ポリティカル・マテリアリティ:素材と政治性

[201805 特集:建築批評 dot architects《千鳥文化》]家成俊勝・ 辻琢磨・川井操・能作文徳・和田隆介・吉本憲生・川島範久・常山未央/Political and Materiality

建築作品小委員会
建築討論
29 min readApr 30, 2018

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日時: 2018年2月18日(土)
場所:千鳥文化
ゲスト:家成俊勝
司会: 辻琢磨
レビュアー:川井操、能作文徳、和田隆介、吉本憲生
ゲストレビュアー:川島範久、常山未央
記録・編集:吉本憲生・川井操

[作品解説]

北加賀屋とクリエイティブ・ビレッジ構想

家成俊勝(以下家成):敷地である大阪市・北加賀屋は、大阪市の中でも南の方の港寄りの場所です。近くを流れる木津川沿いは工場が多く、その中に位置しています。昔は沼地だったのですが、18世紀中頃に行われた大規模な新田開発によって陸地になったという経緯があります。敷地から徒歩10分ぐらいの場所には名村造船所跡地があり、かつては、造船所の労働者(約2万人)で賑わっていました。しかし、産業構造の変化によって造船所が府外に移転したことに伴い、高齢化が進展するとともに、空き家が増加します。いま、住之江区全体では約1万戸の空き家があり、独居老人も約9千人います。それらを個別に解決するのではなく、横断して対応できないか、ということで区が動き出しています。区の動きに先立って、このあたりの土地を多くを所有しており、《千鳥文化》の所有者でもある千島土地株式会社では、借地が返還される際に上屋がついたまま戻ってくる、という状況が多く生じるようになりました。通常のように、コインパーキングとして転換するだけでは土地の価値もさがる。そこで、デザイナーやアーティストを呼び込んで場所の魅力をつくり出したいということで、2009年から「北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ」構想(http://www.chishimatochi.info/found/920-2/)がはじまります。うちの事務所が北加賀屋にある元工場《コーポ北加賀屋》に入ったあとに、この構想がスタートしました。はじめはよくわからなかったので距離をとっていたのですが、どんどん拠点が増えていきました。拠点のうち、《MASK(MEGA ART STORAGE KITAKAGAYA)》は空いた鉄工所を活用したものです。選出されたアーティストはそこに巨大作品を預けられます。アーティストは無料で利用できますが、代わりに年に1回倉庫を開いてイベントするという仕組みになっています。その際のいくつかの会場構成は、dot architects(以下dot)が担当しています。

北加賀屋での取り組みについて解説する家成氏

他にも《CCO(クリエイティブ・センター大阪)》は、元々名村造船所だった場所です。僕がディレクターの一人でもあるDESIGNEASTというイベントの会場にもなっています。また、映画のロケ地になったり、コスプレの撮影場になったりといろんな使われ方をしています。《みんなのうえん》は、NPO法人Co.to.hana(コトハナ)が運営しており、料理家の掘田裕介さんも関わっているプロジェクトです。《コーポ北加賀屋》は廃業した家具工場を僕らがそのまま借り受けたもので、延べ床面積は750平米、その中に150平米の共有スペースが2つあり、7つのチームでシェアしています。一階には《ファブラボ北加賀屋》があり(3ヶ月7,500円で利用可能)、イベントもやっています。元々コーポ北加賀屋で僕たちが交流スペースとしてバータチアナというものを開きました。「脱法バー」と呼ぶイベント(お金をとらずにホームパーティーとして実施したバー)やライブや展覧会、演劇などを行っていたのですが、そういう状況の中で今回の千鳥文化プロジェクトがあります。

《千鳥文化》について

元々、千鳥文化には90歳のばあちゃんが1人住んでいたのですが、2014年に家族に引き取られて退去します。そこからその建物の活用プロジェクトがスタートしました。所有者である千島土地株式会社、おおさか創造千島財団、grafの服部滋樹さん、dotという四者で活用を模索することになります。運営自体は、おおさか創造千島財団、小西小多郎さん(映像作家。《コーポ北加賀屋》に入居)、dotで行っています。家賃に関しては、2年目から5万円(上限)になりますが、初年度はなし。2階は財団で運営し、一階はdotと小西さんで運営する、というかたちになっています。

設計を始めてからトータルで3年かかりました。設計と同時に中身をどうするかを考えました。僕たちの知り合いに面白い活動をしているのですがバイトで生計を立てている人たちがいるので、そういった人たちが面白く働きながら作家活動も行いつつ、地元の方々と交流できないかと考えたのが最初です。そういったこともあって、中身は喫茶店兼食堂、バー、商店、ギャラリーというのがいいのではないかと考えました。立ち寄ってくれる人が全てのスペースでお金を払わなければならないというのは交流スペースとして機能しにくいと考え、無料で入ってくることができ、かつビレッジ構想のインフォーメーションをできる場所として、バンっとガラス張りの場所がほしいと考え、アトリウムを設けることにしました。ここには、ランドマークとしての役割ももたせています。あと、千島土地株式会社の芝川社長の助言もあり、「ガラス張りいこうぜ」ということになりました。

元々の建物は、船大工がブリコラージュで増改築を繰り返したようなものなので、文化財的な価値はなかったのですが、工夫ややり口のおもしろさがありました。設計では、できるだけそれを残した形にしたいと思いました。新築にすると、建ぺい率の観点からボリュームも減るという理由もありましたし、文化住宅の風合いを残しながら設計する方がおもしろいと考えました。

前面道路からの千鳥文化住宅(Photo by Yoshiro Masuda)

プロセスとしては、実測からスタートし、すごい時間がかかりました。元々は、朽ちる寸前のような感じでした。バーのカウンターはそのまま残し、平面もほぼそのままにしています。元々の平面をみると、何が基準かわからないラビリンス状態です。全部がななめという複雑な形態をしています。構造補強は満田衛資さんにお願いし、既存の外壁の中にインテリアとしての構造壁を挿入しています。既存の壁に沿って基礎をうって土台を敷き、柱をたて、壁でふたをしているという状態にしています。また、全体としては、2つの区画をかため、その間(アトリウム部分)はふにゃふにゃにつないでいるだけ、という形にしています。既存の水平材に関しては、下から新しい梁で受けるにしても、下からずぼんとあてるだけでは梁せいがダブルになってしまい空間の広がりを確保できないことがあり、新規梁を既存梁に合わせて切り欠きながら床を支えたいというのもあり、どこまで梁材をきりかいていいか満田衛資さんに相談した後、現場で調整するようにしました。

元の建物の複雑さゆえに、構造がわからないので、メンバー(部材寸法)をふくめ全部実測し、構造模型を作成しました。その際、柱の足元、柱と梁の当たり方など、ひとつひとつ写真をとっていき、それをナンバリングするという作業を行っています。そのデータをぜんぶ満田衛資構造計画研究所に送り、相談していきました。既存の建物では、柱2本だきあわせを合板ではさんで梁として使っているものがあったり、梁の下に鴨居があったりします。満田さんからは「なんでこれを残すんや」と言われましたが、千島土地の社長もぜひということで、こういった元々の特徴を残すようにしています。満田さんの問いに答えることで、設計者としてやりたいことがはっきりしていきました。

アトリウム吹抜け(Photo by Yoshiro Masuda)

[座談会]

ジェントリフィケーションの問題と「グレードをあげない」こと

辻琢磨(以下、辻):dot architects(以下、dot)のこれまでの新築のプロジェクトをみていると、アノニマスで、開かれた考え方が形に現れていて嫌味がないなと思っていたのですが、《千鳥文化》ではその素直さがよりドライブしていると感じました。非常に複雑な既存建物を部材寸法から丁寧に実測するなど、既存の状況を受け止める方に設計のコストがかけられているのですが、仕上げやディティールにはむしろ肩の力が抜けているようにみえます。いまリノベーションをすると、見どころや勝負のポイントを用意するのが通例なように思いますが、そういった差異化への欲求があまり感じられず、好感をもちました。そのような観点から、この小委員会のテーマである「作品性」の概念にゆらぎを与えるものとして、議論の対象に選定いたしました。

川井操(以下、川井):既存の建物に衝撃を受けましたが、その印象としては、北京に四合院の中にある雑院に似ていると感じました。それは、住民が自由にいじれる、という空間性と非常に親和しています。その共通する背景には、複雑な土地所有すなわちグレーな領域というのが生まれているのではないでしょうか。

能作文徳(以下、能作):空き家などの改修プロジェクトではジェントリフィケーションが問題になります。不動産会社などの開発主体が、若いアーティストによって地域の価値を高めた上で大きい建物を再開発するという戦略が取られています。例えばロンドンでは、再開発の準備期間で空地となっている場所を利用して、建築家やアーティストに地域を活性化する活動をしてもらい、地域が盛り上がってきた後に開発するという事例がありました。ベルリンでは、《アゴラ・コレクティブ》(コワーキングスペース)という4階建ての煉瓦造の建物をリノベーションした結果、ジェントリフィケーションで賃上げが起こり、 低所得の住民が出て行かざるを得ない状況になってしまいました。そこでオーナーは罪悪感を感じ、別のプロジェクトでジェントリフィケーションがおきないような仕組みを推進しています。

常山未央(以下、常山):上記のプロジェクトでは、ある財団の支援を受け、元工場をアゴラ・コレクティブが元工場をスタジオ、ワークショップ、イベントなど、アーティスト活動の場としてリノベーションしているのですが、その中につくる住宅の賃料が据え置かれる仕組みになっています。そこでは賃料の問題だけでなく、周辺の老人ホームと交流するなど、文化的にも地域に寄与する取り組みが行われていました。

能作:ヨーロッパの多くの地域では、民主的な社会だといえども階級社会が色濃く残っています。富裕層と低所得者層との間の格差が大きく、家賃が上がることは地域全体の社会性に大きな影響を与えることになります。日本の場合は格差がそれほど大きくなく(現在は格差の拡大が進行しているが)、アーティストが入ってもジェントリフィケーションがそこまで起きません。この《千鳥文化》のプロジェクトでは、不動産投資の視点があるのか、あるいは長期的・都市的な視点で進めているのか、そのあたりの考え方について伺いたいと思います。

家成俊勝(以下、家成):ジェントリフィケーションに関してはかなり考えました。ニューヨークにしろロンドンにしろ、アッパーミドル階級の人が流れ込んできて、賃上げがおこり、住民達が移っていかないといけないという状況があるので、元々僕達が最初に思ったのは「かっこよく改装しない」ということでした。コーポ北加賀屋では、元々きっちりしたイベントスペースを作ろうと考えていたのですが、そうするとおしゃれな建物になってしまい都市部でよくある家賃の上昇に繋がるかと思い、「ぼろいまま」でいこうというコンセプトにしました。それ自体は小さな戦略だったかもしれませんが、考え方としてはそこから変わっていません。大阪・神戸でいうと、いままで下町だったところにショップが入っていき、通りがきれいになり家賃があがるという印象がありました。そういうことから、通りの風景をそのまま残す、という考えがありました。千島土地株式会社も、ここでの家賃から稼いでいくというのことではなく、土地が眠っているのがまずいという考えでした。《コーポ北加賀屋》では、全部で750平米で家賃32万ですが、最初は3万円、2年目9万円、、と仲間を集められる期間を設けてくれていました。千島土地株式会社も順調に回っている物件と理解してくれていて、むやみに家賃をあげるという発想はなさそうです。ただ、20年後どうなっているか、というのはわかりませんが(笑)。

能作:《千鳥文化》を見たときに、グレードを上げないように調整していると感じました。リノベーションする時は、建物への開放性を高めようとします。しかしこの千鳥文化ではガラス張りのエントランス部分があるにしろ、それ以外は手付かずのまま放置されているみたいで、入りにくいままになっている。ところどころ汚さが残されています(笑)。グレードを上げないという選択をしています。そのことで、ジェントリフィケーションが起こらないようにバランスさせています。それは政治的な判断だと思いました。些細な行為にみえますが、都市の政治的力学にマテリアリティから迫る姿勢として見えました。ガラスの部分(アトリウム)も、単純な透明な吹き抜け空間ではない。それは古びた都市の構築物に空洞が空けられたように感じます。

家成:都市の力学といのは、主に経済に関わってきます。新しい場所を見つけては開発して儲かる一部の人たちがいる。そのような状況に対して建築家が個別の小さな案件に関わるだけではなかなか対抗するのは難しいですし、対抗して古いものをただ残したいという訳でもありません。私たちが考える暮らしていて楽しいまち、自前のまちをどうつくっていくかをいつも考えています。ですのでそこに暮らす人たちとの接点を増やす、距離を縮めることが大切ではないかと。現場に潜ることで理解できることがあると思うのです。町場のフォークロアを語り継ぎ、それを建築にフィードバックしていくような。これは逆にいうと個別の小さな案件にしかできないことかと思います。最近はようやくバーにも常連のお客さんが来るようになってきました。この前も、バーなのに、おばちゃんがお酒をもってきましたが、嬉しかった。造船所があった時代には町内に喫茶店が5件あり、住んでる人も喫茶店にいけばいつもママがいたりと、住宅以外にテリトリーを広げることができていました。いまでは、工場も仕事の場所も外にでてしまい、家の外にでて誰かと出会う場所がなくなりかけているので、そういう場所をつくりたかったというのがあります。

dot architectsの運営するバー(Photo by Yoshiro Masuda)

能作:グレードをあげないということは、分かる人には分かるということ。綺麗にリノベーションすれば、いろんな人が入ってこれるが、そうなっていません。ソフトなバウンダリーをつくることで、共感を伴った人たちのコミュニティができるよう調整されています。

吉本憲生(以下、吉本):ちなみにどんな人が来られているのでしょうか?

家成:近所の人が大半ですね。

「まちづくり」からの距離/地域への肌触り

和田隆介(以下、和田):これまでのdotの作品(《№00》、《Umaki Camp》 )では、家成さんのビルダー的な出自もあり、建築のつくられ方の側から、建築雑誌的な建築のあり方に裸一貫で乗り込んでいくような姿勢がみえて、それがある種の作品批判にもなっていたと思います。そう考えると、《千鳥文化》ではグレードをあげないという姿勢をとることで、建築家と建築がまちづくりに消費されている現状への批評にもつながっているのではとも感じました。加えて、家成さんが石山修武氏に建築雑誌はエロ本だから、と言われたという話を伺いましたが(「座談会」『雑口罵乱6』サンライズ出版,2012.10)、石山修武は佐渡ヶ島の民家についてブリコラージュの話をしますよね。佐渡ヶ島の民家の話には船大工による技術的な洗練が背景にありますが、千鳥文化のブリコラージュの方が「普通のおじさんの手仕事」という感じがしました。石山さんの話との関係はどうでしょうか。

家成:中学生の時にバイトをしていた時の親方が、船をつくる大工ではなく、ドックに入った時に間仕切りをやりかえる船大工の仕事をしていたそうです。そのタイプの船大工が千鳥文化の既存建物を建設したのではないかと思っています。既存の建物は梁材の代わりに柱材を使っています。石山さんに教えていただいた佐渡ヶ島の建築は、洗練されていてかっこいいですよね。それとは真逆です。

材を継ぎ接ぎして作られた梁(Photo by Yoshiro Masuda)

川島範久(以下、川島):《千鳥文化》は、横丁のような空気感が失われていないという印象を受けました。一見すると、アートトリエンナーレのように、古民家にほとんど手をいれないでアートを放り込んでいるだけのように見えますが、冷静にみると、注意深くデザインが調整されています。調整しながらも、自然発生的な横丁らしさのようなものをつくり出せているのはなぜなのか議論できればと思いますが、その前にまず、この《千鳥文化》の数年後をどう考え、どのように運営していくおつもりなのか教えてください。

家成:どこまでやるのかということに関しては悩んでいます。バーも自分でやり続けるのは難しいなと思っています。上沼恵美子さんみたいな人をスカウトしたい(笑)。

川井:先ほどのジェントリフィケーションについて話を戻したいと思いまが、建築家はそのことをよくわかっているからこそ、時間のコントロールができるのではないでしょうか。北京のZAOによる雑院の改修(子供の図書館として転換するプロジェクト《微雑院》)では、建築家が建物を買い、改修して、雑院の痕跡をのこしたまま、時間をかけながら関わっていくようにしています。そのためブリコラージュのような独特の質感が維持されていきます。そういった点でも《千鳥文化》には建築家による直接的な関わり方への可能性があるのではないでしょうか。

家成:僕らが運営する、という腹をくくったところがあります。はじめは設計料をもらい、改装だけをして離れようと思っていました。3,000万円近くかけてリノベーションをするときに、途中で覚悟をしました。バーと食堂を自分たちでまわし、試行錯誤をしながらやっていこうかなと。

常山:似たような長屋の案件に東京の京橋で関わったことがあります。関東大震災の被害から逃れた人たちが、地方から来た大工を呼んで廃材を集めてつくった大正時代の長屋が多く残る場所です。現地調査にいったら猫の死骸があったり、屋根が崩れていたり、ほとんど外のような状態でした。それを使えるようにリノベーションするとなると何千万もかかります。そこまでやる価値はなんなのかと躊躇しているうちに話は流れてしまいました。家成さんたちが、長い時間をかけて《千鳥文化》と関わり、運営にも参加し、果てにはバーまで自分でやる、その気概はどこからくるのでしょうか。

家成:まずは、やったらおもろいんちゃうか、という発想です。話としてもおもしろいし、やっていてもおもしろい、という考えがありました。

:その面白さは、まちづくりへの批評的な眼差しと結びついているのでしょうか。どういうモチベーションなのかが気になります。

家成:モチベーションとしては、バーをやりたいというのがありました。建築でずっと仕事をしていると、世界が狭まっていきますが、これをやっていると、近所のお姉さんがきてくれたりして、建築の仕事では出会わない人たちと話すことができます。事務所のスタッフがバーに店員として入ってくれるのも、建築という仕事にとっていい経験なのではないかと思っています。以前、コーポ北加賀屋で行っていたバーのイベントはお金をとらずホームパーティという位置づけで行っていました。そうした活動をしていると、地域の人たちの顔や人間関係がみえてきます。そうすると、街の中でも動きやすくもなります。

:状況論的な話題だけでなく、空間の表れに対する意識についてもう少し伺えればと思います。例えば、裏側の未施工のエリアから表(アトリウム)の空間に戻ってくると、デザインされているという点で安心感を覚えましたが、一方で先程の話にあるようにグレードを上げすぎてはいけないという考えもあると思います。そうした設計に対する考えに関してはどうでしょうか。

家成:カウンターの配置など、平面に関してはかなり考えました。まずは一つの大きな空間だけにしないということ。様々な活動が同時並行で行えること。食堂でご飯を食べる前にバーで一杯飲んだり、アトリウムでイベントが行われているときに食堂やバーが逃げ場になるような。食堂は昔、入り口が(今の)ソファ側にあったが、カウンターを90度ふって、アトリウムからしかアクセスできないようにする、という操作をしています。まずはかつての各スペースへのアクセスを踏襲するかしないか、ということについて検討しています。

:その時の判断基準はどのようなものなのでしょうか。

家成:アトリウムを核にするという考えがありました。アトリウムにいろんな部屋がはりついている感じで考えました。食堂のカウンターもアトリウムに正対するようにしています。ただ、バーに関しては、この形態が1番効率がいいのでこのままにした。ただ、アトリウムに対してもバーからビールを出せるようにカウンターらしきものを延長しています。アトリウムを意識して設計していますね。

食堂内観(Photo by Yoshiro Masuda)

文化性・政治性とマテリアリティ

吉本:僕は元々地元が大阪市の阿倍野区で、北加賀屋や住之江に関しては西成から続く場所として、だいたい雰囲気を理解していましたが、はじめここに来た時、そういう雰囲気を受け継ごうとしたのかなと感じました。また、今日内部を拝見すると、元々の柱や梁にあった細かい貼り紙とかも残っていたりして、生活そのものを資源として捉え、それを作品に転換するという姿勢なのかとも感じました。そこで、作品性について考えるときに、例えば北加賀屋性とか、敷衍して大阪性とか、そういう地域の特性をどう捉えているのかについて聞きたいと思います。

家成:大阪性に関してはかなり意識しているところがあります。関西圏の場合、京都/大阪/神戸と対比されますが、京都は平安京から続く歴史と町家があり、町家を改修しておしゃれなカフェとして活用されるなど、伝統が重要視される特徴があります。神戸では、お店をやるにも神戸らしさが求められます。神戸らしさとは何かを聞くと、床に大理石をはったり、みたいなイメージがあります。リノベーションもヨーロッパっぽくこじゃれたお店に、という傾向がありますが、それも息苦しいと感じています。他方、大阪はぐちゃぐちゃです。大阪はニューヨークっぽいといろんな人にいわれます。梅田があり、難波があり、北加賀屋があり、釜ヶ崎みたいな労働者の場所があり、工場街があり、小さい範囲に、いろんな場所があります。また、グレーな中でやり続けられる地場があります。まさにジェイコブス的な世界ですね。さすがに、梅田とか難波ではそういう自由な活動は難しいですが、そこから少し離れると、《千鳥文化》のようなプロジェクトができる土壌が広がっています。そういうところは大阪の面白さだと思っています。
例えば、SPACE SPACEの香川さんはおもしろいところ(中津)に住んでいますが、そこはぼろぼろの木密地域です。大阪性はそういうものかなと思います。リノベーションして、グレードをあげていってこじゃれた感じになるのはしんどい。それぞれの時代の流行りがでてしまうという絶妙なだささにおもしろさを感じます。昭和にはやったタイルのトタンなど、そういう罪深い材料を使っていくことに興味があります。

能作:素材の奥に文化性があり、さらにその先に政治性を読み取っている。そこがおもしろい。家成さんは以前、イヴァン・イリイチに言及されていましたが、例えばイリイチは「脱学校」や「脱病院」という考え方で社会のあり方を批判しています。制度化されたり施設化されたりすることによって、学生は教育されるという存在として扱われ、進級することや単位を取れたことことが教育を受けたことというように馴らされてしまう。学ぶ価値よりも制度によるサービスを受けることが優先されてしまう訳です。そこを批判する言葉として「脱」がある。じゃあ建築もそういう側面があるのではないかということです。つまり建築をつくることは、施設化/制度化(Institutionalize)するということです。そうした形式的な枠組みを形成する力をもってしまう。建築の政治的空間の側面です。そこに敏感にならないと、人の自由な生き方を制度/施設に押し込めることになってしまう。《千鳥文化》は、マテリアルから「脱施設」的に建築のあり方を方向付けようとしています。

また、そのような建築的な操作が、脱施設的なあり方に共鳴できる人たちを招き寄せ、そうでない人たちとの間の弱い境界をつくり出しているとも捉えられます。

家成:そうした境界に関していうと、どのような人でも勇気があれば入ってこれるし、そこに優しい人たちもいるし仲間になれる場所ではあると思いますが、かといって、最初から建築がフルオープンにしていると消費されてしまうという考えがあります。

川島:先ほど述べた《千鳥文化》において「調整されている部分」、それが「作家性」と関連が深いと思うのですが、それはマテリアリティにあると感じました。ガラス屋根の吹抜け空間を中心に、その両脇に室が配されており、ガラス越しにそれらの空間が見えるのですが、既存の古い材たちと共存するように、共通してモルタルで仕上げられているのが印象的です。

家成:合板現しにすると、ベニヤの木目がうるさく、ここにはそぐわないと感じていました。既存の柱が十分に素材を語っているので、新しく付加するものはフラットにという考えです。とはいえ、白は違うということで、タイルを貼る時の下地材である樹脂モルタルを使っています。

樹脂モルタルによる仕上げ(Photo by Yoshiro Masuda)

文化人類学的眼差しと具象のリアリティ

吉本:さきほどの常山さんに話に戻りますが、これまでのお話は、部材を一つひとつチェックするなど、なぜここまでの労力をかけるのかというモチベーションの話につながるかと思います。「設計」するということの関心を飛び越えているようにも思えますが、その先にあるものは、政治的なふるまいとして街にコミットすることへの欲望なのか、あるいはやはり単純にバーをやりたい、ということなのでしょうか。

家成:共感というのもあります。あとは、文化人類学者的な眼差しです。昔から宮本常一、今和次郎を読んでると、おもしろいなと思っていました。失われていく風景やとるにたらないもの、その価値は、政治的なもの、商業的なものにより消失していきます。そこへの執着があるのです。満田さんに何を残すんやという言われるような価値のないものへのこだわりです。このまま残ったとして、あとで意味がでてくるかもしれません。

能作:哲学は抽象的な言語で構築されていますが、文化人類学は具体の積み重ねだと言われます。具体を積み重ねていくことで物語が発生する。そうした具体の思考はこの建築のあり方とも似ているように感じます。明晰な空間言語で統御するのではなく、具体的なマテリアルを積み上げていく方法は文化人類学的ですよね。

家成:そこについてよく考えています。ベタや具象の強さ。セルフビルドでやっていたとしても、つくられたものは抽象的なものになる印象があります。もう少しベタな作品のリアリズムについて考えたいと思います。以前、大学の友達が人の家の仏壇のグレープフルーツをおもむろに食べだした、ということがありました。そのリアリズムには勝てないと思いました。ブリコラージュもそういう感覚ではないでしょうか。あとは、僕は生まれた育った借家の付近で、積水ハウスの建物が建てられようとした時に、付近にあった桜の木が切られそうになりましたが、近くの人たちがその桜を天皇由来ということにして免れた、ということがありました。ほんとは庭師が植えただけのものですが、リアリティとストーリーがまじわる強さをそこに感じました。実際にやっていれば・そこにあれば、そのようになっていく、という力があります。

座談会の様子

:とはいえ、どこかで抽象的な思考によって判断しないとブリコラージュというだけで終わってしまうというジレンマもあると思います。最後に、今後の展開について伺いたいと思います。B棟の計画も控えていますが、どのように進めていく予定でしょうか。

家成:全体計画はゾーニング的にやっています。ガラス屋根の雰囲気が農園までつながり、温室のような場所がうまれるというイメージです。あと、儲からない商売ばかりをしても仕方がないので、二階はリーシングにしようと思っています。とはいえ全部入るとしんどいのでB棟の一階部分は空けておこうかとぼんやり考えています。また、それぞれに居場所がある、ということは継続してやりたいと思います。

家成俊勝
1974年 兵庫県生まれ。建築家。関西大学法学部法律学科卒。大阪工業技術専門学校夜間部卒。専門学校在学中より設計活動を開始。
現在、 dot architects主宰、京都造形芸術大学 空間演出デザイン学科 准教授。主な作品=《Umaki Camp》(2013)、《NO.00》(2011)他多数。第15回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築出展(審査員特別賞)。

辻琢磨
1986年静岡県生まれ。2010年横浜国立大学大学院建築都市スクールYGSA修了。2010年 Urban Nouveau*勤務。2011年よりUntenor運営。2011年403architecture [dajiba]設立。2017年辻琢磨建築企画事務所設立。現在、滋賀県立大学、大阪市立大学、武蔵野美術大学非常勤講師。2014年「富塚の天井」にて第30回吉岡賞受賞。

川井操
1980年島根県生まれ。専門は、アジア都市研究・建築計画。2010年滋賀県立大学大学院博士後期課程修了。博士(環境科学)。2013年 東京理科大学工学部一部建築学科助教。2014年−滋賀県立大学環境科学部環境建築デザイン学科助教。

能作文徳
1982年富山県生まれ。建築家。2012年東京工業大学大学院博士課程修了。博士(工学)。現在、東京電機大学准教授。2010年「ホールのある住宅」で東京建築士会住宅建築賞受賞。2013年「高岡のゲストハウス」でSDレビュー2013年鹿島賞受賞。主な著書に『コモナリティーズ ふるまいの生産』(共著、LIXIL出版、2013)、『シェアの思想/または愛と制度と空間の関係』(共著、LIXIL出版、2015)。第15回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築出展(審査員特別賞)。

吉本憲生
1985年大阪府生まれ。専門は、近代都市史、都市イメージ、都市空間解析研究。2014年東京工業大学博士課程修了。同年博士(工学)取得。横浜国立大学大学院Y-GSA産学連携研究員(2014–2018年)を経て、現在、日建設計総合研究所勤務。2018年日本建築学会奨励賞受賞。

和田隆介
1984年静岡県生まれ。明治大学大学院博士後期課程在籍。2010年千葉大学大学院修士課程修了。2010-2013年新建築社勤務、JA編集部・a+u編集部・住宅特集編集部に在籍。2013年よりフリーランス。主なプロジェクトに、『LOG/OUT magazine』(RAD、2016-)の編集・出版など。

川島範久
1982年神奈川県生まれ。建築家。2007年東京大学大学院修士課程修了後、日建設計勤務。2016年東京大学大学院博士課程修了・博士(工学)取得。2017年川島範久建築設計事務所設立。現在、川島範久建築設計事務所主宰、東京工業大学助教。主な作品=《ソニーシティ大崎》(2011)《Diagonal Boxes》(2016)《Yuji Yoshida Gallery / House》(2016)など。

常山未央
建築家。1983年神奈川県生まれ。2005年東京理科大学工学部第二部建築学科卒業。2005−06年Bonhôte Zapata Architectes スイス・ジュネーヴ。2008年スイス連邦工科大学ローザンヌ校(EPFL)修士課程修了。2008–12年HHF Architects スイス・バーゼル。2012年mnm設立。現在、年東京理科大学工学部第二部建築学科助教。主な作品=《不動前ハウス》(SDレビュー2013入選、2015年住宅建築賞)、《白山の立体居》。第15回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築出展(審査員特別賞)。

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建築作品小委員会
建築討論

建築作品小委員会では、1980年生まれ以降の建築家・研究者によって、具体的な建築物を対象にして、現在における問題意識から多角的に建築「作品」の意義を問うことを試みる。