千鳥文化の感覚 ── 軽さ、ガラスの壁、地域からの自律をめぐって
1 存在感の軽さ
千鳥文化周辺を歩いてみたあとの印象は、一言で言うと、存在感の軽さである。それは、取り壊されて更地にされてもおかしくはない老朽化した住宅群の一部を改装しカフェスペースとして蘇らせた具体的実践そのものを批判するための言葉ではない。千鳥文化という、カフェだけでなくガーデニングのためのスペースをも含めた文化実践の場として、北加賀屋という地域に存在していることにかかわる、一種の実存感覚を言葉にするならそうなる、というだけのことである。そこには深い意味はない。
そして、軽さといってもそれは、浮ついている、軽薄ということを意味するのではない。それは、基本は木造で、正面はガラス張りという素材の軽さを意味している。つまりはコンクリートのような素材の重厚さとは対極的という意味での軽さである。だが、軽さはただ素材という物理的実在にかかわる性質として生じているというだけでない。人の生活を支える条件としての存在感、確かさ、現実感、落ち着きなどといった言葉とともに語られうる何ものか(雰囲気といってもいいのかもしれないが)に関わることとして、軽さが生じてしまっている。よそよそしさとまではいかなくても、地上に確かにあるもの、たとえば近くにある喫茶店が放つ「当たり前さ」が、希薄である。それは、千鳥文化の建物をただそのものとして捉えるのではなく、北加賀屋という地域のなかにあるものとして捉えようとするときに感じられてしまう何ものかである。
存在感。ないしは、現実感。これは、建築という「もの」が生じさせる何ものかのことだが、この文章は、この何ものかへと関心を向け、思考を向けていく立場から書かれている。それは二〇〇〇年代なかばから欧米で始まりつつある思想潮流で、オブジェクト指向存在論と呼ばれている。そこで重要なのは、記号、イメージ、表象ではない。二〇〇〇年代なかばより始まっているのは、イメージという表層的な領域の深層に、たしかに実在する「もの」のあり方に着目していく思考である。この「もの」は、数値化・定量化の難しい、雰囲気としかいいようのない何ものかなのだが、このものの捉えがたさが、哲学において重要課題になっている。
以下では、軽さということについて淡々と書いていきたいが、この感覚はこれを書いている人間に特有のものであるのかもしれず、ゆえに、ただの印象論、主観的な思い込みであるという批判はありうる。ただそれでも、私が感じてしまったこの感覚は、訪れて何日か経った後にも鮮明に思い出せるほどにまで刻まれてしまっており、これを度外視して書くことはできない。
2 北加賀屋という地域とガラスの壁
「もの」としてみたときの軽さ。それはやはり、北加賀屋という地域にあるということと、関係があるのだろう。
地下鉄四つ橋線の北加賀屋駅を降り、四番出口から地上に出ると、大通りがある。通り沿いには居酒屋やコンビニエンスストアがあるのだが、これらが入居する建物は「千島土地株式会社」の所有物である。もちろん、この建物を主に占めるのはコンビニや居酒屋ではない。「南港病院」という名の病院で、「介護スタッフ」「食事作りスタッフ」「送迎スタッフ」を募集する張り紙が数枚貼られているところから察するに、老人介護のサービスに力を入れているようだ。少し離れたところにも保育園と高齢者のグループホームを併設した大きめの建物があるのだが、ここも「南港病院」関連の施設である。さしあたり、北加賀屋駅周辺の一つの特徴として、介護施設の充実があるということを読み取ることはできる。
そこから少し歩くと、「北加賀屋公園」が見えてくる。桜の花が満開で、花見客もいるのだが、やはり高齢者が多い。公園のすぐとなりにはやはり高齢者のグループホームがあるのでそこの人たちかとも思ったが、そういうわけでもなさそうで、高齢者の多い地域だからそうなっているだけであるとも解釈できる。
公園沿いに交番がある。スマートフォンを持たないために見知らぬ場所を訪ねるときは人に聞くしかない。そこで、交番の外に立つお巡りさんに、「あのー、千鳥文化というカフェがこのあたりにあるそうなのですが、どこですか?」と聞いてみたのだが、「千鳥文化?わからないですね」と言われた。「そういう名前のカフェらしいんですが・・・」と言ってみたところ、「あのおしゃれなカフェですか?ならばそこを曲がって左に行ったところです」と教えてもらう。とりあえず、「おしゃれカフェ」として地域においては認知されているらしいのだが、この建物を訪れてみて思ったのは、周囲は老朽化した建物に囲まれているものの、たとえば「喫茶ホームラン」や「TEAROOMまき」などという喫茶店がいくつかあり、しかも「喫茶ホームラン」は営業していたので、かならずしも地域の人の憩いの場自体は不足しているわけでもなさそうであり、先述の公園もあり、さらに、「かがやマップ」という、地域の福祉施設のネットワークを可視化した地図も張り出されている。
千鳥文化は、火曜と水曜が休みであると、食べログに書いてあった。月曜はやっているはずと思って訪れたのだが、その日は臨時休業だった。ガラス張りの正面玄関の向こうに、「臨時休業」を知らせる掲示がある。黒い紙に白地で、「臨時休業とさせていただきます」と書かれている。巨大なガラス張り正面玄関の向こうには、もう一つガラス扉があり、そこを通って内部へと入ることになる。つまり、内部へと入るには二つのガラス扉を通っていかねばならない構造になっているのだが、「臨時休業」の掲示は、この二つの障壁のあいだに位置している、ということである。そして、障壁のあいだには、「無農薬レモンのジュース」をも含めたいくつかのメニューが書かれた掲示も立てられている。開店時には開け放たれていると思われる表玄関は、閉店時には、障壁として機能している。もちろん、防犯などへの配慮もあってそうしているのだろうし、このことについてとやかく言っても仕方ないのだが、ただひとつ、表玄関の外から中を覗いていたときふと思ったのは、これはどことなくデパートのショーウィンドウに似ている、ということだった。つまり、見ることはできるが手に入れるためには金を払わなくてはならない、そのような商品が鎮座する領域をガラス一枚で外界から隔てる、ショーウィンドウである。
臨時休業の千鳥文化のガラス張りの正面は、立ち入ることを阻む障壁である。内部は外へとさらけ出され、そこで何が起きているかを見せつける効果があるのは確かで、そのかぎりでは、鉄扉とは違う、「開かれていく」効果があるといえるかもしれないが、それでも、視覚とは異なる触覚や嗅覚は、入り込むことができない。体そのものが入ることも拒まれている。つまり、ガラスの壁は外から入り込むことを拒んでいる。開店中であれば、もちろん入ることはできる。それでもここに漂うのは、一種の「入りにくさ」といったらいいのか、内向性の強い空気感である。その物理的な具現化が、ガラスの壁である。
3 地域のポテンシャルを引き出す?
以上は、「もの」としてみたときの千鳥文化の印象録である。でははたして、私がこうと感じてしまったことを、どう考えたらいいのか。角度を変えて考えてみる。
日埜直彦は、『現代思想』二〇一八年四月号の論考「拡散する現代建築論」で、近年の日本における建築のトレンドを、「人口減少という現実に直面する地方とその住民の間に建築家が触媒のように入っていくことで、地域のポテンシャルを引き出しつつ広い意味でのエコロジーを生み出そうとする今日的な試み」と評するのだが、千鳥文化もこの試みのようなものとして、実践されていると言えそうである。
だが、千鳥文化は北加賀屋という地域の中にありつつも、そこで目指されているのは、北加賀屋のポテンシャルを引き出すことよりはむしろ、北加賀屋において展開されているアートプロジェクトに関わる人たちのための交流スペースの創出である。そして、千鳥文化という空間に感じた軽さないしは浮遊感は、北加賀屋に感じた圧倒的なリアリティ、つまりは大通り沿いの老朽化した工場群、南港病院を中心とする介護施設の充実、スシローなどのロードサイド店、公園に集まっているお年寄りが醸し出す現実感とは今ひとつ結びつかずにそこから切断されてしまっている感覚と、無縁ではないだろう。
つまり千鳥文化は、地域には向かっていない。地域とは切り離されたところにおいて独自の領域を作り出そうとしている。そして、私自身は、独自化することに何か問題があるとは全く考えていない。むしろ、「地域のポテンシャルを引き出す」ことができているかどうかに建築の意義を認めていこうとする論調自体が何か限界に達しつつあるのではないかと考えている。
唐突だが、数か月前に娘がものもらいになって眼医者に行ったとき流れていたテレビ番組(私の家にはテレビがないのでそのような機会でもないとテレビをみない)のことを思い出した。それは、大阪から兵庫の地方に移住した女性の様子を映していた。二〇代半ばの女性は、移住先で、雑貨屋をやっている。移住に際しては、家賃補助や住居の改装費用、店をするにあたっての初期費用などが行政によって支援される。そして女性は、移り住んだ先で、近所の人たちと一緒になって民家を改装した。近所の人たちは野菜をもってきてくれる。改装後の民家は、店舗でありつつ地域の人の憩いの場になっている……。
ある意味、建築家たちが率先して始めたことが一つのロールモデルになり、建築家ではない普通の人にも共有される了解事項になった、ということなのだろうか。つまり、テレビでも普通に流れるような、一種のおしゃれな生き方として受け入れられるようになった。リノベーションがテレビ化された(Renovation has been televised.)。このこと自体、別に珍しいことではない。かつてヒップホップは黒人のストリート生活の厳しさを「レペゼン」(represent, 代理=表象)することで音楽表現としての新しさを獲得したが、テレビで特集され、売り物になり、陳腐化したと言われている。このようにヒップホップを論じることそのものも陳腐化していく。そもそも、二〇年前に言われ始めたこの語り口とともにヒップホップを引き合いに出して文化を論じること自体、陳腐である。これと同様のことが、「地域のポテンシャルを引き出す」建築実践においても起こりつつあるとしたらどうだろうか。それは一つの定型として、分野として、定着したということともいえるが、建築の表現としてみたときは、陳腐化ともいえる。
これに対して日埜は、ピエール・アウレリの「The Project of Autonomy」という本を引き合いに出し、建築の自律性(オートノミー)という概念を提起する。イタリアの一九八〇年代の建築は、同時期の政治運動である「アウトノミア」と密接な関わりを持ちつつ展開した。つまり、一種の政治批評として、社会批判として、建築はあった。それは、私たちが生きている状況そのものが何であるか、何に困っているのか、何に不安を感じているのかを明示し、そのうえで、何か新しい生き方の提示につなげる、そのような実践という意味での批評であり、批判である。それが現代においてあるとしたらどのようなものかは、日埜の原稿を読む限りはっきりしないのだが、少なくとも、「地域のポテンシャルを引き出す」ことの延長上にはなさそうであるとは言えそうである。私自身の考えでは、政治・社会批評としての建築があるとしても、それは規律社会からコントロール社会への移行(ドゥルーズの議論だが)において起こったイタリアの運動と同じく何らかの集合性(共存の問題)や自律性が問われていると思うのだが、建築も「もの」としてできていることへの自覚から生じつつある「人新世の建築」のような問題系(拙著『人新世の哲学』を参照されたい)を意識せざるをえなくなるだろうということも付言しておきたい。
ところで、地域とは無関係に、一種の自律領域を形成する試みにもみえる千鳥文化は、「地域のポテンシャルを引き出す」こととは別のことをやろうとしていると言えるのだろうか。そこはわからない。アートや演劇の関係者の集う領域であることが目指されているというのであれば「関係者」という領域のポテンシャルを引き出すものとして機能しているとも言えそうである。