オリガ・グレベンニク著『戦争日記 ―鉛筆1本で描いたウクライナのある家族の日々』

戦争と描くこと(評者:杉中瑞季)

杉中瑞季
建築討論
Feb 23, 2023

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現在進行形で行われる戦争のさなかでも、当地の市民の声が遠く離れたこの地にも届く。

本書は2022年2月24日、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻開始時から、絵本作家である著者グレベンニクとその家族が、ハルキウ(ハリコフ)から国外のブルガリアへ脱出するまでの絵日記である。まえおきにあるように、本書は韓国の出版社が著者の日記を写真データとして取得できたことから出版に至ったという経緯がある。現在では日本を含め複数の国の言葉で翻訳され上梓されている。まず安心してほしいのは、著者と二人の幼い子どもたちと愛犬は、避難先のブルガリアで今も生きている。また、彼女の最近の動向についてはInstagram(@gre_ol)をとおして知ることが可能だ。

思えばソーシャルメディアを通じて現地の声がリアルタイムに世界へ発信されるようになってどれくらい経つだろうか。私自身が子供の頃に受けた教育では、たしか太平洋戦争時に言論の自由はなく、戦後になってようやく当時の市民の声が聞こえるようになったのではなかったか。

このあたり昨今の、とくに戦中の情報伝達の速さについてはデイヴィッド・パトリカラコスによる『140字の戦争』が詳しいので、気になる方は参照されたい★1。

まず『戦争日記』の内容を見ていく前に、戦中において発信された情報というものが現代においてどのように捉えられているかについて、前掲の書を参照しながら触れておきたい。我々が「ポスト・トゥルース(ポスト真実)」の時代を生きるようになって久しいが、戦争はすでに物理的な戦闘によるものだけでなく、ソーシャルネットワーク(SNS)を使用した情報戦、すなわちプロパガンダ合戦の様相を呈するようになった。先の本において、「新しい戦争では、市民がSNSを用いて自ら語り掛け、人々が参加するかたちで拡散させる。そうしてできあがった人々のネットワークが戦争に深く関与するようになった」と記される★2。この場面で流れてくる情報を「ナラティブ」と呼ぶそうだが、日本語では「語り」や「物語」とも訳出される。現代においては事実よりもナラティブに比重を置きがちで、物事の判断は議論よりも大げさな感情の表れだとパトリカラコスは言う。いとも簡単にその時々の体験や感情を発信できるSNSというツールをとおしてナラティブは拡散され、世論にまで影響を及ぼす。我々はその拡散されたナラティブに反応するとき、すでに戦争に無関係ではなくなっていることに注意しなければならない。

では本書の内容を見ていこう。日記は一見穏やかに見える家の中のワンシーンから始まる。集合住宅の一室、夫婦で荷物をパッキングするその傍らに、すやすやと眠る小さな子どもの姿が描かれている。訳語がなければ単なる家族旅行の準備かと思うかもしれない。次頁からは避難先の地下室で過ごす著者自身やその家族、子どもを含む近隣の人々の様子が描かれる。

この絵日記には破壊された建物や町の様子が一切描かれていない。それでも配管飛び交う地下室に大の大人達がじっとして過ごす姿や、灯火管制下の暗闇、地下室で唯一の光源となった小さな窓から差し込む光、そして悲嘆に暮れた顔を真正面に向けるグレベンニク自身の姿からは、十二分に彼女が体験した災禍における現実が伝わってくる。

しばらくは集合住宅という家の中で完結していた絵日記の世界であるが、一転、著者がハルキウを脱出する決断をした時点から、徐々に外の世界が描かれはじめる。最初に登場するのは家族で避難列車に乗った駅の様子だ。俯瞰で描かれたスケッチからは、大勢の人々が駅舎に吸い込まれるようにして入っていくさまが見てとれる。そして国内に敷かれた戒厳令のために、国外へ出られなかった夫との別れの場面。ここでは乗換駅の街の建物や街路樹を背景に、彼女を含む家族全員の姿が描かれる。そこに破壊された建物はなく、ただ一切の静寂を感じさせる、がらんとした街並みがあるだけだ。

その後も到着したワルシャワのホテルに入る様子が、闇夜に聳え立つ文化科学宮殿を背景に描かれる。ちなみに、この宮殿は当時のソビエト連邦がポーランドに贈与する形で建設されたそうだが、著者はその姿に何かを感じていたのだろうか。子どもたちと会話しながら目にしたワルシャワの現代的な高層ビルが、傷一つなく佇む街並み。こうした外の世界が描かれるのは、爆撃を気にせず屋外を歩ける心やすさがそうさせるのだろうか。かと思えば、ホテルのベッドに一人寝転がりながら、ウクライナに残ることを決意した母と携帯でやりとりする様子が描かれる。背中を丸め、ぽつんと白い闇に放り出されたような著者の姿からは、孤独というものを感じざるをえない。

その後、必要なものを手に携え、彼女と幼い子どもたち二人、そして愛犬が避難先へ飛行機で飛び立つまでの様子が描かれる。空港ロビーで滑走路を見つめるグレベンニク一家の後ろ姿からは、先の分からない不安と、それでもこの道を選択したからには先に進まねばならないという決意が表れている。そして絵日記の最後はブルガリア、避難先の部屋の窓辺から見る、穏やかな街の景色で締め括られる。

ここで、グレベンニクが描くスケッチについて、彼女ほどではないにせよ、描くことも生業とする筆者の立場から見ていきたい。彼女が描く絵は、いわゆる戦時中の惨憺たる光景というよりは、もっと軽やかで、ときに母としての優しい眼差しを感じさせるようなスケッチである。無論、悲哀が込められたシーンもあるのだが、絵日記全体からはどうにもあたたかさを感じずにはいられない。また日記のスケッチをつぶさに見れば、じつはその絵が単に眼前に映るものを描いたのではなく、彼女自身もしばしばその画中に納められていることに気付く。第三者の視点から見た著者家族の様子は、さながら絵本の挿絵のようだ。作家としての性がそうさせるのか、どこか淡々と、客観的に自身を見つめ、意図的に著者自身が主人公となった物語を紡いでいるようにも感じられる。

こうした戦時中の市民の暮らしを絵と文にしたためた例として、他の事例を挙げておきたい。まず筆者が思い浮かべたのが『この世界の片隅に』に登場する主人公のすずだ★3。彼女もまた、鉛筆1本を手に日々の暮らしや街並みを描いていた。物語に登場する彼女は実在した人物ではなかったが、じつは実際に戦時中の暮らしを描いていた人物がいた。終戦から33年後の1978年に出版された『ある戦中生活の証言 -画と文でつづる庶民史』の著者である勝矢武男である★4。彼の絵の題材は、日々の食卓、食材、家族、ときに防空壕を掘る子どもらの姿であった。日々の暮らしを感じさせる絵日記のなかで、勝矢もまた、グレベンニクと同様に爆撃によって破壊された家や街並みを描いてはいない。

正直なところ、それらを描かない理由については当事者ではない私がこうだと断定することはできない。壊れた建物や街並みは、彼らにとって見るに堪えない、記録に残そうとも思わないものだったのかもしれないし、単に物理的に対象と向き合う場所に居ることが難しかった、あるいは時間がなかっただけなのかもしれない。スケッチは描き手によって無限の可能性の中から題材が選び取られ、その選ばれた題材のなかでも線として表現されるものは限られる。一見、スケッチが伝える情報は限定的であるように思われるが、その限定こそが見る者に想像の余地を与え、先のように多様な解釈や物語の余韻を生み出しうる。見る者が想像力を働かせることで、描き手が経験した世界を追体験し、その世界に没入するような感覚を味わう。それが絵のもつ力だと言えるかもしれない。だからこそナラティブとしても利用されうるので十分に注意が必要であるが、彼らはそのような意図をもって描いていたのではないだろう。

現に本人たちは著書の中でこのように書き記している。勝矢は「私はただ自分のために、それを描かずにはいられぬ思いで描いた。」「描くとは見つめることであった。心に刻むにこれより勝る法はなかった。…私のどこへどう吐きようのない嘆きと苦しみの叫びの痕、われとわが命を弔う挽歌なのであった。」★5そしてグレベンニクはこう言う。「爆撃が続く中、自分の内面と向き合うためのツールになってくれたのは絵だけだった。わたしは自分の中にある恐怖のすべてを紙にぶつけた。少しだけ心が救われた。…何もかもが壊れていく世界で、わたしは戦争に立ち向かい、生きるために創作活動を続けた。文章と絵は、わたしが持てる力のすべてを注いでつかむ藁だった。」と★6。

異なる時代に戦禍を経験した二人であるが、どちらも絵を描くことは「見つめること」「自分の内面と向き合うこと」だと述べている。絵を描くということは、一瞬で風景を記録する写真とは異なり、ある一定の時間、その風景と対峙するということだ。どれだけ素早いスケッチであっても、手を動かしながら思考を巡らせる時間が存在する。著者のように極限状況に置かれて描いた経験はないが、少なくとも普段の私にとってスケッチをすることは観察すること、記録することであり、描く対象と対峙する時間の中で過去に思いを馳せ、その風景がどのように立ち現れているのかを理解しようと試みる。それが建築や街並みであれば、構成や意図を汲み取ろうとすることに繋がる。このように他者を見つめるまなざしで描いているつもりでいたが、彼らの言う“自分を見つめる”とはどういうことか、最後に考えておきたい。絵を描くことによって、描き手の中には描いたこと自体の記憶が残る。私自身はスケッチをする際は記録に残したいと思って描いてきたが、翻って考えると、街の景色や人の姿といったうつろいゆくものに向き合い、それらと対話しながら線を走らせ、絵として描き終えることによって、向き合ったその瞬間に別れを告げるような行為だったともいえようか。この一連の行為の積み重ねが、彼らの言う“自分を見つめる”ことに近いかもしれない。

このようにして自分を見つめるまなざしの上に描かれた絵日記だからこそ、凄惨な光景が一切描かれていない本書には、一市民から見た戦争の現実と悲惨さが色濃く表れているのではないだろうか。

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★1 デイヴィッド・パトリカラコス『140字の戦争-SNSが戦場を変えた』2019年、早川書房
★2 同上、p.347
★3 こうの史代『この世界の片隅に』2008年、双葉社
★4 勝矢武男『ある戦中生活の証言-画と文でつづる庶民史』1978年、草土文化
★5 同上、p.173、p.174
★6 オリガ・グレベンニク『戦争日記-鉛筆1本で描いたウクライナのある家族の日々』2022年、河出書房新社、p.7

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書誌
著者:オリガ・グレベンニク
書名:戦争日記-鉛筆1本で描いたウクライナのある家族の日々
出版社:河出書房新社
出版年月:2022年9月

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杉中瑞季
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すぎなか・みずき/1988年石川県生まれ。一級建築士。多和良屋 | studio tawaraya共同主宰。京都大学大学院地球環境学堂(GSGES)助教。建築や町並み、人の営みが生み出す暮らしの風景を読み解き、今後の在り方に寄与する設計や研究に取り組んでいます。