ポストモダニズムの現在性

Sir Terry Farrell and Adam Nathaniel Furman, “Revisiting Postmodernism”, RIBA Publishing, 2017.

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2010年代以降、欧米を中心に「ポストモダニズムが再流行している」という言説を英語圏の建築メディアでよく見かけるようになった。これは主に、ポストモダニズムが流行した時期を実体験として生きていない若い建築家やデザイナーが、ポストモダニズム的造形言語を取り入れた意匠を作り出していることなどを指すが、そのきっかけとなるようなイベントが2010年代の間にふたつほどイギリスで起きている。

ひとつ目は2011年にロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館にて行われた大型の展覧会 “Postmodernism: Style and Subversion 1970–1990” の開催、そしてふたつ目は、ポストモダニズム期の建築物が開発による建て替えの危機に瀕したことに対する、建築家達の抗議活動などにより、2016年にポストモダニズム建築がはじめて、そして以降、相次いで登録建築物に指定された事態だ。

これらの歴史的な事情の他にも、ポストモダニズムが再流行している理由を探るヒントとなるかもしれないのが、イギリスで2017年に出版された『ポストモダニズムの再訪』(Revisiting Postmodernism, RIBA Publishing, 2017)である。本書は、欧米を中心としたポストモダニズムの数十年の歴史を、数多ある建築事例を通じ、二人の英国人建築家・デザイナーがふたつの語りで紹介している本である。

図1 2016年に登録建築物の指定をうけた、№1 Poultry, City of London, James Stirling Michael Wilford & Associates, 1997 [出典:Farrell and Furman p.111]

本書は、テリー・ファレル(Sir Terry Farrell, Farrells代表)とアダム・ネサニエル・フルマン(Adam Nathaniel Furman, デザイナー)の共著である。前半部分を1938年生まれのファレルが自身の生い立ちを含め、いわゆる「ポストモダニズム期」に建築作品を多く残した作家としてイギリスを中心にした視点で描き、後半を1983年生まれのフルマンが、現在から振り返ってみたポストモダニズムの時代を、国際的な流れを追いつつ、分析的に著している。第1章から第3章までをファレルが、第4章から第6章までをフルマンが執筆しているが、おおまかに「ポストモダニズム前夜」・「ポストモダニズム最盛期」・「ポストモダニズムの今」と、三段階の時系列順に書いているので、章立てとしては第1章と第4章、第2章と第5章、第3章と第6章という対応関係にある。本稿では、二人の著者の視点を一対ずつ段階的に見ていくことにしよう。

Sir Terry Farrell and Adam Nathaniel Furman, “Revisiting Postmodernism”, RIBA Publishing, 2017

ポストモダニズム前夜

第1章は、主にファレルがポストモダニストを自称する以前のアイデンティティ形成期に受けてきた文化・建築的影響を紹介している。イギリスの北部のマンチェスターの労働者階級出身であったファレルは、その中から初めて大学に進学できた世代であった。ニューキャッスル大学で建築を学んだ彼には、南部のロンドンの学生たちと違う価値観が育まれた。ファレルにとって、モダニズムは絶対的なものではなく数多くある様式のひとつでしかない、という認識になっていったという(p.15)。

大学卒業後に渡米、ペンシルバニア大学でルイス・カーンの下で学び、ロバート・ヴェンチューリとデニス・スコット・ブラウンらと親交が深めた。そして、当時、イギリスのそれより先進的で包摂的であったアメリカの都市計画学を多分に吸収した。彼は、自身の非エリート的生い立ち、そしてアメリカでの経験を含めた多面的な教育から得た多様な建築への視点や興味が、ポストモダニズムへの導きであった、と語る。 彼は広義のモダニストからの流れをくみ、経験した多様な建築要素を取り込み、時代性に合わせて自身のスタイルを進化させていったのだと言える。

かたや、第4章で繰り広げられるフルマンの語るポストモダニズムの起源の物語は、主にイタリアとアメリカが中心である。1950年代のイタリアのモダニズムにおいて歴史やコンテクストへの関心が高まり、その影響はアメリカにも伝搬する。ヴェンチューリとカーン、歴史的フォルムの強さを発見した二人の人物が、両方ともローマに長期の留学経験があるのは偶然ではないだろう(P.128)。そして世界貿易センターを設計した日系アメリカ人建築家のミノル・ヤマサキをはじめとするニューフォルマリズムの勃興は、歴史の、厳格な建築の構成への回帰の可能性を開いた(P.131)。一方、1949年にジョン・ロートナーが設計したグーギーズ(Googie’s)というコーヒー・ショップの名前に由来する「グーギー建築」と呼ばれる商業建築群の出現も特筆に値する。これは、スペースエイジの未来的なデザイン、グラフィックやアメコミなどの大衆的イメージが、ハイ・モダニズムやアールデコの建築の形式と混ざったものであり、現代性、未来への夢、そして1950年代までにアメリカでかつてないほどの勢いで発展した消費文化、全てを賛美する様式だった(p.135)。

フルマンは、この時代において二つの大陸において同時に起きていた、「歴史への関心」と「現代性・未来志向の賛美」の混在が、ポストモダニズムの種であったと分析している。

図2 1940年代末から60年代にかけて流行した「グーギー建築」の1つ。McDonald’s, Los Angeles. Stanley Clark Meston,1953[出典:Farrell and Furman p.134]

ポストモダニズム最盛期

ファレルの第2章は、主に自身の代表作のイギリス国内での展開や当時のイギリスの建築界の動静を追って語られている。ファレルは、自身のポストモダニズムとの出会いは、1970年代にチャールズ・ジェンクスの自邸の設計を始めた頃にはじまっているとしている(P.39)。そこから、TV-amビルディング(1982)、ライムハウスのテレビジョンスタジオ(1983)、そしてSISビルディング(1994)などポストモダンを代表する作品群を完成させていく。

他方で、最5章のフルマンは、引き続きグローバルな視点でポストモダニズムを捉えつつも、主にイタリアとアメリカを中心に議論を発展させていく。のちに合理主義と知られるようになるテンデンツァ・グループによる都市とその歴史の再活用、それに対してデザインを文化批評の手法として用いたイタリアン・ラディカルズの存在。アメリカにおけるSITEによるBEST店舗の展開や、オーストリアのハンス・ホラインによる批判精神を保った商業主義との共存。イギリスにおいては、インディペンデントグループやアーキグラムなど多様なプレイヤーの勃興が見受けられ、アメリカにおいては、ホワイツ(白派)とグレイズ(グレイ派)の知的対立が注目を浴びる。より大規模なプロジェクトとして、ロウとコッター、ウンガース、コールハース、ボフィルやムーアなどの都市計画の詩学や、磯崎、スターリング、ホラインやコレアらによる大型建築物の続出により、運動はさらなる盛り上がりをみせていく。

しかし、ポストモダニズムの知的な空気や非体制主義的姿勢は、時を経て失われてゆく。きっかけとしては、AT&Tビルディングに代表されるような米国の大企業による様式の記号的利用、そして1980年代後半から1990年代にかけてのディズニーによる度重なる建築家へのコミッションによって世に出ていった建築群の出現、そしてそれらに影響を受けたディベロッパーに様式が乱用されたことなどがある。結果、ポストモダニズムは、自尊心のある建築家にとって避けるべき様式となってしまった(P.175)。

ポストモダニズムの今

「我々はみなポストモダニストである」と名付けられた第3章では、ポストモダニズムの遺産を今日において継承しているとファレルが考える建築家たちの名前とその理由が5つのグループに分類され、紹介されている。「真の信仰者」「相続人」「真の受益者」「改宗者」 という4つの分類にグレイヴス、スターリング、ゲーリー、コールハース、ハディッド、フォスターやロジャーズ等の、1980年代から現在にかけて世界中で建築を作ってきた建築家たちをふりわけ、5つ目の「生まれ変わったポストモダニスト」として、オーストラリアのARM, イギリスのファッション・アーキテクチャー・テイスト(FAT)、ピーター・バーバーやカルーソ・セント・ジョンなど、ファレル自身よりも若い世代を挙げている。「我々が今生きている時代がスーパーモダンであっても、ポスト・ポストモダンであっても、我々はみなポストモダニズムという文化革命の継承者なのである」(p.71)と語るファレルは、あくまでもポストモダニズムをゆるぎない過去の一時代、歴史的事象として見ており、そこを軸に現在を見ていることが分かる。

フルマンの第6章は、今日におけるポストモダニズムの潮流の現れだと彼が考える建築物の事例・傾向を取り出し、紹介している。それらは中国、東南アジア、中東で建てられている超高層ビルであったり、東欧の「宇宙船に似た」教会群、ボリビアのエル・アルトを中心に広がりつつあるネオ・アンデス建築であったりする。いずれも各地域のアイデンティティ形成と強く関連づいているのが特徴だ。また、英国においてポストモダニズムが一番不人気であった1990年代にその様式を取り上げ、実作を多く建築していくことに成功したFAT Architecture の精力的な活動や、オランダやオーストラリアの事例などを取り上げている。

図3 House for Essex, FAT Architecture, 2015[出典:Farrell and Furman p.115]

ポストモダニズムはどこへ?

この本には両著者の意見をまとめた結論の章はない。

両著者に通じるのは、ポストモダニズムという運動を建築様式の民主化、多様化をもたらしたものという視点から再評価している点であり、その観点を本書を通じて次世代に伝えていこうとする姿勢である。そして双方の議論の根底には、建築様式とアイデンティティの関係性が見え隠れする。その上で改めて、今日ポストモダニズムの言語が再発掘されている理由に立ち返ると、ひとつには、2010年代以降における政治的・社会的・民族的・ジェンダー的多様性と平等性の希求、そしてその表現方法の探求が行われていることが挙げられるのではないか。

また、両著者の間に相違点があるとすれば、ファレルが自身の部分の結尾において、変わりゆく時代の速さについていけない弱気な老人のような発言をしているのに対し、フルマンは、ポストモダニズム運動が時間を経ることで失ってしまった性質(形式的、象徴的、そして美学的豊かさ)を振り返り、悲しみつつも、最終的には同世代・次世代の建築家たちへのエールともとれるような結びをしているところである。

本書は時系列順の形式をとっており、二人の文章は類似した章立て構成にはなっているものの、「その時代を生きた」80代の建築家と、「新たにその時代の精神を引き継いでいく」30代のデザイナーとの視点の違いが、内容の重層性を作り出している。建築における複数性、多様性を擁護する本を、あえて複数の声でオープンエンドに終わらせることが、彼らの今日的なポストモダニズム的マニフェストなのかもしれない。

★Further Reading
Charles Jencks and FAT (eds),Radical Post-Modernism, Architectural Design, Wiley, Oct 17, 2011
イギリスを中心に活動していたFAT Architectureが、建築のポストモダニズム・ムーブメントを生み出したチャールズ・ジェンクスとともにゲストディタ―として共同編集をした、Architectural Design誌の一号。主に2000年代の建築群からポストモダニズムの現在性を再考している。1960年代後半を想起させる「Radical」という接頭辞は、80年代以降の大衆化されたポストモダニズムとの差異化をはかる意図があり、ヴェンチューリらの作品などに代表される初期ポストモダニズムのより根源的な態度にふりかえる意味を含ませているという。

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上野有里紗 | Alyssa Ueno
建築討論

1986年東京生まれ。建築家。Goldsmithsにて視覚文化論学部を首席卒業。AASchool、Royal College of Artにて建築を修了した後、2019年よりULTRA STUDIO一級建築士事務所を共同主宰。http://ultrastudio.jp/ 2021年より TŌGE 代表理事(共同)