モダン・デザインの倫理を問い直す(評者:中村健太郎)

中村健太郎
Jun 30, 2018 · 4 min read

動かないエスカレーター、感度の悪い自動ドア、スマートフォンのバッテリーが切れる瞬間…。「デザインが役に立つのをやめた瞬間」に感じられる、奇妙で不穏な感覚に覚えはないだろうか。機械への憤りというより、なぜか自分自身の不能として感じられる当惑。その不安。

本書は、こうした感情にユニークな解釈を与えてくれる。そもそも機械は、人間に存在論的な不安を与えるものではなかったか。私たちはデザインの失敗に不安を感じるのではなく、「デザインが役に立っている間だけ、機械への不安を感じずに済んでいる」のではないか?

本書によればそうした疑問は、「良いデザイン(Good Design)」というモダン・デザインの「倫理(ethic)」に関係している。世界大戦を通して育まれ、MoMAをはじめとする展覧会や出版物によって制度化されたそれは、産業革命が生んだポスト・ヒューマン思想の主題、「機械のデザインを通して、人間そのものが作り変えられているのではないか?」という恐怖を麻痺させる「麻酔(anesthetic)」に他ならない。我々を取り巻いているのは、蜘蛛の巣のように張り巡らされた「良いデザイン」が、人間と機械の衝突──不可逆な人間存在の改変──を、痛みなどないかのように、絶えずなめらかに見せかける世界なのだ。

著者は、モダニズムのリビジョニストとして名高い建築史家・建築理論家夫妻のマーク・ウィグリーとビアトリス・コロミーナ。彼らが2016年に行った第3回イスタンブール・デザイン・ビエンナーレのキュレーションを元にした本書は、「我々は、人間なのか?」という問いを導きの糸として、「デザインによる人間のリ・デザイン」の数々を露悪的に書き綴ってゆく。

建築もまた、モダン・デザインの一翼を担ってきた。コルビジェにおける「健康」のモチーフから、モダニストたちの「衛生機器(トイレ)」への執着、建築パースに現れる「棒人間」まで、取り上げられるトピックは幅広い。しかし本書の問題意識が頂点に達するのは「ソーシャル・メディア」においてである。著者に言わせれば、それは自分の存在をリ・デザインするツールであり、同時にリ・デザインのメディアである。プライバシーの切り売りと引き換えに行われる、自発的な自己改変の全面化。そこに人々を駆り立てるのは、「良いデザイン」──いいね!──の倫理に他ならない。皮肉と呼ぶには刺激が過ぎる告発で、本書は幕を閉じる。

しかしすぐさま注意を促したいのは、情報環境の裏側にある労働のリアルである。FacebookやYouTubeは一部の投稿を人力でフィルタリングし、Amazonの物流センターではロボットができない仕事のために人が雇われている。私たちは本書の諦観を超え、すでに始まっている「良さ」の暴走を直視し、デザインに関する「いいね」以外の倫理を生み出さねばならないはずだ。

そのとき建築学は、現代の機械が人に与える「痛み」の形を、どのようにイメージできるだろうか。


書誌
書名:我々は人間なのか? — デザインと人間をめぐる考古学的覚書
著者:ビアトリス・コロミーナ、マーク・ウィグリー
訳者:牧尾晴喜
出版社:ビー・エヌ・エヌ新社
出版年:2017年10月

建築討論

建築をめぐる幅広い批評的議論のプラットフォームを提供する日本建築学会のウェブマガジンです。

中村健太郎

Written by

なかむら・けんたろう/建築家、プログラマ。1993年大阪府生まれ。2016年慶應義塾大学SFC卒。専門はアルゴリズミック・デザイン。学生時代より批評とメディアのプロジェクトRhetoricaに携わる。現在はNPO法人モクチン企画にて建築設計・システム開発に従事。

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