ドメスティック・ディスタンス|人間のふるまいと衛生の尺度

須崎文代
建築討論
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21 min readJul 31, 2020

046|202008|特集:距離のポリティクス ─── 感染症と建築学の交点|Domestic Distance|Human Behavior and Hygiene order

日本の住まいから姿を消したものがある。

言うまでもなく、住まいの根源は外的環境から身体を保護し、家族が集まって寝食を共にすることを目的としてきた。風土に根ざして発達した伝統的な住まいは、人間の生命過程に不可避の「生老病死」にまつわる営み——すなわち生殖、出産、育児、労働、生産、工作、看病、養老、介護、看取、冠婚葬祭のような行為を内包するものであった。そして、こうしたさまざまな営みに対して、日本の住まいはふすま・障子・屏風などの可動間仕切を目的に応じて移動させ、空間を融通無碍に工夫して使いこなされることで成立していたといえる。

このような住まいは、家族が過ごすだけのものではなかった。基本的に、中流階級や庶民の生活でも女中や僕婢といった使用人が家事労働の一部を担い、その他にも産婆、乳母、書生、奉公人、商人(水売り、汚穢屋を含む)、医者などが出入りした。時節に応じて家内使用人、生業の協働者、寄合の参加者、生老病死の専門的従事者など他者の出入りが前提として想定されていたのである。しかし、こうした労働あるいは穢れや不衛生を伴う営みは、近代以降に社会的機能として外在化され、住まいの内側から消失することとなった。間取りの可変性や土間に象徴される伝統的なつくりも、近代化のプロセスのうちに淘汰された。そして住まいは、核家族(あるいは単身者)の寝食とデジタルメディアを中心とした余暇というごく限定的な目的を果たすためのものとなったのである。

昨今、新型コロナウィルスの世界的流行によって、わたしたちは日常生活と社会システムのあり方を再構築する必要性に直面した。人類の営みを遡れば、人々は危機や問題と向き合うたびに生活の場所やあり方を変えてきた歴史があり、その多くは感染症によるものでもあった[i]。そのため、建築学における衛生との関係性はその発展過程からして不可分の関係にあるのだが[ii]、ここでは特に、生活空間に基準を与える社会的身体としての人間のふるまいと住まいの関係について考えてみたい。

住まいと衛生のディスタンス

まず初めに、伝統的な住まいにおける衛生空間のディスタンスに着目する[iii]。

先にふれたように、日本の伝統的な住まいは開放的なつくりで、自然環境と密接につながるものであったと言われる[iv]。国外との比較で単純に語れるものではないが、柱間に設えた建具を取り外せば全面的に開放できる架構は日本の住まいの特徴といえる[v]。日本の住まいをつぶさに観察したE.S.モースは、その特徴として次のように記している。

「図は、中流の都市の住居をえがいたものである。新開地の道路に面してたてられたものであり、隣りは空地になっている。それでも、周囲を高い塀でかこっているが、これは、日本の住宅が開放的であるため、プライバシーが必要なときには、たかい塀かあつい垣根によるしかないからだ。(中略)居室はみな、直接、庭に面しており、縁側にそって、三つのヘヤが一列にならんでいる。二階の縁側には、かるい庇がかかっている。…縁側は、たいへんひろびろとしており、かりに、住居を二つの部分にわける必要が生じれば、ヘヤのなかの敷居に、襖や板戸をはめて、分割することができる。なお、この図の左手のほうの縁側のはしには、便所がみえる。この家は、したの階が、きわめて開放的につくられており、通風がたいへんよい。」

図1 モースの描いた日本の住まい
(出典:E.S.モース『日本のすまい:内と外』鹿島出版会 1979年)
図2 同上、縁側・庭・便所(出典:E.S.モース、図1に同じ)

室内空間と縁側や庭との関係性にみられる日本の住宅の開放性、あるいは内部空間における可動間仕切りでの使い分けに着目していることは、流石の観察力といえる。このモースの描写からも、住まいの内部と外の自然環境は密接に関係し、自然の採光と通風が保たれる仕組みになっていたことがわかるのである。

こうした住まいの内-外の関係性における水平方向のディスタンスには、建築内外を外壁によって分離する壁式の西洋建築とは明らかに異なる特徴がみられる。その関係性を整理すれば、部屋の内部-縁側(濡れ縁)-軒下-庭-垣・外塀-敷地外(向う三軒両隣-地域)という、いくつかの中間領域の層構成によって成立し、その重層性のなかで人間生活の衛生と自然環境とが緩やかに秩序立てられていた(図3)。槇文彦が指摘した「奥性」とも通ずる特質といえる[vi]。

図3 水平・垂直方向のディスタンス の模式図(筆者作成)

住まいの機能は、先にふれた生老病死に伴う営みや、日常における労働、食事、排泄(糞尿、月経)など、「穢れ」[vii]とされた非衛生的なものをも内包するものであった。農村の住まいでは、農作業、料理、行水、家畜の飼育(厩)を広い土間空間が担保していた(図4)。

図4 戦後農家の土間における労働の様子。
手前に釜(竈)があり、奥に仕事をする人の姿が描写されている。
(茨城県映画『住みよい村づくり』1965年制作[viii]

清潔に保つことが難しい土間と、居室の空間とは、高床という床上空間の設定によって一定の距離が設定されていた。床下空間の確保は湿気(通風)への対策が主な目的だったといえ、さらに屋根(小屋組)は排気装置の役割も含まれていた。このような垂直方向にみられる空間の分節も、衛生環境の実現を目指して成立したひとつの架構といえる。また玄関の語源が、仏道における幽玄な精神世界への境界を示していたように、土間と床上には、浄-不浄を分けるための境界が慣習的なレベルで存在していたと思われる[ix]。その意味で、文字通り土で作られた空間である土間は、自然環境と人間環境の間を取り持つ中間領域の場であったのだ(図3)。

水まわりの設備や空間に目を向ければ、住まいの平面形式はドラスティックに変化したといえる。現代のような上下水設備がなかった時代、水は井戸や川から人力で汲み取って住宅内に持ち込んだ。便所や台所は、主屋の隅に付設するか別棟として配置されるというように、水に関わる設備や空間は住まいの外側に設けられる傾向にあった。町中の会所地や長屋の共同空間には、共同井戸や共同流しがあり、そこでは近隣の人々が顔を合わせながら洗濯や炊事をおこなっていた(図5)。R.P.ドーアが『都市の日本人』[x]で描き出した、生活の諸相がそこにあった。浴室にいたっては、庶民の住宅で独立した風呂の空間が設けられることは殆どなく、行水や銭湯を利用して入浴していた。

図5 長屋の構成と共同井戸・便所
(平井聖『図説日本住宅の歴史』学芸出版社 1980年)

このように、住まいの外縁に設けられていた水まわり空間は、近代住宅の発展によって徐々に内部へと取り込まれることとなる[xi]。管見のかぎり、その傾向は幕末・明治期の洋館から、大正期以降には中流以下の住まいへと展開される[xii]。特に、大正中期以降に本格化した住宅改良や生活改善運動によって住まいの近代化が進み、生活インフラの技術革新は新しい設備装置として住まいの各所に導入された[xiii]。間取りの合理化も進み、台所、浴室、便所という水まわり空間は北側に集約配置される平面形式が一般的なものとなった。当初は照明、換気設備の性能が低かったため、採光・換気の主な拠り所は開口部であり、水まわり空間は外壁に沿って配置するのが定石であった[xiv]。やがて設備の性能が発達することで、水まわりは間取りの外縁に居残る必然性が無くなり、住まいの内部へと取り込まれていく[xv]。台所はかつて臭気や物音が不快なため(あるいは使用人が働く空間だったため)居間・食事室と離れた場所に配置されていたが、いまではリビングの中心的存在となった。「臭い・汚い・怖い」の三拍子が揃った便所は、いまでは明るく清潔な空間となり、こうした印象とはかけ離れたものに変化したのである[xvi]。

日本人のふるまいと外界とのディスタンス

「起きて半畳、寝て一畳」─── 。

この一文に象徴されるように、建築の寸法体系を根本的に条件づけるのは身体とそのふるまいである。レオナルド・ダヴィンチによるウィトルウィウス的身体図やル・コルビュジエのモデュロールなど、身体に基づく寸法体系のレギュレーションは世界の各地で見られる(図6)。わたしたちが空間のリデザインを試みようとするとき、身体への着眼は不可欠なものといえる。

図6 身体と空間寸法の関係(エルンスト・ノイフェルト1936年)
(出典:” Home Futures”, Rhe Design Museum Catalogue 2019)

この観点から、日本人のふるまいや身体技法[xvii]と衛生観の関係に着目すると、いくつかの特質が見出せる。とくに日本人の清潔感については、明治初期に来日した外国人が頻繁な入浴を習慣とする生活態度を紹介するなど[xviii]、好意的に評されることが多いのは注目に値すると思われる。

まず、諸外国と大きく異なるのは、靴の脱ぎ履きである[xix]。洋風化によってイス坐が一般化した現代の住まいでも、玄関での靴脱ぎはほぼすべての家庭で残っている。開国当時、歴史学者トインビーが「どうぞそのままお入りください。」と言われ、床上を清潔に暮らす日本の住まいに土足で入ろうとする方が野蛮なのではと自分を恥じたという[xx]。モースも、靴のまま室内に入ることは「日本では、それは、たいへん下品で、無礼なふるまいとされる。」と記している[xxi]。上記のような、土間と床上を境に、浄-不浄を分節する慣習に根付いた衛生観は大きなものがありそうである。

次に、人と人とが対面するときの距離感である。日本人は、社会階層に応じた辞儀をする慣習をもっていた。最敬礼の場合、体を90度近く前屈させ、床坐の場合は額を床面に近づける。この時に必要な寸法がおよそ半間で、対面する両者で行う場合は最低一間を必要とする。このレギュレーションが、一畳ないし一間という柱間の関係性に見いだされるのは興味深い[xxii]。ちなみに、誤解を恐れずに付言すれば、一間(1.818m)と今回のコロナウィルスでソーシャル・ディスタンシングの距離として示された6フィート(1.828m)[xxiii]が近似している点は、単なる偶然か否かここでは明確な答えを有しないものの、今後、空間のあり方を検討する上で何かしらの指標を呈する可能性にも注目される。

さらに特筆すべき点は、自然界との距離である。発酵食や糞尿の肥料利用を伝統とする文化は日本だけに限られたものではないが、八百万の神を自然界のさまざまな部分に見出し、住まいではとくに竈や便所などの衛生空間に神仏を祀る[xxiv]など、自然の営みのなかに人間生活の拠点を定めようとした姿勢が認められる。汚穢屋による人糞の売買にもとづく都市-農村の関係は、遅くとも近世から20世紀初期までは続いていた。また、盃を交わすことや、銭湯や便所のような水まわりの共同利用など、菌を共有する生活習慣は生命維持におけるある種の役割を果たしていたと考えられる。近代に発展した衛生論によって人間は清潔な生活空間を実現してきたが、一方では極端な清潔思想によって、無菌状態を理想とするような誤った衛生観が見られる。人間も生物である以上、常に何千という種類の菌類と共存関係にあるのであり、その均衡によって生命が保たれているという事実は、多くの専門家が指摘するところである[xxv]。極端な衛生思想が身体を弱体化させることを考えれば、共生関係を前提にした住まいのあり方を検討する必要性は看過し得ないだろう[xxvi]。

社会と住まいの依存関係

最後に、住まいの共同性について考えてみたい。

フランス北部の町ギーズに、ファミリステールという生活共同体がある。鋳鉄ストーブを製造する企業主ジャン・バティスト・ゴダン(1817–1888)が実現したユートピアである。ゴダンは、フーリエ(1777–1837)の提唱したファランステールに共鳴し、この共同体が生活するための集合住宅と関連施設群(1858–1883)を建設した。産業ユートピアの共同住宅としては、ポートサンライト(イギリス)、クルップ(ドイツ)や鐘ヶ淵紡績(日本)などが知られるが、それらの嚆矢ともいえる。

このファミリステールは工場と社宅、娯楽・教育施設などが複合的に計画され、その中心的な建物として4階建の共同住宅がある。図7のように、ガラスの屋根のかかった中庭を囲んで各階の廊下が廻り、そこから各住戸へつづく構成になっている。中庭は、居住者の共同空間として、交流などのために設けられた。ここに立つと、床下の排水管を流れる水音が響き渡るのが今でも聞こえる。各階には共同便所や水飲み場、各住戸内に水道が引かれ、共同住宅の建物以外では共同洗濯場(図8)と同じ建物内のプール、共同保育所など、衛生環境にかなりの配慮がなされていたことが読み取れる。労働者とその家族は、各住戸内で私的な生活を送り、中庭や住戸外の施設群、外部の庭園ではさまざまな営みを共同していた。現地やアーカイブ資料をみる限り、ここで生活した人々の生き生きとした暮らしが想像できる。

図7 中庭での子供の祭り(1909年)©Familistère de Guise 2018
図8 共同洗濯場の様子(1899年)©Familistère de Guise 2018

こうした共同体の実践は多くの示唆を呈するものだろう。ファミリステールで実現された共同住宅は、当時のフランスの劣悪な衛生状態を鑑みれば、きわめて革新的で周到な計画にもとづくものであったことが分かる。しかし、その基層をなしているのは「住戸-社会(ここでは労働と余暇の共同)」という二元論的な仕組みである。それに対して日本の伝統的な住まいは、上記の通り、内外の関係性がいくつかの中間領域によって細やかに分節され、多元的な構成によって居住のための衛生空間と労働や自然といった非衛生なものを含む空間が使い分けられていた。この特質は、モースが指摘したように、他国に例をみないものといえそうである。その意味で、住まいのあり方を模索しようとするとき、日本の生活の秩序とそれを成立させた身体のふるまいに目を向けることが、あらたな知見を導き出すきっかけとなるのでは、と筆者は考えている。

翻って現代の都市生活は、労働をはじめとする生活のさまざまな部分を社会機能として外在化させ、住まいの機能はごく限定された目的を充足するためのものとなった(図9)。建設技術や設備性能の発達によって、それは安定的で独立したもののように見える。しかし実際は、電気・ガス・上下水道のような生活インフラをはじめ、冒頭にふれた多くの社会的機能を外部に委ねた非常に他律的な仕組みであり、ひとたびそれらとの関係に問題が生じた場合は機能不全に陥るという脆弱性を常にはらんでいるものといえる。震災、水害、感染症の流行などの都市災害がこの問題に直結することからも明らかだろう。

図9 住まいと社会のディスタンス 模式図(筆者作図)

さらに、新型コロナウィルスのパンデミックで強いられた自粛生活により、家庭と社会との距離は世界的に見直されるべき課題となった。自律的な家庭生活に必要な空間や機能が、一般的な現代住宅に欠如していたことがあらわになったのである。家庭内暴力や熟年離婚ならぬ「コロナ離婚」の増加は、家族の多様な生活——具体的には、普段は外で働く夫(父)や妻(母)が家庭内で労働すること、疾病予防や看病を受容すること、それらと乳幼児や高齢者が同居すること、外的な環境を期待せずに豊かに暮らすことなどを受容するための大らかさが、住まいに不足していることを示しているように思われる。また、家庭内での共同性も変質していることは明らかである。ハンナ・アレントが指摘するように[xxvii]、近代の住まいは消費生活のためのものとなり、黒沢隆の個室群住居(1968年)で提示された家族間の関係性は、情報社会の現代になってさらに加速している。個人と共同性の問題、あるいはアレントのいうヴィタ・アクティーヴァ≪活動的生活≫と住まいの関係性が見直されていくように思われる。

能率主義や衛生思想を追求した近代は、きわめて合理的で無駄のない住まいを成立させた。しかし人間が生物である以上、極度な合理化がもたらすネガティブな側面もまた検討される必要があることを、今回のパンデミックを通して思い知らされたのではないか。この観点に立つとき、たとえば再生産を繰り返す自然環境と共生し続けるためには、その営みのサイクルである再生産という根源に建築の照準を合わせることが、世界のあり方を左右するのではないか、などと想起される。

そもそもCovid-19のような新型ウィルスの流行は、無秩序な開発行為が自然界の生態バランスをふくむ地球環境を変容させたことが原因だとする指摘もある[xxviii]。いま、どのようなパラダイム・シフトによって生活環境の再構築が可能か、知的な生物としての「人間のふるまい(ヒューマン・ビヘイヴィア)」が、あらためて問われている。

脚注

[i] ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』草思社 2012年、『危機と人類』日本経済新聞出版 2019年

[ii] 拙稿「住むための衛生の軌跡」(LIXILビジネス特集≪社会と住まいを考える≫2020年6月)では、近代住宅における衛生改良の試行錯誤について論じた。たとえば、ル・コルビュジエ『建築をめざして』(1923年)の言説からも、衛生を志向していたことが読み取れる。
https://www.biz-lixil.com/column/urban_development/sh_review001/

[iii] 本稿は、科学研究費補助金 研究課題16K18222「大江スミのイギリス留学による明治期の住居衛生論の導入と国内での展開に関する研究」(2016–19年度)の研究成果をふまえたものである。拙稿「住むための衛生の軌跡」(LIXILビジネス特集≪社会と住まいを考える≫2020年6月)では、近代住宅における衛生改良の試行錯誤について論じた。

[iv] 宮本常一『絵巻物に見る日本庶民生活誌』(中公新書 1981年)など、建築史以外の文献にも見られる。なお、こうした文化史論では土間での生活についても記されている。

[v] エドワード・シルベスター・モース『日本のすまい:内と外』鹿島出版会 1979年

[vi] 槇文彦「Ⅴ 奥の思想」『見えがくれする都市―江戸から東京へ (SD選書)』鹿島出版会 1980年(初出:「日本の都市空間における奥」『世界』1978年12月)

[vii] 宮田登『ケガレの民俗誌:差別の文化的要因』筑摩書房2010年等

[viii] YouTubeにて閲覧可能である。https://youtu.be/rWRHFl7pOuk(2020年7月21日確認)

[ix] これは、太田博太郎『図説 日本住宅史』(彰国社 1948年)で指摘されている。在来の竪穴住居と弥生時代に伝来したと考えられている高床住居における階層性の意識の名残とも考えられる。磯崎新『建築における「日本的なもの」』(新潮社)では、太田が「竪穴住居=下層階級=民家、高床住居=貴族階級=寝殿造り/書院造りという社会階層が住居の建築型をそれぞれ独自に算出しているという図式を提出したことによって知られている(以下略)」と述べられている。

[x] R.P.ドーア著、青井・塚本訳『都市の日本人』岩波書店 1962年

[xi] 筆者は、水まわり等に着目した平面形式の変化について継続的に研究を行っている。

[xii] 内田青蔵『日本の近代住宅』鹿島出版会 1992年

[xiii] 科学研究費補助金(特別研究員奨励費)研究課題10J05299「技術革新からみた台所の変遷に関する研究-明治・大正・昭和の都市住宅を中心として-」(研究代表者 須崎文代 2010–2012年度)

[xiv] 須崎文代「明治・大正・昭和初期の検定済高等女学校用家事教科書にみる日本の台所の近代化に関する研究」学位論文(神奈川大学)2014年

[xv] 拙稿「家事教科書にみる家庭生活の近代化:その2 戦後昭和期の台所変革における機能の多様化について」日本生活学会『生活学論叢』14号 pp.17–29a、2009年3月

[xvi] 拙稿「東方学研究国際フォーラム「厠所(便所)革命」に参加して:共同研究「便所の歴史・民俗に関する総合的研究」に向けて」『民具マンスリー』52(3)、2019年6月

[xvii] マルセル・モース『社会学と人類学 I・II』(有地亨・伊藤昌司・山口俊夫訳 弘文堂1973年:原著 ”Sociologie et anthropologie” 1950)

[xviii] 註[v]に同じ

[xix] くつの脱ぎ履きと床との関係性については、平井聖『日本人の住まいと住まい方』(放送大学叢書 2013年)第四章「はきものをぬぐ」に詳しい。そこでは、「家の中を清潔に保とうとする日本人の感覚が、床と素足の関係をもたらしたのだと思う。」と述べられている。

[xx] 同上(註[xix])

[xxi] 前掲書(註[v])

[xxii] 西和夫『二畳で豊かに住む』(集英社新書 2011年)では、一間四方の狭小空間を志向した住まいのあり様について論じられており大変興味深い。

[xxiii] “What is social distancing and how can it slow the spread of COVID-19?” (英語). The Hub. Johns Hopkins University (2020年3月13日). 2020年7月9日閲覧。
https://hub.jhu.edu/2020/03/13/what-is-social-distancing/

[xxiv] 飯島吉晴『竈神と厠神:異界と此の世の境』講談社学術文庫2007年

[xxv] デイビッド・モントゴメリー『土・牛・微生物-文明の衰退を食い止める土の話』築地書館 2018年、藤原辰史『分解の哲学―腐敗と発酵をめぐる思考―』青土社 2019年等。

[xxvi] 日本を含む世界のいたるところで、人間や家畜の排泄物は農業用の肥料とされてきた。生物界では、高位の動物の糞尿が低位の生物の生物として取り込まれ、分解される仕組みが、土壌の形成につながっている。筆者が代表を務める共同研究「便所の歴史・民俗に関する総合的研究」(日本常民文化研究所 基幹研究)では、便所と糞尿の扱いの歴史や衛生観の文化間比較についての検証を行っている。
公式サイト:http://jominken.kanagawa-u.ac.jp/research/toilet/

[xxvii] ハンナ・アレント『人間の条件』中央公論社1973年、ちくま学芸文庫 1994年

[xxviii] 人間生活を見直す必要があるという警鐘は、ダイアモンドやユヴァル・ノア・ハラリといった碩学たちが人類史・生物学・考古学を包括する観点から述べている通りである。(日経ビジネス電子版「ジャレド・ダイアモンド氏『今こそ、次のウイルスのことを考えよう』」2020年3月25日、Web河出「全文公開第二弾! ユヴァル・ノア・ハラリ氏(『サピエンス全史』ほか)が予見する「新型コロナウイルス後の世界」とは? FINANCIAL TIMES紙記事、全文翻訳を公開」2020年4月7日他。)しかし、こうした危機については、レヴィ=ストロース、アンドレ・ルロワ・グーラン、ハンナ・アレントらによってかなり前から指摘されてきたことでもある。

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須崎文代
建築討論

すざき・ふみよ/神奈川大学工学部建築学科特別助教。神奈川大学日本常民文化研究所所員。博士(工学)。専門は近代住宅・建築史、生活史。主な共著=『台所見聞録──人と暮らしの万華鏡』(LIXIL出版2019)、『奇跡の住宅──旧渡辺甚吉邸と室内装飾』(LIXIL出版2020)ほか。