ベン・グリーン著『スマート・イナフ・シティ:テクノロジーは都市の未来を取り戻すために』
「非効率」さを抱えた新しい都市のフィクションに向けて(評者:吉本憲生)
本書は、ボストン市の職員としてデジタル政策に関わっていたベン・グリーンにより2019年に書かれた書籍である。そのコンセプトとしては、「テック・ゴーグル」という技術中心主義的な視点を超えたスマートシティのあり方を提言するところにある。
ここだけみれば、本書の問題意識はいささか凡庸である。例えば、日本では、国土交通省が主導するスマートシティ事業においても「課題オリエンテッド」であることが方針として掲げられ、さまざまな取り組みが行われている。技術(シーズ)ベースではなく、課題(ニーズ)ベースで考えることはもはや当たり前のようにも感じる。
しかし、本書がおもしろいのは、都市における「課題」が単純なものではなく、様々な利害関係の衝突によって複雑化され、技術によって“最適化され得ない”ものだと捉える立場をとっている点にある。こうした立場は、技術主導が、人間社会の「不確実性」を捨象し、ユートピアと結びついてしまうと批判したカール・ポパーの議論を想起させる(『歴史主義の貧困』邦訳1961)。ポパーは、そのような「ユートピア的工学」に対し、”いろんな社会制度を設計しまた既存の諸制度をつくり直したり運営したり”することを任務とする「漸近的工学」という考えを提示したが、まさに、こうした考えは本書の立場にも通底する。
総務省により整理されたスマートシティの構成要素としては、「戦略・政策」「ルール」「組織」「サービス」「機能・データ・連携機能」「データアセット」という項目が挙げられる。このうち、技術中心主義な考え方とは、サービスやデータなど、解決策の部分を重視することを指す。しかし、重要なのは目標や課題意識に基づく戦略をステークホルダー間で共有し、そのための技術を無理なくマネジメントする仕組みである。本書は、こうした戦略や運営という両極のレベルでの改革を要請するのだ。
例えば、ヘルシンキのカラサタマ地区におけるスマートシティの取り組みでは「One more hour a day (1日1時間の余裕を創出する)」というビジョンが掲げられ、さまざまな生活行動の効率化により余裕を生み出すことが目指される。またマネジメントに関しては、本書でも述べられているようにニューヨーク市の職員がデータ利活用・部門間連携のトレーニングを行うデータ・ドリルのプログラムなどが大変示唆的である。しかし、様々な利害関係者がいる都市においてビジョン(価値観)を共有していくこと、あるいは様々なスキルレベル・慣習をもった人達の間で運営体制を調整していくことは想像を絶するほどに困難である。本書では、その困難ではあるが重要な交渉の過程を「意義ある非効率」として表現し、スマート・イナフ・シティ(十分に賢い都市)の根幹に据えるのだ。本書で槍玉にあげられがちであった自動運転技術や市民アプリ、あるいはそのベースにある機械学習、IoT等の技術も、この交渉の過程を踏まえ、人々の価値観の折衝の中で、都市に定着させていけば、「テック・ゴーグル」な技術の導入の仕方とはまた別の姿を見せてくれるはずだ。
こうしたスマートシティの議論が、建築論にもたらすものとはなんだろうか。本書では、ル・コルビュジエ、ロバート・モーゼスなど都市論・建築論的な系譜を呼び起こす。これらは「技術中心主義」な批判対象として捉えられているが、アナロジーで考えるならば、建築・都市における論点とは、CIAMに対するチームX、あるいはモーゼスに対するジェイン・ジェイコブスのように、技術ユートピア的世界観に対置される新しいイメージを提示することである。それは、新しく勃興する技術領域も取り込みながら、「意義ある非効率」の核心となる、共感・連帯を可能とする新しいフィクションを作り出すことだろうか。そこには、近年の都市デザイン・建築デザインの潮流と連動し、空間や生活のビジョンだけではなく、空間において人々がいかに実践していくかというマネジメントの思想が内在するに違いない。
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書誌
著者:ベン・グリーン
訳者:中村健太郎、酒井康史
書名:スマート・イナフ・シティ:テクノロジーは都市の未来を取り戻すために
出版社:人文書院
出版年月:2022年8月