佐無田光インタビュー「〈地方の時代〉再考 ~地方から地域へ~」(1/2)

連載【都市論の潮流はどこへ】/佐無田光/聞き手:佐野浩祥/Series : Where the urban theory goes? / Hikaru Samuta Interview (1/2) : “Reconsidering ‘The Age of Regionalism’ — From Decentralization to Local Governance / Speaker : Hikaru Samuta/ Interviewer : Hiroyoshi Sano

佐野浩祥
建築討論
35 min readMar 1, 2020

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佐野:1970年代、かつて地方の時代と呼ばれた時期がありました。大都市部の革新自治体を中心に、長く続く地方の時代の到来を予感させた動きがあったと思います。その後も1993年には知事出身の細川首相が誕生したりしましたが、地方の時代を感じさせるような大きな出来事はなかったように思います。そんな中で今、再び、地方(ローカル)に注目が集まりつつあるように感じています。21世紀の都市論を見据えるとき、地方はどのように立ち現れるのか、というのが、今回の主題です。長い間地方をフィールドにされ、地域経済学の研究を進めている佐無田先生にインタビューをさせていただければと思います。

地域経済学と都市計画の接点

佐野:まずは、地域経済学という学問について、ご説明いただけますでしょうか。

佐無田:隣接分野として空間経済学や経済地理学などもありますが、いずれも経済現象のうち空間的に生じる現象に注目する学問です。経済発展は、空間的に見ると、ある場所に集積しますが、なぜそこに集積が起きるのかというメカニズムに注目するところにこれらの学問の共通性があります。

その中で、地域経済学の特徴は、「地域」という視点から展開する経済という点があります。地域というのは、経済だけでは説明できません。地域を一言でいうと、共同生活空間です。その共同生活空間をより住みやすくするためは、経済的側面だけではなく、環境面や人間関係の面も考えなければならない。既存の経済学は、経済領域のことだけを対象にします。需要と供給の関係や、市場の中で価格が決定されるような経済領域の理論があって、それを色々な分野に応用するんです。これに対して、地域の豊かさを考えた場合には、経済学を超えた領域から豊かさを作るとは何かということを組み立てなおす必要がある。既存の経済学の枠組みではない経済学を地域から考えなければならないのです。

地域経済学が空間経済学や経済地理学と大きく異なるのは主体性です。マネジメントの課題が入ってきます。住んでいる共同空間をよりよくすることは、法則だけでは決まらなくて、誰かがよりよくしようと行動する人がいるから良くなるので、そこに着目します。具体的にどうすれば地域が良くなっていくか、政策を考えます。取り組む主体によって、結果は変わってくる。その点では経営学に近いと思います。経営学は会社をどうやってマネジメントするのかを考えますが、地域経済学では地域をどうやってマネジメントするかを考えます。それは公共政策、自治体の政策だけではありません。企業やまちづくり団体や住民自身など、多主体が関わるマネジメントを考えるというところでは経営学よりも複雑です。

佐野:よくわかりました。地域経済学が確立したのは、いつ頃でしょうか?

佐無田:日本では1990年頃に、日本地域経済学会ができました。本当に最近の学問です。

佐野:それまでは地域経済学という言葉は使われてなかったのですか?

佐無田:学会の名前としては、ないですね。大学の科目名としてはあったかもしれません。財政学の中に地方財政論が確立されてきて、地方財政の基盤になっているのが地域経済だという発見があり、地域経済を独自に研究する必要が出てきました。地理学の中では地誌という領域があって、地域の系譜をたどる研究はずっとあるのですが、それはあまり政策論にはならなかった。

ただ、最近、戦前にも地域経済学的な政策論もあったのがわかってきています。下着メーカーのグンゼの元になったのは「郡是」、郡を良くしようという運動ですが、今でいう地域おこし的な「町村是運動」というのが各地で展開していました。それから風土産業論というのもあって、地域の風土を活かした産業を育てるべきと主張した長野県の地理の先生、三澤勝衛さんの理論などもあります。大正・昭和初期くらいにも、地域経済的な研究があったわけですが、当時は学問としての確立には至らなかったようです。

佐野:そのあたり、旧都市計画法ができた頃ですが、社会改良主義的な都市計画が実践されていました。大阪市の関一が有名ですけど、宮本憲一先生は、関一について研究されていますよね。

ジェフリー・E・ヘインズ、宮本憲一『主体としての都市』表紙

佐無田:宮本憲一先生は、容器の経済学というのをうちだしました。経済現象が起こる際には、その容れ物みたいなものがある。それを分析するために、社会資本論、都市経済論、国家論、環境経済学を切り開いたんです。その容れ物は、もともと経済の外側にあるので従来は経済学の研究対象ではなかったんだけど、確かに経済と連動している。地域や環境も容器の一部と考えます。

佐野:宮本憲一先生は、パイオニアなんですね。

宮本憲一大阪市大名誉教授 撮影:西田祥隆

佐無田:宮本憲一先生が金沢大学教員時代、マンフォードの「都市の文化」を地域の企業人と読む勉強会をされていたのですが、金沢のまちを観察することから都市経済論を着想したそうです。資本論でいうところの企業の行動とは違う、いわゆる資本の論理で解けない問題があることに気づいた。マルクス経済が強かった時代ですが、経済構造は容れ物次第で変わると考えました。例えば、国家は民主的な共同管理を支援もするが、民衆を抑圧する手段にもなるという、二面性があります。同様に、都市が労働力を搾取する面もあれば、共同生活をよりよくする手段にもなるという、両面性に注目し、容器のあり方を変えることで社会を改良する方向性があることを示しました。

ルイス・マンフォード『都市の文化』表紙

ベースになっているのは社会資本論で、社会的共同消費という概念を出しました。商品には還元されない社会的共同条件、道路とか公園とか環境があって、それらは市場経済のもとではよくならない。国家に信託する、あるいは、共同で管理する仕組みが必要です。

地域というのは本来社会的であり、人類史とともに地域マネジメントは存在します。しかし、国家ができて、強くなっていく中で、自治は抑制されていく。地域経済学的には、国家の前に自治がある、という理解をします。

佐野:地域経済学では、目指すべき都市像というのはあるんですか。

佐無田:ユートピア論は最近あまり聞かないです。はじめは地域開発批判をやったんです。経済優先で、人間生活が後回しになっている点を批判し、そのオルタナティブとして内発的発展を主張しました。内発的発展論は、事例を集めて、優良事例を1つのモデルとして、帰納法的に分析するんです。でも、内発的発展は広がらなかったですね。よその地域でできることがこっちの地域ではできなかった。日本国内でも先進事例がいくつかありますが、その他の多くの地域は外来型開発でした。うまくいった事例は広がらないですね。モデル化には限界があります。

佐野:でも、研究としては、一般化が求められるじゃないですか。

佐無田:前よりも状況を良くしていくために、どうすれば良いかを整理することはできます。とにかく、実践、マネジメントが重要です。

佐野:都市計画も実践を大事にしています。プラグマティックな学問なので。そのあたり、地域経済学とも重なりますが、なかなか地域を変えていくのは難しいですよね。都市計画ではその時代時代でユートピアがあって、それに向かって政策を打ち出してきたのですが、最近の東京では資本の力が強くて、都市計画の立ち位置は非常に難しいところです。

佐無田:地域経済学でも最近は離島みたいなところばかりが注目されますね。例えば海士町。農村起業をしようと思ったら、他よりも海士町に可能性を感じられるので、移住者やベンチャーが増えています。移住者も誰でも良いわけではなくて、企業と一緒で、こういう人が必要だという人材を、ヘッドハンティングを含めて計画的に調達しています。一方で、町の職員や組織が仲介役になって、誰でも参加しやすい、地域づくりの訓練を受けられるスキームを担保している。離島だから、利害調整、合意形成の範囲が小さいのでできる面があります。

山内道雄・岩本悠・田中輝美『未来を変えた島の学校』表紙

これに対して、私は大学院生時代、京浜工業地帯の地域再生を研究していたのですが、対象が大きすぎて市民レベルからはなかなか動かなかった。見えないところで意思決定されてしまう。オープンイノベーションが重要と言われるのですが、実際は320ha余りの遊休地の使い道は、ほとんど企業と国で考えられて、地域に下りてくるだけです。土地所有者は企業ですから。結局リサイクル施設、物流倉庫みたいな相対的に低付加価値な使い方しかできなくて、海辺の環境を再生して知識経済にふさわしい魅力的な都市空間に改良していく、というような方向転換をできずに現在に至っています。

佐野:地域経済学では、適性規模という議論はあるんですか。

佐無田:ハワードの田園都市論が引用されたりしますけど、あれは2~3万人を適正規模と言っていましたね。顔の見える範囲が大事だと。これに対して、国土形成計画で30万人くらいの都市規模を目標とするのは、財政効率性からの観点ですね。地域経済的な根拠はないと思います。

佐野:市町村合併が進んで、利害関係者が増えて、ますます大変になりますね。

佐無田:市町村合併は、利害関係者が増えたというより、自治体の機能が身の回りにいなくなってしまったことが問題だと思います。合併してもうまくやっているのは、新潟に例があるように、身近に共同管理の意思決定機関を置いているところです。

産業アプローチから地域アプローチへ

佐野:なぜ京浜臨海部に工場は残っているのでしょうか。

佐無田:事業的にある程度もうかるからです。比較的、低付加価値の製油所や物流倉庫が残っているのですが、それは近くに首都圏という大きな需要があるからです。まとまった土地があって、住民から離れているので、廃棄物処理などのリスク施設も集まってきます。サンフランシスコでは、海辺は環境が良いので、ローラースケート履いた女の子が走っているみたいなイメージじゃないですか。そんな空間じゃないと人が集まらないですよね。結果、地価があがり、高付加価値型の企業が集まる。サイクルが変われば、がらっと変わるはずなのですが。

1990年代当時から我々は、地域経済学的な目線から、日本は知識経済化に乗り遅れるという危機意識があった。臨海部の環境再生1つなかなかできなくて、産業構造の転換が進みませんでしたから。私は、なぜ日本では、ドイツとかカリフォルニアのように環境的改革が進まないのかを、比較制度論で研究しています。日本の制度構造、ベンチャー企業が生まれないという構造と、環境再生が進まないという構造は、つながっているんじゃないかと考えています。

佐野:先生は「産業アプローチ」から「地域アプローチ」へということで(注1)、低迷する日本経済を打開するためにアプローチを変えなければならないと主張されていますが、どういうことでしょうか。

(注1)参照 産業アプローチから地域アプローチへ

佐無田:ガバナンスの問題だと思っています。新しい産業を起こすことで解決する問題ではないです。ガバナンスは実に多様です。シンガポールに行って感じたのですが、シンガポールは日本と同じ儒教社会で、学力で分けられた垂直的な階層ごとに、日本よりもっと仕事が明瞭に分かれているんですよ。ですが、一人ひとりの国民が、格差に怒っているわけではないんです。シンガポールでは国家が住宅を作り、提供します。国民には借金をさせず、貯金をさせて、貯金を多く持った人には住居を買わせる。頑張ればここまではいけるという姿が見えるから、一人ひとりが役割を受け入れている。

日本の問題は、管理された環境の中で、一生懸命努力しても、良くなる姿が見えないところだと思います。今より悪くなる姿は想像できても、逆は想像できない。良くなる姿が見えないと、モチベーションも上がらないし、生産性も上がらない。ガバナンスというのは、皆で頑張ると、良くなる絵が見えてくるような秩序です。やりたい人たちが集まって、自分たちでやってみようとなってやる仕事は、ずいぶんモチベーションが上がるはずです。

オープンなガバナンスのチャンネルができて、目に見えるような形になれば、日本の再生に近づいていくような気がします。根強い縦割り社会なので、そう簡単に変わりませんが。少なくとも、選挙をやって代表者を選ぶようなガバナンスには、もはやあまり期待できないのではないか。成果が目に見える場に直接、自主的に参加するようなガバナンスが求められています。勝手にやったら困るということではなくて、一種の社会実験として、それを許容するようなガバナンス。上で意思決定するのではなくて、現場で意思決定できるようなガバナンスです。そのような社会実験をある程度秩序立てる、それがもっともやりやすいのは、国家や企業ではなく、地域なのではないか、という仮説です。

先年、ポートランドに行ってみたところ、世界のガバナンスはここまで進んでいるのかというのを見せつけられました。日本でも、海士町や神山町なんかの地域では進んでいると思いますが、実験を許容しつつ、トライ&エラーでうまくいかなかったら見直すことも含めて、全体をゆるくコントロールするようなガバナンスが広がってきていると思います。

でも、こうしたものは、直接的に食っていく仕事になるわけではありません。おそらく、ここしばらくは、兼業サラリーマン社会になっていくかもしれません。農業から工業に主産業が変わったときの兼業農家のように、サラリーマン社会からポストサラリーマン社会になっていく過程があるのではないか。週に何日かはサラリーマンをやりながら、小さな個人事業主をやって、さらに自主的に集まって楽しむイベントづくりなんかもやるような働き方が広がるのではないかと思っています。

佐野:いくつも仕事をかけもちする、現代の百姓のようなイメージですね。農村ではそんな動きはありますよね。地方都市でもそのように変わっていくんでしょうか。

佐無田:地方都市でもそんな芽は出てきているように感じます。

佐野:そうは言っても、現状、雇用という考えが重要ですよね。正規・非正規問わず、いかに雇用を増やしていくか。雇用の概念をドラスティックに変える必要がありそうです。

佐無田:まち、ひと、しごと創生総合戦略でも、何より「しごと」ありきですよね。まず仕事を作ったら人がきて、人が来たらまちができるという考え。そうではなくて、まずまちをつくる、まちをつくる事業に人があつまる、人が集まると仕事が生まれる、そういう順番にしたいです。産業アプローチだとそうはならないのです。稼げる産業こそが大事ですから。

“ものを作らない社会”というのを提案したいと思っているんですよ。現実として、住宅が800万戸余っています。もはや新築住宅は無駄に感じられます。今まで、僕らの世代までは、がんばって稼いで、住宅を買っていたわけですけど、そんなの無駄じゃないかという感覚が若い人にはあります。確かに空き家はいっぱいあるわけで、既存の不動産システムでは、それを流通させられないことが問題なのです。尾道は空き家の利活用で有名なのですが、そこで話を聞いていたら、働く必要ってあるんですか、という声を聞きました。問題は、皆で楽しいことをやる場がないことで、家なんて何とでもなるじゃないかというわけです。これは衝撃でしたね。ラテン化しているのかなと感じるくらいです。

佐野:本当、ラテン化ですね。

佐無田:でも、そうなると既存の産業は困るんですよ。

佐野:不動産業、日本の経済を支えてますからね。

佐無田:21世紀に入って以降、東京都では、卸売業などが縮小し、金融も低迷する中で、もっとも安定して成長した部門が不動産業です。ところが、今では以前のようにモノを買わなくなっています。車とか売れていません。買わないのに一生懸命作って売ろうとするから、疲弊するんですよ。その矛盾から脱していく働き方が求められているのですが、そのためには、仕組みを変えていかなければなりません。例えば、空き家が流通していないのであれば、これまでの不動産業とは違うやり方で流通する仕組みを作る必要がある。それを地域の新しい仕事にする。そのためにはたくさんのサポーターや専門家の協力が必要で、それがつながりを生み、仕事になり、支え合いの経済になっていく。尾道で垣間見られた現象は、コミュニティ重視の小さな経済循環なのですが、ポスト資本主義的な要素が入ってきていると思っています。

佐野:そういう若者が多数派になる時代が来るのでしょうか。今は、そういう人たちが離島に移住しているのかもしれません。

佐無田:そうですね。一個一個は小さな仕事なんだけど、仕事が回っている感覚はある。尾道くらいの規模だと、経済が回っている実感はあるでしょうね。

佐野:顔の見える経済という感じですか。

佐無田:もうちょっと大きいんですよ。空き家の流通には、司法書士の仕事とか、税理士や不動産鑑定士も介在するんですが、そうした専門業者には、ある程度の市場圏は必要です。空き家が流通すれば、わずかにお金になるのですが、人件費を出せるほどではありません。だけど、それでネットワークが広がって、信頼を構築して、仕事の可能性は広がります。非採算的な社会づくりの仕事をすることで、縮小しつつある経済領域を支えているわけです。

佐野:ラテン化しているのは感じますね。将来は不安だけど、考えても仕方ないという感じかな。

佐無田:90年代、我々の学生時代の不安は大きかったですよね。もう「失われた30年」になります。若い人たちにとっては、もう戻ってくる期待は持てないでしょうね。OECD諸国における日本の一人当たりのGDPの順位は、2000年の2位から2015年には20位まで落ちています。もはやある産業が成長して、それで国民経済が発展するということはない。ガバナンスも発展様式も変えていかないとなりませんが、それがいくつかの地域で起きるだけでなく、国民的運動にならなきゃいけない。明治維新後、数十年間かけて教育に力を入れて近代化をなし遂げたように、これから長い間、地域のガバナンスを定着させるべきじゃないですか。

佐野:革命を起こすイメージですか。

佐無田:革命というよりは、地道に学習と協働を積み重ねていくイメージです。自分たちのことを自分たちで課題解決できるような、自治やガバナンスの教育をできるか。そんな教育は、日本では近代以降やってこなかった。これまでは、衆愚政治というか儒学教育ですから、よらしむべき、しらしむべからず。きちんとお上の言うこと聞いて、決められたことを守って、自分のやるべきことをやっていれば幸せになる、という教えでした。そこに外国からeconomicsが入ってきて、ミクロレベルでは個人や企業の自由を認め、マクロレベルの政治は選ばれた人に任せるという、折衷的な経済思想が日本に定着しました。その構造を、自治力ベースの構造に変えるという意味では、革命的ですね。経済は、企業の自由ではなく、皆で方向性を定めて、協力したり、誘導したりしてつくるものであり、政治は、小さな単位の自治やガバナンスを成熟させるもの。もしこうした考え方が浸透するならば、今の為政者にとっては危機になるわけです。

佐野:すでに、お上に言うことを聞いていれば幸せになれる、という神話は崩れはじめている気はします。エリートと呼ばれるような層も減っているような気がしますし。

産業アプローチの限界について、もう少し聞かせてください。佐無田先生は、産業クラスター戦略(注2)についても研究されていますが、日本の産業クラスター戦略の限界を指摘されていますね。まだ、世界的には産業クラスター戦略は有効な手法と認識されていると思うのですが、日本ではなぜうまくいかなかったのでしょうか。

(注2)特定分野に関連した専門企業群、高等教育機関、研究所、ベンチャービジネスを育成するインキュベーション施設、金融会社、業界組織など、多様な役割主体を特定地域に配置し、相互間の協力と競争によるシナジー効果を増大させて、経済発展を牽引する高度な産業集積。アメリカの競争戦略論の大家で、ハーバード・ビジネス・スクール教授のマイケル・E.ポーターが示した概念(イミダス2018)。

佐無田:個々の企業単位ではなく、関連し合う人や企業の一群の中でこそイノベーションが促進されると考える産業クラスター戦略は、今でもイノベーション創出のための有効な手段です。ただ、日本ではうまくいきませんでした。日本の制度構造が変わらなかったからです。日本では、垂直統合型大企業モデルと言いまして、大きな縦割りの組織が支配的で、技術をブラックボックス化する傾向が強いです。産業クラスター戦略は基本的に、中小企業ベースで、組織を超えた人的関係やコミュニケーションから柔軟にプロジェクトが生まれるようなオープンイノベーション型の制度に向いています。

日本でもアメリカを真似て、労働力の流動化とか金融の自由化のための規制緩和をしましたが、垂直統合モデルを変えなかったので、大企業は少数精鋭の高スキルの労働者を抱え込んで、低スキル労働者だけが非正規雇用化して流動化する状況になりました。結果、下請け企業が選別淘汰されて、中小企業の数は激減しました。市場経済モデルでは多数のアクターがいることでダイナミズムが作用しますが、中小企業が淘汰されて少数の勝ち組に市場が支配されていると、クラスターは成立しません。

日本のクラスター政策は、特定の企業と特定の大学の連携による単一のプロジェクト単位でしか動かないのが実際です。そのため、波及効果があまり生まれませんでした。日本では、研究開発型ベンチャーがほとんどありません。大企業は企業秘密の研究開発は内生化しようとしますから、日本のベンチャーは、研究開発するだけでなく、それを製品化し、販路開拓するところまで自前でやらなければならない。要するに出口がないので、成功例がなかなか広がらないのです。

IT企業も日本では完全にヒエラルキーです。いくつかの大企業別にグループ化されて、それぞれシステム体系も違っていて、系列間で競争しています。地方のIT企業は大企業のやらないニッチな部分に取り組むか、大企業の下請けでやっていくしかありません。地方のIT企業はほとんどローカルな市場だけを相手にしていて世界を市場にしていません。ところが、東京のIT企業も世界を相手にしていないのです。2011年の東京都産業連関表によれば、東京都の情報サービスの海外売り上げ割合は生産額のたったの1%しかありません。ITのシステムが国際的に接合的ではなく、国内でガラパゴス化しているのです。

佐野:垂直統合型の大企業モデルの限界はありますが、それでも利益を上げているところもありますよね。トヨタとか。コマツやYKKなど、本社を地方に移すという流れもありますけど、その流れは広がりませんか。

佐無田:情報社会なので、従来よりも東京に本社を置くメリットは減ってきてはいると思います。一方で、本社を地方に置くメリットは何かというと、企業秘密を守れる、という話を聞いたことがあります。つくづく垂直統合型モデルであり、そこから産業クラスター型のイノベーションが生まれる可能性は低いでしょうね。

一方で、誘致企業の地域化という事例は、ないわけではありません。例えば大正・昭和初期の富山では、日本鋼管(現JFE)や昭和アルミニウムを誘致して、地域の企業との関係をつくり、地域化させてきた長い歴史があります。まず企業誘致に際して、地元資本も出資しています。逆に、地元の電力事業に対して誘致企業から出資してもらうこともやっています。誘致工場の事業が危機になったときには、地元の電力産業などが増資をしたり、労使協調で新しい技術を開発したりして、危機を乗り越えてきました。クローズドな企業だからと言って、地域化しないわけではないのです。ただ、そのために大きな努力を払ってきたのが富山。先に内発的発展と言いましたが、外から来た企業が地域化していく事例もないことはないのです。あまり研究されていないですが。

佐野:その事例は面白いです。

佐無田:企業誘致の成功例としては他にも、1960年代頃に、長野県の飯伊地方にある多摩川精機という航空機部品の会社が、精密部品をつくれそうな企業を大阪あたりから誘致するのですが、成熟した大企業ではなく、これから成長しそうな小さな企業を選んで誘致しました。そして地元企業が一緒になって技術を勉強して誘致企業の協力企業を増やし、また、農地をつぶしてはまずいということで、山の上の方に用地を用意して地元集落も応援するような体制をつくりました。これは行政がやったわけではなく、地元有力企業の工場長がやったのです。これらの企業は今でも地域の主力です。地元企業にとって必要な工程を明確にして、外から誘致した企業を地域化していく事例はあるわけです。現代でも、先ほど出た神山町だってIT企業のサテライトオフィスですが、誘致して終わりではなく、地元のNPOが仲介してその企業と地域の関係性をつくっていく工夫と努力を行なっているのがポイントです。

佐野:なるほど、興味深い事例ですね。確かに加賀前田藩も、企業誘致ではないですが、産業育成のために外から人材を誘致して、地域化させるような努力をして、九谷焼や産業機械など、現在にもつづく産業基盤を築きました。

佐無田:広島県の福山市も面白い地域です。言わずと知れたJFEの企業城下町ですが、その他の独立系の中小・中堅企業が多く、それぞれ垂直統合型でニッチトップ型なんですが、地域に根付いています。例えば、業界中堅の常石造船はリゾート事業に進出して地域にホテルを作ったり、地域内投資をしています。

佐野:でも、相互につながるようなクラスターではないんですね。

佐無田:日本型、と言うんでしょうか。企業同士はそれほどつながっていないけど、地域とはつながっている。モデルはクラスターだけではないということですね。

佐野:金沢にもニッチトップ型の企業は多いです。

佐無田:金沢を代表する企業である津田駒工業や渋谷工業は下請けを大事にしてきました。金沢が福井や富山と異なるのは、都市型集積であるところです。例えば、機械卸をしていた渋谷工業は全く業界の違う中村酒造からの要望に応えて、ボトリングマシーンを作って、それでニッチトップになりました。まちのなかで非公式の異業種交流が生まれ、仕事のネタを見つけてニッチトップになるという話は金沢では多いです。ニーズとシーズをつなぎあわせて、地道に職人的に問題解決を図っていく精神があります。老舗やベンチャー問わず横断的に集まって、皆で一緒に学習やまちづくりをしようという目的型の組織も多いです。

富山の場合は有力者のサロンがあって、地域で共同出資して新しい会社を作るのです。北陸銀行、北陸電力もそうですし、IT企業のインテックという企業もそうです。売薬、銀行、電力、製造業などが出資したりて、富山の企業は比較的大規模に設立されます。そこは金沢とはくらべものにならないくらいの資本力です。

佐野:金沢の構造は、クラスターのように聞こえます。

佐無田:そうですね。いまではサービス系ですが。製造業は郊外に出てしまいましたから。

佐野:金沢でイノベーションは生まれているんでしょうか。

佐無田:趣都金澤(注3)がやっているような工芸建築であったり、現代アートであったり、21世紀工芸祭のコンテンツであったりは、新しいイノベーション領域なんじゃないですか。まちづくりのプレイヤーがこれだけ集積しているのは、他の地方都市にはない厚みがあります。かつてIT系の集積が期待された時代もありましたが、それほど伸びませんでした。金沢の内発的発展はものづくりから文化ビジネスサービスに移行していると見ています。文化やまちづくりと接点を持つ企業が増えました。企業だけではなく、アーティストや作家などの個人事業主も含めて、人材が集積しています。

(注3)「日本一趣深い都市『趣都・金沢』の実現」をキーワードに、金沢の強みである「文化」を基軸とした市民主導のまちづくりを行うNPO法人。

佐野:地域経済学での都市の定義ですね。

都市の集積とイノベーション

佐無田:地域経済学的には、都市の定義は集積です。集積のメリットは分業したり、インフラを共有できたり、交流が生まれたり、色々あります。集積して生活するには人工的な環境空間をが必要になります。一方で、農山漁村は自然条件をベースに生活しているため、一定の分散が必要です。それぞれ経済条件の違いから地域空間の違いが現れるというのが、経済学者としての理解です。だから、金沢のような都市には、中心地にはビジネスの集積がなければいけないと考えます。広場や公園ばかりにするのはよくないです。

佐野:具体的にはどういうことですか。

佐無田:金沢の中心部も、大学が抜け、県庁が抜け、今度は日銀が抜けます。オープンスペースや公共空間が増えるのは良いですけど、集積のメリットを働かせるにはビジネスが入る余地がなければいけないと思います。異質なものが出会ってビジネスが生まれるような仕掛けが必要で、現代ではとくにそこには金融があってほしいんですね。まちなかに大学や県庁があった時代は、その辺の飲み屋でも、あるいは非公式な会合もいろいろあって、出会いが多くあったと思うんですよ。大学も郊外にあると、学生も教員も自然とまちなかから足が遠のく傾向があって、コミュニケーションの範囲はどうしても限定されます。これはまちなかの独特の機能です。新都心をつくって、有機的な集積の場としてうまくいっているところはあまり聞かないですよね。

金沢市の中心部:広坂通り

佐野:金融、大事ですよね。シリコンバレーなんかでは、芽が出るか出ないかわからないような有象無象のベンチャーが多くいる中で、その背後にはこれまた多くのベンチャーキャピタルがいるんですよね。そうした金融って、日本の地方では難しいのでしょうか。

佐無田:金沢なんかでは、今までお金が回っていなかったような「文化」の領域にも証券化が有効なのではないかと思うんですけど、新たな金融が生まれる可能性は感じられないですね。日本では金融とくに証券は圧倒的に東京に集中していて、その東京ですら金融イノベーションは起きていないですから。規制も厳しいです。日本の金融は、もともと製造業の確実な設備投資に対して安定した金融機関があるという構造です。いまや、リスクあるところに投資するためのイノベーションよりも、監督官庁に対する言い訳書類を作ることに疲弊しています。ニューヨークやルクセンブルクでは金融のイノベーションが起こっていますが、日本では起こりませんね。

佐野:地方の金融機関でも、志ある投資に理解してくれる方はいるのではないでしょうか。

佐無田:現状の地方金融機関という枠組みでも、お金をつないでくれれば良いです。アートフェア東京(注4)も多くは金融機関からの借入ですから、それでも良いんですが、それなりの規模が必要で、東京だからこそできている面がありますね。話が逸れましたが、集積という話に戻ると、中心市街地空洞化の最大の問題は、集積利益の散逸による活力の低下です。中心部にビジネスはじめ文化、研究、コーディネーターなど多様な専門性を持った人材・企業が集積して、公式・非公式問わず、日常的な接触が重要です。

(注4)アートフェア東京は、古美術・工芸から、日本画・近代美術・現代アートまで、幅広い作品のアートが展示されるフェアとして、2005年から開催している、日本最大級の国際的なアートフェアです。過去からつながるアートの文脈を示しながら東洋と西洋、今と昔をつなぐアートマーケットのプラットフォームとして、アートフェア東京は発展し続けています。(アートフェア東京公式HPより抜粋)

佐野:経済学者のエンリコ・モレッティという方が書いた「年収は住むところで決まる」という本が面白いんですが、アメリカの都市を対象として都市とイノベーションの関係を実証的に論じています。

エンリコ・モレッティ『年収は「住むところ」で決まる』表紙

佐無田:1990年代から日本でもずっと言われているんですけど、日本の産業は製造業中心なので、「住むところを選ぶ」よりも「働くところ(会社)を選んだ結果、住むところが決まる」という感覚がまだ強くて、そのままアメリカのような議論にはならないですね。

佐野:付加価値を生み出すのは貿易産業であり、それが非貿易産業にも波及するという・・・

佐無田:懐かしの経済基盤説ですね。都市の経済活動を、地域外に市場を持つ基盤産業と、それ以外の非基盤産業に分けて、基盤産業が域外から所得を稼いでくれば、その所得の一部は都市内で支出されて所得を生み出し、非基盤産業を拡大させると考える議論です。

佐野:それは古いんですか。

佐無田:昔からあります。J.W.アレクサンダーの1954年の論文がよく引用されます。

佐野:もうこの議論は有効ではないんですか。

佐無田:地域内循環型の産業も、域外から所得を稼ぐ移輸出産業も重要ですが、そのバランスや関係性こそが重要なんです。移輸出産業だけあっても自動的には地域に波及しないですし、移輸出産業の競争力を高めている周辺産業もあるんですよ。金沢なんかは、移輸出産業である繊維産業に製造機械を供給していた地元の中堅メーカーが基盤産業に成長しました。

佐野:なるほど。地域内循環も重要ということですね。外部に流出するお金を減らす、バケツの穴をふさぐような議論ですね。

佐無田:藤山浩さんの一連の研究があります。それはそれで、移輸出産業の競争力の問題が抜け落ちている面があるのですけど。

藤山浩(編)『「循環型経済」をつくる』表紙

佐野:モレッティ氏は、シリコンバレーなど、イノベーションを生み出しているような地域は自然発生的だと指摘していますね。計画的につくったのではなく。

佐無田:シリコンバレーモデルの移植に成功したテキサス州のオースティンなんかは、結構計画的だと思いますけどね。オースティンは、出発は半導体の研究プロジェクトの誘致なのですが、誘致して終わりではなく、エンジェル投資家のメンバーシップを作ったり、起業をサポートするインキュベーション能力のある人を大学院で育成したり、アカウンティングなど専門的能力を持っている人をシリコンバレーから誘致したりして、アントレプレナーのエコシステムを作っていきました。特に大学院のプログラムでベンチャー支援人材を育てて集積につなげていったのが面白いと思います。

テキサス州オースティン(Wikipedia)

佐野:なるほど、計画的にイノベーションの創出を促すような地域づくりの取り組みは結構あるんですね。先ほど、文化が都市に活力を生むのか、という議論があったのですが、モレッティ氏は懐疑的なんです。リチャード・フロリダのゲイ指数、都市の多様性指標と経済指標には相関があるけれども、因果関係ではない。多様性があれば、経済成長に結びつくわけではないと言っています。また、ベルリンは多様な文化が花開いているけれども、決して経済指標は良くなっていない、と指摘していますね。とにかくクリエイティブ人財の集積が重要だと。

リチャード・フロリダ『クリエイティブ都市論』表紙

佐無田:リチャード・フロリダの議論には批判も多く、例えば、カリフォルニア学派の経済地理学者アラン・J・スコットですね。多様性が経済に効果があるかどうかは、産業システムによるという。この人は、以前から「垂直的分割」ということを言っていて、垂直的統合が分割されて、クラスターが生まれていくという議論を、文化産業、主にロサンゼルスの映画産業をベースに研究しています。映画産業は、全部を抱えることができない産業で、映画制作プロセスがどんどん専門化して、プロジェクトごとに組合せが変わるので、クラスターになっていくわけです。

アラン・J・スコット『メトロポリス』表紙

佐野:垂直分割は、日本でもあるんですか。

佐無田:アニメ産業を研究している人は、垂直分割の例として説明しています。テレビ局と制作会社、アニメーターの関係のような。東京、特に中央線沿いになぜアニメ産業が集まっているか、ということを地理学者が研究しています。

佐野:垂直分割の議論は、基本的にはクリエイティブ産業が対象になっているんですね。

佐無田:日本のクリエイティブ産業は、クリエイティブであるほど、給料が安い。下請けだから。これを打破しなければなりません。現実はセカンダリーマーケットが儲けています。垂直分割されているのに、大企業が小さなクリエーターを支配する、というピラミッド構造が、クリエーターを疲弊させていますよね。

佐野:先のモレッティ氏は、「あらゆるイノベーションはローカルなものだ」と言っているんですが・・・

佐無田:原理的にはそうかもしれません。でも、垂直統合型モデルではどうでしょうね。日本の知的クラスターを調べた研究によると、有力な先生のいる大学の研究室と、有力な企業の間で、距離は離れているがつながって、クローズドで企業秘密を守る形で研究をするわけです。そこにローカルな感じはしませんよね。日本の企業の研究は、中央研究所と分野別の研究所は分かれています。中央研究所は基礎研究だけやっています。同じ企業の研究所でも、お互いどんな研究をしているのか知らなかったりします。隣の研究室で何をやっているのかわからないのは、大学の研究室にも言えることですが。

佐野:確かに、隣の研究室の先生がどんな研究をしているのか、実はわかっていないです。

佐無田:そうなると、個々の研究しか生まれないですよね。

佐野:モレッティ氏は、民間企業同士で知識の伝播が起こると言っていますが。

佐無田:日本ではどうでしょうね。秘密を守りたがりますからね。コーディネーターがいないと、見知らぬ人になかなか秘密を話せないですよね。仕事と家族のことは聞いちゃいけないような不文律がありますし。

佐野:確かに、自分に置き換えるとそうですね。秘密を打ち明けられるような場・・・金沢だと、こわん(注5)のようなイメージですかね。

(注5)金沢・片町の隠れ家的ワインバー。

佐無田:どうでしょう。例えば、日本ではKSP(かながわサイエンスパーク)やKRP(京都リサーチパーク)がインキュベーション施設としては進んでいると言われています。いろいろと工夫をしていて、企業間のインプロビゼーションが起こるような取り組みを30年やっています。すごい成果が現れているわけではないですけど、企業間のクローズドな関係性を突破しようと、いろいろと苦労しているわけです。

佐野:なぜ成果があらわれていないのでしょうか。

佐無田:地域的なコミュニティじゃないんですよね。KSPには支援機能が整っているので、日本全国から企業が入るそうです。そこでうまくいったら、東京に行ってしまいます。大都市圏のベッドタウンなので、地域には根付かないし、地域とつながっていかないという問題があります。そういう意味では、金沢の方がローカルで面白いんですよね。

佐野:地域に根付いているところが楽しいと。

佐無田:ただ出口が問題です。金沢の場合、まちづくり事業がビジネスにはなっていかないです。まちづくりの人たちが全然ビジネスの話をしないですよね。

佐野:確かにしないですね。したら品格が問われますね(笑)。

佐無田:逆に、川崎であれば、まちづくりはまちづくりで、基本的に全てドライにお金の話になっていきますね。例えば、路面電車の議論をすると、黒字にならない、じゃあ政府に陳情に行こう、という具合です。

後編へ続く

佐無田光(さむた・ひかる)

1974年横浜市生まれ。金沢大学人間社会研究域経済学経営学系教授。博士(経済学)。専門は地域経済学、地域政策論。環境と地域経済、サステイナブルな地域発展、日本の地域経済システムなどを主な研究課題とする。主な著作に『2025年の日本----破綻か復活か』、『自立と連携の農村再生論』、『北陸地域経済学』など。

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佐野浩祥
建築討論

さの・ひろよし/1977年東京都生まれ。東洋大学国際観光学部教授。2006年東京工業大学大学院情報理工学研究科情報環境学専攻博士課程修了、博士(工学)。専門は、国土・地域計画、都市計画史、観光まちづくり。