北雄介著『街歩きと都市の様相-空間体験の全体性を読み解く』

経路をたどる多主体からみる複雑な現象への探求(評者:笠松咲樹)

笠松咲樹
建築討論
Aug 3, 2023

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我々は歩くという日常的な行為のなかで印象的なシーンに出会い、感覚をはたらかせ、感情の起伏を覚える。歩くことは移動という直截的な目的のための手段とは別に、我々を都市の雰囲気を捉える受容器に変容させる行為だといえる。人々の賑わいを聞き、落ち葉の感覚を足先で捉えながら歩く体験を心地よいと思う感覚は、きっと多くの人に共通のものであるだろう。では我々は、実際のところどのような空間において何をどう受容しているのか。それはどのようにして表現可能であるのか。本書は、街歩き体験のなかで我々が捉える「様相」の記録-記述-分析を通して、街歩き体験の複雑で多面的な全体性を解明しようとする探索型研究と様相の可視化の方法を提案するものである。著者の専門分野は、街歩き、街づくり、デザインプロセス論であり、本書は、著者が大学院修士課程の2年生だった頃から着手し15年以上にわたって継続した研究成果を、第Ⅰ部「理論」、第Ⅱ部「実験」、第Ⅲ部「実践」の3部にまとめたものである。

歩きながら捉えられた都市の雰囲気を、記録、記述、分析しつつ、把握されるに至った都市の成り立ちや構成について論及し、また何度でも記録に立ち戻る。そのようにして、都市の様相自体を解読する試みがなされている。

著者は実証主義に対する批判的なまなざしをもちつつ都市の認識に関する先行研究を踏まえた上で、街へ出ることを選択する。歩きながらの自由記述を実験方法として採用し、量と質とを両立する「位置情報付き言語データ」を収集することを定める(本書I-2の内容、以下章番号のみ記載)。著者は様相を、西欧哲学における議論や原広司が展開した様相論に基づいて「ものごとの全体的な在り方」と定義する。様相には、これまでの都市分析ではあまり取り扱われてこなかった音や匂い、雰囲気などが含まれる。これは、空間全体のあり方の上にあらわれ、変化しうる可能態としての情景や感情をつぶさに取り扱おうとする著者の姿勢が見られる概念である。我々は経路に沿って様相を経験する。経路は様相に対応し、我々が経験の質や時空間的流れを理解する概念装置としてはたらく(Ⅰ-3)。

実験は、著者の研究拠点であった京都で行われた。被験者らは、まずルート(実験で歩く具体的な経路)を歩きながら、様相の変化点、すなわち都市の雰囲気や様子が変わったと感じられた地点を文章で記録する。次いで歩行後に、ルートをいくつかの領域に分割し、指標にしたがって評価し、それぞれの領域における様相の特徴を自由記述する。著者の手元には、このようにして膨大なデータが集まる(Ⅱ-4)。

著者はまずすぐに数量的に扱えるデータ、すなわち領域分割と領域評価の記述、分析を行う。これにより、一本のルートはエッジとエリアの繰り返しとして分割でき、領域はそれらが階層として重なった構造となっていることを発見する。次に、自由記述の結果を言語処理し、図表として可視化することで、隣り合うエリア同士の関係に着目するに至る。
著者は、直感と完全に合致する精度での言語処理を自らに課し、言葉のひとつひとつからボトムアップに「様相因子」リストを作成する。様相因子は、著者の探索的態度が如実にあらわれた言葉のカテゴリーである。様相因子がエリア別に集計されると、隣り合うエリア同士に類似や差異をもたらす様相因子があることがわかる。このことから、領域におけるエリア同士の交錯性が認められるのである。
さらに、言葉の使われやすさや好印象性との相関といった10の指標が導入される。すると、都市の要素はルートを歩いた被験者にどのような印象を与えたのかということが、多視点的に可視化される。このようにして、都市構造や我々の記憶と記述された雰囲気との対応に関するいくつかの仮説が得られる(Ⅱ-5)。

Ⅱ部5章から得られた都市構造と雰囲気との対応に関する仮説を大別すると、ひとつは街路構造、もうひとつは求心的存在であるアトラクターの周りに形成された場としての空間に関する仮説である。京都は大きなグリッドの太い通りと細かなグリッドの細い通りから成り、「ガワとアンコ」と表現される。また、四条通りという全体の中心地があるだけでなく、門前町といった小さな中心や三山といった方向感覚を与える要素がアトラクターとして点在する都市である。様相因子や使用言語のニュアンスにあらわれた都市の様相の記録、例えば、ガワを外、アンコを内と捉えたり、「いかにも」などの副詞を伴って表現される要素が存在したりするといったことが、日本人のもつ感覚や、都市構造の変遷からも説明可能なものとして示される。以上をふまえ、自然や地形を母胎として存在する都市とそこで暮らす人々の振る舞いが、都市の様相の空間的なあらわれを示すレイヤーモデルとして表現される(Ⅱ-6)。

続いてフォーカスが当てられるのは、記憶である。被験者らの記録から、短期記憶を蓄積する「短期的フレーム」は経路体験の中での気づきによって揺れうごき、長期記憶を蓄積する「長期的フレーム」はルート外の空間に言及する際に参照されることがわかる。また、長期的フレームと都市の状況に不整合があった場合、それは驚きや疑問として表現される。ルートを歩行するなかでフレームの書き換えが起こることから、場所との出会いが我々の記憶の中にある都市像を成長させていることがわかる。我々は思考しながら歩いているのだ(Ⅱ-7)。

上記の実験で開発された「歩きながら都市の様相を記述する」という方法は、フィールドワークの方法としても有効である。本章で展開される「探索型フィールドワーク」は、何をデザインあるいは調査すべきかがあらかじめわかっている「特定目的型フィールドワーク」の前段として不可欠であるはずのフィールドワークであるが、その方法はこれまで十分に議論されてこなかった。ここでは、都市の本質的な魅力や課題を見出したりそもそも何をデザインするべきかを探ったりするための、実践的知見をもたらす方法論が提案される。都市を歩きながら様相を書き込んだ地図が成果物として紹介され、それらに見られる参加者らの着眼点は次章での地図制作のテーマに引き継がれる(Ⅲ-8)。

これまで、定量的に測定される既存の統計データを可視化する地図は作成されてきたが、雰囲気や様相といった人によって捉え方も異なるものを定量・定性の両面から表現した地図は作成されてこなかった。著者は地図制作の価値のひとつとして、曖昧な対象の可視化が街づくりのプロセスの民主化や透明化につながることを挙げるが、むしろもうひとつの価値として挙げられているビジュアライズすること自体の面白さが著者の探求心を突き動かしているように思われる。地図制作にあたっては、実験では線的であった調査対象を面的に展開する必要がある。面的に領域を歩くと総街路長が長くなり、自由記述では記録の空間的密度を保てないため、記述内容にテーマが設定される。テーマは、オノマトペであったり、「かわいい」ものであったりと、対象地域の特性や地図制作の目的によって設定される。それぞれのテーマがレイヤーとなり、その重層が都市の様相の全体像に接近するのである。著者は、地図という記述結果が街に対する人々の見方を変容させることを確認し、人と街と地図とが一体となって認識的な意味での都市の様相を変容していく様子に興味深さを見出す(Ⅲ-9)。

本書では、著者自らの内に生じた実感を共有可能なものとする理論や方法自体が探求された。個人的な感覚や複雑に絡み合う要素に起因する情動を、「なんとなく」の域を超えて広く他者と共有することは、設計や研究を行う評者にとっても都度考えさせられる課題である。我々が生きる世界そのものの面白さを切り出して提示できることが実践的知見として示されたことは、世界をつぶさにまなざし表現したいと願う評者や、日常を記憶し生きる我々にとって、一条の活路となるであろう。
我々は日々、時空間的な経路をたどりながら、要素に還元できない全体性のなかを生きている。経路という切り口で複雑な現象の全体性と向き合う。このことはまさに、さまざまな経験の連続である我々の日常やそこでの心のあり方、世界の成り立ちと向き合うことにつながっているのである。

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書誌

著者:北雄介
書名:街歩きと都市の様相−空間体験の全体性を読み解く
出版社:京都大学学術出版会
出版年月:2023年2月

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笠松咲樹
建築討論

architecture | landscape | 1995年静岡県浜松市出身。東京藝大建築専攻 博士課程在籍。同大学建築科卒業、東京大学工学系研究科修了。現在は博士論文執筆、設計等。