マーク・ラムスター著『評伝フィリップ・ジョンソン:20世紀建築の黒幕』

近代を嗤う悪意(評者:林 憲吾)

林憲吾
建築討論
Feb 10, 2021

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マーク・ラムスター著『評伝フィリップ・ジョンソン:20世紀建築の黒幕』

500頁を超える大著である。しかも、綴られるのはフィリップ・ジョンソンという唯一人の建築家の一生。1906年に生まれ、2005年に没した98年間の人生は、20世紀をほぼまるまる生き抜くほど長かったとはいえ、やはりこの人物の非凡な人生なくしてこの重厚な評伝はありえなかっただろう。

まずもってその重要性は、近代建築の潮目を一度ならず幾度も変えたことにある。ハーヴァード大学で元々は哲学を専攻していた若者が、建築に目覚め、1932年にヘンリー=ラッセル・ヒッチコックとともにニューヨーク近代美術館(MoMA)で「近代建築」展を開催する。欧州でムーブメントとなりつつあった「インターナショナル・スタイル」に追い風を与え、このスタイルと用語を一躍有名にした。このようなキュレーションで20世紀の建築界の潮流を創ったかと思うと、30代半ばには大学で建築を本格的に学びなおす。1949年には、ミースの代名詞となるガラス張りの家を、ミースに先んじて実現させる離れ業で、今度は建築家として注目を集めた。モダニズムの先導者として人生の前半を立ち回ったのとは打って変わって、晩年はあっさりとポストモダンに転じる。1984年に《AT & Tビル》を建てると、ポストモダンの代表格のような位置づけを得た。さらに、その4年後には「デコンストラクティヴィスト建築」展を開催する。フランク・ゲーリーやレム・コールハースなど、近代建築の理念を脱構築する急先鋒たちをMoMAに集め、半世紀前に自らが創りあげた潮流を蹴散らしていくような存在の彼らをスターダムにのし上げた。

これだけでもジョンソンが20世紀の建築界で前線に立ち続けたことがわかる。ただし、こうしたジョンソンの立派な偉業と一緒に、ジョンソンの人柄までもおべんちゃら塗れで、“立派に”描いていたのなら、この評伝にここまでの厚みは生まれなかっただろう。ジョンソンその人を、真っ直ぐに見つめるなら、立派な偉業の数々とは裏腹に、お世辞にも“立派”とはいえない人柄も見えてくるからだ。奔放、気紛れ、傲慢、ムラっ気、抑圧、孤独。本書を読み進めると、何だか褒められた人ではないような複雑な気持ちにさせられる。実際、ジョンソンの建築作品を本書はほとんど褒めない。称賛するのは《MoMAの彫刻庭園》と《州立劇場》のプロムナードくらいである。また、ファシズムに傾倒し、政治活動をしていた1930年代後半の時期を隠蔽し、戦後はユダヤ人建築家を支援するその転向ぶりにも本書は辛辣である。だが、この転向に見られるような矛盾こそが、良くも悪くもジョンソンその人だといったところに本書の価値があろう。時宜にかなった立派な設計や企画の源泉も本書はその矛盾に見る。

新しいものを支持する歴史主義者、大衆に迎合するエリート、独創性を欠いた天才、インテリのゴシップ好き、ユートピアを語る日和見主義者、どこまでも寛大でありながらきまぐれにひどく冷徹にもなる男。

本書がジョンソンを語る言葉である。矛盾に満ちた一貫性のなさが表現されている。若くして遺産を相続してお金に困ることのなかった生活。ゲイであることに対する社会や父親の偏見。彼を取り巻いた複雑な環境の数々が、振れ幅を大きくしたところももちろんあるだろう。だが、そもそも私たちは一貫性のある生き物なのだろうか。本書を読みながら、そんな疑問に苛まれた。上記のことは、たとえ小さく折り畳まれていることはあるにしても、誰彼なしに内在していないだろうか。むしろ、一貫した自我なんてものが、近代の幻想ではないのか。

ジョンソンという人生には、こうした近代を嗤う悪意のようなものが漂っているように、評者には思えてならない。それは建築家像についても同様だ。たとえば、ミースの一件。ミースを敬愛する彼が、ミースの影響を受けて、ミースもどきの《ガラスの家》を建てて、世間の注目を浴びる。この「独創性なき天才」ぶりに私たちの心がざわつくのは、建築家たるもの独創的であらねばならない、という前提を知らず知らずのうちに私たち自身が受け入れているからである。また、社会的責務を果たす建築家という理想像も彼にとっては暗黙の了解ではない。インターナショナル・スタイルを打ち出した展覧会では、社会と美学の目標を融合させた運動でもあったこのスタイルを、単にスタイルとして矮小化して称賛するにとどめたという。晩年のポストモダンへの軽やかな変化や、ドナルド・トランプとの商業主義的な協働を見ても、「建築家が背負い込む使命なんて、建てる以外にあるんですか?」とでもいわれてる気分になってくる。近代建築の化身のようなジョンソンの人生には、むしろ近代の建築や建築家に対する素朴で挑発的な問いが含まれている。たとえば、コールハースや磯崎新にもそうした近代を嗤う挑発的な悪意が見られるが、いわばその先駆けにジョンソンがいるように思えてならない。本書をとおして、その彼の悪意に真摯に向き合うことで、建築家とは何かをいま一度考え直す機会になるだろう。

ちなみにこの500頁の大著。あまりに人生が長距離なので、少し迷宮に入り込むことがある。そんなときはエピローグを先に読むことをおすすめする。この終わりの文章には、旅のはじまりに必要な羅針盤のような働きがあるから。

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書誌
著者:マーク・ラムスター
監訳:横手義洋
訳者:松井健太
書名:評伝フィリップ・ジョンソン:20世紀建築の黒幕
出版社:左右社
出版年月:2020年10月

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林憲吾
建築討論

はやし・けんご/1980年兵庫県生まれ。アジア建築・都市史。東京大学生産技術研究所准教授。博士(工学)。インドネシアを中心に近現代建築・都市史やメガシティ研究に従事。著書に『スプロール化するメガシティ』(共編著、東京大学出版会、2017)、『衝突と変奏のジャスティス』(共著、青弓社、2016)ほか