伊東豊雄著『伊東豊雄自選作品集:身体で建築を考える

モダニズムとは異質な建築空間の探求──身体と自然、そして地域へ(評者:陣内秀信)

陣内秀信
建築討論
Nov 4, 2020

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伊東豊雄著『伊東豊雄自選作品集:身体で建築を考える』

これまでの常識を覆す独創的な建築家の作品集である。自選作品集という企画も「身体で建築を考える」という副題もユニークだ。機能概念からでなく身体で考えた自身で納得の行く作品群を自ら選び、その意味の根本を問い直す。登場する作品は、どれもモダニズム建築とは異質な独自の存在形態を示すものとなる。

実は、時代とともに疾駆し常に忙しく活動してきた伊東が、昨年初め突然体調を崩し、長い間、病院で暮らすことになった中からこの本が生まれたという。

不屈の精神が伊東らしい。病床で建築家としての人生を振り返り、創作への自身の思考と実践の軌跡を根源に立ち戻って編まれたのが本作品集である。

写真、図面、原イメージを描いたスケッチに加え、言葉の大切さが前面に押し出されているのも大きな特徴だ。人文系を主なジャンルとする平凡社からの刊行ということが、その構成の自由度を高めているのだろう。作品の発表当時、多彩な論客が書いたクリティーク、新聞記事が多数掲載されていて、今読み返すと、各時期における建築創造に挑戦する姿勢や、個々の作品が生んだ建築界にとっての新たな価値、社会的な意義がよくわかり、伊東豊雄の世界を深く知る上で貴重なアーカイブとなっている。

全体の構成を見ていこう。伊東に大きな影響を与え、また良き対話者である中沢新一の冒頭文「伊東豊雄の建築哲学」が、本書を貫く「身体性」の本質に迫る。信州諏訪の縄文的風土の中で育った伊東の体内には、アジア的志向と感覚が深く埋め込まれている。西欧思想のロゴス=言語の秩序によらず、直観的によって世界をまるごと理解する「レンマ」というアジア的知性をもつ伊東の思考は、脱モダニズム的で、正真な意味の非西欧的建築思想に根ざしているというのだ。

次の序論、伊東自身による個人史では、幼少〜青年期に育った諏訪湖畔の盆地の風景、自然が、後の自分の建築空間の身体性を形成する独自の「内部感覚」を生む原風景となったと説かれる。

続く「遠ざかる東京」「3.11に学ぶ」「大三島で考える」を読むと、先端を行く建築家が日本社会や都市東京の激変する状況に身を置いて何を考え、実践してきたかが理解できる。伊東ほど変化する時代と真摯に向き合い、自分の立ち位置を自問自答し、新たな道を探り続けた建築家はいないのではないか。

特に、三陸の被災地での体験は強烈だった。「みんなの家」が完成した時、「家が戻ってきた」と住民達が涙を流してくれたという。伊東は、彼らの言葉に深い意味での「自然」が含まれていることに気づき、「モダニズム建築」に欠落していた「自然」の概念を現代建築にどう回復できるかをさらに真剣に考えた。近代化が見捨ててきた「地域」というものへの深い関心や共感もここから生まれたに違いない。

作品群は10年毎に区分して編集されている。出発点の〈1976–1980〉では、伊東豊雄の名を知らしめた初期の住宅「中野本町の家」が登場。自分の身体の奥深くに沈潜していた「内部性」が露わになり、白い壁と天井に囲まれた閉じた流動的な空間は以後、伊東の真骨頂のモチーフとなった。

1980年代には、若き建築家達が大阪万博の顛末から都市に失望し、個人住宅の設計に閉じ籠もった状況から抜け、都市への関わりを模索。〈1981–1990〉を代表する、「中野本町の家」の隣に登場した自邸「シルバーハット」が、一転して周囲の自然環境への開放性を見せた点が注目される。バブル期の東京の空気を鋭敏に読み、仮設的な軽い身体性を表現した「東京遊牧少女の袋」のインスタレーションも伊東らしい試みとして忘れられない。後に五十嵐太郎は、「消費の海に浸らずして新しい建築はない」と決意表明した伊東が、バブルの海を泳ぎ切ってさらなる展開に成功し、対岸の「新たなリアル」に到達したとその変身を興味深く評した。

時代は動く。1988年に熊本アートポリスで担当した「八代市立博物館」を契機に、〈1991–2000〉には地方都市に幾つもの公共建築が実現した。特に諏訪湖の畔の原風景の中に湾曲する美しいシルエットの建築として登場した「下諏訪町立諏訪湖博物館・赤彦記念館」は、「建築は湖への捧げもの」の言葉通り、伊東の原点回帰となる自然への敬意を示す50歳頃の作品で、モダニズムからより解放され、1990年代以降の彼の流動的なデザインを方向づけた。

そして世界の建築界に衝撃を与える「せんだいメディアテーク」の登場となる。〈2001–2010〉はここから始まる。樹木から閃いた画期的アイデアを構造家佐々木睦朗の力を得て見事に実現させ、近代建築の常識を破る前例のない自由な内部空間を生み出したことに、建築界の誰もが驚いた。しかも、自然から発想された先端デザインのこの現代建築が人びとに愛される理想的な公共施設として使われたことが、より大きな衝撃を与えた。作品評を書いた西沢大良はその情景を見て驚嘆し、「緑地や草原で見られるような人々の動きを初めて室内で実現した建築」だと賛辞を送る。

せんだいメディアテークの成功後も伊東の進化の速度は上昇し、次々に斬新なアイデアを産み続けた。触覚や流動性によって人々の様々な知覚を喚起する「まつもと市民芸術館」を、松葉一清は「ヨーロッパのオペラ劇場の空間が、現代的な幻想の表現として降臨した感がある」と評した。小作品だが、ファサードの構造体に表参道の象徴であるケヤキ並木のシルエットを用いた「TOD’S 表参道ビル」は、風景を抽象化して建築に採り込むことを試みた作品で、ホワイト・キューブの箱ではなく、まるで樹々の間に居るような雰囲気を醸し出す。

「多摩美術大学図書館」と「座・高円寺」の対比も面白い。前者では、郊外の緑溢れる大学キャンパスに、スパンの異なる樹木のようなアーチをフィクショナルに用いて、外部の自然に視線の抜けを生む一方、内部には抽象化した自然の静寂と聖なる雰囲気が漂う「森の図書館」を実現させた。これも構造家佐々木睦朗とのコラボが生んだ傑作だ。後者は、テントを思わせる尖った建築形態と、非日常の演劇の場にふさわしい都市の異空間としての内部の洞窟的、官能的空間が演劇関係者と聴衆の想像力を掻き立てる。

〈2011–2020〉の代表作は、人々に愛され親しまれる公共施設のあり方をさらに飛躍させた「みんなの森 ぎふメディアコスモス」だろう。鉄とガラスとコンクリートからなる近未来的な仙台の建築とは異なり、岐阜の2階内部は、地元産のヒノキを使った曲面天井、「グローブ」と呼ぶ半透明の布に近いドーム状の天蓋など、柔らかな素材からなる。「建築」というより「自然」の中に居るような居心地の良さが、大勢の人びとが訪れる理由だろうと伊東は述べる。波打つ天井から吊られた11の「グローブ」はいわば広場に植わった大樹のようで、その木陰にあたる居心地のよい場所に人々が集まる。

コンペから11年の歳月をかけて完成した「台中国家歌劇院」では、「ゲント市文化ホール」のコンペで追求した3次元曲面の連続体のアイデアに再挑戦し、洞窟内部を巡る感覚に加え、そのチューブの先に突然街の風景が現れるという驚きを体験できる不思議な空間を創り出した。今の台湾のエネルギーと創造への強い意志に答える生命力を内包する建築だ。

伊東は自然から切り離された人工環境を生むモダニズム建築からの脱却を探求し続けた。自然を身体で吸収、消化し、建築空間として表出する。大地の声を聴き、都市の風景の文脈を読み、気や水の流れを感じ自然と対話する。その自然の抽象化が建築内部に入り込み、また都市の街路の雑踏が建築に浸透する。こうして常にその場所ならではの個別解として独創的で美しい建築を創り出してきた。

さらに、三陸の被災地での経験を通して、「地域」に生きる人々との深い繋がりが大切なテーマとして見えてきた。建築を使うことに地域の人々が歓びを感じる。建築の真の価値がそこにあることを、「ぎふメディアコスモス」がまさに教えてくれる。

近年、地域に深く入って地元の人達と多彩に活動を広げる瀬戸内の大三島では、東京では味わえない豊かさ、忘れていたものが蘇る歓びを体験できたという。コロナ禍の中でさらに「自然」や「生命」の大切さを強く思うこの建築家が、次の新たな建築シーンをいかに見せてくれるのか。伊東豊雄の挑戦はまだまだ続く。

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書誌
著者:伊東豊雄
書名:伊東豊雄自選作品集:身体で建築を考える
出版社:平凡社
出版年月:2020年8月

台中国家歌劇院(撮影:市川紘司)

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陣内秀信
建築討論

じんない・ひでのぶ/法政大学特任教授。 東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。ヴェネツィア建築大学に留学。専門はイタリア建築史・都市史。地中海学会会長、都市史学会会長を歴任。『東京の空間人類学』(筑摩書房、サントリー学芸賞)、『ヴェネツィア-水上の迷宮都市』(講談社)、『水都 東京』(筑摩書房)他