迸る生の空間(評者:長谷川新)

長谷川新
Apr 30 · 3 min read

おそらく、サーカスは、その存在の始まりから今日に至るまで、人間という現象を、生や宇宙全体のほかの現象と対立させたことのない、唯一の芸術であろう。(p.75)

この一文から察せられるとおり、本書はオリガ・ブレニナ=ペドロヴァによる一級のサーカス論である、と同時に、文化史や美術史、ひいては人類史自体を揺さぶる射程をもった大著である(邦訳に「人類学」という副題がついているのはけっして誇張ではない)。現在はチューリッヒ大学のスラヴ学研究所に所属している著者は、過去の仕事に『二十世紀前半のロシアの文学と文化における象徴主義的不条理とその伝統』(2005)などがある。本書において縦横無尽に事例を畳みかけながら、著者は、サーカスにおける特徴に「動的バランス」、「モナド性」、「メディア横断性」を挙げ、硬直しやすい我々の知性をほぐそうとする。「サーカス空間では、ひとつの文化の枠内だけでなく、さまざまな非均質的な、対立してさえいるような文化のあいだでも、対話がおこなわれている」と述べてみせる世界の把捉の仕方には、生命中心主義と呼びうる思考がこだましている。そこでは、サーカスにおける人間と動物の主従関係さえもが解体され、生が謳歌される。

しかし本書においてより興味深いのは、アヴァンギャルド芸術との交錯、そしてその政治的ポテンシャルについての考察であろう。美術史家のクレア・ビショップが本書に負けないくらいの大著『人工地獄──現代アートと観客の政治学』(原著刊行は本書より二年はやい2012年である)で示したように、オリガはアヴァンギャルド芸術におけるパフォーマンス実践の重要性を再三指摘する。「未来派の見解によれば、サーカスとは、未来派的芸術の頂点であるだけでなく、アヴァンギャルド芸術全体の頂点でもある」という一文は繰り返し思い出されるべきであろう。そしてまた「サーカスだけは、国家機構が思うままにならなかった唯一の芸術」であると論を進め、ファシズムへの抵抗実践、あるいは「世界改造への志向を基礎としたユートピア的な桁外れのプロジェクト」としての性格を前景化させる。

ここまでざっと追ってきてもわかるとおり本書で展開される議論はまさにサーカス的アクロバット(つまり文字通り飛躍の多い)、縦横無尽の一言に尽きる。それはむろん諸刃の剣ではあるだろう。しかし本書が、生命中心主義的、フロー的世界を描き出しつつも、こうした歴史的地層や政治的領野との混交も辞さない姿勢をとっていることはやはり重要である。そこにはたとえば人類学者ティム・インゴルドの「ライン」概念に(その魅力を減じることなく)暫定的抵抗の拠点を仮構する余地があるように筆者には感じられる。と大きく弧を描いたところで最後にスッと着地したいのだが、こうした議論に負けず劣らず、本書は個々のサーカスにまつわる事例自体が大変魅力的な一冊である。味読されたい。

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書誌
著者:オリガ・ブレニナ=ペトロヴァ
訳者:桑野隆
書名:文化空間のなかのサーカス:パフォーマンスとアトラクションの人類学
出版社:白水社
出版年月:2018年12月

建築討論

建築をめぐる幅広い批評的議論のプラットフォームを提供する日本建築学会のウェブマガジンです。

長谷川新

Written by

はせがわ・あらた/1988年生まれ。インディペンデント・キュレーター。京都大学卒業。主な企画に「パレ・ド・キョート / 現実のたてる音」(2015)、「クロニクル、クロニクル!」(2016–17)、「不純物と免疫」(2017–2018)など[ポートレート撮影:加藤甫]

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