成田空港第3ターミナル》についてコラムを書いていただきましたが、建築の内容より写真の構図をクリティークしている文章だったのが印象的でした。

辻|今の田中さんのお話はよくわかります。例えば、浜松を訪れ1日で我々の10個のプロジェクトを実際に見て得る印象、建築写真1枚1枚を見たときの印象、建築や浜松で起こっていることについて書かれたテキストを読んだ印象。結果的に同じ対象をインプットしていても、媒体によって受ける印象は微妙に違えていると思います。実物をその場で見ればもっとも多くの情報量を享受できるように思えますが、それでその建築の全部が理解される、という話でもない。実物のアウラが最も尊く、写真や図面、テキストはその代理表象であるという情報の優劣を少なくとも僕は持ち合わせていません。一つの媒体に収斂されないような建築を目指したいと考えていますし、同時に、長谷川さんの写真は写真だからこそ表現できるプロジェクトの側面をいつも切り取ってくれていると感じています。

1枚の写真にはひとつの意味を

岩元|長谷川さんは、写真撮影時にどのような工夫をされていますか。

長谷川|そうですね、一応、僕のなかではあらかじめどのように撮るかをイメージしています。しかし、いざ撮影を迎えると、その場で建築家にかなり細かい話まで、素朴に聞いてしまう。「なぜこの部分はこのように納めているのか?これは意図しているのか?」と、うるさいぐらいに聞いてしまいます(笑)。話しながら撮るのはとても楽しい作業で、建築家が何を表現したかったのかが見えてくる。僕が撮りたいと感じたところも、建築家の作家的な視点も、両方写真に残したいので、なるべく聞きながら撮るように意識しています。その上で、ちょっとした家具の位置やカメラを据える位置で構成が決まってしまうので、見せたいものを表明しやすい環境を逐一整えるようにしています。恥ずかしながら完璧な絵が頭の中にあるわけではなく、建築の空間に頼っているんですね。そうすると、建築家にとっても今まで設計や現場監理でバタバタ動き回っていて見えていなかったイメージが見えてくると思うのですが、どうでしょう?

辻|おっしゃる通りで、長谷川さんと話しながら撮影に臨むと、プロジェクトの射程が浮き出てくるんですよね。初めて客観的に引いて見る機会になります。

和田|撮影する段階で作品のイメージが完成しているのではなく、写真家とコミュニケーションを取ることで、当初は思い描いていなかったコンセプトが見えてくる。そうしたある種の共犯関係が長谷川さんと建築家との間には見えてきますね。一方で、やはり建築写真には説明性が求められるという側面も強いかと思います。長谷川さんの写真が持つ抽象性と、そうした写真の説明性についてはどのようにお考えでしょうか。

長谷川|「1枚の写真」で多くを説明することについては、やや諦めているところがあります。と言うのも、僕は近年のウェブ媒体をポジティブに捉えていて、その上でウェブの特性を活かした写真の撮り方も心がけているからです。紙面が限られている雑誌だと、やはり1枚でなるべく多くの情報を入れた写真が必要になります。そうした制約が、名作と言われるようなアイコニックな建築写真を生み、歴史的な産物となってきたわけです。一方、ウェブでは何枚でも写真を載せることができる。そこには雑誌とはまた別の、新しい可能性があると思います。403architectureは僕が渡した写真をFacebookにほとんど全部アップしていますよね。60枚以上もあり、改めてすごい量だと思います(笑)。1枚の写真に多数の見え方を求めるのではなく、1枚の写真では「この部分だけを見せる」と意識し、あとは構図に集中して撮るようにしています。

岩元|1枚の写真にひとつの意味。これはとても面白く示唆的ですね。「決めの1枚」をめざす建築写真とは対照的だと思います。建築家との対話を重視し、1枚の写真にひとつの意味を見出すというスタイルには、長谷川さんの師匠の白鳥さんや淺川さんからの影響があるのでしょうか。

長谷川|今思えば、僕の師匠は2人とも「1枚の写真に多数の情報を収めたい」と考えていなかった気がします。例えば淺川さんは空間を撮影する際に、テーブルの天板の高さにレンズを合わせるように、ポジションを下げて撮っていたことがあります。できた写真を見ると、テーブルが線状に表れきれいな構図にはなるけれど、奥行きがどうなっているのか、またその天板の素材は何かといった情報は伝わらない。ここまで情報を捨象・整理して撮ることに驚き、こういう方法もアリなのか、と学びました。淺川さんは1回の撮影で数多くの写真を撮られていました。みなさんに逆に質問したいのですが、大量の写真が納品されて困ることはあるのでしょうか。

和田|かつて建築専門雑誌の編集をしていた経験からすると、紙媒体では写真のカット数が多いことは良しとされない傾向はたしかにあるように思います。やはり誌面には限りがあり、扱える写真の点数も限られるので、効率的にその建物を説明するためには情報量のある写真が的確に揃っている方がありがたい。とは言え、現代は紙媒体が唯一の発表の場ではないので、紙という制約下でどう構成するのかではなく、長谷川さんのような考え方のほうが現代的で面白いと思います。

長谷川|SNSが広く普及している現代において、写真のバリエーションはたくさんあったほうがいいと思っています。引いた構図、寄った構図、ひとつの意味だけを入れた複数の写真。これらのバランスで成り立たせる方法ですね。みなさんとの議論のなかで見えてきたことですが、「ここから建築を撮れ」と訴えかけてくるような建築は少なくなってきているのではないでしょうか。中心性や1点からの視点が強く意識されるのではなく、その中で起こっていることが重要視されているのかもしれません。例えば夏至の正午に、コンクリートの壁のある部分に光が落ちる、その一瞬を収めるといった美学が写真にはあります。もちろん僕もそうした瞬間を狙いたいと思いますが、たくさんシャッターを切り、こっちも美しいしあっちも美しい……といった感覚も必要だと思っています。

長谷川健太・撮影「ブルーボトルコーヒー三軒茶屋カフェ」(設計:長坂常 / スキーマ建築計画, 2017年竣工)

建築写真を通してみる、建築の現在形

田中|403architecture [dajiba]と長谷川さんのタッグはある美学を提示していますよね。ウェブでの発表も多いのでその美学が広く拡散され、二次創作的に模倣する人も出てくるだろうと思います。やがてその美学が溢れて凡庸化するのではないかと考えてしまうのですが、いかがでしょうか。

長谷川|その心配はあまりないですね。僕が一緒に仕事をしている建築家はどんどん次のフェーズを切り拓いている。むしろ、僕がそうした建築家の作品をうまく捉えきれていないのではないかと悩むことがあります。例えばスキーマ建築計画による酒屋倉庫をリノベーションした角打ち居酒屋《桑原商店》(2018)では、5日ほどかけて撮影に臨みましたが、何をどう撮るべきか本当にわからなかった。最終的にお店の人の笑顔を撮ったりしていました。長坂常さんはその写真もスキーマのウェブサイトに載せてくださったのですが。

和田|長谷川さんが建築写真を撮り始めた2010年前後から、さらに建築の状況が変わってきているということでしょうか。それこそが、建築の現在形なのでは、と思います。

長谷川|2010年代にはまだ「竣工時」という切断面があったと言えるのかもしれません。そこからどう変わったか、はっきりとは言えないのですが……。いまは、時間が経つことで完成される建築や、その空間で起こることから全体が見えてくる建築など、竣工時に写真が撮れない作品が多いのです。それならばと撮影に日数をかけて何枚も撮るのですが、撮っても撮ってもわからない。しかし、これは試されているようで面白い。もしかすると一般の方がスマートフォンで撮った写真をインスタグラムにアップしハッシュタグで集まった写真の集合から、その建築が見えてくるといった可能性もあるのかもしれません。そうした時代だからこそ、僕ができることは何だろうかとつねに考えています。

長谷川健太・撮影「桑原商店」(設計:長坂常 / スキーマ建築計画, 2018年竣工)

岩元──冒頭で申し上げたように、動画や3Dスキャニングを用いて、1点のメディアに空間を集約して収めることも可能だと思います。それに対して、写真という媒体の可能性についてどのようにお考えでしょうか。

長谷川──そうしたデジタル技術を勉強しないといけないなとは思います。ただ今の時点では、iPhoneの上で3Dスキャニングされた情報を見ることにあまり魅力を感じません。動画も数分あると飛ばして見てしまうことが多いです。やはり写真という絵を見ているほうが楽しいので、写真はまだ強いメディアだと思いたいですね。とはいえ、建築が先にあり写真家がそれを請負うかたちで撮っていても表現しきれない場合が多い。こういう見え方が面白いのではないかと、写真家の側から建築を捉える努力をしないと太刀打ちできない時代になっていると思うので、写真家も方法を更新していくべきではないでしょうか。フランスの写真家ウジェーヌ・アジェ(1857–1927)は、旅役者、画家を経て40歳ごろに画家に資料として写真を売るために徒然とパリの街を撮り始めました。結果的に、いわゆる絵葉書的にパリの名所や建築を収めた写真ではなく、急激に変化していたパリの街の姿を捉えました。後にその写真が都市の記録として評価されるようになります。僕もアジェのようにその時代にしか撮れないものをたくさん撮りたいですね。

川井操|長谷川さんが撮影する建築にはリノベーションも多いですよね。建築家自身も予期できない現象が多々起こり、完全に設計がコントロールできない要素の多いリノベーションだからこそ、大量の枚数を撮るに至っているのではないでしょうか。私は現在、滋賀県彦根市にある足軽屋敷を改修しています。友人の写真家に定期的に来てもらって、その過程をこちらからは何も指定せずに撮り続けてもらっています。その写真を見てその都度新しい視点を発見していて、その写真が重要な設計行為になりつつあるように思います。《桑原商店》の写真にも、建築作品としてだけでなく、家族で今まさに店をつくっているプロセスも作品性に介入していますよね。設計者ではリノベーションの複雑な現象をなかなか捉えきれない中で、そこに写真家という異なる目線が入ることで、ドキュメンタリー性のある作品を共作していくという感覚があるのではないでしょうか。

伊藤孝仁|長谷川さんがおっしゃった「何を撮ればいいのかわからない」という状況には、何か社会全体の傾向も関係しているのではないでしょうか。SDGsのスローガンで謳われる「誰一人取り残さない」ことや、ポリティカル・コレクトネスのような社会的公平性や正しさが前景化している。そうしたなかで情報を整理、あるいは捨象して、フィクションを立ち上げることが難しくなっているように感じます。先ほどの例でいうと、テーブルの高さにレンズを合わすことが許されず、天板の材質や上に何が乗っているのかを記録することに価値が置かれる状況でしょうか。私自身、捨てることへの恐れを創作のモチベーションとするようドキュメンタリー的なアプローチへの共感はありますが、改めてフィクションの価値を社会化しなければいけないと思います。

辻|プロセスを追うなかで情報を捨象することなく、公平性や具体性を求めすぎることへの疑問は僕も持っています。やはり誰でも容易に写真を撮ってSNSにアップする時代だからこそ、いかに抽象化するかを考えるほうが前向きですよね。映画監督の想田和弘さんによる『港町』(2018)というドキュメンタリー映画はフルカラーで撮影し、最終的にモノクロで、BGMもナレーションもないかたちで映像化されました。情報量の多い映像から何を捨象するかを考えることにクリエイティビティが宿っていると思いますし、こうした抽象化は我々設計者や芸術家にとって、いつの時代も重要な指針になっていると思います。

長谷川|今の建築は壮大な外観や全体性を強く持たないが故に、情報の捨象に意識が向きすぎると何もなくなってしまう、ということになりかねない。ですから、捨て方のチャンネルをしっかり守ることは大事ですね。

田中|長谷川さんとこうしてお話をするなかで考えることですが、建築家は全体性の提示を諦めてはいけないのではないか。《成田空港第3ターミナル》は、社会への提示を長谷川さんに頼りすぎてしまったとも言える。設計を担当し、2020年4月にオープンした《天草市複合移設 ここらす》も、見方によっては《成田空港第3ターミナル》のように要素が集積した建築です。しかし、地方の公共建築にはある種のアイコン性が求められているという気づきもあって、いわば「1枚の写真に収められる建築」としての設計もしています。小屋を小屋のまま終わらせるのではなく、神殿のように小屋をつくれないか、という思いがありました。

長谷川|403architectureもそうですが、僕が一緒に仕事をする建築家はプロセスや部分を重視しつつも、最後は緻密な形の操作をしている。だから写真の収まりが良くなるわけです。僕もそれに助けられています。一見小屋のようでいて、ちゃんと形として整理されているのがいいと思いますね。

水谷|プロセスも含めて建築の創作の対象となっているので、写真家が撮影する対象も変わってきたのだと思います。建築家と写真家の関係は創作の共同の相手としてより重要になったと感じました。竣工後の撮影の際に長谷川さんに作品を解説し、一緒に撮影していくことで、その創作プロセスを一つ一つ追体験しているかのようです。抽象化された長谷川さんの写真で自作を再認識することが、建築家の創造の幅を広げているように思います。

和田|デジタル化の影響は撮る側の変化以上に見る側の変化がより大きくて、長谷川さんはその変化を敏感に捉えてご自身の手法や表現レベルにまでフィードバックしている。かつてはたくさん撮っても全ての写真を世に出すことは経済的・技術的に現実的ではなかった。紙面の制約のなかで写真の大きさや配列が決まり、それによって求められる構図や撮り方も固定的であったかもしれません。ウェブやSNSのほうが一般的になれば、そこではたくさんの写真をフラットに載せられるので、写真家の側で対象への距離感を操作していく自由度が高いのでしょうね。

長谷川|大自然の中にポツンと建築があるような構図の写真は、大きな紙面では迫力のある絵になりますが、スマホの画面でみると画面も小さいので迫力が出ない場合が多いです。スマホで見るにはもっと寄った写真のほうが効果的なので、結果的には引いた写真も寄った写真も必要になる。大自然のなかにポツンと存在する構図も、インスタグラム的な、抽象的に切り取られた写真も両方あっていいと思います。ウェブサイトに使用する写真も、PCで見る場合は横位置の写真、スマホ用で見る場合は縦位置の写真が効果的なので、一口にウェブメディアといっても、さらに媒体によって効果的な写真は変わってくるわけです。

岩元|1枚の写真にひとつの意味を入れ、抽象的に切り取った写真を大量に撮影するという、デジタル時代に合ったスタイルを持ちながらも、つねに創意工夫し、建築家と対話しながらその都度の写真を模索する。そのお仕事のやり方自体がとても現代的だと思いました。今後、クライアントワーク以外で、長谷川さんご自身が撮りたい写真はありますか。ぜひお聞かせください。

長谷川|じつは最近、かつて使っていたシノゴカメラを引っ張り出して、デジタルカメラには無い負荷のあるなかで撮りたいと思っています。日々の撮影では大量に好き勝手に写真を撮らせていただいているので、逆に重たいカメラセットを担いで森に入り、自然の中で被写体を探し、露出も自分で測り、絞り、シャッターをセットして撮る。デジタルカメラは自由が効いて素晴らしいのですが、修行のようにつらい思いをして1枚の構図をじっくり検討して決めて撮ることを思い出したいですね。15年くらい前まではみなさんそのように撮影していたので。そうした写真家の身体性から何か新しい方法が見えてくるかもしれません。

長谷川健太
はせがわ・けんた/フォトグラファー。建築やインテリア、プロダクトの撮影を主に活動する。1983年静岡生まれ。2005年東京工芸大学写真学科を卒業。2005年より建築写真事務所ZOOMにて、白鳥美雄、淺川敏に師事。2010年独立。

田中渉
たなか・わたる/日建設計アソシエイト・アーキテクト。1983年東京生まれ。2005年東京大学建築学科卒業、2006年PLOTとB.I.G.にてインターン。2007年より日建設計。主な作品に《HOUSE BB》(2009)、《成田国際空港第3ターミナル》(2015)、《天草市複合施設》(2020)など。

岩元真明
1982年東京都生まれ。建築家。九州大学芸術工学研究院助教。同研究院にて葉祥栄アーカイブズを構築中。2008年東京大学大学院修了後、難波和彦+界工作舎勤務。2011〜2015年ヴォ・チョン・ギア・アーキテクツ。2015年首都大学東京特任助教、ICADAを共同設立。2016年〜現職。主な作品に《節穴の家》(2017)、《TRIAXIS須磨海岸》(2018)、《九州大学バイオラボ》(2019)など。

和田隆介
1984年静岡県生まれ。明治大学大学院博士後期課程在籍。2010年千葉大学大学院修士課程修了。2010-2013年新建築社勤務、JA編集部・a+u編集部・住宅特集編集部に在籍。2013年よりフリーランス。主なプロジェクトに、『LOG/OUT magazine』(RAD、2016-)の編集・出版など。

伊藤孝仁
1987年東京生まれ。2010年東京理科大学卒業。2012年横浜国立大学大学院Y-GSA修了。乾久美子建築設計事務所を経て2014年から2020年tomito architecture共同主宰。2020年よりAMP/PAM主宰、UDCOデザインリサーチャー。

川井操
1980年島根県生まれ。専門は、アジア都市研究・建築計画。2010年滋賀県立大学大学院博士後期課程修了。博士(環境科学)。現在、滋賀県立大学環境科学部環境建築デザイン学科准教授。

辻琢磨
1986年静岡県生まれ。2010年横浜国立大学大学院建築都市スクールYGSA修了。2010年 Urban Nouveau*勤務。2011年よりUntenor運営。2011年403architecture [dajiba]設立。2017年辻琢磨建築企画事務所設立。現在、名古屋造形大学地域社会圏領域特任講師、渡辺隆建築設計事務所非常勤職員、滋賀県立大学、東北大学非常勤講師。2014年《富塚の天井》にて第30回吉岡賞受賞。

水谷晃啓
1983年愛知県生まれ。建築家。博士(工学)。2013年芝浦工業大学大学院博士(後期)課程修了。2009年隈研吾建築都市設計事務所(プロジェクト契約)。2010〜14年SAITO ASSOCIATES。2013年芝浦工業大学博士研究員。現在、豊橋技術科学大学大学院准教授。東京電機大学、芝浦工業大学非常勤講師。

長谷川健太・撮影「成田空港第3ターミナル」(設計:日建設計, 2015年竣工)

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建築作品小委員会
建築討論

建築作品小委員会では、1980年生まれ以降の建築家・研究者によって、具体的な建築物を対象にして、現在における問題意識から多角的に建築「作品」の意義を問うことを試みる。