足元からの都市論(評者:林憲吾)

林憲吾
林憲吾
Jan 31 · 6 min read

もっとジェイン・ジェイコブズを、マーク・ジェイコブズはもういらない。

本書の冒頭、二人の編者はこのスローガンを紹介することから始める。2009年頃、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジに現れた抗議文だ。グリニッジ・ヴィレッジといえば、かつてジェイン・ジェイコブズが暮らした地区である。彼女の最も知られた著書『アメリカ大都市の死と生』(以下『死と生』)では、その地区の歩道で繰り広げられる人間模様を彼女はバレエに例えて生き生きと描写した。そんなグリニッジ・ヴィレッジは、いまでは高級店がいくつも進出し、地元の小店舗が廃業に追い込まれている。冒頭の抗議文はそれを皮肉ったものだ。

「もっとジェイコブズを」(以下、ジェイン・ジェイコブズを指す)という文言に、実際のところ現代のニューヨーカーたちはあまりピンとこなかったらしい。だが、建築や都市を学ぶ者であれば、直ちにその意味が理解できよう。画一的なまちではなく、『死と生』で提示した四条件──①複数の機能の混在、②小さな街区、③新旧の建物の混在、④一定以上の人口密度──を満たしたまち。信頼、安全、協働の精神を備えた活発で多様なコミュニティのあるまち。そんなまちの代名詞がジェイコブズだといってよかろう。それほど彼女の考え方は広く建築界に浸透している。

本書は、ジェイコブズが遺した文章や発言のうち、雑誌掲載の記事や講演録、未刊行の原稿などを編纂したものである。ジェイコブズは『死と生』を皮切りに生涯にわたって何冊も著作を刊行した。彼女の論点は、それら著作を通してすでによく知られている。それに対して本書は、彼女の考えが一冊の著作にまとまるまでの思考の断片を集めたものだ。その断片は時系列に並べられ、彼女の思考の変遷を読み解く手がかりとして整理されている。彼女の著作が大きな「点」だとすれば、本書はその間をつなぐ「線」である。編者はその線を大きく5つの時期に分け、それぞれの時期に解説を付す。実際のところ記事の羅列だけで思考の変遷をつかむのは相当難しいため、解説が大きな助けとなる。

5つの時期の中でも、とりわけ最初期(1934−1952)の彼女の文章は興味深い。というのも、ジェイコブズが、自分の足元を見つめ直すことに長けた人物だと、改めて気付かせてくれるからだ。故郷スクラントンの新聞社で経験を積んだのち、1930年代にニューヨークで執筆活動を始めた彼女が雑誌『ヴォーグ』に最初に寄せた記事は、彼女が暮らし始めた地区周辺の宝石街や花き市場のことだった。また、金属工業の業界誌『アイアン・エイジ』には、故郷スクラントンの惨状と政府の対応への不満を綴った。このように、自らが生活している(していた)場所へ目を向け、その魅力や問題点をつまびらかにするという記事が初期は目立つ。

ジャーナリストにせよ、研究者にせよ、観察対象は往々にして自分の暮らす地区とは別の場所である。いわばよそ者の視点から地区の魅力や問題点を明らかにする。もちろんジェイコブズも同様のスタイルで記事を書く。だが同時に、自分自身が住む街を、文字通り住人の目で観察してその魅力を語ってみせる。これは、外からの視点が見落としているものや誤解しているものを、住人のリアリズムとして内側から開示してみせる行為である。

1961年に出版された『死と生』にも、このような住人のリアリズムは少なからず反映されている。『死と生』執筆のきっかけは、1950年代にアメリカ国内で急速に進んだ荒廃するインナーシティの再開発と交通インフラの整備である。当時『アーキテクチュラル・フォーラム』で働いていたジェイコブズは、既存街区を一掃する再開発の失敗をアメリカ各地で目にしたし、反対に既存街区がいかにうまくいっているかを教えてくれる知人もいた。そこでの疑問や知見が『死と生』につながっているのは間違いない。だが同時に、ロバート・モーゼスとの対決でよく知られるように、インナーシティの再開発はジェイコブズが住むグリニッジ・ヴィレッジに直接関係していた。本書の中の「理性、感情、プレッシャー以外に方法なし」という文章は1957年に『ヴィレッジ・ボイス』に掲載された意見書だが、この記事はグリニッジ・ヴィレッジの再開発計画(ワシントン・スクエア公園を貫通する道路建設)に公然と反対したものである。つまりこの文章には、彼女自身の住人としてのリアリズムが反映されている。彼女はこの中で、ヴィレッジは現状とても良い環境で荒廃などしていないことを強く主張し、この地区の規模や多様性が芸術やビジネスの成功に有効であると述べている。これはまさに『死と生』の四原則に関係する記述である。すなわち『死と生』における彼女の考えは、理論の正しさ云々の前に、少なくとも住人としての実感に裏打ちされたものだといえよう。

自分の住む街を見つめ直し、住人のリアリズムとして魅力や問題点を描写する。いわば1人称でまちをみる能力と、そのリアルな実感の背後に、それを生み出す何らかの原理があるはずとする普遍化の思考とが両立しているところ。それがジェイコブズ都市論の源である。だからこそ事例の提示にとどまらず、四原則が打ち出せる(無論これは客観性に欠けるという批判にもなる)。ただ、晩年の都市論は、そうした「足元からの都市論」に陰りがみられ、やや原理の探求にいってしまった感がある。それが本書にみたジェイコブズの思考の線である。「足元からの都市論」の可能性をいま一度考えてみたい。

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書誌
著者:ジェイン・ジェイコブズ
編者:サミュエル・ジップ、ネイサン・シュテリング
訳者:宮﨑洋司
書名:ジェイン・ジェイコブズ都市論集──都市計画・経済論とその思想
出版社:鹿島出版会
出版年月:2018年12月

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林憲吾

Written by

林憲吾

はやし・けんご/1980年兵庫県生まれ。アジア建築・都市史。東京大学生産技術研究所講師。博士(工学)。インドネシアを中心に近現代建築・都市史やメガシティ研究に従事。著書に『スプロール化するメガシティ』(共編著、東京大学出版会、2017)、『衝突と変奏のジャスティス』(共著、青弓社、2016)ほか

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