コモディティ化するタワーマンション

連載:タワーマンションの寿命が尽きるとき──つくる責任と看取る責任(序論+その1)

森本修弥
建築討論
Mar 4, 2022

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序論

「タワーマンション」と憧憬をもって呼ばれる超高層住宅が初めて登場したのは1971年のことである。以来、50年が経過した。

1980年代後半からの規制緩和の後押しで急増したタワーマンションは、現在では全国で約1300棟が存在する。跡地開発や市街地再開発が進む中で建設されることが多くなり、いまや都市居住の一様相となった(図1)。空き家問題の深刻化が進む一方で、タワーマンションは高い入居率を維持している。

図1 超高層住宅竣工棟数の推移[作成:筆者]

しかし、タワーマンションでは高度で重装備となるシステムの稼働が居住の前提となるため、多額の維持管理費が必要とされる。居住者の高齢化にともなう経済力低下や住設機器などの相対的な陳腐化による居住者の退去などが生じれば、維持管理不全に直結する。そしてタワーマンションが廃墟化すれば、その巨大さゆえ、都市における重い負の遺産となる。

タワーマンションがその価値を存続し、入居者が永く住み続けられるために、建築にたずさわる者としてできることはなにか。あまりにも巨大で複雑な建造物であるため、その解を見出すことは簡単ではない。

筆者は、実際に多くのタワーマンションの設計に関わってきた。一方で、実務経験を通じて、その住棟配置★1・平面★2・立面計画★3などについて都市開発諸制度や法的枠組みの視点から研究を行ってきた。本連載では、筆者の研究成果も踏まえながら、都市開発にとってタワーマンションがどのような意義をもつのか、検証したい。

さて、連載初回である本稿では、都市の日常風景となったタワーマンションがいかなる経緯で増加し、その背景は何であったのかについて議論したい。

法制度が都市の風景をつくる

都市の風景は法制度によってつくられる。タワーマンションはその象徴的な存在である。タワーマンションは、都市開発諸制度の拡充と建築関連法令の緩和が両輪となった結果として、増加したからだ。

都市開発諸制度とは、この場合、空地の確保に応じて容積率制限を緩和する制度のことである。行政側では追い付かない歩道や広場などの整備を、民間事業にインセンティブを与えて実現させるものである。従来からある制度にさらなる緩和メニューや新制度の創設がなされた。

容積率の緩和は、具体的には1969年の高度利用地区、1976年の総合設計制度、1988年の再開発地区計画(2002年再開発等促進区を定める地区計画に統合)などの制定によってなされてきた。これらは数度、改訂され、その過程で住宅の設置が更なる容積率緩和の要件として加わることとなった。

建築法令の緩和については、大きく言えば、ふたつの出来事があった。ひとつは、1987年の斜線制限緩和。道路から一定以上の離隔距離を確保すれば、事実上高さは無制限になる。もうひとつは、1997年の容積率制限緩和。容積率制限の対象となる床面積から共同住宅の廊下や階段の面積が除外されたことである。

経済的背景

今から50年前の1970年代に起きた二度にわたる石油ショックは、それまで順調に進んできた戦後の経済成長に急ブレーキをかけた。1980年代に入ると海外からの圧力により円高施策を余儀なくされ、石油ショックの傷が癒えぬまま円高不況に入る。都市部では生産拠点の海外移転により、大小の工場跡地など大量の遊閑地が生み出された。

こうして1980年代後半には、長引く不況の打開策として、内需拡大政策がとられることになった。その結果、土地の投機熱が過熱し、異常な地価の高騰により大都市では住宅の確保が困難になる。バブル経済の始まりである。高まるオフィス需要に呼応するかのように、遊閑地利用を促進するための制度として、従来からある総合設計制度や高度利用地区に加えて創設されたのが、1988年の再開発地区計画制度であった。また、建築法令の面では、超高層建築の計画を有利とするため、前述の斜線制限緩和がなされた。

バブル経済は間もなく崩壊することになる。その傷跡として残ったのが、不良債権化した土地の存在と、都市部からの人口流出であった。このふたつの傷跡を解消するために採られたのが、経済浮揚のカンフル剤としての規制緩和であり、その具体的な手段としての都市開発諸制度における緩和メニュー追加、および建築法令における容積率制限緩和による住宅需要の喚起である。

この結果として、2000年以降にタワーマンションは急増することになった。

制度を活用し、どこにでも建つ

ところで、タワーマンションとは、一般に「高さ60m以上の超高層集合住宅」のことを指す。

我が国の建築法令は建物の高さに応じて規制が厳しくなるが、その節目となる高さは10m、31m、45m、60mなどである。ただし、これらの数値には科学的根拠はなく、市街地の現状の追認や当時の有識者の発言などから導き出されたものに過ぎない。たとえば、31mという制限は大正時代創設の市街地建築物法における「100尺制限」の現代語訳であるし★4、その1.5倍となる45mや60mは当時の構造技術上の限界または現状の追認★5である。このように導き出された高さを目安として、防火避難規定が付随されただけのことである。

ともあれ、高さ60m以上のタワーマンションのほとんどすべては、都市開発諸制度の活用により、容積率制限の緩和を受けている。容積率制限の緩和を受ければ、そこに建つ建物は多くの床面積を確保でき、開発事業者により多くの利益を生むことができる。もともと容積率制限の厳しい土地は比較的地価も安価であるため、開発による利益を得るうえでは有利だ。さらにそれがタワーマンションの開発であれば、前述した法制度上の多くの恩恵が受けられるため、さらに有利となるのである。

全国のタワーマンションの分布を整理すると、図2のようになる。ほとんどすべての都道府県での立地がみられることが分かる。

五大都市圏のみで全体の90%を超えるが、近年新たに政令指定都市になった都市、たとえば相模原市や熊本市でも多く見られるようになっている。都市開発諸制度の認可に際して、自治体の裁量権が増したためである。

図2 超高層住宅の分布[作成:筆者]

タワーマンションを支える技術の普及

こうして、制度面では都市開発諸制度と建築関連法令が両輪となって、タワーマンションの建設を促進する環境が整った。時を同じくして、増大するタワーマンションの建設需要を満たすための技術開発が盛んとなる。

官学民共同のプロジェクトによって、高強度コンクリートが開発されたのだ。こうして、それまでのSRC造(鉄骨鉄筋コンクリート造)によるタワーマンションは、2000年以降は比較的安価なRC造(鉄筋コンクリート造)に置き換わっていく。

近年のタワーマンションの増加を支えるもうひとつの技術的背景は、高速エレベーターを利用した機械式立体駐車場の開発である。これは高密度居住で必要となる大量の駐車場を、高い空間効率で確保するための技術だ。一基あたり100台弱を収納可能な高さ100mにも及ぶ巨大な設備が、タワーマンションに組み込まれることが多くなった。★6

タワーマンションの功罪──市街地環境に与える影響

2階建ての木造住宅が密集する市街地に、巨大なタワーマンションが突如として建つ風景を眼にしたことがある読者も多いと思う。

たとえば写真1は、東京のあるエリアを撮影したものだ。

写真1 密集市街地に建つタワーマンション[撮影:筆者]

低層密集市街地にタワーマンションが建つ原理は複雑である。法文上では、2つ以上の道路に面する敷地で道路斜線制限がどのように適用されるかを読み解くのは非常に難しい。

その難解さの一例として、敷地の一部が広い道路に面していれば、一定の条件下で敷地すべてが広い道路に面しているとみなすことも可能であることが挙げられる。つまり、この法文解釈によれば、道路からある程度の離隔距離があれば、実質的に高さ制限は無限となるのである。低層密集市街地にタワーマンションが建つからくりは、このような法文解釈の為せる業なのである。

しかし、このように市街地の現況と乖離したスケールでタワーマンションの建設が可能となる地域では、敷地集約などが進み、都市計画の変更や再開発などの面倒な手続きを経ることなくタワーマンションが虫食い状に林立する可能性がある。タワーマンションの建設によって通り沿いの風景は一変しても、その後背には無残に食い散らかされた低層密集市街地が取り残されるリスクがあるのだ。

都市インフラの破綻

先に述べたとおり、都市開発諸制度では、住宅の設置が容積率制限緩和に有利なメニューとされた。その目的は都心部からの人口流出を食い止め、定住人口を確保するためであった。ところが、タワーマンションの林立する地域は人口過密となり、小中学校の教室数の不足や駅の混雑など、都市インフラの破綻がみられるようになった。

都心人口回復の目標が都市インフラの破綻という副作用をともなって達成されると、振り子が逆に振れるかのように、自治体によっては都市開発諸制度の運用指針の中で、住宅の設置による利点を与えないようになっていった。

地域のブランド化

とはいえ、タワーマンションの建設が都市に与える影響は悪いものばかりではない。

工場や倉庫が立ち並ぶ今まで誰も気に留めなかった地域が、タワーマンションの林立で豊かに変貌した例もある。「キャナリーゼ」という造語でブランド化した東京湾岸の豊洲地区や川崎市の武蔵小杉地区などである。

タワーマンションの購入者を追跡することは困難であるが、地元の人々が気にも留めなかったエリアに新しい価値を見出した人々の多くは、他地域からの転入者であろうことが推察される。つまり、敷地の用途を転換してタワーマンション化することで、これまで人が住まなかった地域に新たな住人を迎えることもできるのである。

一方で、郊外から都心のタワーマンションへと転出することで、衰退する地域もあるのかもしれない。タワーマンションの人口吸引効果と郊外住宅地の人口流出による衰退と関係性があるとすれば、その解明は大きな研究課題である。

不動産投資の面ではタワーマンションの建設は今や普遍的で有効な手段となった。本稿ではその功罪の一端を明らかにしてきたが、タワーマンションにはまだ目に見えない課題が内在しているかもしれない。

タワーマンションの寿命が尽きるとはどのようなことなのか、タワーマンションでは何が起きているのか、建物自体に沿った形で次回以降に議論を進めたい。(続く)

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★1:森本修弥,宮本文人:東京都中心部における都市開発諸制度と超高層集合住宅の配置計画、日本建築学会計画系論文集 第81巻第719号、pp.1-10、2016.1
★2:森本修弥,宮本文人:東京都中心部における建築関連法令と超高層集合住宅の基準階平面、日本建築学会計画系論文集 第82巻第734号、pp.847-856、2017.4
★3:森本修弥:物的構成要素からみた超高層集合住宅の外観デザインについて―東京都中心部における超高層集合住宅の外観デザインの分析(その1)、日本建築学会計画系論文集 第78巻第690号、pp.1705-1712、2013.8
★4:大澤(2015)では100尺という高さの由来を述べている(大澤昭彦:高層建築物の世界史、p.234、講談社現代新書、2015.2 )
★5:大澤(2011)では、当時の高層建築物の現況のほか、昭和25年4月28日第7回参議院建設委員会での秀島証人発言を挙げている(大澤昭彦:日本における容積率制度の制定経緯に関する考察(その1) 容積制導入以前における容量制限:1919年〜1950年、土地総合研究 19(1)、財団法人土地総合研究所、pp.83–105、2011.3)
★6:都市基盤整備公団東京支社編:大川端リバーシティ21のまちづくり・設計記録、p.51、2000.6によると、「平成6年夏頃に「高密度住宅市街地における駐車場整備に関する調査」が官民共同の検討委員会として開催された。既に建設大臣の認定を受けた機種をベースに、収容台数を増加させた機種を採用することになった。」とある。

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森本修弥
建築討論

もりもと・しゅうや/1959年東京都生まれ、東京工業大学大学院理工学研究科修了。日本国有鉄道を経て日本設計勤務。専門は高層・超高層住宅。博士(工学)。受賞歴に茨城県建築文化賞優秀賞(水戸プラザホテル)、グッドデザイン賞(釜石市上中島町災害復興公営住宅Ⅱ期)、都市住宅学会論文コンテスト博士論文部門優秀賞など。