中村琢巳著『生きつづける民家 保存と再生の建築史』
リノベーションという言葉が市民権を得て久しい。建物を長く使い続けようという思いは、以前にも増して強くなっている。本書は、近世民家と呼ばれる、主に江戸時代中期ごろ成立し、現存するものは文化財として各地の民家園に保存されたり、地域で守り伝えられていたりする住宅の歴史を、維持管理と増改築の手法という視点から掘り起こした歴史書である。
内容は、著者の博士学位論文を書籍化した『近世民家普請と資源保全』(中央公論美術出版、2015)をベースに、民家についての基礎知識をまじえつつ一般向けにとてもわかりやすくまとめられている。
おそらく、わたしたち一人一人が日々を必死に生きて持続する者であるように、一軒の建物が残っていくこともまたひとつの力強い持続である。建物が持続しつづけていくために熟練した維持管理と増改築の技術があり、その技術はかたちを変えてこれからも伝え続けられていくし、近代以降の建築へ応用していく必要もあるということ。そのことをあらためて思い起こさせてくれる一冊だった。
前半では、民家が長い年月のなかでどのようにかたちを変えながら維持管理されてきたかが、数々の文献調査から概観される。後半では、明治以降、近代の視点で民家がどのように再発見されていったか―その発見のされ方は一様ではない―、そして今、民家がどのように保存、再生されようとしているのかが示される。
各章の内容を簡単に概観しよう。「守り伝えた文化」(pp.1〜24)では、再利用を前提とした伝統技術や文化がプロローグ的に描かれる。続いて、「長持ちする建築の仕組み」(pp.25〜56)では、近世民家の維持管理と増改築がしやすい柔軟な建築構造が解説される。日本の民家は、その発展のなかで起こった柱梁と小屋組の構造的な分離によって、高い増改築の自由度を得ることとなる。日本にいると木造住宅へ自由な増改築ができるのは当たり前のことに思えてしまうが、これはこのような構法の技術的特質に支えられている部分が大きい。野物と化粧と呼ばれるスケルトンとインフィルの分離も、スケルトン部材の転用を促してきた。土間、小屋裏、庇など、内外に増改築を受容する空間的懐を持っていることも、民家の柔軟性にとって重要だ。
民家は変幻自在である。「循環した古家と古材」(pp.57〜78)では、古材と新材が等価に行き交い、修繕と増改築が繰り返されていた民家の一生が描かれる。当時は、増改築に関する多様な語彙があった。ひとえに増築と言っても、桁行に庇を取り付けるのと、2階を作り足すこと、隣に別棟を建て空間的に繋ぐことでは工事のレベルも生まれる空間もかなり異なる。近世においては、そのような差異が言語化され細やかに共有されていた。また、増築だけでなく、減築を指す「切縮メ」も建築語彙として存在していた。移築、解体保管、古材の売買と別物件への再利用も盛んに行われた。とりわけ古材の売買ができたということは重要である。数十年で資産価値がゼロになる現代の住宅とは異なり、住宅は部分に分かれてもなお資産だったのである。また、維持管理のための新材も、植樹による生産から流通、保管に至るまでの循環が管理されていたことが次章「森や木を備える」(pp.79〜106)では議論される。
「職人衆の出入り」(pp.107〜124)では、実際に維持管理の現場を担った人々のリアルタイムの動きが、江戸近郊の富澤家という屋敷に残された生活資料から明かされる。大工や屋根屋、鋳物屋など毎年100人前後の職人が出入りし、細かな家具や植栽の手入れから増改築までをシームレスに担っていた。そこでは建物はきっと家主と職人のコミュニケーションの中で繊細に姿を変えていたのだろう。現代では「長寿命化」がともするとメンテナンスフリーを指し、新築と改修が断絶して建物が建てられた当時の作り方を知る人や資料が失われることも多いが、江戸時代はかなり様相が異なっていたようだ。加えて日々の維持管理や改修を担ったのは専門職だけではないことが、次章「地域ぐるみで民家を守る」(pp.125〜164)では検討される。
「民家を救った近代の価値発見」(pp.165〜212)では、近代化以降、建築学によって再発見される民家の姿と、近代の要求にあわせ民衆や文化人の手で自在に増改築されていく民家の姿が同時に描かれる。前者は保存の原理、後者は再生の原理と読むことも可能だ。
著者は、伊藤ていじとそこから始まるデザインサーベイの手法を高く評価する。伊藤は民家を有意義に保存する価値基準として「現代再建のイメージが豊かであるか」という点を重視していた。学術的な民家研究と文化財指定が、今の生活と往時の姿の復原という矛盾する要求に引き裂かれるなかで、今に伝わる民家がどんな現代的価値をもつのか再発見することに重きを置く伊藤の姿勢は、民家の適切な活用にとって意義深い。今も、デザインサーベイに影響を受けた伝建地区の「町並み保存」では、生活のための増改築を続けつつ、歴史的な景観を保存する「修景」の方法が模索されている。
評者としては、明治以降の生活様式の変化のなかで、近世民家の建て替えが選ばれず、自在に増改築されていた事実が興味深かった。土間という屋内の余白があらたに柱や壁をつけたして接客用の小部屋となったり、子供部屋が必要であれば小屋組みが改造され2階が付け足されたりしたという事例たちは、近世民家が活用のための変形を受け入れる余地を数多く持っていたことを物語る。そして、本書では書かれないが、この増改築でうまれた室配置はおそらく、在来工法の新築木造住宅へと受け継がれている。あくまで伝統工法をベースに構造に近代的技術を組み入れ、伝統と近代の折り合いを付けた間取りを形式化していったという点で、伝統工法から在来工法への変化自体も十分に増改築的だと思う。
近世民家は、要素の分離や空間的余白の保持が様々なスケールでなされ、主要構造部から化粧まですべての構成が組み換え可能であることで、新たな建築形式を生み出すレベルのダイナミックな生まれ変わりを実現してきた。民家は、持続するために自ら変わる方法を知っているのである。民家の維持管理と増改築の手法というのは、その技術が近代を呑み込んで木造在来工法へと発展できたことまで含めて、変えつつ繋げるちからを持った「民家が秘めたる価値」(pp.230)なのかもしれない。
一方で近代建築は、一度つくってしまうとその構造、構成から離れがたいという呪縛を抱えている。意匠、構造、設備の三者が近代法体系のもとで協働して生まれる近代建築は、タブラ・ラサに新築を描く順序で体系付けられている。そこでは維持管理と増改築は常に副次的なものである。この体系のもとでは、構造体の増改築は既存を含む構造計算をやりなおす必要があるケースなど、様々な困難を抱えている。そのため、RC造やS造の比較的大規模な近代建築への増改築はほとんどの場合、インフィルの改修か、EXP.Jで切り分けるかのどちらかになりがちだ。また、構造体への古材の利用も安全性と品質保証の点で難しい。本書のなかでも村松貞次郎『日本近代建築の歴史』の引用で語られるように、近代日本の建築技術には「建物の残し方、再利用の仕方はノート一頁分の蓄積」(pp.167)もないのである。
本書で語られる近世民家の普請の姿とは、古材と新材、既存の構造と新たな構造が、資源循環のなかで等価に組織化され続けるかたちだ。循環型社会へと向かうなかで、現代日本の建築生産の姿は、未だこのかたちとは程遠い。
近代以降の建築に、近世民家の変えつつ繋げるちからを取り込んでいくにはどうすれば良いのだろうか。あの頃の普請のように、近代建築を融通無碍な資源循環のなかに据える方法をつくりあげる只中に、わたしたちはいるのかもしれない。
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書誌
著者:中村琢巳
書名:生きつづける民家 保存と再生の建築史
出版社:吉川弘文館
出版年月:2022年4月