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エリザベス・ラッシュ著『海がやってくる』、 佐野静代著『外来植物が変えた江戸時代』

大村紋子
建築討論
Published in
Feb 17, 2022

『海がやってくる』はアメリカ沿岸部で急速に進む海面上昇の実情を描いた作品だ。読者をさらに先へ連れていく、広がりをもつ著作でもある。

私がボストン市街中心部の対岸に位置する複合プロジェクトの不思議な概要を知ったのは2017年、5年前のことだ(2019年に第1期工事完成)★1。港湾エリアの再開発にあたって、海水を引き込む遊水池を作って前庭のランドスケープとし、水害に備えて機械室を2階以上に設置していた。ハリケーン災害が増えているとはいえ、予見できない将来をそんなにまでして考慮に入れなければならないものなのか、いぶかしく思った。

本書の冒頭、そのボストンで開かれた会議で、海面上昇の専門家は「起こるかどうかではなく、いつそうなるかの問題である」(p.22)という発言とともに、80年間このまま「現状維持」だとどうなるか──レッドソックスの拠点フェンウェイパークやボストン美術館が水の中となるシミュレーション──を投影する★2。海面上昇を所与のものとする未来像は、度重なる風水害に見舞われたアメリカ沿岸部では定着しつつある。本書を読めば、私が見た再開発プロジェクトの概要は不思議でもなんでもないことがわかる。

北米のなかでも急激な海面上昇にさらされている東海岸、メキシコ湾岸は、かつて広大な潮汐湿地帯だった。ふつうは海水面が上がると水面の澱を植物が捉えて堆積し、高まった塩分濃度から身を離すように土と水質を求めて水面下の根茎(リゾーム)が高地に芽を送り込んでいくことで湿地帯も自在に移動した。しかし、いま東海岸では海面上昇の速度が地球全体の平均を大幅に上回り、堆積のスピードが追い付けなくなっている。 そして根茎は芽を伸ばす先の人工物に突き当たって行き場を失い、湿地帯は崩壊しつつある。

科学者の研究最前線を織り交ぜて自然界を描写するネイチャー・ライティングの系譜を受け継ぎつつ、本書には著者本人の身辺記述や内省が随所に顔を出す。著者エリザベス・ラッシュは若い白人女性(これらの属性は本書の中で厄介な鍵にもなる)であり、読者は彼女とともに変容する海辺を眺め、取材先で彼女と語る人々の言葉を聞く。工夫された章立ての構成と表現形式は、巨大すぎるテーマに立ち向かう紋切り調の怒り、あるいは科学データを並べた退屈な文体から離れ、読み手に確実に言葉を届けようとする。鳥たちの神秘に心を震わせ、詩句や児童書、アート作品への連想を添えながら文章が綴られる。

幼少期を過ごしたニューイングランドへ戻った著者にはまず、海水に囲まれ立ち枯れた木々が目に入り、異変を察知する。各地での水面上の事象を報告する第1章に続いて第2章では、沿岸部に暮らす当事者のモノローグが挿入され、時系列は前後し、言及される地域も入り乱れる。水面下で湿地を支える根茎を注視するかのように、事象の背後にある保険制度やアメリカの歴史、撤退やかさ上げといった人々の行動へと、テーマは深く掘り下げられていく。第3章では西海岸で進行中の研究や生態系再生プロジェクトを訪ねる。専門家の知見と試みにかすかな希望が見えてくるかと思いきや、最後に会う研究者からは「私たちは時間を稼いでいるだけだ。大局的に見てこれでうまくいくわけではない、という事実を理解するための、ある種のバッファーに過ぎない」(p.284)と言われる。身もふたもない。海岸線をめぐる長い旅の終わり、その言葉を聞いた著者は静かに「真のレジリエンスとは、海岸線について私たちが抱いているイメージを手放すこと」(p.285)かもしれないと想起する。敗北を受けいれるようでいて、著者が指し示す方向にはほのかに明るく穏やかな共振を感じる。それはおそらく、彼女の言葉が個の知性だけに頼るのではなく「言語には、人間と人間がその一部となっている世界との間の距離を縮めることができる」(p.14)という信頼のもとにあるからだろう。

著者ラッシュの瞳にはヘルツォーク&ド・ムーロンが設計したマイアミのペレス美術館、フランク・ゲーリーが設計したカリフォルニアのフェイスブック本社も映るが、どちらも遠景のひとコマである。洪水に備えてかさ上げされ、数メートルの支柱の上に載っている。遠景は、物理的にも時間軸の上でも、切り離されている。著者はさまざまな尺の時間軸で成り立つ世界に疲れを覚え、海面上昇をいっそのこと、大地と人間、人間同士の関係を修復する機会と捉えてみようとする(p.281)。

さて、湿地帯自体には炭素を閉じ込めるタンクとしての働きもあるため、その崩壊がさらなる炭素の放出を促進している、という研究も進んでいるが、その規模や速度はまだよくわかっていない。湿地帯が長い間見過ごされてきた土地であったこともメカニズム解明が遅れている理由のひとつと著者は考え、アメリカの湿地が帯びてきた性格へと思いをいたす。

「逃亡奴隷や追放されたアメリカ先住民が、あちらこちらの湿地に避難所を求め、この国のマルーンや先住民コミュニティの多くが東海岸とメキシコ湾岸沿いの沼や湿原にあるのは、そのためなのである。こういった場は防衛が楽であり、攻撃が難しく、土地自体が誰にも望まれていない。こうした人々は、まさにそのためにアメリカのじめじめした周縁に腰を据えたのである。」(p.163)

そこでひらめくのは『ザリガニの鳴くところ』や『地下鉄道』などのアメリカ文学に登場する「沼地」や「湿地」の姿である★3。鳥類の楽園。瘴気と蚊の襲来の夏、公権力のおよばないミステリアスなエリア。あまりにも私たちになじみのない風景のため、なかなか像を結ばない。だからこそよけいに想像力をたくましくするこれらの小説の舞台が、アメリカの歴史においてどのような位置づけだったのかも、本書は教えてくれる。

それでは、日本の沿岸部はどうか。近代以前にはアメリカのように潮汐湿地が広がっていたのだろうか。その回答のひとつとなるのが『外来植物が変えた江戸時代』である。

アメリカで西へ西へと大平原が開拓されていった19世紀、本書によれば日本の沿岸部は木綿、サツマイモ、サトウキビといった外来作物の生産を拡大するフロンティアだった。

茅葺き屋根の用材として使われる琵琶湖のヨシ群落は、その定期的な刈り取りによって湖岸の植生を維持してきた、というのは近代以前の循環型社会を語るお手本のようなエピソードだが、本書ではさらに、農民たちによる肥料用の水草の採取と底泥の浚渫が、湿性遷移を一時的に停止させ、琵琶湖の浅い内湾を水域として保持する機能を果たしていたことを明らかにする(p.22)。

同様の人為的介入は淡水湖だけでなく海岸の河口部や潟湖にも見られた。そこは肥料となる海藻類(アマモ)や貝類を採る入会地であり、内陸部も含む村々が共同で管理する緩衝地帯であった。里山のような働きをしてきたこれらの水域は、ビルトエンバイロメントの一部として里湖・里海(さとうみ)と呼ばれる。

「三河湾に注ぐ豊川の上流は風化花崗岩質の山地であったため、そこから運搬された土砂が河口域の前面に広大な砂底質の浅水域を作り出していた。それが砂地を好む貝類の良好な生息地となっていたのである。水中の懸濁物を取り込んだこれら貝類を漁獲することは、肥料藻の採取とともにこの内湾からの栄養物質の回収につながっていた」(p.115)

沿岸部を肥料採取の場とする栄養素サイクルの一端には都市市場における旺盛な商品作物需要があった。つまり、里海の肥料藻が沿岸部の丘陵地に開かれた畑、それも耐塩性を持ち多肥を好む綿花、サツマイモ、サトウキビ畑にすきこまれていった背景には、中世まで輸入に依存していた木綿・砂糖などを近世期に国産自給化していく過程があったのである。

歴史地理学者である著者佐野静代は、文献研究に加えて各地での聞き取りを重ねる。古文書の図版、トレースされたイラストが理解を助けてくれる。さらに、佐野の視線は土地利用実態の背景へと向かう。近世期の制度や人々の行動などにも意識を向けるよう促し、読者を思わぬ場所まで連れていく点は『海がやってくる』の著者ラッシュと通じる。

里湖・里海と都市市場が結ばれた循環型経済システムが解明されても、佐野は手放しに礼賛はしない。それは「人間による幾多の自然への負荷の後でかろうじて成り立った均衡状態」(p.218)であり、真に”持続可能”だったとは言えないためだ。

過酷な事例が先ごろ世界自然遺産に登録された奄美大島である。薩摩藩によってサトウキビのモノカルチャーが強要された結果、島民は米作地を奪われ、救荒食として裸地でも育つソテツを植えた。大島に特徴的なソテツの風景は「過酷な飢饉の中で作り出されてきた人為的な景観」(p.180)であった。ということは、いま私たちが目にする奄美大島の「自然」とは、裸地から沿岸浅水域まで開発し尽されたあとの姿なのである。

奄美から得た砂糖の莫大な利益は幕末・維新期における薩摩藩の重要な蓄えとなった。「つまりサトウキビという外来植物は薩摩藩および日本の歴史を変えたことになるが、しかしその生産は奄美の資源の搾取の上に成り立っていたことを見落としてはならない。」(p.187)

アメリカの湿地のような、誰にも望まれていないがためにできた未開拓のすきま、弱者コミュニティの棲処は、日本の沿岸部、島嶼部では存在できなかったのかもしれない。

少なくとも近世期に形作られた集落周辺の沿岸部が「手つかずの自然」ではないのだとすると、これらのビルトエンバイロメントの修復を試みる際には「どの時点の「自然」を再生目標とするのか」(p.219)という著者の問いは重要だ。そして、海面上昇への備え(時間稼ぎ)、温暖化で変化する水域の生態系や暮らしへの適応を重ねると、修復の先にめざす姿も違って見えてくるだろう。

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★1: 再開発プロジェクトの名称はClipper Wharf, a mixed-use project in East Boston 。同プロジェクトでランドスケープを担当したのはTighe & Bond/Halvorson

★2:「現状維持(business as usual)」とは、2015年以降の80年間に、産業革命開始から現在まで排出されたよりも若干多くの二酸化炭素が排出されるとしたら、気温が4℃上昇するという想定である。気候変動に関する政府間パネル(IPCC)による勧告値(最大2℃までの温暖化)の場合はシミュレーション結果は異なって記されている(pp.22–23)。

★3:「湿地(swamp)」と「沼地(marsh)」の違いは重要なようで、『ザリガニの鳴くところ』では2つの語の違いの解説から物語が始まるが、本稿では、湿地、沼地、沼沢地の表記をすべて「湿地」に統一した。

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書誌
著者:エリザベス・ラッシュ
訳者:佐々木夏子
書名:海がやってくる - 気候変動によってアメリカ沿岸部では何が起きているのか-
出版社:河出書房新社
出版年月:2021年6月

著者:佐野静代
書名:外来植物が変えた江戸時代 -里湖・里海の資源と都市消費-
出版社:吉川弘文館
出版年月:2021年8月

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Written by 大村紋子

プロジェクトマネージャー。主なプロジェクト「葉山加地邸継承支援」、「銘建工業本社事務所」、「サテライト古座」。株式会社納屋代表取締役。

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