メアリアン・ウルフ著『デジタルで読む脳 × 紙の本で読む脳:「深い読み」ができるバイリテラシー脳を育てる』(大田直子訳)

人類の脳が変化していく過渡期に(評者:藤田直哉)

藤田直哉
建築討論
6 min readApr 5, 2020

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一言で言うと、人々が紙の活字を読んでいたときと、デジタル端末が普及したあとでは、人間の世界の感じ方や考え方などが大きく異なっている──つまり、「人間」が変わってしまっている──ということに警鐘を鳴らす本である。

著者は、前タフツ大学の読字・言語研究センター所長であり、現UCLAの大学院「ディスレクシア・多様な学習者・社会的公正センター」所長であり、『プルーストとイカ』という本の著者である。書き言葉が人類の歴史の中でどう現れ、個人がどのように習得していくのかを、人文的な手法と、脳神経科学の双方を用いて研究してきた人物だ。

紙の本をしっかりと読まなくなり、デジタル端末で動画やSNSをやるようになると、何がどのように変わるのだろうか?

メアリアン・ウルフ著『デジタルで読む脳 × 紙の本で読む脳:「深い読み」ができるバイリテラシー脳を育てる』

人間の脳には「可塑性」がある。人間は「言語」を扱う能力は生得的に持っているようである。だがそれは、音声言語に限られているようだ。文字を読んで理解する能力というのは、後から獲得された能力なのである。遺伝子的に持っているわけではない能力を、人類は後天的に獲得することが出来る。これを可能にするのが教育であり文化なわけであるが、そもそもそれが可能なのは、人間の脳に「可塑性がある」、つまり、脳の配線を作り替えていく能力があるからである。

文字を読み書きするようになり、人類の思考の本質は変化した。同じように、デジタルデバイスが普及した結果、脳の配線が組み替えられつつある。ひょっとすると、人類史の大きな転換期に、私たちは立っているのかもしれないのだ。

後退しているものの一つとしてメアリアンが挙げるものが、「他者視点の取得」である。スタンフォード大学のサラ・コンラスらの研究グループによると、「過去20年間で若者たち共感が40パーセント低下」(p74)しているという。私たちは、自分とは異なる立場の人の内面や思考を、外観だけで知ることは難しい。小説や物語を通じて、感情移入などを行い、他者の視点で考えたり、深いレベルで共感することを学ぶのだ。この能力は、民主主義や市民社会の基礎であり、多文化共存にも当然必要なものだ。これが衰弱しているということは、当然、政治や社会のあり方、人々の関わりあい方が大きく変わっていくことを意味する。

次に挙げられるのが、知識の低下である。外部のデバイスでいつでも検索すればいい時代になると、当然、人はあまり記憶しなくなる。あらかじめその人物が持っている知識を「背景知識」と呼ぶが、これが自分の中に基盤としてないと、新しい知識を取得したり、批判的に理解することが困難になっていく。「幅広く深く読んでいない人は思い出せるものが少なく、ひいては推測、推論、類推思考の基礎が弱いので、フェイクニュースであれ、完全なでっち上げであれ、裏づけのない情報の犠牲になりがち」(p79)で「自分が何を知らないのかを知ろうと」しない状態になってしまう。そして「成熟した個人的信念体系がまったくない」(p88)状態になってしまう。

第三に、日常生活で常に強烈な感覚刺激があるため、それに恒常的に依存状態になり、「静かな目」や「観照」「瞑想」が失われていく。穏やかさや落ち着きがなくなると言ってもよい。注意散漫で、集中力がなく、マルチタスクで、スイッチングが早く、断片的になり、深く考えることはしない。SNSやスマホをしているとき、自分の脳が確かにそうなっていることを、他人事でなく、実感する。幼い頃からスマホやタブレットに触れ(ぼくの息子など、0歳のときからスマホに触り、一歳で操作している)、日常的にそのメディアの影響を受けた脳は、 違う配線が形成され、活字で育った人々とは違う風に自分や世界を感じ、理解するようになっていくのだろう。そして複雑な思考やその表現は次々と切り捨てられていく傾向にある。

もう多くの読者がお分かりの通り、昨今の世界に起こっている「民主主義の危機」のようなものの震源地を、メアリアンはデジタルデバイスに見ている。

初期言語の発明が人類にもたらした最も重要な貢献は、推論にもとづく批判的論法と内省する能力のための民主的土台です。これは集団的良心の基礎です。二一世紀の私たちがきわめて重要な集団的良心を維持するつもりなら、社会のメンバー全員が、深くかつ上手に読んで考えることができるようにしなくてはなりません(p273)

とはいえ、彼女がデジタル端末や若者を単に否定しているわけではない。実際、彼女の息子はグーグルに勤務しているし、提示する解決策である「バイリテラシー」とは、紙の本とデジタルとを、まるで二つの別々の言葉であるかのように習得する、ということである。さらに、「読み書き」の能力がない地域や人々、それから彼女の(もう一人の)息子もそうであるディスレクシア(読字障害)の人たちに読み書きを教えるときのためのデジタルツールの開発も行っている。単に新しいものを否定しているだけではないのだ。上記の危機感に基づいた上で、デジタルテクノロジーの負の部分を緩和した、未来の文化を提言しているのである。

さて、人間を取り巻く情報環境とメディアテクノロジーが変化し、それらに適応するために人間の脳も変化し、これまでの価値観や感覚が失われていくときに、建築は何をするべきだろうか。建築物もまた人間に影響を与える一つのインターフェイスであり、環境である。現実空間で他者と出遭う場を設計できるし、時間の流れを演出することも可能だろう。

人間の「中身」が変わってしまうような人類史的な岐路の中で、建築が果たすべき新しい使命もきっとあるはずだし、建築の意義の、新しい再定義も可能かもしれない。これだけ動きがあり、落ち着きがなく、断片的で流動的なデジタルメディアがあまりにも普及し、その負の影響が意識されるようになってくると、確固とした、動きのない物質として私たちの環境の中にある「建築」の価値が、改めて注目されることになるはずだ。

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書誌
著者:メアリアン・ウルフ
訳者:大田直子
書名:デジタルで読む脳 × 紙の本で読む脳:「深い読み」ができるバイリテラシー脳を育てる
出版社:インターシフト
出版年月:2020年2月

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藤田直哉
建築討論

ふじた・なおや/1983年札幌生まれ。日本映画大学准教授。東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻修了。博士(学術)。著書に『虚構内存在』『シン・ゴジラ論』(作品社)『新世紀ゾンビ論』(筑摩書房)、編著に『地域アート 美学/制度/日本』(堀之内出版)『3・11の未来 日本・SF・創造力』(作品社)『東日本大震