The margin of a Low density former Jinyamachi ── Makabe[201812特集:動的な歴史的市街地の再読]

劉一辰
劉一辰
Nov 30, 2018 · 13 min read

1.地方都市における歴史的まちづくりの取り組み

2018年10月現在、全国における重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建地区)は118カ所にのぼる。また、2008年に地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律(歴史まちづくり法)が施行されて以来、全国で62の市・町で歴史的風致維持向上計画が認定され、歴史的価値の高い建物を活かして、歴史と伝統を反映した人々の営み、生活、活動が展開できるまちづくりが行われている。

しかし、こうした地域の多くは人口減少・高齢化等の問題に直面し、鉄道の廃止やバス路線の撤退などが行われ、結果的に少なからぬ重伝建地区が交通上不便な場所に立地しており、自動車交通への依存が強い傾向にある。そのため、駐車場の設置によって歴史的な町並みの構成に変化が生じている。さらには、在来産業の衰退によって産業が空洞化し、それを止める施策はないままである。重伝建の制度も歴史まちづくり法も、言わば産業の再興へのヒントを必ずしも与えている訳でない。具体的な例として、茨城県桜川市真壁町を見てみよう。

⒉ 真壁の歴史的文脈

近世の真壁の市街地は、隣接する町屋村・飯塚村・古城村の3村の連続する市街地からなり、町屋村がそれらの中心であった。重伝建地区としては旧町屋村の一部が選定されている。

近世の 真壁を描いた「真壁町屋敷絵図」を見ると、茅葺き(草葺き)と推測される建物が道路に接して立ち並んでおり、町屋型の敷地配置をとっている。町のほぼ中央には御屋舗と書かれている敷地があり、これが陣屋跡である。その敷地の内部には池と見られる箇所も確認でき、そこからは水路らしきものが東(図の上部)へ伸びている。町の北、南、及び西には2つの川が流れており、町全体を包み込むような空間である。内部を見ると、町屋村・飯塚村・古城村は木戸によって明確に分けられており、各町は閉鎖的な領域を持っていたようにもイメージできる。町全体に対する木戸の配置を見ると、陣屋を中心として円を描くことができる。夜間に木戸を締めたことを推測すると、木戸は陣屋を中心とした内側の空間とその外側の空間を明確にしていたと言える。真壁は田中川と山口川、そして真壁城跡によって地理的な閉鎖空間と、さらにその内側には木戸によって仕切られた人工的な閉鎖空間という、二重構造になっている。そのため、公共的な空間である道路は、木戸によって閉じられた時には、町の内部にとってはプライベートな空間でもあったのであろう。つまり、当時の道路は半公共的な空間であったように思える。

図1:「真壁町屋敷絵図」(江戸時代後期、塚本清家蔵)(伝統的建造物群保存対策調査報告書 真壁の町並み,茨城県桜川市教育委員会,平成18年3月に所収)
図2:「御陣屋絵図」(江戸時代後期、中村脩一家蔵)(伝統的建造物群保存対策調査報告書 真壁の町並み,茨城県桜川市教育委員会,平成18年3月に所収)

一方で、近世の真壁では基本的に流通業を中心とした産業構造が形成されていた。農産物の集荷・換金、農業生産資材・生活必需品の供給、これらの活動を通じて領内の流通機構を補完することが真壁の機能であった。近代化以前の真壁では、麻に関する取引を行うことが主流であった。17世紀には麻に替わって、木綿が取引の主流となる。真壁は関西産の操綿を東北地方に送り出す「綿の道」の重要な流通拠点となった。これと並んで、良質な水に恵まれた真壁は酒造業も盛んであった。

また明治政府は養蚕を奨励し、真壁でも養蚕と製糸業が行われるようになる。住宅の茅葺が瓦葺への変化に伴って、瓦工場も造られるようになる。さらに筑波鉄道株式会社は大正3年に設立され、産業の近代化を促進した。特に筑波山系の北部では消失な花崗岩が採れ、明治中期では外国人技師によっても石材開発が行われた。「真壁石」は鉄道によって全国に運ばれ、その名を轟かせた。最初は東宮御所の建築材に採用され、その後、司法省、東京商工会議所、森村銀行、三越デパート本店、東京海上ビル、東京会館など、著名な近代建築に採用された。

明治35年に作られた「家屋台帳」を繋げて、復元した真壁の地図をみると、この他にも様々な在来産業が町の内部に展開していたことが判明する。例えば酒造業以外にも醤油の醸造も見られ、或いは真壁城跡付近には陶器製造も確認できる。この頃の真壁では多種多様な産業が存在していたことを如実に表している。

この時期の町並みについて、明治初期の迅速測図を見てみると、真壁では町家が道路に沿って建てられていたが、街区の中心部には空地が目立つ。江戸や京都のような大都市とは異なり、建物密度は決して高くなく、空間には余裕があるように見える。

この時期の真壁の建物については、バリエーション豊かな屋根葺材が最も大きな特徴と言えよう。家屋台帳はその様子をよく伝えている。真壁町全体では瓦葺き、草葺き、竹葺き、そして板葺きの4種類の屋根葺材が確認できる。瓦葺きの建物は町全体に広がっている。江戸時代後期の絵図では全てが草葺きであったことから、近代化の流れに伴って葺き替えられたと推測している。草葺きの建物も相当数残っており、特に古城村と下宿町に集中している。また竹葺きと板葺きの建物も疎らに残っており、同じ敷地内の建物でも異なる屋根葺材を使用していることがわかる。当時の真壁の表情豊かな町並み景観を想像するに難くない。

図3:迅速測図に見る真壁町(国土地理院)
図4:近代の真壁町の産業とその分布
図5:近代の真壁町の屋根葺材

⒊ 真壁の駐車場の現状

3–1 真壁の交通状況

町並みの構成を根幹から変化させるもう一つ重要な要素は、近代化がもたらす自動車の導入であろう。真壁が重伝建地区に選定されたのは2010年であり、時期は比較的に遅い。そのため、自動車利用が増加し、既に駐車場を内部に多数抱えた後に選定された事例であると考えられる。

かつては、関東鉄道筑波線が通っており、茨城県土浦市の土浦駅と茨城県西茨城郡岩瀬町(現桜川市)の岩瀬駅とを結んでいた。しかし、1987年4月1日に廃止され、廃線となった線路はりんりんロードとの愛称で知られる自転車道線として整備されている。また、真壁町内を経由する路線バスがあったが、2011年3月にそれも廃止された。2016年10月から2017年9月まで筑波山口と桜川市役所真壁庁舎を結ぶバスが実験的に運行されていたが、10月より岩瀬地区まで延伸されて、本格的に運行が開始しされているが、それまでは公共交通がない地区であった1)。

図6:現在の真壁町の交通状

3–2 真壁の駐車場の設置状況

現在の真壁の駐車場は全体で451箇所にのぼり、1,571台〜1,655台分駐車が可能である。その内、自宅や自営している商店に併設している駐車場は大半を占め(約65%)、月極駐車場も3分の1近くを占めている。

観光客用の駐車場については、まず高上町に位置する有料駐車場が1か所あり、65台の駐車が可能であり、規模が非常に大きい。もう一つは真壁伝承館に併設されている駐車場で、無料で駐車できるため、観光客にはよく利用されている。こちらの規模も大きく、36台の駐車が可能である。したがって、当該地区では観光客用の大規模駐車場を重伝建地区内に抱えていることとなる。

また、図7に示す車の駐車可能台数を見ると、1〜3台駐車できる駐車場は230箇所で地区全体に分布しており、その内1台駐車できるものが87箇所、2台〜3台駐車できるものが143箇所確認できた。これらの殆どが自宅併設型の駐車場である。当該地区の住民は自動車を複数台所有している事例も多く、公共交通機関がないことで自家用車に頼るしかないことを反映していると言えるだろう。

図7: 真壁町の駐車場の数と分布
図8:真壁町の駐車場種類の分布

3–3 駐車場と建物の関係

次に、駐車場と建物の位置関係を見てみよう。真壁には、駐車場の設置方法と建物の関係にはいくつのパターンが見られた(図9、10)。

図9:駐車場の設置と建物の関係と分布
図10:駐車場の設置と建物の関係

①は建物の前面、道路に接して駐車場を設けるケースである。これは全体の36%を占め、最も多い設置手法である。道路に接することで、車の出し入れが最も簡単であるからと考えられる。

②は建物の一階部分にピロティを設けて、駐車場として使用しているものである(5%)。

③は建物の側面に駐車場を設けるケースであるが、97箇所と2番目に多く、22%を占める。

④3番目に多いのは建物の後方に駐車スペースを設ける場合である。69箇所確認でき、15%を占める。③側面と④後方は合わせて37%であり、これらも高い割合を占めた。間口及び敷地の広さにある程度の余裕があることで駐車場を設けるスペースを確保できたからと推測できる。

⑤は建物の内部の土間部分に自動車を駐めるケースであり、24箇所確認でき、5%を占める。

⑥は敷地全体を塀で囲まれており、その塀の一部に連続的に車庫を設けるケースである。僅かではあるが、7箇所(2%)確認できた。

⑦は空き地であった敷地、あるいは建物が解体され、その後駐車場として利用しているケースであり、39箇所確認でき、9%を占める。

⑧は以上のものの他にも、建物の軒下、道路沿いに駐車する場合や、表門の下に自動車を止める場合等が確認できた(写真1)。これらは、道路の幅員がそれなりに広く、敷地の間口も十分広いため、自動車の出入りの通路何とか確保できたケースである。また、武家地型の敷地配置の場合、敷地が比較的広く、間口も広いため、自動車を比較的に自由に駐めることができている。

写真1:門の下や軒下に駐車

駐車場の面積を見ると、合計で約4.8haにのぼる。調査範囲の全体では30.1haであるので、全面積の約16%を駐車場が占めている。

ここまで見ていると、やはりモータリゼーションは町並みに大きな変化をもたらしてきたことは明白である。特に在来産業の衰退が大型駐車場の出現に直接関係している。これは高上町の大型駐車場に見ることができた(図11)。もちろん、何とか建物を建て替えずに、建物の内部や、門の下に駐車するケースも見られ、歴史的な町並みをキープしながら、うまくモータリゼーションと共存しようとしている実情を覗かせている。

図11:高上町の駐車場(家屋台帳、航空写真、駐車場写真1、2)

⒋ 未来に向けて

歴史的文脈を辿ると、真壁の空間構造の特徴が見えてくる。真壁は古くより各敷地規模にゆとりがあった。歴史的にも低密度の市街地であったことが、その後の産業構造の転換やモータリゼーション(駐車場需要)の空間的受け皿になった。建物単体は登録文化財から重伝建地区の選定によって保全が図られた一方で、豊かにあった空地が近・現代化を受容することになった。そのため、ある程度高密な歴史的市街地が引き起こした駐車場設置の問題とは異なるカタチで、町並みの中にそれほどの空間的、或いは制度的な軋轢を引き起こさずに駐車場が滲入してきた。

それと同時に、在来産業の衰退はさらに空間的な余白を生み出してきた。このことは他の歴史的市街地でも起こっていることであると予想するが、それによって町並みの連続性が失われ、空間的な空洞が出現してしまう。歴史的なまちなみは、謂わば「虫に食われた葉っぱ」のような状態になってしまう。そうなる前に、在来産業、歴史的建物や地形を活かしたまちづくりを行うための具体策をガイドラインとして構築することが求められると思う。例えば、真壁の歴史的文脈を精査し、地域の履歴を垣間見ながら、最も魅力的な時期を選択し、そこで行われていた産業を再現し、工法を伝承する場として活用しゆくことも面白いだろう。特徴のある地形を活かして、水路を掘り起こして、屋根葺材を再現して、町全体を活かした観光業の推進を行うこともできると想像したりする。型にとらわれないまちづくりの手法を行ってみる時期がやってきたと冀望している。

参考文献

1)文化庁: 歴史と文化の町並み事典−重要伝統的建造物群保存地区全109, 中央公論美術出版,2015.8
2)中野茂夫,藤川昌樹,河東義之:近代における在郷町の都市・建築空間と産業化の影響-茨城県桜川市真壁町を事例として,日本建築学会計画系論文集第621号, pp.243–250, 2007.11
3)桜川市観光協会ホームページhttp://www.city.sakuragawa.lg.jp/page/page005235.html
4)劉一辰, 藤川昌樹:茨城県桜川市真壁町における駐車場の出現パターン, 日本建築学会計画系論文集, Vol.83, №748, pp.1067–1077, 2018年6月
5)茨城県桜川市教育委員会:真壁の町並み 伝統的建造物保存対策調査報告書,平成18年3月

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劉一辰

Written by

劉一辰

りゅう・いいちぇん/1985年中国天津市生まれ。都市計画、都市史、建築史。筑波大学大学院 生命環境科学研究科 持続環境学専攻修了。博士(環境学)、豊橋技術科学大学建築・都市システム学系助教。論文に『中国天津における原英租界の開発』(日本建築学会計画系論文集、2015年、2017年度建築学会奨励賞受賞)ほか。

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