[201807特集:AIと都市 ── 人工知能は都市をどう変えるのか?]

吉村有司
Jul 1, 2018 · 23 min read

まだ雪がちらつく2018年4月上旬、ハーバード大学デザイン大学院(GSD)にて、イルデフォンソ・セルダ(Ildefonso Cerdá, 1815–1876年)が著した「都市計画の一般理論」の英訳出版を記念するシンポジウムが開かれた[図1]。副題は「都市を創る科学」。都市化/都市整備(urbanización)という用語と共に、世界で初めて都市計画に科学を持ち込んだと言われているセルダの著作は、コレラ菌をマッピングしパターン抽出をしたジョン・スノー(疫学の祖)や、ダーウィンの「種の起源」とほぼ同時期だ。労働者の生活水準について訪問調査を行い、統計結果からパターンを抽出する。そんなセルダの試みをいまの言葉でいうならば、「データを用いたまちづくり」と言えるだろう。

図1:GSDで行われた「都市計画の一般理論(イルデフォンソ・セルダ)」の英訳出版を記念するシンポジウム風景。登壇者はジョアン・ブスケッツなど。

筆者は幸運にも「データを用いたまちづくり」の最前線に、ヨーロッパでは実践者として、アメリカではアカデミックの世界から関わる事ができた。IoTを中心としたビックデータ収集からオープンデータへ、さらにはディープラーニングへと、現場は常に様々なアイデアで満ち溢れ、見たこともない風景が立ち上がる瞬間に何度も立ち会う幸運に恵まれた。リアルタイムに起こっているこれらの変化を、出来るだけ具体的に、そして分かり易く伝えることが本稿の目的だ。特にハーバード大学やMITがひしめくアメリカ東海岸で、いま何が議論され、どんなプロジェクトが進行中なのかを、その背後にある理念と共に紹介する。建築や都市計画、まちづくりにとってのAIやビックデータの可能性を感じてもらいたい。

AI技術とビックデータ:都市への応用

デジタル時代における「都市のイメージ」

図2:リンチ, K. 丹下健三, 富田玲子訳「都市のイメージ新装版」岩波書店, 2007.

現在筆者のチームでは、ケヴィン・リンチの「都市のイメージ(1)」[図2]をデジタルテクノロジーによって新たに捉え直すプロジェクトを進行中だ。都市に関するイメージは極めて個人的な産物である一方、ある地域に住む住民のあいだでは集団的なイメージが共有されてもいる。個人レベルのイメージをビックデータとして収集し、それらを重ね合わせることによって、街のパブリックイメージを抽出することは出来ないだろうか、これがこのプロジェクトの始まりだった。試行錯誤の末、主に二つの方向で取り組むことになった。一つはクラウドソーシング技術を用いたデータ収集法の確立、もう一つはコンピュータ・ビジョンを用いた「イメージアビリティ」のマッピング技術の開発だ。

クラウドソーシング技術を用いた感情データの収集は近年注目を集めている。MITメディアラボのセザー・A・ヒダルゴ(Cesar A. Hidalgo)氏のチームでは、グーグルストリートビューから無作為に2枚の写真を選び出し、それらを対にして見せながら、「どちらの風景が安全そうですか?」などと問うことによって、「感情のビックデータ」を作り出すことに成功している(2)。筆者のチームではこの考え方をさらに一歩進め、「地理推測ゲーム(Geo-guessing game)」に仕上げることによって、ある特定のランドスケープに対する人々の記憶の定量化に挑戦している(3)。このプロジェクトでは、被験者の属性データの収集も試みた為、性別や年齢、対象エリアを訪れた回数などによる都市のイメージの変化や傾向、パターンなどが詳細に分析された[図3, 4]。これはリンチが用いたスモールサンプルでは決して明らかにすることが出来なかった類の分析であり、当時の技術的限界ゆえにリンチが超えられなかった壁だともいえる★1。

図3, 4:分析結果の一部を示す(Figure 4 in He et al. (2018)を元に筆者が作成)。属性データから得られた対象エリアへの訪問頻度とエリア認知度の関係を分析したところ、訪問回数と地理的な知識の広がり方に相関関係があることが分かった。またその広がり方がどのように変化するのかを視覚化ツールを用いて明らかにすることが出来た。

これらの結果を踏まえ現在取り組んでいるのは、コンピュータ・ビジョンを活用した「イメージアビリティ」の定量化だ。ボストンには様式が統一されている建物が比較的多く残っている地区が存在する(例えばリンチが好んで取り上げているビーコン・ヒルなど)。そこは17世紀頃から建て始められたオレンジ色のブロックによる建物群が非常に美しい風景を作り出している[図5]。また、1636年創立のハーバード大学のメインキャンパス付近なども、当時の趣を残す非常に美しいエリアとなっている。リンチによれば、視覚的に統一されたエリアは人々の心に強いイメージを引き起こすため印象に残り易い。つまりは「イメージアビリティが非常に高いエリア」ということになる。そのようなエリアをコンピュータ・ビジョンで自動判定しようという試みだ。

図5:ボストン、ビーコンヒル地区の典型的な風景

この目的の為に用いているのがディープラーニングというAI技術だ。大量データを分類する際、その分類精度は「データのどんな特徴に注目するか」にその多くを依っている。いままでそのような特徴を抽出しコンピュータに教えるのは人間の仕事だった。つまり人間の側から見た特徴をあらかじめ抽出し、それを知識としてコンピュータに教え込んでいた。その作業をコンピュータ自身にやらせようというのがディープラーニングの基本的なアイデアだ。

図6:クラスタリングの分析結果の一部を示す。同じ色の丸印が付いているのが同じクラスタに分類された風景写真。筆者作成。

グーグルストリートビューから取ってきたボストン市内の写真を入力してやると、コンピュータが勝手にそれぞれの写真の特徴を見極め分類し始める★2。その判定には我々人間の先入観や経験といったものは一切介入しない。また、コンピュータは我々の意図を理解している訳ではないし、我々の感情を理解している訳でもない。文字通り「機械的に」分類しているだけだ[図6]。

そのようにして得られた計算結果は実に驚くべき様相を示し始めている。我々のコンピュータはビーコン・ヒルやハーバード大のキャンパスなどを「統一された風景とは認識しない」という結果が出てきたのだ。これはつまり、コンピュータが自ら獲得した風景の特徴量やその概念と、我々人間が持っている概念の間に差があるということに他ならない。もしかしたら我々人間の眼では感知することが出来ないランドスケープの特徴や、我々が認識していない空間的な差異などが機械には見えているのかもしれない。

博物館とAI

その一方、筆者は2010年からルーヴル美術館(パリ)とビックデータという文脈でコラボレーションを展開している。独自に開発したBluetoothセンサーを用いて来館者の移動軌跡や滞在時間をビックデータとして取得し、それらを解析する事によって彼らの行動パターンを抽出する試みだ(4)[図7]。

図7:Bluetoothセンサーの位置関係と、各作品間の来館者の移動量。Figure 3 in Yoshimura et al. (2017)を元に筆者が作成。

間違ってはいけないのだが、データは集めれば良いというものではないし、規模が大きければ良いというものでもない。データ数が大きくなるということは、それだけパラメーターが増えるということでもあるので、データ分析の難易度が上がる。このプロジェクトが始まったばかりの頃は、来館者が各作品間を移動する遷移確率に注目してパターンを抽出していた。しかし日々蓄積され続けるデータが指数関数的に大きくなるにつれ、解析方法を変えなければにっちもさっちもいかない状況に追い込まれた。そこで採用したのが、機械学習を用いたパターン認識だ。何百万と集めてきた来館者の移動軌跡を、その他の属性データなどと共にコンピュータに放り込んでみる。すると、ある経路を進んできた属性iを持つ来館者は〇〇パーセントの確率で〇〇の作品へ進むという未来予測モデルが可能になったり、ある共通項を持つクラスタに分けたりすることができる(例えば、お昼過ぎに入ってきたグループはより長く館内に滞在する傾向があるなど)。機械学習のうちのひとつである「教師なし学習」と言われるこの手法は大量データの中に潜在する一定のパターンやルールを抽出するのに良く使われる。これらのモデルを使いながら現在我々が力を入れているのは、身体移動データから人々の心の内側を垣間見られないかという試みだ(5)。

図8:各作品周りの来館者の密度と鑑賞時間の関係性。Figure 6 in Yoshimura et al. (2017)を元に筆者が作成。

x軸に作品jの周りに群がっている来館者の密度、y軸に来館者一人一人の鑑賞時間を取り、それをプロットしてみる。すると、驚くべきことに異なる作品間で類似した分布が発見された[図8]。このカーブは以下のように解釈できる:通常、何重もの人垣が出来てしまうほど大人気のミロのビーナスだが、開館直後には殆ど来館者がいない(上の図のポイントA=低密度)。そのような環境では、他の来館者に鑑賞行為を邪魔されることは殆どないので、鑑賞時間は増加する(ポイントA-B間)。しかし時間が経つにつれ、段々と作品の周りに来館者が集まってくる。いまだ他の来館者の存在が気になるほどではないが、来館者の鑑賞時間はある一定の値で高止まりする(ポイントB-C-D間)。しかし、ある一定の密度を超えると、来館者は他の人に押されたり、自分との距離があまりに近くなったりするため(つまりパーソナルスペースを侵害し始められる為)、居心地の悪さを感じ始める。すると、来館者の鑑賞時間に変化が現れ始める。鑑賞時間が減少し始めるのだ(ポイントD)。もちろん来館者が本当に居心地の悪さを感じているかどうかはインタビューなど質的データを取ってみないと分からない。しかしこのプロットが示していることは、身体的な移動データだけからでも、人々の心理状態を知り得る可能性であり、それら客観データに基づいた、空間の快適性を保つリアルタイムマネジメントの可能性だ。

「ビックデータは都市理論を変えるか?」

以上見てきたように、建築やまちづくりの最前線では、人々の記憶や感情といった内面の指標化に基づいた環境デザインやまちづくりが実装可能なレベルにまで高められつつある。かつては崇高なデザインこそが人々の心を満たし、都市生活に潤いを与えると考えられてきた。美しい環境こそ、我々の生活に喜びを与え、健康や活力を導くと信じられてきた。しかし、この「美しい」という基準すらも、AIやビックデータで指標化されてしまう時代だ。それは我々の都市とその創り方、デザインの仕方を根底から変え始めている。

一方で、ビックデータやAIを用いた実践が建築理論や都市理論を更新するのかどうかはいまだ未知数だと言わざるを得ない。そもそも数式を使う我々は、多彩な人間のアクティビティをそれらしく表すために、人々の様々な側面をそぎ落とす傾向にある。数式モデルに落とし込むとは、人間がもともと持っていた「ゆたかさ」みたいなものを単純化することに他ならない。また、上の例で示したように、ビックデータ解析では人々の身体的な位置情報だけでなく、感情などといった内面までもが分析出来てしまう。その街に住む人々の希望をプランニングに落とし込む行為、それが都市計画だとしたら、その希望すらもビックデータで解析出来てしまう可能性がある。これは都市計画の夢なのだろうか、もしくは悪夢なのだろうか。

このような背景から、ハーバード大学デザイン大学院(GSD)とマサチューセッツ工科大学建築・都市計画学部は共同で「都市とテクノロジー」と題する連続シンポジウムを、この春に開催するに至った。ビックデータの実践者を都市理論家と同じテーブルにつかせることによって、ビックデータの可能性とその限界を浮かび上がらせようという試みだ。GSDで開かれた記念すべき第一回目(「ビックデータは都市理論を変えるか?」★3)には、都市ビックデータ解析の旗手、カルロ・ラッティ(Carlo Ratti, MIT Senseable city lab)氏やヒダルゴ(MIT Media lab)氏と共に、建築史家のアントワン・ピコン(Antoine Picon, GSD)氏らが登壇した。立ち見が出るほど超満員の観衆を前に、ピコン氏はビックデータ解析に対して懐疑的な態度を表明していた。ヒダルゴ氏のクラウドソーシング手法を用いた都市の感情ビックデータに対し、「彼らの提案している手法は物理学や生物学などで用いられている純科学からは程遠く、バイアスを含んでいるため、分析結果は信用出来ない」という趣旨のことを語ったのだ★4。さらに、ヒダルゴ氏の分析フレームワークにも問題ありとのこと。例えば、「この写真のどちらが安全だと思いますか?」といった際の「安全」とは一体何を指しているのか?と厳しく問い詰める場面があった。

シンギュラリティへの関心の増大に見られるように、近年ではアルゴリズムがなんでも解いてくれそうだという、AIへの過度の期待感が世の中に充満している。しかし現場で日々コンピュータと格闘している我々の感覚からすると、ビックデータはそれだけで何かを語ってくれるものではないし、様々な分野で先人たちが築き上げてきた都市論に取って代わるものでもない。博物館学の分野で言えば、筆者が提案している来館者のビックデータ解析は、約100年の歴史がある来館者研究(6)という分野を根底から覆すパワーはない。また、伝統的に「都市美」が議論され続けている都市計画の分野でも、コンピュータが「美」という概念を獲得したり、「集団としての美」がどのように形成されるのか等、心理プロセスを明らかにすることはまだまだ難しいと思われる。しかし微力ながらも、それら従来から行われてきた研究に新たなる1ページを付け加えるということは出来るのではないか。ヒューマンパワーだけでは収集が難しかったデータを自動的に集めたり、スモールデータでは記述が難しい箇所を補う、そんな位置付けだ。

図9:バルセロナ市のネットワーク分析(中心媒介性)。Yoshimura et al. (2018)のコンセプトを元に筆者作成(11)。

例えば、オープンストリートマップから引っ張ってきた街路ネットワークをネットワーク分析に掛けてみる[図9]。AI技術とグーグルストリートビューを組み合わることによって自動収集した「街の緑被率(7)」と比べてみることにより、緑地のヒエラルキーと街路ネットワークのヒエラルキー(中心媒介性など)の相関性が明らかになる。緑地の形成が都市の美に寄与しているかどうか、それを定量的に測定することができる。逆に、ビックデータだけでは扱うことが難しい市民意識やシビックプライドの醸成に関しては、クラウドファウンディングなどを利用することもできるだろう。バルセロナでは行政を巻き込む仕組みとして、マッチファウンディングなどの仕組みも試験的に運用し始めている。ビジネスに特化したクラウドファウンディングではなく、市民や地域活性化に特化したcivic志向なクラウドファウンディングが出てきているところなどは、都市共同体思想が都市開発の根底にあるバルセロナらしいと思う。

今度の人材育成について

反対に、登壇者一同が同意していた懸念事項が今後の人材不足だ。建築理論や都市理論とデータサイエンスを橋渡し出来る人材は世界的に見てもまだまだ少ない。都市論を得意とする建築家はコードを書いてビックデータを扱うことが苦手だし、データ分析が得意なデータ・サイエンティストは概して都市論が得意ではない場合が多い。この乖離は筆者が今から約15年前にバルセロナで直面した状況と似ている(8)。

図10:バルセロナ市が進めている歩行者空間化計画(superilla)の社会実験。今後数年間で、市内の車両専用道路の約60%以上を歩行者空間に変更するという計画。この計画の為に様々なセンサーからあらゆるデータが集められ、「エビデンスに基づいたまちづくり」が行われている。

セルダの伝統を受け継いでいるバルセロナでは、90年代初頭から、いまでいうところのビックデータを解析し、科学的な分析とシミュレーションを用いて歩行者空間計画に説得力を持たせていた[図10]。その光景は、模型とスケッチがまちづくりにおける主要な道具だと思い込んできた筆者にとって新鮮な驚きだった。データという客観的な指標と分析を持ち出されたら、我々建築家の発言力は急速に弱まるのではないか、これは現在世界中の建築スクールが直面している問題と直結すると思われる。建築とデータサイエンス、そのバランスをどう取っていくかという問題だ[図11]。

図11:歩行者空間計画の説明をする市役所側の代表者達(中央で椅子に座っているグループ)と地域住民との対話の風景。交通渋滞の軽減、それに伴う騒音や空気汚染の減少などが「科学的に」実証されている計画でも、住環境の変化に敏感な住民との間には時に軋轢も生じる。公共空間が市民の主張の場であり、そこに文字通り「車座になって」夜遅くまで議論が続けられている風景からは、まちづくりにはデータを用いた科学的分析と同時に、face-to-faceでの話し合いも重要なのだということを教えてくれる。

建築に限らず、MITでは学部レベルからPythonなどのプログラム言語やGIS、さらにはディープラーニングなどのクラスが自由に取れるカリキュラムを組んでいる。また、ビックデータを用いたヴィジュアライゼーションのクラスを始め、GIS labやFab Labなど、デジタル教育に関してはかなりの可能性が用意されてもいる。その一方でMITの特徴として、学部レベルでは最新テクノロジーはあまり教えない傾向にあると筆者は感じている。先端技術を教えても、「先端であるが故」に、教えた知識は数年で役に立たなくなってしまうからだ。だからこそ、単に科学や技術の知識を詰め込むというよりは、それらを使う人間や社会への問いの方に力を入れている気がしてならない。

図12:ビアトリス・コロミーナとマーク・ウィグリーによる「我々は人間なのか?」と題されたカンファレンス

例えば2017年11月下旬にMITの建築学部で行われた、「我々は人間なのか?」と題する連続レクチャー[図12]にそのことを垣間見ることができる。招かれたのは、バルセロナで建築を学び、「マスメディアとしての近代建築(9)」でメディアと建築の関係性を論じたビアトリス・コロミーナ(Beatriz Colomina)氏と、脱構築主義の建築理論で注目を集めたマーク・ウィグリー(Mark Wigley)氏だ。彼らのバックグラウンドなどから、最新メディアと建築の関係性や、AIの進化が都市デザインに及ぼす影響などが語られるものだろうと多くの聴衆は思っていた。しかし彼らの口から語られたのは予想だにしていなかった展開だった。彼らは、「ポスト・ヒューマンという思想は20世紀の近代デザインの後に起こるものではなく、ポスト・ヒューマン思想への反応こそが近代デザインだった」と論じたのだ(10)。彼らによると、産業革命で機械が社会に入り込んできた際、近代社会はロボットに最適化されたシステムを構想しながら社会空間をデザインしてきたのだという★5。

このような視点は、筆者を含めその場に居た多くの研究員や学生にとっては新鮮な驚きだったと思う。AIやビックデータ、さらにはシンギュラリティという言葉から、ともすれば我々は「ポストヒューマンの世界、ポストヒューマンを想定したデザイン」というアイデアに短絡的に走ってしまいがちだ。しかし、AI全盛期のいまだからこそ、デザインとはなにか、テクノロジーを生み出す人間とはいったい何なのかを真摯に問い掛ける姿勢こそが大事なのだと、彼らはメッセージを送っていたのだと思う。

このように、テクノロジー万歳というイメージが強いMITでは、そのイメージとは裏腹に、かなり堅実な教育プログラムを組んでいる。単に街角にセンサーを付けて終わり、テンソルフロー(グーグルが無償提供しているディープラーニングのソフト群)にビックデータを突っ込んで終わりというのではなく、我々の社会の基盤となっている人間への根源的な問いを通して、我々の創造力・想像力の可能性と限界を模索しているかのようなのだ[図12]。

AIやAI技術、センサーやビックデータは単なる技術でしかない。それら道具の可能性と限界を正しく理解しながらも自分自身でコードを書くことが出来る人材★6。建築や都市計画の分野で発展させられてきた都市論を更新する為に適切な問題設定が出来るプロフェッショナルこそ、今後最も求められる人材ではないだろうか。

ハインリヒ・ヴェルフリンが建築美に導入した心理的アプローチ、コーリン・ロウが示した透明性の概念、アルド・ロッシが導入した「集合記憶」。本稿でケヴィン・リンチの空間認知を扱ったように、これらはすべて「やりようによっては」現在のAI技術で読み替え可能、もしくは拡張可能な問題群だ。

わくわくしてこないだろうか。我々の眼の前にはいま、未開の地平が広がっているのだから。


★1 リンチがボストンの分析に用いたサンプル数は、(ある特定の層に偏った)60人程度の被験者へのインタビューに留まっている。だからこそリンチはこの研究を試論的なものと位置付けている。

★2 画像には画像特有の知識というものがいくつかあり、コンピュータにそれを事前に学習させているので、実際にはすべて「完全自動」という訳ではない。

★3 “Is Big Data Changing Urban Theory?”, Cities and Technology Debate Series Spring 2018, Gund Hall, Harvard Graduate School of Design, March 07, 2018

★4 ここでの見解は、筆者が実際にこのカンファレンスに参加して見聞きし、個人的に理解したことを元にしている。登壇者一人一人に発言の有無や真意を確認した訳ではない。

★5 実際には最近の傾向として、自分でコードを書くというよりも、適切なコードをネット上で検索してコピペ感覚で作られることが多くなってきた感がある。


参考文献

1. Lynch K, 1960, The image of the city, Cambridge, MA: M.I.T. Press. (邦訳=リンチ, K. 丹下健三, 富田玲子訳「都市のイメージ新装版」岩波書店, 2007)

2. Salesses P, Schechtner K, & Hidalgo C A, 2013, “The Collaborative Image of The City: Mapping the Inequality of Urban Perceeption”, PLoS ONE, 8 (7), p1–12.

3. He S, Yoshimura Y, Helfer J, Hack G, Ratti C & Nagakura T, 2018, “Quantifying the image”, arXiv:1806.04054.

4. Yoshimura Y, Sobolevsky S, Ratti C, Girardin F, Carrascal J P, Blat J, Sinatra R, 2014,“An analysis of visitors’ behaviour in The Louvre Museum: a study using Bluetooth data” Environment and Planning B: Planning and Design 41(6), 1113–1131.

5. Yoshimura Y, Krebs A, Ratti C, 2017, “Noninvasive Bluetooth Monitoring of Visitors’ Length of Stay at the Louvre” IEEE Pervasive Computing16 (2), p26–34.

6. Hein G, 1998, Learning in the Museum, London, Routledge. (邦訳=ハイン, G. 鷹野光行監訳「博物館で学ぶ」同成社, 2010)

7. 吉村有司, “まちづくりにおけるAIの可能性:建築家にとって科学とは何か?”, 建築雑誌, 1704, p36–37.

8. 地中海ブログ, “博士の学位を頂きました:建築家である僕が、コンピュータ・サイエンス学部でPh.Dを取った理由”, http://blog.archiphoto.info/?eid=1170798

9. Colomina B, 1996, Privacy and Publicity: Modern Architecture as Mass Media, Cambridge, MA: M.I.T. Press.. (邦訳=コロミーナ, B. 松畑強訳, マスメディアとしての近代建築-アドルフ・ロースとル・コルビジェ, 鹿島出版会, 1996)

10. Colomina B, Wigley M, 2017, Are We Human? Notes on an Archaeology of Design, MA: Lars Muller. (邦訳=コロミーナ, B. & ウィグリー, M. 牧尾晴喜訳, 我々は人間なのか?-デザインと人間をめぐる考古学的覚書き, 株式会社ビー・エヌ・エヌ新社, 2017)

11. Yoshimura Y, Sobolevsky S, Bautista JN, Ratti C, Blat J, 2018, “Urban association rules: uncovering linked trips for shopping behavior” Environment and Planning B: Urban Analytics and City Science 45(2) 367–385.

建築討論

建築をめぐる幅広い批評的議論のプラットフォームを提供する日本建築学会のウェブマガジンです。

吉村有司

Written by

よしむら・ゆうじ/1977年愛知県生まれ。建築家、マサチューセッツ工科大学建築・都市計画学部研究員、ルーヴル美術館リサーチ・パートナー。バルセロナ都市生態学庁、カタルーニャ先進交通センター勤務などを経て、2017年から現職。ポンペウファブラ大学大学院情報工学科博士課程修了、「地中海ブログ」主宰。

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