ジャン=マリー・シェフェール著『なぜフィクションか?:ごっこ遊びからバーチャルリアリティまで』(久保昭博訳)

なぜ、『なぜフィクションか?』(評者:立石遼太郎)

立石遼太郎
建築討論
6 min readDec 31, 2019

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ジャン=マリー・シェフェール著『なぜフィクションか?:ごっこ遊びからバーチャルリアリティまで』

大仰なタイトルに惹かれて手に取ったはいいものの、ページをめくるたびにタイトルの大仰さと論旨がかけ離れていくたびにむなしさがつのる。こと書籍の世界において、タイトルと論旨は一致しない、というのが読書家の心得だとすれば、本書は読書家のむなしい心得を見事に裏切ってくれる、そういった類の書籍だ。

多くのフィクション論が、「フィクションとは何か」という問いを立て、フィクションの正体を解き明かすアプローチを取る。アプローチの先に展開するのは、フィクションと現実の間にガラスを立て、フィクションをガラス越しに観察するような(多くの場合は一本道の)シークエンスである。フィクションと現実を隔てるガラスには色がついていて、フィクション論の場合、詩学や哲学、言語学、可能世界論といった色がつけられることが多い。

本書が読者に問いかけるのは、そのタイトルの通り「なぜフィクションか」であって、「フィクションとは何か」ではない。つまり本書は、多くのフィクション論とは全く別の動線を設定していると言えるだろう。先述したように、一般的なフィクション論が線形的なシークエンスをとるのに対し、本書はフィクション論のランドスケープを描き出す★1。このランドスケープには、詩学や哲学、言語学や可能世界論といった古くからの樹種はもちろんのこと、生態学やゲーム論といった多種多様な新種も合わさって生態系を形作っている。多くのフィクション論が、現実とフィクションを対峙させ、ガラスの向こう側にあるフィクションを決められたシークエンスに沿って眺めるのに対し、本書におけるランドスケープ化したフィクション論は、現実というフィールドにフィクションという生態系がどのように関係していくのか、ということを鳥瞰的に観察する視座を取る。つまり、本書は「現実におけるフィクションはどのような様相をとるか」を描き出しており、ここに現実とフィクションの明確な対立はない。

翻訳書であること、カバーする領域が広範であることが、本書を読みにくくさせていることは確かだが、適切な入門書★2をガイドブックとすれば、現実とフィクションが織りなす豊かなランドスケープの、そのおもしろさに気づくことができるだろう。

本書の概説は以上にとどめよう。そのランドスケープの豊かさは読者の目で確かめて頂きたいが、建築書の書評において、「なぜフィクションか」という疑問があるのであれば、それを解消しておきたい。現実と虚構の境目がわからなくなってきたといわれる現代において、せめて建築だけはより真正に、リアリティを拠り所にしたいという気持ちは切実なほどに共感できる。よりリアルな物質を、よりリアルな生活に、よりリアルな構成で……。近年の日本の建築物にこのような傾向があることは、わざわざここで指摘をするまでもない。

僕らが身体から逃れられない以上、リアリティは建築の大きな拠り所であるが、同時にフィクションを構築できる、という能力も、僕らには備わっている。もちろんフィクション構築能力が、現代社会をより複雑に、より難しくしている側面があることは承知しているが、フィクションから目を背け、リアリティにばかり目を向けるということは、僕ら人間にとっていささか失礼な態度ではないだろうか。建築が人間を主語とする以上、フィクションだって建築の大きな拠り所となるはずだ。建築家の職能を広げることは昨今の社会情勢が突きつける重要な課題であることは間違いないとしても、その前かそのあと、いやできれば同時に、建築そのものの可能性を広げることもまた、重要である。何もフィクションである必要はないが、別にフィクションでない理由もない。手あたり次第に、広げていけば、おのずから職能も広がるのかもしれない。

本書はそのヒントを鳥瞰的に描き出している。文字になって明確に書かれているわけではないが、そこに建築の生態系を見出すことだって可能かもしれない。本書はシークエンスでなく、ランドスケープなのだから。

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★1:本書は4章仕立てで、構成自体は一本道を取る。しかし、本文にも書いたとおり、扱うジャンルが広範であることに加え、筆者のやや衒学的な書き振りによって、筆者自身が引いた一本道から外れていくため、やや読みにくい。一本道の構成を頭から外し、本書を平面的に広げ鳥瞰的な視点で観察することが、本書における読者の理想的な態度であろう。
★2:フィクション論の入門書として、本書のガイドとなりそうなものを下記に挙げる。改めてフィクション論のフィールドの広大さがわかるだろう。
*物語論としてフィクションを考える:
・野家啓一『物語の哲学』
・橋本陽介『物語論 基礎と応用』
*言語学としてフィクションを考える:
・マリー=ロール・ライアン『可能世界・人工知能・物語理論』
*分析哲学の立場からフィクションを考える:
三浦俊彦『虚構世界の存在論』
*ゲーム論としてフィクションを考える:
・松浦伸司『ビデオゲームの美学』
*現実に視座を置いてフィクションを考える:
・木村敏『心の病理を考える』
*ミメーシスの立場からフィクションを考える:
・アリストテレス『詩学』
・ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』
*メタフィクションの立場からフィクションを考える:
・佐々木敦『あなたは今、この文章を読んでいる。:パラフィクションの誕生』
もちろん、上記以外にもフィクションを論じたものは無数に存在するが、入門書として読みやすいものに絞った。また、筆者の専門は建築学であり、フィクション論は初学者であることを承知いただきたい。

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書誌
著者:ジャン=マリー・シェフェール
訳者:久保昭博
書名:なぜフィクションか?:ごっこ遊びからバーチャルリアリティまで
出版社:慶應義塾大学出版会
出版年月:2019年1月

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立石遼太郎
建築討論

1987年大阪生まれ。武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。Akademie der bildenden Künste Wien留学。東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻修了。現在、松島潤平建築設計事務所勤務。