中川武編『世界建築史ノート 「人類の夢」を巡歴する』

驚異の建築への旅(評者:林憲吾)

林憲吾
建築討論
Oct 20, 2022

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全体重をかけて建築を見る。

帯にも付されたこの言葉にしびれた。
巻末の座談によれば、この言葉は、編者の中川武氏が学生を連れておこなう京都や奈良の建築旅行の際に発したものだという。私も一度だけ、本書執筆者の一人である中谷礼仁氏に誘っていただき、本旅行に参加させてもらったことがある。その時の記憶がすぐに蘇った。氏の建築解説は、まさにこの言葉のごときであったからだ。東求堂・同仁斎に坐し、障子をすっと開けて口にした、光の変化や庭との関係は、建築空間に全身を投じたゆえの語りであった。

全体の幾何学的空間構成から、木割など細部を統制する寸法体系まで、建築の形態や生産システムが中川による論拠の中心である。だが、解説はそこで終わらない。そこから一気に空間の質へと飛翔し、さらにはその空間を生きる者の世界観にまで到達する。物から世界観に至るその語りが醍醐味ではないだろうか。

やや対比的に述べるなら、例えば、私の恩師の藤森照信は、建物を見ることを「相撲を取るように見る」と言ったが、建築と相撲を取りながら藤森は、作り手の頭の中を覗くというか、作り手自身になっていくような凄みがある。他方、中川は、建築に向き合いながら、その時代、その空間に没入し、まさに体験者として当時の社会や世界の有り様を語ってみせる凄みがある。本書でも、例えば、平等院鳳凰堂に見られる中世日本の浮遊感の源流を、薬師寺東塔を介して、法隆寺西院伽藍に辿り、そこに大陸を相対化するような古代日本の主体性を見る記述など、そうした凄みを度々味わうことができる。

本書の発端は、2015年の中川の退任記念講演会である。序のテキストは、その時の講演録を元にしている。さらに、そこに中川の薫陶を受けた執筆陣が加わり、地域や時代などで分けられた13章からなる世界建築史が編まれている。各章には、冒頭に全体解説が付された後、11の選りすぐりの建築の写真と個別解説が並ぶ。パラパラとめくるだけでも目を楽しませてくれるのだが、「本書にふれて建築に出かけていってほしい」(p. 227)と編者が述べるように、これは世界建築旅行への誘いなのだ。

だが、もちろんありきたりな建築旅行ではない。中川門下生が生み出す世界建築史への旅なのだからそれはもう当然である。こんな表現は適切でないかもしれないが、大変クセが強い。13章の道程からして、従来の世界建築史を刷新しようとする意図に満ちている。エジプトに始まり、南アジア、東南アジアと回って、中南米に到達する。そこからイスラームを取り上げ、9章、10章にしてついにヨーロッパに至る。その後、近代以前・以後の日本と来て、締めかと思えば、なんと最後は新石器時代の巨石造建築である。

「世界で最初に地上から高く積み上げられた石造建築」(p. 22)であるジェセル王のピラミッドに始まり、数千年前に現れたもう一つの驚異の石造であるストーンサークルで終わる。その間には世界各地、古代から現代に至るまでの数々の驚異の建築が登場する。全体重に相応しい建築たちがそこにいる。そもそもこれだけの領域をカバーしてきた研究室も驚異である。

歴史は一つの思想をつくるが、本書の建築たちに早くから触れて育った学生は、従来とは全く異なる建築観に至るかもしれない。この世界建築史を刷新する余地などあるのだろうかと悩むところではある。強いて言えば、サハラ以南のアフリカと北米、オセアニアあたりが今回は入ってなく、各地の近代が手薄なところに可能性を見出せばよいのだろうか。いやいや、もっとクセの強い11選もあるに違いない。おそらく色んな人たちが、こんなにも顔の見える世界建築史を描いてみたいと思わせる一書である。

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書誌
編者:中川武
書名:世界建築史ノート 「人類の夢」を巡歴する
出版社:東京大学出版会
出版年月:2022年6月

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林憲吾
建築討論

はやし・けんご/1980年兵庫県生まれ。アジア建築・都市史。東京大学生産技術研究所准教授。博士(工学)。インドネシアを中心に近現代建築・都市史やメガシティ研究に従事。著書に『スプロール化するメガシティ』(共編著、東京大学出版会、2017)、『衝突と変奏のジャスティス』(共著、青弓社、2016)ほか