加藤登紀子他著『現代思想 2021年3月号 特集:東日本大震災10年』

震災後の被災地からの、民主主義への問い(評者:藤田直哉)

藤田直哉
建築討論
Apr 3, 2021

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東日本大震災から10年が経った。もう10年と感じる人も、まだ10年かと感じる人もいるだろうと思う。

東日本大震災の経験は、建築にも大きな影響を与えた。たとえばそれは、『住宅特集』2021年4月号における福屋粧子「災間を生きる 東日本大震災から10年・人の暮らしと建築家の活動」においては、こうまとめられている。一神教のように「永遠性」を想定するのではなく、日本は頻発する災害ゆえに「今=ここ」を重視する時間概念が存在していることを建築家も強く意識することになった。繰り返し起きる災害は、「永続性を象徴することとは対照的」であるがゆえに、建築は、災害が繰り返し起こる土地における時間や生の感覚に対応するために自らを批判的に変更し続けた。「建築家のフィールドは大きく変わった。状況から距離をとって構想を練る者から、地域と人に向き合い、そこでしかない暮らしを発見し共につくる者へ」(p.20)。

その態度変更は、ミクロに近いスケールでは数々の実践と成功の例があった。だが、都市計画などの土木のレベルになると、このような人や地域に寄り添う態度の変更が貫かれることは難しくなってしまう。さらに、住民たちの意見を反映させようとしても「強固な地域コミュニティ」故に、「暗黙の合議で決まるか意見が出ないことが多く、広く意見を求めることは難しい下地があった」(p.26)。

このことを、端的に図式化すると、こういうことになる。災害が繰り返すという条件ゆえに、今ここの生や人々や地域に具体的に寄り添い、対話する、下からの民主主義的なあり方を建築が模索したのが、東日本大震災後の被災地における建築の挑戦だった。しかしその問題意識や感覚は、より大きなスケールで「設計」したり、合理的な広い利益を考えて行われる営みの前で、拡張の限界を迎える。

このような「限界」についての葛藤と問題提起は、『現代思想』2021年3月号の特集「東日本大震災10年」にも共有されている。

『現代思想 2021年3月号 特集:東日本大震災10年』

東日本大震災の被災地を訪れた者なら誰もが圧倒されるであろう、海岸部に立ち並ぶ、万里の長城のような防潮堤。大規模なかさ上げと、その上に作られるニュータウンのような建築物。住民自身の願いにより撤去されていく遺構たち──。

それらの問題に対する、多数の、当事者や学者たちの、生々しい現実に触れている言葉や、問題提起が収録されている。それは、被災地のみならず、民主主義のあるべき形や、国家や権力がどう変わるべきかの示唆も含んでいるように思われた。

宮地尚子と山内明美の対談「環状島の水位を下げる 震災とトラウマケアの10年」で、山内は、巨大防潮堤について問題提起する。それは本当に必要なのか、人口減少していくまちで維持費を払えるのか。三陸の人との海のと関わり方がこれでいいのか。これらの「大学の先生方が発信されたこうした議論は、煙たがられることはあれ、民主的な議論が広がったとは言えませんでした」(p.10)。その理由は「現地の人が表立って言うのは人間関係の問題」があるからだ。藤村龍至など、建築や公共物に住民自身の民主主義的な参加を求めるやりかたがあるが、それらの声が反映される以前の、声に出すことすら起こらないような状況がここにある。

典型的な例が、震災の遺構を残すのかどうかである。たとえば南三陸の場合、遺構を見るのが辛いという遺族と、将来の防災教育のための保存を望む者とに意見が別れたが、「町長派と反町長派をめぐるデリケートな問題」(p.11)を孕む政治イシューになってしまい、「防災庁舎の保存可否に触れることは、派閥の踏み絵を踏まされるに等しく」「解体/保存に触れることはタブーとなって」しまった。かくのごとく、住民同士がオープンかつ健全に議論し、その意見が行政に反映されるという健全な民主主義の理想が、機能しにくい。ジェンダー役割も強固で、女性はケアワーカーになるように教育される傾向があり、声を発する機会も奪われがちである。

そのような民主的なプロセスについての問題意識は多くの者が共有している。たとえば廣重剛史も、「『そこに在ること』の意味」で、防潮堤建設における民主主義の問題を語っている。住民の意見を聞き、反映させるプロセスが不十分であり、「住民自治の弱体化」(p.53)を招いていると彼は言う。

そこで、反映されなかった住民の意見とは「そこに存在すること」に「ともなう疑問や不安がさまざまな観点から表明されている」「近代的な法制度だけに還元できない、その地域でのさまざまな継続した意味のつながり(=生活世界)のなかで生きること(being)」である。分かりやすく例を出すと、海と共に生きてきた経験が長い者にとって、海が見えるかどうかは重要である。波を防ぐことよりも、生活の中で皮膚感覚レベルで海を感じられるかどうかの方が、より生業にとって重要で命に関わるという判断だってありうる。そのような生活世界や感覚をうまく掬い取り、意志決定に反映することはできたのだろうか。

行政の判断と、住民たちの判断は、正当性の次元が違うがゆえに、すれ違っていたと廣重は言う。行政判断や近代法や制度は、仮に科学的合理的な判断に基づくとしても、それは現実の生活世界を分割して抽象化したものであるため「存在」「生活世界」の感覚とは必然的に齟齬をきたす。この問題を克服するために、水準の異なる両者が対話し相互理解を深めるような成熟した民主主義が期待されると、廣重は言う。

同様に、廣瀬俊介は「風土形成の思想と実践」において、生活や生業を通じて、何世代も自然に働きかけた結果生まれる「風土」を重視したランドスケープデザインの必要性を主張する。それは、日常生活や祭祀、信仰、芸能などを通じて積み重ねられてきた、「意味の繋がりの世界」(p.65, 66)である。それを尊重した「人間的復興」の必要性を彼は主張する。

これらは、総じて、地域や人に具体的に寄り添い、そのニーズに答えてまちや地域を作ろうとする際に遭遇した難問だと言える。一神教的な抽象的で合理的な思考と、災害に起因する「今=ここ」を重視する思考スタイルとが衝突しているとも言えるだろう。しかし、抽象的で合理的な思考も、必要なものかもしれない。両者のコンフリクトは、どうも調停されないままに投げ出されているように思う。

清野聡子「技術者たちは何に絡めとられていたのか」では、そのような住民の意志が不在のまま、研究者たちの懸念も反映されないままに復興事業が行われたことを指摘している。「海外構造物は、日本社会の”表象”のような存在である」(p.73)、「かねてから、日本の海岸の過剰な人工化は不思議がられていた」「復興事業では、関係者間の合意形成や合理的な判断が十分なされぬまま、巨大な土木事業が行われ」(p.74)た。それは国内外の研究者や市民の「多くの人の当惑」を起こし、「日本におけるひとびとと自然との関係について混乱する思いであった」(p.77)。「この状態でよいと考える研究者のほうが少なかったが、全体を見直すことができなかった」(p.78)。

それでも、巨大な人工物は建築され、シュールレアリスムのような壮大な光景が展開されることになった。具体的な誰かが悪いというわけではない。それは、自走するシステムと、それに対して無力な専門家や住民たちという構図において、まさしく日本の象徴であると言えるのかもしれない。

建築に関連して、宮崎雅人「被災地自体の税収と経済」を紹介する。本論文は、震災前の2010年度と震災後の2018年度のデータを比較した、被災自治体の財政分析を行っている。意外なことに、市町村税の税収は個人住民税収も、法人税も大幅に増加している。その妥当な解釈は「単純に所得が増加した」(p.82)ことであり、理由は「復旧・復興事業によって建設業が増加したことが大きい」(p.83)。

しかし、復興がひと段落した以上、これは当然、続かない。「地域に所得をもたらす産業がなくなってしまえば、地域の衰退が進むことになる」(p.85)ことが予測されるので、今後の経済的な復興のためには、新たな基盤産業を作り上げることが必要だと、宮崎は締めくくる。

戦後長らく、自民党は、土木や建築業界に公共事業を発注することで票を集めてきた。公共事業は、実質的に地方に仕事を作り上げる福祉的な機能も担っていたと言われる。そのことは、公共事業の高コスト体質に繋がったり、癒着も生み出してきた。とはいえ、そのことを今は問題にしたいわけではない。問題は、そのことが人々を依存的にさせてしまうことだ。これからの地方では、創造的に課題解決をしなくてはならないし、様々な新しい産業を生み出したりイノベーションをしなくてはいけない。そのためには、創造的かつ能動的な主体が必要で、それを育てるためには民主主義的な環境である必要がある。復興は、その転換をうまく促しただろうか。これからの未来に必要な種は蒔かれたのだろうか。そうであることを願いたい。

震災後は、たくさんの「分断」が起こった。賠償金を巡る対立、政治的踏み絵、被害の過多などで分断され、対話も合意形成も困難な状況であった。それこそが、地域に人々の意見を反映することを阻害する困難の一つであった。

だが、だからこそ、対話を引き起こすための試みが数多く行われた。「哲学カフェ」もその一つだろう。その実践は長く緩やかに社会を変えていくはずだ。

そのような希望を示す一例として、福島県飯館村出身で畜産農家の菅野義樹の「飯館村と栗山町をつなぐ地元学」が語っていることを紹介したい。

飯館村は原発事故により「避難区域」に指定された。その後に、村に戻るか戻らないかで住民の「心の分断」が起こった。そこで「若い人たちで多様な価値を認め合うようなことを話す場を作」(p.29)り、抱えている思いを話し合っていった。

その中に、原子力研究開発機構の方が外部から参加した。住民の中には「敵」だと感じる者もいた。だが、菅野は、「敵」とは思えなかった。水俣病の患者であり漁師であった緒方正人の『チッソは私であった』を読み、自分も電気を使ってた以上、単なる被害者ではなく、自分自身の原子力災害への責任を問うていくようになっていたからだ。「被害者」でありながら「加害者」としての責任をも感じるという、複雑な心境に彼は至る。

原子力研究開発機構の者に、菅野は「ご自身が必要だと思った原子力というエネルギーが、こういう結果をもたらしたことをどう思われますか?」と問うた。そして答えは、申し訳ないと思ったからこそ、自分から手を挙げて除染計画に関わっている、というものだった。詳しくは言語化されていないが、どうもこの「贖罪」の様子に、心を和らげ、何かが伝わった部分があるようだ。

これはいわゆる理性や言語による対話だけではないような、相互理解の心情面が描かれたエピソードだとも言える。良くも悪くも「分断」を超える何かがここで生じた。

山内明美は、「人間関係絡みで新たな災害が引き起こされてしまう。体感的にも災害以上に、隣近所で猜疑心が生まれることによっての互いの潰しあいがより負担になっている気がします」(p.18)と被災地の状況を語っているが、それは狭義の被災地以外に住んでいる者にとっても、他人事ではないだろう。

東日本大震災から10年が経った。それでも、これら本質的な問題は解かれていない。震災の衝撃を受けて展開された建築の試みの有効性と限界を検証する営みも、これからであろう。この10年の試みを引き継ぎ、より良い方向に発展させる次世代の建築家たちの登場に、期待したい。

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書誌
編著者:加藤登紀子他著
書名:現代思想 2021年3月号 特集:東日本大震災10年
出版社:青土社
出版年月:2021年2月

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藤田直哉
建築討論

ふじた・なおや/1983年札幌生まれ。日本映画大学准教授。東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻修了。博士(学術)。著書に『虚構内存在』『シン・ゴジラ論』(作品社)『新世紀ゾンビ論』(筑摩書房)、編著に『地域アート 美学/制度/日本』(堀之内出版)『3・11の未来 日本・SF・創造力』(作品社)『東日本大震