傷つき、人新世の幽霊に取り憑かれた地球に生きる術(サマリー №15)

Arts of Living on a Damaged Planet: Ghosts and Monsters of the Anthropocene, Anna Tsing, Heather Swanson., Elaine Gan, Nils Bubandt, 2017, University of Minnesota Press

杉田真理子/Mariko Stephenson Sugita
建築討論
14 min readApr 5, 2023

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「傷(DAMAGE)」、「幽霊(GHOST)」、「死(DEAD)」、「残されたもの(REMAINS)」など、不吉な言葉が並ぶ本である。『傷ついた地球に生きる術(Arts of Living on a Damaged Planet: Ghosts and Monsters of the Anthropocene)』は、2014年にカリフォルニア大学で行われた同名の学会を契機に、20人の著名な論者たちが集まり、”傷ついた地球(Damaged Planet)で生きること”の意味を問いたアンソロジーだ。

編者の1人である文化人類学者のアナ・ツィンは、人間と人間以外のものの絡まりあいと関係性の諸相を多角的に見るマルチスピーシーズ民族研究の第一人者だ。著作のひとつ、『マツタケ──不確定な時代を生きる術』(2019)では、日本に輸入されるマツタケのサプライチェーンの発達史から、マツ類や菌など人間以外の存在と人間との重層的な関係性を叙述し話題を呼んだ。他に著者として名を連ねているのは、アーティストであり、ニューヨーク芸術財団のフェローを勤めるエレーヌ・ガン(Elaine Gan)、アナ・ツィンと共にオーフス大学で人新世研究所(AURA)共同議長を勤めるニルス・ブバント(Nils Bubandt)、同じくオーフス大学の助教授である人類学者のヘザー・スワンソン(Heather Swanson)だ。

2017年に刊行された本書は、人類学、生態学、科学研究、芸術、文学、バイオインフォマティクスなど多角的な視点を取り入れながら、人間による環境の変化が多種多様な生物の居住性を脅かす現代における「生きる術」を提唱する。それは、人新世における「共同的な生き残り(collaborative survival)」のためのツールを提供するものだ。

扱われるトピックも、アリ、地衣類、岩、オオコウモリ、サケ、クリの木、泥火山、国境地帯、墓、放射性廃棄物など多岐にわたる。まずは、本書の構成を概観してみよう。

2人の登場人物:ゴーストとモンスター

本書は、2つの重要な登場人物 ──ゴーストとモンスター ── を中心に構成されている。

ゴーストは、“近代化の暴力”に取り憑かれたランドスケープ(landscapes haunted by the violences of modernity)を、モンスターは、共生と生態系を破壊する脅威的な存在を指す。モンスターは、さまざまな種同士、もしくは種内の社会性(interspecies and intraspecies sociality)とも説明されており(p.G5)、外からやって来る脅威ではなく、人間を含む生態系全体のネットワークと関係性のなかで生成される、共生のもつれによる脅威である。

本書の構成はゴーストとモンスターで大きく2つに分かれており、前半の「傷ついた地球にいるゴースト(GHOSTS ON A DAMAGED PLANET)」、後半の「モンスターと生きる術(MONSTERS AND THE ARTS OF LIVING)」でそれぞれ独立した章立てを持ち、さまざまな著者による論文が9本ずつ収録されている。

本書では、人類が地球の存続を左右する大きな力となった地質学的な時代の名称として「人新世(Anthropocene)」という言葉が頻繁に用いられている。また、本書を読解するにあたりもう一つ重要なのが、「モア・ザン・ヒューマン(more-than-human)」という視点だ。「人間以上」を意味するこの言葉は、人間以外の生物も含めた存在という視座を提供するものであり、マルチスピーシーズ民族誌や環境人文学の分野で利用されている。それでは、各パートを詳しくみてみよう。

Part 1: ゴースト

前半パート「傷ついた地球にいるゴースト(GHOSTS ON A DAMAGED PLANET)」のイントロダクション「人新世の取り憑かれたランドスケープ(Introduction: Haunted Landscapes of the Anthropocene)」は、「人新世の風は、ゴーストを連れてくる(The winds of the Anthropocene carry ghosts)」(P.G1)という不気味な文言から始まる。そのゴーストとは、現在を徘徊する過去の名残や痕跡のことで、このパートでは、人間と人間以外の生物の生活空間であり、近代化の暴力的な変化のなかで定義付けられた人新世ランドスケープに関わる諸問題が議論されている。

例えば、1本目の論文であるレスリー・スタン(Lesley Stern)の「庭か墓か? ティファナ・サンディエゴ地域の渓谷の風景(A Garden or a Grave? The Canyonic Landscape of the Tijuana–San Diego Region)」(p.G17)では、ティファナとサンディエゴの国境沿いにあるロス・ローレレス・キャニオンの風景が描写されている。ゴミ捨て場、ブルドーザーで削られた大地、鉄柵で囲まれた境界線、外来植物や雑草の生えた小屋、汚水やセメントなど、資本主義的な廃棄物の残骸が目立つロス・ラウレス・キャニオン・キャニオン。この汚染された風景のなかで、ひび割れたセメントの合間をぬう形で新しい植生が芽生えた様子を、レスリーは過去、現在、未来の痕跡が混在する、近代化の墓場から芽生えた”庭”と定義する。あらゆる風景がそうであるように、ロス・ラウレス・キャニオンもまた、人間、そして人間以外の生物の活動の歴史に取り憑かれている(p.G19)。

「死人の足跡(FOOTPRINTS OF THE DEAD)」と題された第2章では、4本の論文が紹介されている。そのうちの一つ、編者の一人であるニルス・ブバントによる論文「呪われた地質学:霊、石、そして人新世のネクロポリティクス(Haunted Geologies: Spirits, Stones, and the Necropolitics of the Anthropocene)」 (p.G121)では、ジャワ島の泥火山が舞台となっている。あるジャワの村人たちは、彼らの家と生計を破壊した泥火山の噴出口にあるという、運勢を変える力がある石の存在を信じている。しかし、この火山噴火は石油掘削によって引き起こされた可能性が高い。この物語は、荒廃した風景の中で、石と精霊、石油化学工業、自然現象と人為的仕業という、相反するものが入り混じる様子を描き、“ゴーストが地質学にどのように影響しているか”を読み解いた。

マサチューセッツ州ピーターシャムのノース・セメタリー。墓石は地衣類にとって新しい生息地である。写真:Anne Pringle

第3章「残されたもの(WHAT REMAINS)」に掲載された2本の論文のうちの一つ、 アン・プリングル(Anne Pringle)の「ピーターシャム墓地の地衣類(Establishing New Worlds: The Lichens of Petersham)」(p. G157)では、 アンがボストン近郊のピーターシャム墓地へ行き、墓石に生える地衣類を観察して、その輪郭をたどる研究が発表されている。地衣類は、糸状菌と光合成を行う藻類やシアノバクテリアという種の共生集合体である。墓石に生える地衣類は、それ自体が一種の風景であり、人間の過去を住処に絶えず更新されるフィラメントのネットワークを広げてく。恐らく私たちの死後もそこにいる存在として、地衣類は、バクテリア、菌類、藻類、人間、そして西洋の植民地主義の歴史などさまざまな時間軸を集積する存在として表現されている。

Part 2: モンスター

ゴーストが主人公であった第一パートが終わり、第二パート「モンスターと生きる術(MONSTERS AND THE ARTS OF LIVING)」では、”モンスター”という存在に主眼が当てられる。”モンスター”とは、何を指すのだろうか。

「人間を含むすべての生物が、互いに絡み合っているとしたら?」(p.M1)という問いかけから始まるイントロダクション「積み重ねられた身体(BODIES TUMBLED INTO BODIES)」では、モンスターとして、クラゲが一つの例として挙げられている。オーストラリア、フロリダ、フィリピンのビーチでは、クラゲはサメを凌ぐ脅威となりつつあり、多くの海水浴客が病院に運ばれた。日本沿岸では、450ポンドのノムラクラゲが、網にかかった船を転覆させたこともある。黒海では、クラゲが小魚の稚魚を食べ尽くし、漁業に壊滅的な打撃を与えている。他の魚種がいなくなった海は、幻想的な数のクラゲで埋め尽くされる。ここではクラゲは、「モンスターしか生き残れない未来の悪夢」として描写されている(p.M3)。

しかしここでは、「クラゲが怪物であるとすれば、それは私たちとの関わり合いのせいである」(p.M1)と説明されている。クラゲは、近代の人間による乱獲、公害、地球温暖化などの影響で、恐るべき存在となってしまった。つまり、人間以上の生命と無頓着に関わる私たち人間もまた、モンスターなのだ(p.M1)。またここでは、他の生命体との共生のうえに成り立ち、海水温の上昇によって危機に晒されているサンゴ礁も、生態系全体に大きな影響を与えうるモンスターとして紹介されている。

ここでのポイントは、モンスターは、人類による多種多様な生命の変化とその不均衡な影響の時代である人新世を考えるのに、非常に有益な登場人物であるということだ。モンスターは、共生と生態系を破壊する脅威的な存在である。クラゲのような侵略的な捕食者から、新しい病原菌、制御不能な化学的プロセスまで、現代の人間活動は、新しく恐ろしい脅威を世の中に解き放った。本パートで紹介されているのは、そんな人新世における共生のもつれを引き起こしている人間の怪物性と、それが生み出したモンスターたちに関する論考である。

第1章「多種多様な生物の生息(INHABITING MULTISPECIES BODIES)」には、カリフォルニア大学サン タクルーズ校の意識史部門およびフェミニスト研究部門の名誉教授で、科学技術研究の分野で著名なアメリカ人学者ドナ・J・ハラウェイ(Donna Haraway)による論考「共生、シンビオシス、トラブルとつきあうためのアートサイエンス・アクティヴィズム(Symbiogenesis, Sympoiesis, and Art Science Activisms for Staying with the Trouble)」が収録されている。

『猿と女とサイボーグ──自然の再発明』などの著作でも知られるハラウェイは、芸術、科学、人文科学を組み合わせた研究で有名だ。ハラウェイは、「共生関係は、生命のもつれの中で常に更新され、否定され続けなければならない」と論ずる。「ある日突然、状況が変化したとき、生命を維持するための関係が、時として命取りになることがある」からだ。例えば、同じ章のイングリッド・パーカーのエッセイにあるように、北米太平洋岸でラッコが商業的に大量捕獲されたことで、ある海がウニの群生地に支配されてしまった。また、カリフォルニアでは、ヨーロッパ由来の一年草の侵入により、多年草や野草の群生が失われた。他者との関わり合いの共生関係は、一つバランスが崩れると、危険な影響を及ぼしかねない。

第2章「個別性を超えて(BEYOND INDIVIDUALS)」(p.M71)収録のマリアン・エリザベス・リエン(Marianne Elisabeth Lien)の論考「手に負えない食欲:サーモンの家畜化(Unruly Appetites: Salmon Domestication “All the Way Down”)」では、サケの養殖場と隣接する水槽の中で繰り広げられる、多種多様な生物のもつれについて描写されている。養殖場におけるシラミの問題を軽減するための人間の奮闘を描くなかで、サーモン、シラミ、シラス、エビなどさまざまな登場人物たちの、「食べる」と「食べられる」の役割分担が不明確な生と死のドラマが繰り広げられる。

ウミシラミ 写真:John Law

第3章「絶滅寸前(AT THE EDGE OF EXTINCTION)」(p.M141)に収録されたイングリッド M・パーカー(Ingrid M. Parker)による論考「健忘症の記憶、盲目の視力 (Remembering in Our Amnesia, Seeing in Our Blindness)」では、カリフォルニア大学サンタクルーズ校のキャンパス内にあるグレート・メドウの植物群落について描かれている。パーカーは、スペインの入植者によって持ち込まれた種がカリフォルニア沿岸の生態系を大きく変え、今ではグレート・メドウに生育する植生の90パーセントを新種が占めていると説明する。それは、たった300年の間に起こったことだ。「あまりに急激で広範囲な変貌を遂げたため、以前は何があったのかを知ることは難しい。つまり、私たちは見る力、記憶する力を失っている」とパーカーは説明する。そのうえで、失われた過去の植物や動物の生態系、そしてかつてこれらの土地を耕していた先住民の姿を想像することの重要性が、ここでは強調されている。

モンスターやゴーストは、ありふれた風景の中に隠れている。モンスターが過剰な存在であるとすれば、ゴーストは不在で目に見えないものである。どちらにせよ、ゴーストを追うこと、モンスターを追うことは、人新世の恐ろしさを知るために重要なことだ(p.M210)。

本書の最終章で、アメリカ出身のフィクションライター、ドリオン・サガン(Dorion Sagan)は「私たちは、心配はしても絶望はしてはいけない」(p.M169)と言う。歴史を振り返ると、生物たちは大量絶滅のたびに再生し、以前よりも多くの種、広くの領域、より発達した知性を形成してきた。人新世においては、生物圏が今後何十億年もの間、多種多様なエネルギー変換のサイクルを続けることができるよう、私たちが手助けできるかもしれない、ドリオンは説明する。

今までマルチスピーシーズ研究や生態環境学などの分野は、建築や都市研究の文脈とは離れたところで語られることが多かった。しかし、これからの都市での暮らしを考えるためには、人新世というキーワードは避けて通ることはできない。2021年刊行の村澤真保呂の著書『都市を終わらせる──「人新世」時代の精神、社会、自然』でも、消費と収奪を基盤とした都市構造を終わらせ、人類が都市に代わって新たに向かうべき旅路を考えるべきと唱えられている。人間中心の都市を考える時代は終わり、人間以上の存在も含めた都市、そしてそれを支える建築を、私たちは考えていくべきなのではないだろうか。

本書は、緊急の訴えであると共に、絶望ではなく、これからの世界のための新しい創造性への呼びかけである。

★Further reading
アナ・ツィン『マツタケ──不確定な時代を生きる術(2019)』 赤嶺淳訳、みすず書房、2019年
マルチスピーシーズ研究の入門書としておすすめな一冊。マツタケという日本人に馴染み深い存在の発達史から、マツ類や菌など人間以外の存在と人間との重層的な関係性を読み解く。文化人類者としてのアナ・ツィンのアプローチがこの1冊を読むことで概観できる。

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杉田真理子/Mariko Stephenson Sugita
建築討論

An urbanist and city enthusiast based in Kyoto, Japan. Freelance Urbanism / Architecture editor, writer, researcher. https://linktr.ee/MarikoSugita