ロングインタビュー|塚本由晴──地域の建築の当事者性

建築作品小委員会
建築討論
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20 min readOct 31, 2019

[201911 特集:建築批評《尾道駅》―地域の建築がつくる地域] Long Interview | Yoshiharu Tsukamoto -- Person concerned characteristics of regional architecture

日時:2019年10月2日 11:00–13:00
場所:ハウス&アトリエワン
話し手:塚本由晴
聞き手:辻琢磨、伊藤孝仁、能作文徳|建築作品小委員会

尾道駅の設計プロセスとアトリエ・ワンの役割

辻:今回の建築作品小委員会では《尾道駅》を選ばせていただきました。「地域の建築がつくる地域」というテーマにしていまして、建築と都市や街の関係、フィードバックが起こってくるべきではないかという仮説があり、そのフックに塚本さんの言う非施設型の建築がなり得るのではという部分が我々の興味関心としてまずありました。最初にお伺いしたいのは役割の話で、尾道駅の設計においては、西日本鉄道旅客(以下JRN)、ジェイアール西日本コンサルタンツ(以下JRNC)が設計者、アトリエ・ワンはデザイン監修者の立場に位置付けられています。デザイン監修者としてどのような役割を担い、設計プロセスに参加したかをお伺いできればと思います。

ハウス&アトリエワン屋上でのインタビュー風景(左から塚本氏、辻氏、能作氏)

塚本:「瑞風」という豪華列車が停まり、しまなみ街道の起点として自転車愛好者の巡礼先になり、インバウンド旅行客が増化している状況に対して、これまでの木造の尾道駅舎は手狭で、老朽化によって耐震補強が必要でした。愛着のある建物だから残して欲しいという市民の声もありましたが、不特定多数の人がほぼ毎日使う駅舎だけに、解体され、改築されることになりました。しかしJRNにも駅の将来に対するヴィジョンがあり、改築にあたっては、今までどおり鉄道運行の安全を確保し、人々に安心して使われる駅であることに加えて、通過点としてではなく、尾道の人々の活動の拠点であり居場所であるような駅となることを望んでいました。駅が街を分断し、街と融合できてこなかったことを見直し、これからは地域と一緒にあり、街につながっていく新しいあり方を模索するモデルケースになることが期待されていました。その実践にあたっては、建築もテナントも特色のあるものにしたい。駅舎のテナントについては、土産物屋を兼ねるセブンイレブンが入ることが決まっていましたが、他は例えばスターバックスや蔦屋書店でも地元の若い人は喜んだかもしれない。でもそれでは尾道らしさに触れたい旅行者には物足りないし、地元のアイデンティティを表現する機会にもならない。地元のために頑張るオペレーターの力を借りたいとの想いから、JRN は《ONOMICHI U2》、《ガンツウ》、《リボンチャペル》を手掛けていたディスカバリー・リンク・せとうち(以下DLS)に協力を求めていました。その過程で、アトリエ・ワンが駅舎とテナントスペースのデザインに積極的に働きかけを行いました。だからアトリエ・ワンの提案にはDLSの意向も含まれています。背後の千光寺山に連なる瓦屋根になじむ大きな屋根というのはDLSとの意見交換で出てきました。尾道市とは、駅前広場についての協定、色と広告看板についてのデザイン規制を含んだ景観条例、市が運営する観光案内所をコンコース付近に設けることなどです。こうしたアクターの多さは、そのまま権利と管理の複雑な区分に反映されます。その区分の相互理解に、設計チーム、施工チームともずいぶん時間を割かなければなりませんでした。

テナントのインテリアも、店のコンセプトに近いところで施主のイメージを代弁するインテリアデザインチームの素案をもとに、私たちは駅舎に近いところで、建築との取り合いの方からインテリアをまとめました。ホステルに入っている板倉式高床二段ベッドでは、シェルター社の協力のもと、75角の杉柱を前提にしたジョイント金物を開発しました。

建築計画の核心

辻:建築計画の部分で意識されていたことはどのようなことでしょうか?

塚本:まずは人々のふるまいが駅の広場側に最大限現れるように、広場に対して低い庇による構えを作りたいと考えました。また広場側に壁を感じさせない大屋根の建築にしたかった。庇がある場所の底地は、JR西日本の所有だけど道路として認定されており、柱はNGだが庇はOK。広場に対して水平な庇が真一文字で走ったらあとは視線を山側に抜く。広場から近づいていくと、庇で蹴られて屋根も消えます。これを実現するには二階の海側のヴォリュームを削る必要がありましたが、事業計画で決められた面積も確保しなければならない。そこでプラットフォームの上に2階を片持ちで張り出し、海側2階にテラスを確保しました。JRからは柱のない開放的なコンコースの要望があったので、テラスの並びをガラス屋根の吹き抜けにして、コンコースと広場を連続させました。2階の柱は桁行が8.7m、梁間が12.6mのスパンで、ペリメーターにしか落としていません。線路の位置が昔の海岸線で、駅舎のあるところは埋め立て地で地盤が悪く、コストを考えたら杭は減らしたい。柱が少ないので、室内の雑壁を壊せば一体になり、テナントの変更にも柔軟に対応できます。

《尾道駅》正面からの低い庇の大屋根

建築の世代論

能作:駅舎の系譜との接続も考えられていますよね。

塚本:21世紀の今、建築の議論が面白いとすれば、それは近代の施設が既に数世代を重ねたからだと思うんです。1950年代はまだ戦後復興の途上ですから、戦前の帝国主義を反省し、新しい民主主義をつくる社会の機運とともに施設建築がつくられていきました。当時、各種建築の専門家なんていない。素人が見よう見まねで作ったと言っても過言ではない。例えば図書館は自治体にひとつあれば十分ですが、発注する市役所の職員は図書館の専門家ではない。建築家も経験者だとしても一つや二つ、同時期に立て続けにやるから世代は問題ではない。ようやく施設の世代や系譜を論じるべき時期がきたのです。違う世代の施設を比較すると、計画の背後にある社会的想定がよく見えてきます。この想定を批判的に検証し、更新することは建築家が一番得意であるべきところです。建築を通した社会デザインにとって最も重要な領域だと思います。

私は2010年のベニスビエンナーレでの東京の住宅地と住宅、ヴィッラや町屋の系譜、北本駅前広場での駅前広場、などを論じてきました。私が知る範囲では、磯崎新さんが美術館の系譜学を90年代に、千葉学さんが市庁舎の世代論をつい最近書いてました★1。今回は駅の世代論です。新しい尾道駅は同じ場所の三代目です。一つ前の二代目は両翼にヒップルーフの正面を向けた木造駅舎で、戦後白いモダニズム風ロッジアが広場側に増築され、それが後に内部化され、駅としての間口が入り口のところに限られ、圧迫感があった。古い写真を見ると第一世代の駅舎に対する広場のバランスは良かったと思います。その細長いリニアな木造建築の佇まいを参照することにしました。細長い木造はかっこいい。木造小学校や法隆寺の食堂、江戸城の侍長屋、あとは1940年代の吉田鉄郎が設計した逓信建築。資材統制で鉄筋を使えないから木造の寮や郵便局がつくられた。駅舎はプラットフォームに沿うので間口が広く、奥行きが浅く、中央に入り口が来るから長屋門みたいになる。今回の第三世代にこの流れを残せたのは、橋上駅にならなかったからです。様々な要因が重なり、地平駅のまま建て替えられることになった。おかげで土木構築物にならずにすんだ。電車から降りたプラットフォームと改札が地続きで、その先に海が見える体験がいかに素晴らしいかを常に語りながら提案していました。

木造のプロトコル

塚本:《尾道駅》の建築にとって重要なのは大屋根のあり方です。大屋根は日本の建築の要と言える要素ですが、そこには材の勝ち負けやヒエラルキーなど木造のプロトコルが内在している。しかし《尾道駅》は鉄骨造とすることが求められました。先ほど説明した柱の本数は鉄骨だからできるのですが、大屋根とのバランスでいうと物足りないかもしれない。そこで大屋根由来の木造のプロトコルと、鉄骨造のプロトコルの擦り合わせ方が、デザイン上重要な問題だと考えました。

例えば、尾道の山側には寺や民家の瓦屋根の風景が広がっており、和風を感じさせるものにしてほしいという要望も強かった。アトリエ・ワンでは町家の研究や現代町屋の実践もあるので抵抗はないのですが、JRNは本瓦の使用を認めていません。暴風で瓦が飛ばされたら、電車の運行に影響するからです。そこで金属の瓦屋根が選択されました。

屋根でもう一つ重要なのは、庇裏の表現です。日本建築の庇の流れには野垂木と化粧垂木の違いがあります。野垂木には構造としての役割がありますが、庇を深く伸ばそうとすると垂木が太くなります。そこで発明された方法は桔木によって軒を張り出し、垂木は構造ではなく化粧にすることで軒裏のキメを繊細にするというものでした。例えば隈研吾さんはその解釈を最大限展開しているわけですね。でも今回は駅だからそういう構造と化粧の分離ではなくて質実剛健なもののあり方を目指し、化粧垂木にはせずに構造として役割のある野垂木としました。庇を深く張り出すために片持梁で出桁を支え、その上に垂木が乗り木毛セメント板を貼っています。次の問題は柱と屋根の取り合いです。柱を屋根にどうやってぶつけるかが難しい。

1950年代の伝統論争のときの日本の伝統と西洋近代を弁証法的に止揚するという、丹下健三の「正反合」のレトリックは強力なナラティブを発生させました。そもそも関係ないものを、なぜ止揚できるのか?丹下健三は天才だからであるという神格化作用まである。篠原一男が伝統論争を蒸し返して「白の家」にいたる第一の様式は、実は「対比現象」を用いた構造の抽出とその組み替えであり、丹下弁証法への批評になっています。当時は多くの建築家が丹下的レトリックの中で様々な試みをしましたが、うまくいっているのとうまくいっていないのがある。木造と鉄骨造のプロトコルの擦り合わせは今回は私達なりに考えた独自のアプローチです。日本の建築は軸組構造の上に小屋組がのりますが、真壁づくりで柱と桁が露出しているといっても妻側の屋根と柱の納まりには桁はないし、登り梁は柱よりも幅が細いから、壁と柱が屋根まで届いて、柱が一番勝った納まりが木造としては落ち着きます。さらに今回は軒を深く出すために片持ちのH梁が柱から出てくるのですが、鉄骨造の耐火被覆の外装の場合、アルミパネルなどの工業製品かセメント成型板にするという沿岸地域の一般的な仕様があり、外装パネルがH鋼断面で細かく分割されてしまう。白系の柱、梁のパネル割付とリズムが合わなくなるだけでなく、シールも目立ってしまう。その納まりを考えると左官仕上げにしたくなりますが、駅舎は常に振動にさらされているのでヒビが入りやすい左官はNGです。そこで片持ち梁がつく柱の頂部は、シールの目立ちにくいチャコールグレーにして、他の白い部分から視覚的にも後退する表現としました。このアイデアは、門の両脇に柱を立てる貫木門を参照しました。小口断面となる柱頭頂部が小口を雨から守るために金属で被覆されているのです。木造のプロトコルが持っているヒエラルキーや材の弱点への配慮をそのまま反映させつつ、鉄骨のプロトコルを活かそうとしました。

柱と上り梁がぶつかる接合部はチャコールグレーに着色している

また、ファサードのサッシは弱軸使いのH型鋼の無目によって上下に分割し、下は内に引っ込め、上は外に出しています。これはガラスの存在感を弱めるのと、大きな開口部にかかる風圧力に対抗するためです。アルミだけだと、メーカーの想定する開口部になってしまいます。無目の高さは2.4mなので柱に巻いたタイルがよく見えます。

無目以下のサッシをセットバックさせ柱型を目立たせた正面

辻:鴨居を強めに入れて、上側を欄間として位置づけることで明確に分けたということですね。

塚本:8.7m飛んでいる鴨居と欄間。日本の木造建築の引き戸のプロトコルを鉄骨のプロトコルに重ねているともいえる。

伊藤:もう少し柱が多くても経験的によかったと思える場所があったと話をされていたと思いますが具体的にはどこですか?

塚本:瓦葺きの大屋根なので、重量鉄骨で大スパンを飛ばすより、繊細なスパンで組み立てる手もあったかもしれません。しかし融通性の高い建築が求められていたので、柱を少なくしました。そうなると柱は太くなります。そこで柱がGLから2階の屋根に届く全体長さが現れるところを吹き抜けに作っています。柱の長さと太さのプロポーションが伸びやかに見えるようにです。大屋根の軒に近い部分は瓦ではなく平葺きにして少し薄くしました。こういう風にいろんなプロトコルがつなぎ合わされた全体は一言では形容できないけれども、独特のアンビエンスとして効いていると思います。

プロジェクトを組み立てる順序

伊藤:二階のテラス空間を生み出すことがメインコンセプトだろうと推測していたのですが、広場側の低い庇の構えから始まり、数珠つなぎに展開していった先にありました。コンセプトの順序はどの程度意識されていたのでしょうか。時系列的にあとから出たもののほうが重要度が低いというわけではないように感じられます。

塚本:結果テラスが最後だったのがよかった。テラスが最初に設定されていたらおかしなことになっていったかもしれません。庇と大屋根を実現するために、建物を片持ちにして張り出した結果、空いた部分がテラスになったから余白のような雰囲気が実現できたのでしょう。余白が一番いいところにとれた。

辻:どこまでコンセプチュアルにやらないかというか、そうするといろんなタイミングで案を変化させることができると思うんです。コンセプトを引き出したり引っ込めたりタイミングはどのくらい意識されているんですか?

塚本:アトリエ・ワンの場合、コンセプトといえるのはふるまい学で、それぞれのプロジェクトはナラティブの現場。そのフィードバックがふるまい学をさらに豊かにする循環があると思っています。例えば尾道駅の展望テラスは駅を使う人が自分で見つけて、その人なりにふるまえる場所です。建築の全体の中では尾道水道が眺められるところに人々を配置するジグのようなものです。その形態的な扱いは、最初はもっと図式的で、一階の庇から連続する大屋根の真ん中に開口があるというものでした。展望テラスのかたちとしては分かりやすいですが、屋根のふるまいや雨のふるまいを想像すると、いろいろと不自然なところがあったので、最終的には大屋根を複数の屋根に分節しました。雨樋は曲がりくねると目障りだけど、端から端まで一文字だと清々しいでしょ?軒先を強調する色んな長さの水平線が立体的に配置されたかたちになりました。

辻:そのような柔軟なプロセスは、施設ではない方向に建築を向かわせるという点で有益に働くような気がしていて、強い一つのコンセプトを埋め込んでそれをわかりやすく体現してということではなくて、いろいろな要素が入ってくれて、いろいろな価値観を受け入れるような建築になりやすいなということを感じています。

塚本:ふるまい学としては、その場所での暮らしや活動を取り巻いているものに対して、人々が当事者として五感豊かに向き合えるような建築を作りたいわけです。ふるまいが先行する場所づくりです。一方、施設は医療、文化、教育といった社会制度化した先行概念を、人々に平等な機会が与えられるように物質化し、各地に配置したものでもある。学校、病院、美術館、その他諸々、そして駅もそうです。この構えには、場所を取り巻くもの、すなわちアンビエンスを低く見積もり、人々の当事者性を阻害する場合があります。また、経済合理性、事業合理性に奉仕するだけの建物は、アンビエンスが貧しい。《尾道駅》を例に細かい話をしてきましたが、そういう積み重ねがアンビエンスを豊かにし、脱施設化の助けになるのだと思います。

尾道のプロトコルを捕まえる

辻:木造や鉄骨のプロトコルに対して、尾道という地域のプロトコルもあると思うんですが、どういう部分で引き受けているのでしょうか?

塚本:尾道はよく箱庭のような美しさと言われるように、空と山と海と島がぎゅっと集められたような場所です。視線を空に導く大屋根、水平の低い庇、展望テラスなどで、こうした景観に応答しています。また尾道の丘の街は、等高線に沿って歩くときの迷路性と、電車の時間が近づいたら、坂を下ってアーケードに出てさっと駅に向かえる便利さの両方が楽しめます。駅の二階にホステルやレストランがあり、下に降りればプラットフォームなわけですから、そういう面白さはこの建物にもありますね。

伊藤:横方向の動線計画も特徴的ですよね。

塚本:横に横に歩くようになっています。テラスもブリッジがかかっていて飽きないし、ホテルの位置もあえてロビーと宿泊を振り分けてつないだり、まあ細長い建物だからそうなるだけなんだけどね笑。

辻:でもそれは尾道の街自体が細長いということと関係していますもんね。

塚本:尾道の「共通感覚」を意識しました。材料やタイポロジーにも地域性はありますが、そこで暮らすことによって育まれる複合した感覚が実は地域性につながっていると思うんです。例えば私は太平洋側の人間だから、日本海側にいくと違和感がある。海が北にあって光ってないし、山の裏に太陽が見える。一定の地形や気候や植生に取り囲まれて生きているうちに身につくのが共通感覚だとすると、尾道のそれは濃厚で、五感がすごく刺激されます。そういう尾道の魅力にふさわしいものにしたかった。

伊藤:確かに、一番見晴らしのいいところがパブリックスペースになっていて、眺めを育てるような空間が尾道らしいなと感じました。

辻:今回の「地域の建築がつくる地域」に絡んでくるんですが、いかに地域の建築をつくるかという先に地域にどう影響を及ぼすか。尾道においては、《ONOMICHI U2》と《LOG》、《尾道駅》 と同じ運営会社の観光のための場所が新たに生まれて、このような泊まらなくても楽しめる複合的な宿泊施設が面的に展開した時に、丘と海の街という既存のプラットフォームがかなり生きてくるように感じました。地域の建築と地域の循環をどのように描いているのかなという部分、ビジョナリーな部分があれば教えてください。

塚本:観光の文脈が面白いのは再帰的構造を含んでいるから。ジョン・アーリが「観光反射機能」と述べているのに近いと思いますが、観光客の期待(エクスペクテーション)に応えるために何か準備しようとする時に、用意する人たちは観光客ではないので、本当の期待が何かはわからず、実際は自分たちのなりたい自画像に応えることになる。つまり観光の問題は、それぞれの地域が自画像をどうしたいかという問題でもあるのです。観光の文脈が意識されると、地域の自画像は少しずつアップデートされていくわけですが、それが良い方向に行く場合もあれば、悪い方向に行く場合もある。例えば期待を記号的に解釈してその再生産を続けるだけでは、地域がもともと持っていた価値を消費するだけです。自分たちがどうなりたいかは記号的に解釈などできるはずもなく、構築していくしかない。尾道は、志賀直哉、林芙美子、小津安二郎、大林宣彦など文学、映画との結びつきも強い。私の世代は何と言っても大林宣彦の尾道三部作です。小林聡美の「転校生」は海側の尾道が舞台で、原田知世の「時をかける少女」を山側の尾道が舞台で一切海は出てこない。これは同じ街に二つの違う結晶軸があるということだと思います。その印象がよそ者である私の尾道像でもあるわけです。大林監督と角川社長の描く、自分たちがなりたい尾道があの映画には濃厚に投影されていて、それが観客の中に植えつけられ尾道に対する期待になっていく。大学時代に私が尾道を訪れたのは「時をかける少女」を観たからに他ならないのです。その私が尾道の共通感覚をいっぱい吸い込んだような《尾道駅》を設計する。再帰的構造を通したリレーですね。時間をかけないと見えてこない。

建築と都市、建築と地域の関係性にもそういう再帰的構造があるのです。地域の建築をつくることが建築を通して地域をつくるとことになる。それは以前から私がこだわってきた、都市の中の住宅を設計しながら、その住宅を通して都市を再定義することと同じ構造です。それはたった一つの住宅に、都市創作の当事者性を宿らせるということです。同じように一つの建物の設計に、地域創出の当事者性を宿らせるのです。

★1 『新建築』2016年4月号「特集記事5:庁舎は公共性を育むことができるのか=千葉学」

塚本由晴
1965年神奈川県生まれ。建築家。1992年貝島桃代とアトリエ・ワン設立。1994年東京工業大学大学院博士課程修了、博士(工学)。2000年 同大学大学院准教授。2003、2007年 ハーバード大学大学院客員教員。 2007、2008年UCLA客員准教授。2015年より東京工業大学大学院教授。

伊藤孝仁
1987年東京生まれ。建築家。東京理科大学工学部建築学科卒業、横浜国立大学大学院Y-GSA修了。乾久美子建築設計事務所勤務を経て、2014年にトミトアーキテクチャ設立。SD REVIEW2017入選。主な作品《CASACO》(2016)、《真鶴出版2号店》(2018)など。

辻琢磨
1986年静岡県生まれ。2010年横浜国立大学大学院建築都市スクールYGSA修了。2010年 Urban Nouveau*勤務。2011年よりUntenor運営。2011年403architecture [dajiba]設立。2017年辻琢磨建築企画事務所設立。現在、滋賀県立大学、大阪市立大学、東北大学非常勤講師。2014年《富塚の天井》にて第30回吉岡賞受賞。

能作文徳
1982年富山県生まれ。建築家。2012年東京工業大学大学院博士課程修了。博士(工学)。現在、東京電機大学准教授。2010年《ホールのある住宅》で東京建築士会住宅建築賞受賞。2013年《高岡のゲストハウス》でSDレビュー2013年鹿島賞受賞。主な著書に『コモナリティーズ ふるまいの生産』(共著、LIXIL出版、2013)、『シェアの思想/または愛と制度と空間の関係』(共著、LIXIL出版、2015)。第15回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築出展(審査員特別賞)。

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建築作品小委員会では、1980年生まれ以降の建築家・研究者によって、具体的な建築物を対象にして、現在における問題意識から多角的に建築「作品」の意義を問うことを試みる。