乾久美子著『Inui Architects:乾久美子建築設計事務所の仕事』

形式性の萌芽を通した非形式主義的形式性の創発(評者:橋本圭央)

橋本圭央
建築討論
6 min readDec 8, 2019

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本書は、現在の建築のあり方、および建築を学ぶ学生に少なからず影響を与えている「小さな風景」という言葉を中心として、本来は非形式的なそれらのあり方と形式的にならざるを得ない建築との関係を探求してきた著者の近年の作品を紹介するものであり、「小さな風景と建築」と題した冒頭の論考、2007年の「アパートメントI」以降の13件の建築作品の紹介、そして図面・作品・文献リストなどから構成されている。メインの構成部分であろう13件の建築作品の紹介は完成後の使われ方の写真を中心とし、作品毎に統一することなく時折手描きのパース、人・家具・植栽などが描き込まれた平面・断面・ダイアグラム、周辺環境から採取してきた写真などが効果的に差し込まれており、明快な印象を与える内容となっている。

乾久美子著『Inui Architects:乾久美子建築設計事務所の仕事』

本書の中心的な言葉である「小さな風景」は、冒頭の論考で述べられているように2013年にTOTOギャラリー・間でおこなわれ、その後に書籍として刊行された展覧会:乾久美子+東京藝術大学乾久美子研究室『little space 小さな風景からの学び』を通して一般に目にするものとなり、その後に「ヒトとモノがあいまって生まれ、変化する『取るに足らない』情景」を希求する傾向を持つ現在の若手建築家、そして建築を学ぶ学生にとって、「小さな風景」という言葉自体が親和性の高いものとして広く受け入れられてきたように思われる。

著者が「時間をかけ、さまざまな主体の関わりのなかで生まれたもの」であり、「人、モノ、光や風などの環境の要素、どれを欠いても成立しないぐらいに緊密なネットワーク」が形成されているものとする「小さな風景」は、一見するとクリストファー・アレグザンダーが建物や町の「根源的な規範」とした「無名の質」と近似の概念のようにも感じられる。アレグザンダーは、日本の村落での素朴な養魚池を例にあげ、魚、花、水、農夫によるつねに異なる無限のくり返しの重なりがその場の自足性を保っているとし、こうした「最も頻繁に継起する出来事」によって建物や町は性格づけられるとした(アレグザンダー、クリストファー『時を超えた建設の道』(Christopher Alexander, The Timeless Way of Building, New York, 1979) 平田翰那訳、東京;鹿島出版会、1993 年、32、57 頁)。一方で、本書の刊行記念イベントとして建築家・中山英之との対談において著者自身がアレグザンダーの「パタン」を、「小さな風景」のようなものを採取しユニット化する活動のルーツと認めているものの、そこには「ある時代の素晴らしい風景をもう一度つくりたいというような、すこしノスタルジックな思い」、つまり「先に物語」があることへの違和感を唱えていることから、双方の違いが明らかになってくる。

アレグザンダーの「無名の質」、著者の「小さな風景」ともに建築・都市空間における非形式的な重なりを対象化することで、その非形式的な重なり自体に帰来しうる全体性を獲得しようとする試みであるものの、前者は重なり自体を事前的形式(「パタン」、「パタンとパタンの関係」など)と捉え直すことで、非形式的な重なりの他律的側面が前景化し、後者はあくまで事後的形式(「リトルスペース」、「小さなモチーフ」など)と捉え直すことで、非形式的な重なりの自律的側面を背景化しようとしている。こうした視点は、13件の建築作品の紹介において、「教室でも廊下でもない中間的領域」、「おだやかな全体性」、「すこしゆったりとした場所」、「優しい雰囲気」、「繊細な存在」、「居心地の良い影」、「関係と無関係のあいだ」などの表現、そして論考の「リトルスペース」において、富田玲子の『小さな建築』を引用しつつ、「小さい」ことへのまなざしを形式主義へと陥らないことへのヒントとして捉えていると言及しているところからも窺えよう。

本書に目を通した後に、本来は事後的に形成される「小さな風景」をどのように計画しうるか、という根本的な疑問が残るかもしれない。しかしこうした疑問に対して、著者は「小さな風景」を捉えようとする試みを「人の行為が空間として構造化される瞬間をつかみとろうとして始まった」とし、「人の小さな行為」を「社会の一部として位置づけられるほど構造化されていない」とすることで、こうした疑問自体があくまで現象学的記述としての「小さな」という言葉、「風景」という言葉に回収されることなく、そしてその対象自体を道具主義的に選択することを回避しながら、形式性の萌芽の部分に向き合うことでその問いに応答しようとしていると言える。

くわえて、こうした「構造化された瞬間」をつかみとろうとする姿勢は、著者が2011年に東京藝術大学に就任した際の就任記念講演で対談し、その後の2012年に関連書籍として学芸出版社より『まちへのラブレター:参加のデザインをめぐる往復書簡』を共著で発刊したコミュニティデザイナー・山崎亮が参照するシチュアシオニストたちの「構築された状況(統一的な環境と出来事の成り行きを集団的に組織することによって具体的かつ意図的に構築された生の瞬間)」をつかみとろうとする姿勢と共通している。「構築された状況」は「構造化された瞬間」と同様に契機的であるからこそ連続・継続するものとしてつかみとろうとすること自体が困難なものであるが、シチュアシオニストの中心人物であるドゥボールは、状況を構築するにいたれば「だれもがそれぞれの決定的条件を意図的に変えること」によって状況全体を転用することができるとし、日常生活に適用された転用的傾向を「超-転用」と名付けることでさまざまな行動様式と結び付いたダイナミックな環境の構築をあくまで概念的に試みていた。

日常生活に適用された転用的傾向は人の行動の規定をすこし逸脱し、モノの新たな使われ方を示唆し、それらの集合による場を日常の延長のなかに形成する。

著者の「小さな風景」は、「構造化された瞬間」を連続・継続的につかみとりながら建築と接続するために、自律的な使われ方、つまりそこでの転用的傾向を極めて理知的に包摂している。

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書誌
著者:乾久美子著
書名:Inui Architects:乾久美子建築設計事務所の仕事
出版社:LIXIL出版
出版年月:2019年5月

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橋本圭央
建築討論

はしもと・たまお/高知県生まれ。専門は身体・建築・都市空間のノーテーション。日本福祉大学専任講師。東京藝術大学・法政大学非常勤講師。作品に「Seedling Garden」(SDレビュー2013)、「北小金のいえ」(住宅建築賞2020)ほか