佐賀豪雨から、おもやいボランティアセンター、そして建築プロンティアネットへ

震災の経験を聞く―04│建築家│大庭早子、滿原早苗

山本周
建築討論
Mar 8, 2024

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能登半島地震の発生から間もない今、これまでの知見を集め、使える知識としての共有を目的に、建築討論では連載「震災の経験を聞く―これまでの試行錯誤の共有知」を立ち上げます。

東日本大震災、熊本地震と重なる震災を経験した10年。すでに多くのプラクティスが存在します。そうした経験はネットや書籍や報告書、ウェブサイトなどで参照できる状態にありますが、そうした貴重な経験に効果的にアクセスできる共有知として本サイトに掲載していきます。4ヶ月で12人の記録を実施予定です。

第3回目は建築家の大庭早子さんと、滿原早苗さんに、佐賀豪雨後の「おもやいボランティアセンター」や「建築プロンティアネット」の活動についてインタビューを実施しました。

話し手:大庭早子(大庭早子建築設計事務所)、滿原早苗(満原建設)
聞き手:山本周(Shu Yamamoto Architects)、岡佑亮(チドリスタジオ)
実施日:2024年2月6日

山本周(以下、山本):金沢市で設計事務所をしている山本です。発災後すぐに同じ金沢で活動されている岡さんや本橋さんと何かできないだろうかと話をしていて、発災直後は人命救助や二次避難が優先されるため2〜3ヵ月後のタイミングに備えようと考え、これまでに災害を経験した地域でどのような活動が行われていたのかを知るため、このようなインタビューを始めました。
佐賀の水害は毎年起きる可能性がある断続的な災害だと思います。能登も2020年から群発地震が発生し収束が見えていないという意味で近い状況にあると考え、大庭早子さんと滿原早苗さんにインタビューをお願いしました。

岡佑亮(以下、岡):チドリスタジオという設計事務所をやっている岡と申します。今回の企画では、他の地域で起きた活動を建築討論というウェブメディアの中にまとめることで、地域も災害の規模も違うので同じような復興や支援にはならないとは思いますが、今後能登の復興に向けて関わる方の知恵になるといいなと考え、こういった活動を始めました。

佐賀豪雨時の「おもやいボランティアセンター」での活動

大庭早子(以下、大庭):機会をいただきありがとうございます。まずは「おもやい」という言葉について。おもやいは、九州地方で何かをみんなで共有する・分け合うという意味の方言で、民間のボランティアセンター(以下、ボラセン)の名前にもつけられました。今日は、チームおもやい(以下、おもやい)と建築プロンティアネットでの活動について説明します。

2019年8月29日に武雄市で豪雨災害が発生。山地と一級河川の六角川に挟まれた広域で内水氾濫が発生。頻繁に水害がある地域ではあるが、大規模な浸水被害は30年振りだった。
おもやいカフェの様子。地元の方に加え、阪神淡路大震災以降、各地で災害救援等の活動をされている方が集まった。

大庭:発災から一週間後に意見交換の場としておもやいカフェが開催されました。これまで阪神淡路大震災以降、中越地震や東日本大震災、西日本豪雨や九州北部豪雨などに携わっていた災害救援のプロたちと市民が集まって自分たちが今できることを話し合い、それを共有するメンバーとして、その場で「チームおもやい」ができました。

発災直後、武雄市の社会福祉協議会(以下、社協)による公的なボラセンが設置されたのですが、発災から一週間経って、ニーズの取りこぼしや、各地から集まった多くの一般ボランティアの方たちをさばききれていないことがわかってきました。そこで武雄市から社協のボラセン近くの廃園した幼稚園を与えられて、民間の「おもやいボランティアセンター」が開設されました。一般ボランティアの方には、まずは社協のボラセンに行ってもらい、受付で溢れてしまった人をおもやいボラセンで受け入れ、同時にテクニカルニーズや、公的な支援ではできない店舗兼住宅や農業の被害、子供やペットのケアなどの幅広い支援をやることになりました。

早速、武雄市長が9月6日にfacebookで公的・民間と両方のボラセン設置をアピールしてくれたというのが、今回の石川県知事の「ボランティアは控えて」という状況と全く逆で。できるだけ被災地のニーズを取りこぼさないようにするからボランティアに来てねとサポートをしてくれたのはすごく良かったです。

山本:発災からわずか10日後ですね。

大庭:はい。ボランティアが一般的になるのは1995年の阪神淡路大震災以降です。前回武雄で大規模な水害が起きたのは1990年。当時は親族やご近所で水害復旧をやっていたので、2019年はまだ見ず知らずのボランティアへの警戒心があったり、ボラセンの存在を知らない人も多く、活動の周知も自分達でやっていきました。

ボラセンの活動は多岐に渡りますが、泥だらけになったり力仕事だけでなく、食事支援や、高齢化が進んでいるところなので、保健師さんや看護師免許を持ってる方々と一緒に各家庭に訪問したり、サロンで高齢者とおしゃべりしたり子供たちと遊んだり、ペットの世話、濡れてしまった写真の洗浄のような心のケアもしていました。赤の点線で囲ったところは、建築プロンティアネットとして滿原さんと私が関わっていた活動です。

おもやいボランティアセンターの拠点。廃園となった幼稚園の間取りを上手く活用している。エントランス近くの職員室はボラセンの事務所、開放廊下に並ぶ保育室は活動ごとに振り分け、グラウンドは支援物資や資機材の上げ下ろしや重機ニーズに対応する場所として使われた。足洗い場は器具や装備の洗い場として活躍。

水害を通して地域のつながりの重要性を再認識し、おもやい主催で月に1回はイベントも開催しました。被害にあった住民さんは口では大丈夫と言っているけど、一緒にご飯を食べたり、足湯やマッサージで会話をしていると、やっぱり住まいや暮らしに対する不安が出てくるので、それを個別のケアにつなげていくという活動です。武雄市長も頻繁に来て市民の声を聞いてくれました。出水期への不安を少しでも解消し、同時に市民への周知も兼ねて防災カフェも継続しました。

ところが、わずか2年後の2021年8月14日に再び同規模の水害が発生します。被災した住宅は改修工事をする前に濡れた場所を乾燥させないと着工できない。改修後の綺麗な状態で1年しか住んでないのに、また水害を受けてしまった方がたくさんいらっしゃいました。せめてもの救いだったのは、イベントを続けたことで防災意識が前より高まっていたこと、ボラセンの存在を知っている人が増えて、地域の人と連絡を取りやすかったことです。あと社協のボラセンと連携していたので、前回より公・民の役割分担がスムーズでした。

しかし、短期間に二度も被災された方の精神的ダメージは相当でした。こうした連続する被害に対する制度がないのも問題で、複雑な申請手続きをまた繰り返さなければいけない。前回改修にお金をかけたのに、2年後にまた工事をするなんて誰も思っていなくて。集積所には青い畳や新品の家具家電が廃棄されていたり。被災された方は、情けないみたいな言い方もされていて。再建の見通しが立たず引越しを視野に入れはじめる人も多く、手付かずの家が多かったです。

2度目の水害が起きてから2か月後には武雄市から「水に強い住まい改修支援事業」が発表されましたが、建物や土地のかさ上げに最大100万円、移転が250万円。建築の仕事をしていれば分かると思うんですが、100万円は微々たる支援にしかならず…。

「建築プロンティアネット」での活動

建築プロンティアネットでの活動は、大きく復旧期と復興期に分かれています。復旧フェーズでは、まずは各住宅を見に行き被害や暮らしの状況をヒアリングしてまとめ、おもやいと情報を共有して、清掃ボランティアに指示したり、色々な技術を持ったテクニカルスタッフに引き継いでいきました。

建築プロンティアネットは、九州を中心にした建築士ネットワークによる活動。「プロンティア」には、プロの力を活かしたボランティア活動で、地域の復興と建築の未来を切り拓いていこう!という意味を込めている。(建築プロンティアネットのFacebookページ:https://www.facebook.com/kenpronet/)
ヒアリングを資料にまとめ、清掃ボランティアに引き継ぐ。家主さんには家屋の乾燥までの流れをメモにして渡していた。
1階の床下の水抜きや清掃、応急処置などを、2階や被害の少ない部屋で家主が生活しながら行う事がほとんどなので、日々の暮らしに必要な動線を確保しながら作業を進めていった。

そのうえで、再び水害が起きても被害を最小限に抑えるための改修提案もしました。

まずは床です。昔は家族や若者が水害前に畳をあげに来たそうなんですけど、今は一人暮らしの高齢の方が多く、重い本畳は持ち上げることができませんし、水害の水は汚水が混ざるので、本畳は濡れると廃棄になってしまいます。そこで半畳畳やスタイロ畳を勧めたり、これを機にバリアフリーも兼ねて板張りにする方に対しては、一部畳を残したり、床下点検口を設けて乾燥しやすい形を提案しました。複合フローリングは水に濡れると下地のMDFや合板を含めて膨らんだりめくれてしまうため、無垢フローリングを推奨し、床下の断熱は、グラスウールは水を含むと使えなくなるので、スタイロにするようにアドバイスしました。

滿原早苗(以下、滿原):満原建設では30mm厚の杉板のフローリングを使い、合板下地を使わずに根太に直張りしました。

大庭:壁はプラスターボードだとすぐに裏側にカビが生えてしまうので、外して干せる板壁を提案しました。全面を板壁にすると1枚ずつ剥がすのに手間がかかるので、滿原建設で実験的に腰壁だけユニット化したものを施工した例もあります。巾木や枠も、MDFの既製品だと膨れてしまうため無垢巾木と無垢枠を推奨し、建具や家具もプリント合板のフラッシュ戸などは使えなくなってしまうので、取り外しと張り替えが簡単にできる障子や襖のような引き戸を薦めました。

被災された方に住まいについての不安なことを話してもらう建物相談会も定期的に実施しました。多分これから能登もこういった活動が必要になってくるんじゃないかと思います。国の制度の説明文は私達でも理解するのが難しくて、更新されていく制度を毎回読み込んでわかりやすい絵やキーワードにして説明しました。施工者からの見積内容チェックや事務的なサポートもしたのですが、個別にやっているとキリがなく、申請書類作成の手間も大変なことがよく分かりました。そこでおもやいのメンバーで制度の緩和等を求める要望書をつくり、武雄市長を経由して県や国に働きかけてもらうようにお願いしました。

岡:半月後にはそういう要望書を出していたのですね。

大庭:2回目の水害だったから半月で出せたし、やはりNGOやNPOの方の知識や経験があってこそです。

床下乾燥には短くても2か月、長ければ半年以上かかる。冬の寒さ対策として構造用合板(通称コンパネ)の仮床を設置するコンパネカンパをスタート。古い家では床下の寒さ対策だけでは足りず、暖房器具が濡れて故障した家も多く、暖房器具や防寒着の配布を行うぽかぽか作戦へと派生。

復興期には、水害で多くの家具を処分した人たちと一緒に、県産材の杉の無垢板で棚を作るワークショップ「木もくひろば」を定期的に開催しました。2016年の熊本地震時に西原村で始まったプロジェクトで、当時滿原さんが関わっていたので、それを武雄でもやろうと。

家の状態や悩みごとを聞きながら、それぞれの暮らしに合ったサイズの棚を一緒に考えてつくり、生活再建へとつなげる取り組みです。多くの人に参加してもらい、2021年の水害後には、棚は濡れたけど乾かしたら使えたよとか、今でも自分で絵を描いたりしながら使っているよと教えてくれる人もいて、ちょっと救いかなって感じです。

2022年7月からはじまった、おもやいと建築プロンティアネット協働のたなたなプロジェクト。生活様式を伺いながら浸水域より高い位置に、生活に必要な棚を設置する。
講習会では簡易組み立て式の床下モデルを用いて、根太や大引などの用語や、畳間と板間の床下の構造の違い、どのように清掃乾燥するかなどを説明する。

活動を振り返って/これから

最初は有志で集まったおもやいの活動は途中で一般社団法人になり、水害だけではなく、この地域がもともと抱えてきた日常の課題にもどんどん目を向けています。2022年10月には休眠預金等活用事業の補助金を得て、新しい拠点を整備しました。

振り返ると、私はボランティア自体が初めてで、おもやいのメンバーとして様々な方に知恵や力を借りつつ試行錯誤の日々でした。水害の特徴は、浸水した水が引いてしまうと外観は何事なかったように見えてしまうこと。特にこの地域は高齢者が多く、毎年6月以降の出水期をおびえながら住み続けなければいけない人に対して、建築士としてどのようなサポートをできるか、というのが大きな課題でした。

建築士の免許を持っているだけで住民の方がちょっと安心して、住まいに対する悩みや不安を話してくれたのは良かったですが、設計と施工がセットでないと話が進まないことが多いので、地元にいるおもやい副代表の千綿さんと建築プロンティアネット代表の滿原さんが、設計者でもあり施工者でもあるというのは頼もしかったです。

本業では新築住宅の設計が多く、家主が夢を語ってくれて設計を進めることが多いですが、水害後の家主の声は悲痛でした。いまだに、どこまで介入するかの線引きが難しいと思っています。

おもやいでの活動を通じて、一軒ずつ、あるいは一人ずつ違う話を傾聴し、コミュニケーションを取ることは、やはり大事であると学びました。話に共感しすぎると後に引きずって私生活に影響が出るので、気持ちの切り替えも大切でした。

あと正直、建築士として何か形に残したいという欲が出てきてしまうこともありましたが、今は、地域に対してその時々で自分ができることを持ち寄るおもやいの一員として、今後も活動を続けようと思っています。

建築士は、絵を描いたり、確認申請等で制度を読み込んで解釈したり、物事を客観的にまとめたり、時間を掛けて人に寄り添うのが得意な人が多いと思います。そんな全国にいる建築士たちが、その職能を生かして、少しでもそれぞれの拠点を置いている地域の災害に目を向けて、学んで欲しい。そして平時から日常的に地域とコミュニケーションや連携を取り、災害時には協力支援団体として動くというのが、自然災害が多発する現代においては重要なことかなと思います。

水害を想定した仕様の見直し

山本:ありがとうございます。高齢化や人口減といった状況は能登も似ています。身内で管理できなくなった建物をネットワークでサポートするやり方は、佐賀や能登に限らず様々な地域で必要となりそうです。

質問ですが、2019年の水害以降に「床材を30ミリの杉板直張りに変える」というような、水害が起きる可能性がある地域における住宅の内装仕様の見直しや再検討を進められたとのことですが、それ以前は水害に特化した地域特有の仕様や対策はあったのでしょうか。

滿原:地域的に大水害があったのが30年以上前で、武雄市と言っても本当に水害が多発する地域はほんの一部なんですよね。この地域が1回水に浸からんと梅雨は開けんよねっていう風な話があったぐらいで、そういうところでは基礎のところに一部くぼみがあって、水を排出しやすいような仕組みがあったんですけど、川に水を排水するポンプの整備がされてからは大幅に水害の数が減り、そうした水害に重視した住宅も減っていきました。

その頃から日本の住宅の仕様が全国的に変わっていって、基礎はベタ基礎、木造はプレカット、内装は新建材に置き換わって、家のつくり方が画一的になってきた時代が、水害を土木的に制御しはじめた時期と重なっているんです。生活をするには凄く便利なエリアなので、若い人たちの新しい住宅が急激に増えました。水害のことを考えずにつくった家が多かったと思います。新しい住宅ほど材料的に再利用できないことが多いですから。

土地に住み続けるということ

岡:店舗兼住宅のように、その地域に生業がある方や、一度目の水害から引越しせずに残ると決めた方がいると思うんですけど、そういった方にはどのような支援をされたのでしょうか。また、高齢者は引越しが簡単ではないというお話がありましたけど、どのように難しいか具体的に伺えますか。

大庭:基本的に、発災後すぐには社会福祉協議会のボランティアさん達は住宅に対しての派遣だけなので、店舗兼住宅は受けていないんです。昔からある高齢の方が営む店舗兼住宅にもなかなか来てくれず困っているという話がありました。

滿原:高齢の方も1回目は踏ん張って家をきれいに直して、私が生きてるうちは大丈夫だろうという感じだったんですよね。だからその時に引越そうという言葉はなかなか出て来なかったです。

川があって浸水しやすいということは、物流的に良い土地でもあって、長崎街道という昔ながらの宿場町や、石炭産業が盛んだったところに店舗兼住宅が多く、そこから大通りが整備されて、ロードサイドにお店もたくさん建ち並んで。生活をする上では便利だから、水害があったけど、1回復興したらしばらくは来ないだろうと思っていたんですが、すぐに2回目が来た。今は来年も来るかもしれないと思っているけど、やっぱりみんな想像できなかったというのはあるとは思います。若い家族は2回目を機に引越す方が多く、高齢の方も、娘や息子が心配して、同居や武雄市中心部のマンションに引越す方もいました。

大庭:引っ越すにしても費用はかかるし、年金暮らしの方で持ち家の方が、これから月々家賃を払うという考えになりづらく、我慢してでも住み続けるしかない、みたいな消去法で引っ越せない方も多いんじゃないかなと。友達が近くにいる方が安心だというのもあると思います。

多様な被災者と支援者を迎え入れる受け皿

岡:おもやいのボラセンの運営メンバーは全体的に何名ぐらいで、どういった方がいらっしゃったのですか?

滿原:連携している外部の支援団体がおもやいの近くに寝泊まりをしていたり、その人たちと仕事を共有していたので、どこまでをメンバーと呼ぶのかが難しいですが、発災直後からしばらくは毎日の活動後のミーティングに20~30人位参加していました。みんなで”チームおもやい”として動いていました。

大庭:本業とは別にサポートをしてくれる方もいて、大学で教えてる方が学生を連れて定期的に来てくださったり、地方だからこそ、手に職というか、多才な方がたくさん来てくれました。例えば、軽トラで土嚢を集めて回る力仕事が得意な方が本業は理学療法士だったり、応急工事や棚作りが得意だけど、本業は美容師とか。今その美容師さんは能登で活躍されているようです。一般社団法人おもやいとしての職員は数人ですが、その周りにたくさんのメンバーがいるという感じです。

岡:活動分類(資料10頁に記載)を書かれていましたが、役割分担はどのようにされていましたか?

滿原:代表が采配したというより、おもやいに集まった人が、自分はこれできます、私はこれやります、という風な形で、結果的に活動分類が出来上がった形です。人が先にいて、そこから派生したものが活動という感じです。あれやろう、これやろう、ということからスタートせずに、いつの間にかできていたね。

大庭:統制が取れてるようで、何かみんな自由にそれぞれやっている感じです。子供の支援ができる人は、週末に親が家の掃除をしているあいだ子供たちを遊び場に呼んで一緒に遊んだり、その人の得意を活かしてやりたいこと、やれることを手をあげてやっていくから、組織というよりもゆるい繋がりをつくれていたと思います。そのあたりは代表の鈴木さんや、これまで各地で幅広くかつ継続した災害ボランティアの経験がある人のアドバイスがあったからこそで、素人だけではできなかったと思います。

岡:鈴木さんや災害ボランティアの経験がある人は、どのように集まってきたのでしょうか。

大庭:みなさん阪神淡路大震災以降に災害があるたびに現地に飛んで行って協力し合っているメンバーで、そのネットワークで情報を共有して動いているようです。当時は武雄に集まって来てくれましたが、今はみなさん能登で活動されています。

滿原:他にもFacebookやInstagramでおもやいの活動を知って、例えば、地域の婦人会の方たちが餅つきできるよとか、子どもたちが集まってるなら紙芝居やろうかとか、自分たちが普段やっていることを生かせるんじゃないか、声をかけてくれました。そういった方がぽっと来やすい受け皿として、おもやいがあったと思います。普段思っていることをそんなに気張らなくてもやれる場所として、おもやいがあったんじゃないかと思います。

大庭:筋肉を使うハードな支援っていう感じじゃないですよね。

滿原:うん、だからマッサージが得意、とかでいい。そういう人たちも来てくださいましたね。

大庭:今はおもやいも能登でサポートに入っているんですが、今回の被災の規模に対して公・民のボラセンが成り立ってるのか心配です。SNSを通して能登で活動しているおもやいメンバーやこれまで知り合ってたNPO/NGOのみなさんの活動を間接的にしか見れていないんですけど、そういった受け皿があるのかなと、疑問ではあります。

今、私たちにできること

岡:建築プロンティアネットはどのように立ち上げたのですか?

滿原:熊本地震時に西原村で被災地NGO恊働センターのスタッフとして支援をしていた鈴木さんが地域を回っていた時に、住んでいる方たちから、地震で家に被害があったけどまだ住めるとやろうか、みたいな声を何軒か聞いたらしいんですよね。そこで私に連絡があって、月に2〜3回現地に行って、建物に対する不安の声を聞き、個別に家を回って相談に乗っていった、というところが始まりですね。

例えば、応急危険度判定のステッカーが貼られているのを見ただけで近づけないような人がいたり、ステッカーにはちょっとしたことしか書いてないのに、諦めてしまう人もいたんですよね。そういう方にこういう風なことが書いてありますよと翻訳作業をしたり、建築の仕事をしてる側から見れば大きな問題ではなくても一般の人にとったら不安の種になることがあれば説明してあげたり、日曜大工ができそうなお爺ちゃんには応急的な補修はこうやればしばらくは大丈夫なんじゃないか、というような話をしていました。

岡:赤紙が張られてるのはショッキングな風景ですよね。

滿原:そうそう。住まわれている方にとっては、もう壊すしかないと勘違いをしてしまいます。紙を貼った判定員はそういうつもりで貼っていなくて、とりあえず今この状態を外観だけで率直に評価するしかないので、それを住んでいる方がどう受け止めるか、みたいなことまで気を回すことができなくて。

建築士会などで開催される相談会は窓口に来てもらわないと話をうかがえなかったり、いろいろとマニュアル化されていて動きづらいというジレンマもあったので、個別に動けるようにしたいと思い、建築プロンティアネットを立ち上げたという経緯です。山本さんが冒頭で2〜3ヵ月後に必要とされたタイミングで、とおっしゃっていましたが、被災地でお話を聞いたりアドバイスをするのは今すぐにでもやっていいんじゃないかと思います。おもやいの鈴木さんとも繋ぐので、協力していただけると助かります。

山本:ぜひよろしくお願いします。ボランティアは来ないで欲しいという報道があったり、災害関連の資格もないので遠慮していて、想像できていませんでした。そういった個人でもできる動き方を示すことができれば、金沢のような能登から少し離れた地域にいるたくさんの建築士が一気に参加するだろうと思います。

大庭:数人でも誰かが動き出して、そこから見えてくること、必要になってくることを発信をすれば、たぶん人は集まると思います。私たちの武雄市での活動は地域がそんなに広くないので細々と2人でやってますが、大変な時は熊本や大分からヘルプがきてくれました。私は震災のボランティアはやったことがないので、今後に備えてすぐに応急危険度判定士の講習を受けました。講習を受けると制度の意味が分かるし、赤紙は一時的な判断で恒久的なものではなく、余震が来たら変わる可能性もあるとか、色々な知識を入れるだけでも見えることもあるので、何か今できることをと考えている方がいたら、次に備えて講習を受けてみるのもいいと思います。

山本:大庭さんが最後に仰っていたように、建築士の職能は設計以外にもたくさんあり、職業や社会的立場に縛られて動こうしなくても良いんだなと、改めて思いました。

大庭:水害と震災では求められることや関わり方も違うと思いますが、能登に対して時間が経ってから災害復興関連のコンペなどに参加して建築士として被災地に関わるだけでなく、今すぐにできることは意外とたくさんあると思います。

2024年2月6日

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1985年生まれ。金沢美術工芸大学デザイン科、同大学院修士課程修了。長谷川豪建築設計事務所を経て2015年より石川県金沢市にて山本周建築設計事務所の主宰と、小冊子「金沢民景」の制作をしています。