マーク・クーケルバーク著『技術哲学講義』

ホテルのアクリルキーホルダーから「技術」を考える(評者:深和佑太)

深和佑太
建築討論
Sep 14, 2023

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ホテルや旅館に泊まるとき、フロントでアクリル製キーホルダーが付いた鍵を渡されることがある。昨今は、大体がカードキーに置き換わっているが、古めの施設では未だに使われている。このキーホルダー、鞄やポケットに入れるとかなり嵩張るため、これを持ってホテルを離れる人は少ないだろう。結果的に、外出やチェックアウト時の鍵の紛失が防がれていると言える。このような卑近な経験を用いて、ポスト現象学派 ★1の技術哲学者が考える「人間−技術の関係」を説明することができる。

某宿泊施設のアクリルキーホルダーが付いた鍵(評者撮影)

オランダの技術哲学者ピーター・ポール・フェルベークは、技術が人間の行為を媒介する(技術的媒介)と主張する。彼は人間と非人間が「関係のネットワークの中で互いに密接に結びついている」と考えている。社会には人間の他に非人間のアクタント(actants)が存在しており、それらが私たちの行為を多様なしかたで媒介しているのだと言う。前述したアクリルキーホルダーにまつわる経験は、技術的媒介の一例である。ホテルの嵩張るアクリルキーホルダーは、宿泊客がホテルを離れるときその鍵をフロントに返却または預けることを促すためにあるのだ。他の例としては道路のスピードバンプがあり、これはドライバーにスピードを落とさせるために使われている。交通規制が理由ではなく、自分の車が傷つくことやそれを乗り越えた際の衝撃の発生を抑えたいから減速するのである。彼は以上の例に基づいて、技術的人工物が経験と行為を形成し、人間の実存を形作っているのだという主張の裏付けを行っている。

フェルベークはその主張を発展させ、技術的人工物は私たちの道徳的意志に影響力を持ち、決定や行動を形成しているとこの考え、この性質を「道徳的媒介(i.e. 事物の道徳性)」と呼んでいる。彼は胎児に対する超音波検査を例にとって、道徳的媒介を分析している。超音波検査という技術の出現によって、両親は妊娠の進行具合・状態を知ることができ、加えて出生前に先天的障碍を検出することが可能になった。両親は必然的に「検査結果を踏まえてどのような意思決定をするべきか」「そもそも検査を受けるべきか」などといった選択を迫られているのである。媒介者たる技術によって両親の妊娠に関する経験や意思決定、胎児自身の存在自体が構成されているといっても過言ではないだろう。それゆえ、彼は技術への関わり方やその使い方について主体的に選択し、能動的に関係するべきであると主張する。

技術的媒介や事物の道徳性を見据えた先に、都市や建築、環境をどのようにデザインするべきであろうか。フェルベークの考え方によれば、技術の設計により人間を様式に適合させ、教化することも可能である。しかし、そのような道徳的媒介を完全に制御することができるわけではない。人工物は意図しない媒介を引き起こすこともある。エントランスに自動回転ドアを設置することで、車椅子使用者が中に入ることが難しくなることがその一例である ★2。技術を精緻かつ厳格に設計することで使用者の行為に関与することも重要ではあるが、場合によってはその手綱を緩め、使用者自身に委ねることも重要なのではないか。その「緩め具合」が重要なファクターなのかもしれない。

今回紹介する「技術哲学講義」の中に、そのような建築のあり方を考える上で前提とすべき視座があった。下記の通り引用する。

フェルベークのポストヒューマニズム的な見方は人間と非人間の境界を横断するものである。道徳性を作ること、人間を作ることとでも呼びうるであろうものの中に、フェルベークが言うところの人間と非人間存在との間の「同盟(alliances)」が存在している。人間が存在できるのは、非人間との関係の中(in)あるいは関係を通じて(through)のみなのだ。(p.78)

ここで、フェルベークの媒介理論を建築の計画・設計に当てはめてみよう。建築の部位・家具から設備までの様々な技術は人間の行為や経験を媒介し、使用者の生活に大きな影響を与える。技術は人間が環境に関与(開口部や空調、照明など)することを手助けし、人間は技術を用いて環境の状態を把握(センシング/モニタリング)することができる。以上の関係はポスト現象学派において、それぞれ「身体化関係」「解釈学的関係」と呼ばれるものである(詳しくは書評の後半にて紹介する)。

身体化関係に着目すると、様々な機能が他者によって制御・用意されている建築空間(商品住宅・全館空調・全体断熱など)から使用者による適応行動や活動が必要な建築空間(セルフビルド/DIY・パーソナル空調・半屋外空間・部分断熱など)まで、様々なグレードの技術的媒介が存在していることがわかる。「建築」という技術において、設計者は人間の行為や経験に対する技術の媒介をチューニングし、人間と非人間との間の「同盟」をデザインする役割を持っていると言えるだろう。

これからの都市や建築、環境のデザインにおいて、使用者の主体的な振る舞いの余地をどのように残すかについて考える必要がある。そのためには、事物の道徳性を理解した上で設計を行うことが肝要である。「技術とは何か」を考える技術哲学を学ぶことで、そのリスクと可能性を両立した議論を行うことができるようになるだろう。設計者やエンジニアにとって本書から得られるヒントは多く、設計理論・思想としてフィールドや実践に生かすことができると信じている。

以降、本書の内容について概説しよう。

技術哲学は、私たちの社会や生活における技術のあり方について深く考察するための専門性を持った体系的試みである。技術は物質的なもの(自動車や建築)や非物質的なもの(プログラムやソフトウェア)、インフラ(道路や公共交通、インターネット)、デバイス(サーモスタットやスマートスピーカー)の形を取りうる。または、人間の活動や技能と見なすこともできる。技術の一般的な定義に、技術はある目標を達成するための手段であるという「道具説」がある。しかし、多くの技術哲学者は道具説を懐疑し、技術が単なる道具ではなく私たちの行為や価値判断、思想ひいては実存を形作るのものだと主張する。

哲学者マルティン・ハイデガーは、近代技術は世界を顕現・認識・構築するしかたであるとし、自然を使用・操作・制御することが可能な徴用物資(用象; Bestand)として現前させると考えた。昨今の例で言えば、太陽光パネルや風力発電機を使用するとき、自然(太陽光や風)は電力供給のための徴用物資となるといった論理である。要するに、技術は世界が私たちに対してどのように顕現し、私たちが世界をどのように経験するかに大きく関わるものであることを示唆している。

別のアプローチでは、技術の道具性をある程度引き受け、技術は道具ではあるものの、道具以上の意味を持つものであると考察されている。その代表例がポスト現象学媒介理論である。ポスト現象学派を立ち上げた張本人がアメリカの技術哲学者ドン・アイディであり、上述したフェルベークもアイディから大きな影響を受けている。彼はハイデガーの技術観やデカルト的な二元論を拒絶し、経験的転回 ★3の立場において人間−技術の関係性に焦点を当て「技術的媒介」や「物質的解釈学」を探求した人物である。アイディは人間−技術−世界の関係を「身体化関係」「解釈学的関係」「他者関係」「背景関係」の4つの概念で整理している。

はじめに、身体的関係について説明しよう。眼鏡や杖、自転車は私たちが特段意識せず使用しているという点で身体化されている。アイディは経験される身体は人工物によって拡張されうるし、これらの人工物はさらに私たちの知覚や行為を形成するのだと主張する。一方、解釈学的関係の場合においては技術は可視化されており、使用者は技術(時計や温度計、望遠鏡など)を通じて世界を解釈(読解)する。ここでも技術は単なる道具ではなく、人間の知覚を変化させていると言う。多様な技術的経験と使用を伴う多文化的な生活世界を見据え、学際的な研究を推進したアイディは多くの哲学者に影響を与えている。

以上に加えて、本書の前半ではマーシャル・マクルーハンのメディア論やアイディらのポスト現象学派に影響を与えたメルロ=ポンティによる現象学、マルクスを出発点とする技術の批判理論、プラグマティズムなどの様々なアプローチが紹介されている。本書の後半では、新しい技術が哲学者の概念や理論の構築にどのような影響を与えているか、哲学の他分野や哲学外の学問分野との関連、アカデミア外の分野における実践について概説されている。

終わりに、本書後半から建築分野に関連する議論を紹介したいと思う。勿論、詳しくは本書を読んだ上で思考を巡らせてみてほしい。

アメリカの技術哲学者アルバート・ボルグマンはセントラルヒーティングと薪ストーブを比較している。薪ストーブを使うには、薪の入手や切り出し、火起こしの技能、ときには他者によるサポートが必要であり、室温が自動制御されるセントラルヒーティングと比べて極めて不便である。しかし、ボルグマン曰く、薪ストーブという技術には身体的な経験や物理的なものとの関わりや家族や友人のような他者との交流があり、より多くの関与と技能を含んでいるという点でセントラルヒーティングより好ましいと言う。以上の議論から「環境との良い関係とは何か」「良い関係を形作るにあたって技術はどのような役割を果たすのか」「そもそも果たすことができるのか」といった命題が浮かび上がってくる。

著者のクーケルバークは、より応答的(responsive)で、有徳で、熟練した、注意深い、そしてより深い環境との関係を形作ったり、そうした関係を発見する手助けとなったりする技術の必要性を説いている。ロマン主義的なアプローチ(自然への回帰を志向する考え方)を斥け、上記の役割を果たす先進的な技術が必要であると主張している。建築工学ないし環境工学の分野において「そのような技術は何か」「関与のしかたをどのように設計すべきなのか」について私たちは議論するべきであり、このことを踏まえて建築/技術を設計し「自然」とのより良い関わり方を模索していくべきだろう。

最後に、芸術と技術の関わりについて触れたい。文明批評家のマクルーハン曰く、芸術家は「知覚の専門家」であるという理由で、目の前にある、または現前しつつある技術革新の課題に向き合うことが可能な唯一の人間であると言う。芸術は「対抗環境(counter-environment)」を提示することによって、私たちが自らに課した環境(self-imposed environments)の専制政治から私たちを解放しうると彼は考えた。芸術家と技術者を複合した職能とも言える建築家が、いかに芸術・技術に対峙するかを考える上で、マクルーハンの主張は示唆に富んだものであろう。評者は建築や環境のデザインを通して、技術による使用者の行動や経験に対する道徳的媒介のあり方や技術を介した「自然」との関わり方を模索し、既存の文脈に対する「対抗環境」の提示を試行していきたいと思う。

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★1 技術哲学のアプローチの一つ。経験や物質に焦点を当て、具体的な技術的人工物が引き起こす経験や使用、媒介を探求する学派のことである。

★2 日本では、国交省の「自動回転ドアの事故防止対策に関するガイドライン(2004)」において 車椅子利用者が容易に通行できるような寸法・運転速度とすることが定められている。

★3 近代技術全般および社会全般を扱う壮大な理論に反対し、特定の技術的人工物やその使用に着目した立場。

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書誌
著者:マーク・クーケルバーク
監訳者:直江清隆・久木田水生
書名:技術哲学講義
出版社:丸善出版
出版年月:2023年1月

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深和佑太
建築討論

1995年長野生まれ。2019年首都大学東京大学院修士課程修了。2019-2020年レビ設計室/中川純+池原靖史設計室。2021-2023年早稲田大学建築学科助手。2023年早稲田大学大学院博士課程単位取得退学。2024年より日本工業大学建築学科助教・博士(工学)。専門分野は建築環境学、担当作に「E邸」「部分断熱の家」